第6話 十人十色

「いろいろな文献を調べても見つかりませんね……」

 妖獣班の江戸川は頬杖を突きながらため息をついた。総理から指示された赤い巫女の名称に関する調査を最優先タスクに位置づけ調査していたが、調査は難航を極めた。なぜならば、名称を記載している文献があまりにも少なすぎたからだ。

「大正時代にも出現は確認していますが、政府側に記述されている名称は赤い巫女になっていますね。昔の人、名前を付けるのが面倒になったんですかね」

 妖獣班の井出は頭を抱えながら呟くと、天井を見上げていた古橋も反応した。

「赤い巫女のほうが言いやすいってところかな」

 完全に行き詰った。そう思っていると、妖獣班の星野が室内に入ってきた。

「ただいま戻りました」

「お帰り。何か見つかったのか?」

 天野班長が訊くと、星野が反応した。

「国会図書館に行き、探してみました。赤い巫女に関して記述されていた書籍は37件。そのうち、名称が記されていたのはゼロでした」

「マジかよ……。ミステリアスすぎるだろ」

 古橋は舌打ちすると、妖獣班の木村が呟いた。

「班長……この名称は何でしょうか?」

 木村がそうつぶやくと、天野は木村が使用しているPCの画面を覗き込んだ。

「……鳳龍師?」

 木村が見つけた謎の文言を星野がホワイトボードに記載。江戸川は提出する報告書の作成に着手。停滞していた室内が忙しくなってきた。井出が検索エンジンで調査。赤い巫女に比べたら100件しかヒットしなかったが、天野班長にすぐさま報告した。

「鎌倉時代の文献に記載を確認しました。どうやら、鎌倉時代は赤い巫女ではなく、鳳龍師と呼んでいたみたいですね」

 井出がそういうと、天野が反応した。

「意味ってどこかに記されているのか?」

「今、印刷します」

 井出はプリンターから印刷した現代語訳した資料を天野に見せると、なるほどと頷いた。

鳳凰ほうおうの如く可憐かれん青龍せいりゅうのごとくいさましく、陰陽師おんみょうじのごときじゅつ駆使くししたりき。かたなりつくるが出来できざりしあやかし消失しょうしつすと、巫女みこ我々われわれ識別しきべつ一礼いちれいすと姿すがたしき。巫女の活躍かつやく敬意けいいひょうし、以後いご、このやうに記載きさいす。鳳龍師ほうりゅうし

「赤い巫女の名称は鳳龍師ということでいいのか?」

 天野がそう言って場をまとめようとした時、星野が首を傾げた。

「今、鳳龍師に関して調べていたみたいなんですけど、この記述がちょっとおかしいんですよね」

 星野が座っている机の周りに全員が集まってPCを覗き込んだ。

「どういうことだこれ?」

 古橋が呟くと江戸川が反応した。

「江戸時代に出現した鳳龍師は男?」

 江戸時代に作成された文献の内容に記された内容には妖を退治するものは赤い巫女ではなく、青い神主であると記述されており、その者の名前が鳳龍師だと記載されていた。

「うーん、どっちが正しいんでしょうか」

 星野が腕を組んで迷っていると、天野が話し出した。

「江戸時代に出現した人物に関してはとりあえず保留という形にしておこう。この人物も妖退治を行っていたことには変わりはないんだろ」

「そうみたいですね」

 木村がそういうと、天野が結論を出した。

「ならば赤い巫女の名称は鳳龍師だということで官邸には報告する。江戸川、作成に着手してくれ」

 天野の指示により、官邸に提出する報告書、『妖獣と戦闘行為を行う所在不明人物に関する名称の報告書』は作成された。天野が執務室に報告書を持っていくと、磯部総理、石川官房長官が報告書に目を通し、石川官房長官が天野に対して質問してきた。

「この江戸時代に出現した鳳龍師に関する情報は公表して良いのか? もう一つは、なんで、鳳龍師という名前があんまり浸透していなかったのか。そのあたりはどこまで分かっている?」

「名称が浸透していなかったのは、2つあります。1つは文献の整理などが進んでいなかったことが原因かと推測されます。赤い巫女だの青い神主という象徴的な名前は一般市民には浸透していますが、その人物がどんな名前なのかは深く考えていなかったと思われます」

「昔は妖獣の出現頻度が少なく、赤い巫女や青い神主を目撃する人が少なかったってことか」

「特に江戸時代は今まで出現の記録がなかった青い神主が妖獣を討伐していたと記載されていました。もし、自分が鳳龍師だと名乗らなければ、ただ単に青い神主として記載されていた可能性があると思われます」

「なるほど、文献の整理が出来ていなかったから、名前が浸透しなかったことは理解した。では、江戸時代に出現していたこの人物に関して公表は差し支えないか」

「問題はないと思います。ですが、名称に関する公表を先に行ったほうがいいと思われます。江戸時代に出現していた鳳龍師は男性でしたということも合わせて公表した場合、世論が混乱する可能性があると思います」

 天野がそう言うと、磯部総理が同意した。

「その件に関しては私も同意だ。もう1つの理由は?」

「先の大戦で資料が焼失した可能性があります」

「それは、2年前から言われたことだね」

「妖獣に関する資料が燃えたと同時に、鳳龍師に関する資料も同時に燃えた可能性があります」

「真実は闇の中か。分かった。これから行う記者会見では赤い巫女に関する名称だけを公表。後日、江戸時代に出現していた鳳龍師は男性であった可能性が高いという調査結果の発表。この段取りで行いましょう」

 磯部総理がそういうと、石川官房長官が反応した。

「総理、赤い巫女に関する国民から公募する件はいかがなされますか」

「その件と合わせてこれから臨時閣議を実施する。南雲さんを呼んでくれないか?」

 天野は部屋の外に待機していた南雲首相秘書官を呼ぶと、磯部総理は具体的な指示を出した。

「これから臨時閣議を招集する。件名は妖獣と戦っていた所在不明人物に関する名称確定。並びに所在不明人物の名称確定を行う国民公募の作業停止。直ちに作業に取り掛かってくれ」

「承知しました」

 南雲なぐも秘書官が部屋を出ると、磯部総理は天野に指示を出した。

「臨時閣議への出席を特別に許可します。天野参事官、閣僚への説明をお願いします」

「承知しました。説明資料として全閣僚に配布する資料を準備します」

 天野は頭を下げると首相執務室を後にした。


 ※


 自宅に帰宅した私は手洗いうがいを済ませると、制服から部屋着に着替えた。これから優子とななみが家にやってくるため、いろいろと準備しないと。

 リビングに行き、冷蔵庫から飲み物を取り出すと、コップに人数分飲み物をいれた。お菓子を入れる木の器にチョコやクッキーとかいろいろなお菓子を詰め込み、テーブルにセット。これで、客人を招き入れる準備は整った。あとは優子とななみが来るのを待つだけ。

 ソファーに座り、再放送されている連続テレビドラマを見るため、テレビをつけたがどの局も報道特別番組に切り替わっていた。

 あれ? どこかで事件でも起きたのかな?

 そう思ったが、画面の右上に赤い巫女の名称発覚か? というテロップが記載されていたため、もしかしてと思ってしまった。

「鳳龍師の名前が見つかったのかな?」

「どうやらそうだね」

 民放のアナウンサーがいろいろなやり取りをしている。通常行われるはずだった官房長官の定例会見は中止。代わりに臨時閣議実施後に会見を行うと発表があったため、いろいろな混乱があったとか。テレビの映像は官邸を出る閣僚に対して質問を飛ばす記者がいるが、名称に関する件はノーコメントでスルーしていた。情報管理が徹底されているな。

「それでは、間もなく石川官房長官が記者会見を開く模様ですね」

 アナウンサーがそう言った時、タイミングよくインターホンが鳴り響いた。

「やっほー来たよ」

「お邪魔しまーす」

 私服に着替えたななみと優子がやってくると、リビングに二人を案内した。

「由美子ちゃん、結構、良い家じゃない」

「一般的な家庭ですよ」

 ななみと優子が椅子に座ると、さっきまでつけていたテレビを一緒に見ることにした。

「えっ、赤い巫女の名前が分かったの!?」

「公募やらないのかな」

「どうやら、そうなりそうだね」

「うーん、せっかく考えたのに」

 やんややんや話していると、石川官房長官が姿を見せた。

「何という名前かな」

「かっこいい名前が良いな」

 あらかじめ分かりきっているため、驚きもなんにも思わないけど、優子とななみはわくわくした表情をしている。名前が決まるって嬉しいことなんだろうな。マイクが設置されている場所にやってくると、石川官房長官が話し出した。

「先ほど、臨時閣議で妖獣と戦闘行為を行っている所在不明人物に関する名称ならびに呼び方に関する内閣国事が閣議決定いたしました」

 そう言うと、職員が額縁を持ってきた。あの額縁に名前が書かれているのかな?石川官房長官が受け取り、記者会見を行っている壇上に置いた。まるで、平成の元号を発表する時みたいだな。

「赤い巫女の名前は、鳳龍師であります」

 そう言うと、置いてあった額縁を持ち上げ、報道陣に見せた。しばらくシャッター音が響いている。

「……鳳……龍師?」

「なんだか難しそうな名前だね」

 ななみと優子が率直な感想を述べた。実は私も最初はそう思ったよ。本人は気にいっているみたいだけどね。しばらく写真撮影が続いていると、近くに置かれた台に額縁が置かれ、石川官房長官が会見をつづけた。

「赤い巫女の名称が確定したことに伴い、ゴールデンウィーク後に実施予定でした名称公募の作業は停止することで合意。閣議決定いたしました」

 公募の作業は停止。これで、訳の分からない名前が決まることはなくなったな。

「名称(めいしょう)の典拠(てんきょ)について申し上げます。鳳龍師は、『鎌倉妖百録かまくらあやかしひゃくろく』の元徳げんとく二年(1330年)八月に記載されており、鳳凰の如く可憐に青龍のごとく勇ましく、陰陽師のごとき術を駆使したりき。刀で切りつくるが出来ざりし妖は消失すと、巫女、我々を識別し一礼すと姿を消しき。巫女の活躍に敬意を表し、以後、このやうに記載す。鳳龍師」

 昔の人が名付けた名前というのは知っていたけど、そう言う意味があったのか。

「名称が確定いたしました鳳龍師に対する国民へのメッセージは、この後、磯部総理の会見があります」

 石川官房長官はそう述べると、記者団に対して一礼した。黙ってテレビを見ていると、ななみが口を開いた。

「鳳龍師……最初は堅苦しいなって思ったけど、なんだかかっこいい名前だな」

「そうだよね。日本らしいというか、そんな感じの名前だよね」

「先人は良い名前を付けたもんだ」

 ななみと優子は鳳龍師という名前を受け入れているみたい。

「ねぇ、由美っちはどう思った?」

「名前だよね。難しい漢字がたくさん使われているから言いにくいなって思ったけど、意外としっくりくるんじゃない?」

「鳳凰のように華麗で青龍のように勇ましいだっけ? 戦っている様子を何回か見たことあるけど、ほんとぴったりだよ」

 クッキーを食べながらニュースを見ていると、玄関からただいまという声が響いた。

「あら、由美子お友達?」

 ななみと優子がお邪魔しますと挨拶すると、お母さんが笑顔でゆっくりして行ってねと返答した。

「上行こうか」

 自室にななみと優子を案内すると、部屋の中にあるものを見て口々につぶやいた。なんも珍しいものはないと思うけど、他人から見たらきっと違うんだろうな。スポーツ、芸能など他愛もない話をしていると、今まで気になっていたことをななみにぶつけてみた。

「斎藤ってなんで鳳龍師のこと嫌っているのかな」

「それはきっと、家業が影響していると思う」

「家業?」

「将くんのお父さん、住職なんだよ」

「へぇ、お寺の息子なんだ」

「だから、人の死をたくさん見てきているんだよ。鳳龍師に対して、あんまり好きになれないのは、なんで早く来なかったんだよって思いのほうが強いと思う」

「でも、共感してくれる人があんまりいないよね。クラスメイトで。だからさ。斎藤、悩んでいるかもしれない」

「そうだよね。周りに聞いても、鳳龍師っていい人じゃないのって言う人が圧倒的だからね。将くん、少数派になっているかもしれない」

 それで、悩んでいるんだろうな。きっと。そう思いながら、壁にかかっている時計をちらっと見た。6時を過ぎている。

「あら、もうこんな時間だ。帰らないと」

「そうだね」

 ななみと優子が自室を出ると、玄関で上履きを履き替えた。

「じゃあ、由美っちまた明日ね」

「由美子ちゃん、また明日」

「優子、ななみ、帰りは気を付けてね」

 お邪魔しましたという声を出して、玄関の扉を開けると、私も一緒に外に出た。

「また遊びに来てね」

 背後からお母さんがそう言うと、ななみも優子も自転車に乗って帰って行った。

「由美子、中学校でも友達出来たんだね」

「ボッチじゃありませんよ」

 玄関の扉を閉めると、リビングで夕飯ができるまで待った。どの局も鳳龍師の名称が決まったことしか報じない。これで、ようやく世間もスタートラインに立ったのかな。


 ※


 お寺の息子として生まれた俺は、人の死を何度も見てきた。寿命を迎えた人もいれば、そうでもない人もいる。もちろん、その中には妖獣によって亡くなった人もいた。妖獣、俺が小学校低学年の時は知らない単語だったのに、いつのまにか世間では常識になっている。もし、妖獣がいなかったら助かった人もいるはず。

 そう思えば思うほど、世の中って理不尽だと思うし、やるせない気がする。

 今まではそう思っていた。でも、赤い巫女……。えっと、確か鳳龍師だっけ? あいつが、俺たちの前に姿を見せ、妖獣を一刀両断した時、俺はこの理不尽な世界を壊してくれると思った。

 俺はそう信じた。でも……。現実は過酷だ。昔に比べて妖獣で亡くなる人が減ったけど、被害はゼロにならない。助かる人もいれば助からない人もいる。その現実が俺には耐えられない!

 本堂で経を唱えていると、ふすまが開き、呼び鈴が押された。経を唱えている時に呼びかけるなといつも親父が怒るため、食事ができたときは本堂に置かれている呼び鈴を押すのが斎藤家の日課になっている。

 毎朝、起きたら経を読めと親父に言われたわけではない。俺が勝手に始めたことだけど、いつの間にか日課になってしまった。俺も高校か大学を卒業したら親父の後を継ぐのかな。

 リビングに行くと、親父と弟、母さんがテレビを見ながら朝食を食べていた。

「将大おはよう。最後、伸ばしてなかったぞ。癖になっているから何とかしておけよ」

 親父に指摘されて、「あっ」ってなってしまった。

「癖になっているのか。何とかしないとな」

「将大が経を読むときは必ず雑念が入る。完璧に覚えたとしても、どこかでその雑念によって経がダメになってしまう。今度から、経を読むときは座禅をしてから読みなさい」

「もっと早く起きろってことか」

 親父とそんなやり取りをしていると、母さんがまぁまぁと言って止めに入ってきた。

「将大、早く食べなさい。ななみちゃんたちと待ち合わせているでしょ」

 朝の情報番組は赤い巫女の事しか報じていない。名前が判明したとかそれだけでバカ騒ぎしすぎなんだよ。

「鳳龍師って、なんだか呼びにくい名前だね」

 弟の篤史あつしがそう言うと、親父が話し出した。

「鳳凰の如く可憐に青龍のごとく勇ましく、陰陽師のごとき術を駆使したりき。先人はちゃんと赤い巫女の特性を見抜いていたってことだな。良い名前ではないか」

「私は赤い巫女のほうが言いやすいんだけどね」

 三者三様。親父も母さんも篤史も違う考えの持ち主だ。俺は……気に入らない。なぜならば、赤い巫女がもっと早く表れていたら、妖獣によって亡くなった人は減っていたかもしれないからだ。なんで、今更になって現れるんだよ。

 朝ごはんを食べ終えると、自室に戻り、制服に着替えた。必要な教科書とかがそろっていることを確認すると、家を飛び出し、西村たちと待ち合わせしている場所に向かった。

「おっ、やってきたな。将大おはよう」

 待ち合わせの場所に行くと、智樹と小西、西村が挨拶してきた。学校まで行く道中、小西と西村は鳳龍師の話をしている。三人だけじゃない。行きかう人々も鳳龍師の話をしている。その会話を聞けば聞くほど、俺の考え方って少数派なんだろうなって思ってしまう。

「将大どうしたんだよ。朝から浮かない顔して」

「あっ、もしかして岡田おかださんのこと考えていたのか?」

 予想もしない言葉が飛び出したため、思わずえっというと、小西と西村も反応した。

「暁ちゃん元気にしているかな」

「将くん、あきっちのことが好きだったもんね」

 岡田暁おかだあきらというのは、小学校時代クラスメイトだった女子だ。現在は別の学校に通っている。俺はそんなつもりないけど、三人は聞く耳を持たない。なんでこうなったんだ。

「岡田のことは良いんだよ。花崎はなさきでも元気にやっているかな」

「私も生まれが広島だから、引っ越しする気持ちは分かるな。幼稚園の時にできた友達が何をやっているのか全然分からないよ」

「埼玉を離れたならともかくだけど、花崎ならば電車で行けるしね」

「1時間くらいかかるんじゃないのか? 花崎ってちょっと遠いぞ」

「サッカーの遠征に比べたら短いから大丈夫。ゴールデンウィーク、岡田さんの家に行ってみない?」

 智樹がそう言うと、小西と西村が賛成と表明した。俺は行かないでいいかなって思ったが、西村がさも当然だよなと言わんばかりに手を肩にのっけて来た。

「もちろん、斎藤くんも行くよな」

「将くん、ここで行かないって選択肢はないよ」

「ゴールデンウィークは寺の用事が……」

「寺の用事なんか、さぼれ。さぼれ」

 こいつら強引すぎるだろ。

「まぁ、花崎に行くのは良いけど……。岡田の現住所、知っている人いるのか」

「私、知っているよ~。もちろん、新しい電話番号も」

「うそっ! ななっち、どうやって知ったの?」

「この間、暁ちゃんから手紙が来たんだ。そこに現住所と家電も記載されていたから。抜かりはありませんよ」

「じゃあ、予定を合わせておこうか」

 一度動き出した歯車は止まらない。こりゃ、行くことになりそうだな。


 ※


「おはよう。今日も4人一緒だね」

 教室に入ると、クラスメイトの野口が声をかけてきた。黒髪ショート。背丈は俺と同じくらい。まぁ、どこにでもいるようなボーイッシュだけど、中央委員を一緒に務めているからかどうか分からないが、なんか気になるんだよな。

「由美っち、昨日は楽しかったよ」

「いきなりお邪魔してごめんね」

「別に気にすることはないよ」

 西村と小西が野口のところにやってくると、うれしそうな表情で手を振った。

「なんだ、昨日遊んだのか?」

「そう、由美っちの家にお邪魔したんだ」

「トランプしたり、世間話していたらあっという間。時間が溶けるの早すぎる」

 一緒のクラスメイトになって1か月も経過していないけど、まるで昔から知っていたかのような感じで打ち解けているんだよな。西村も小西も。

「そうだ。ゴールデンウィーク、若宮まつりがあるよね。一緒に行かない?」

「えっと、いつだっけ?」

「5月5日、こどもの日」

 小西がそう言うと、野口は生徒手帳を取り出してぺらぺらとめくった。手帳に自分の予定を書き込んでいるのかな?

「その日は何にもないから大丈夫だよ」

「黒くんと将くんはどうする?」

「親父と一緒に出かけるから無理だな」

 嘘は言ってない。その日は本当に親父と出かける。

「俺はその日、大阪に行くから無理だな」

「なるほど。次の日、試合だもんね。智樹、お土産よろしく」

「ななっちも、名古屋土産忘れないでね」

「もちろん。ういろうとかきしめんとかいろいろ買って帰るよ。もちろん、勝ち点3もいただきます」

 西村がそう言うと、野口が真顔で、「はぁっ?」と言ってきた。マジでサポの顔じゃないか。

「2年連続で勝ちとか許さんからな」

「去年は最高だったな。ロスタイムでのゴール。良いイメージで乗り込めるわ」

 同じクラスにJサポが4人もいるなんて思わないだろ。

 野口は自分の好きな選手をとうとうと述べると、西村も好きな選手を語り、智樹もそれに追随した。小西は贔屓のチームがないため、黙ってみているけど、なんだか楽しそう。くだらない話で盛り上がっていると、朝のチャイムが鳴り響いた。


 ※


 3時間目は体育の授業。俺たちが所属している1組は隣接する2組、3組と合同で授業を受ける。今日は体育館で体力測定だ。握力、上体起こし、長座体前屈、反復横跳び、持久走、50m走、立ち幅跳び、ハンドボール投げ。いろいろな項目を実施した。男子だけ女子よりも500m長いのは納得できないけどね。そして、最後に残った項目。それは……。

 20mシャトルラン!

 帰りたいんだけど……。

 体育館に集合すると、保健体育を担当する矢部先生と松村先生が待ち構えていた。ステージ手前で整列すると、授業のチャイムが鳴り響いた。

「じゃあ、今日は体力測定、最後の項目を行うよ」

 矢部先生がそう言うと、近くに置いてあったラジカセのスイッチを入れると、矢部先生が笛を吹いた。授業の前にはランニングを行わなければならないが、そのランニングをしている時に流れる曲は昔流行った曲だ。何度も聞いたため、ネットで検索してしまったよ。

 体育館を3週ランニングした後は準備運動を行う。男女別、背の順で整列していて、俺の隣は野口だ。席も背の順も隣。ここまで、一緒は珍しい。整理運動を一通り流すと、3組の担任を務めている松村先生が笑みを浮かべた。

「じゃあ、最初は1組からだ」

 いきなりかよ……。

 2組と3組の生徒は壁側に退避すると、松村先生はラジカセのスイッチを入れた。優しい女性の声でシャトルランの説明を行うが、これが本当に嫌。

「それでは、テストを始めます。スタートラインに並んでください」

 とうとう始まるのか。こうなったら仕方がない。出来るところまでやりきるぞ。

「5秒前、3、2、1」

 ゼロとは言わず、電子音が鳴り響くと、スタートと淡白な掛け声で20mシャトルランが始まった。ドレミファソラシドの電子音が鳴り響く。最初はゆっくりだ。でも、徐々にスピードが上がっていくんだよな。横一線、頑張っていたけど、レベル5に到達すると、脱落者がぽつぽつと出てきた。小西は45回で脱落。西村は60回で脱落。レベル8に到達すると、女子はほとんど走ってない。

 野口を除いては……。マジか!

「由美っち、頑張って」

「由美子ちゃんファイト」

 女子の声援を一身に受ける野口だけど、険しい表情をしている。きつくなってきたのかな? そして、 72という掛け声と同時に野口が膝をついた。残ったのは俺と智樹、山岡だけ。その山岡も77で力尽くと智樹との一騎打ちになった。

 電子音が早くなっている。もう無理だ!

 80という区切りの数字で膝をついたが、智樹はまだ走っている。どこまでやるんだよ。

 一人黙々と20mシャトルランをこなす智樹。プロを目指すって言っているんだ。体力測定では誰にも負けないってことなんだろうな。100という大台を突破。智樹はまだ止めない。

「智樹、すごい」

「黒くん、やるな」

 ついこの間までサッカーをやめようと思っていた智樹だが、今のあいつは違う。悩みが吹っ切れ、確固たる意志を持っている。だったら、夢に向かう智樹を応援しないとな。106で智樹の足が止まると、見守っていた生徒が拍手をした。

「黒崎凄い」

「中学生で100越えはあんまり聞かないぞ」

 松村先生が称賛している。確か松村先生はサッカー部の顧問を務めているんだっけ? だから智樹、頑張ったのかな?

「じゃあ、次は2組だ」

 1組の出番はこれで終了。あとは見ているだけだ。うちのクラスには100という大台を突破した黒崎がいるけど、女子代表として最後まで走り切った野口もすごい。さっきは疲れていたから険しい表情をしていたけど、今は喜んでいるはず。そう思いながら野口のほうを向いたが、なんだか浮かない表情をしている。どうしたんだろう。

 しばらく見ていると、視線が合い、すたすたとやってきた。

「斎藤どうしたの?」

「いや、なんだか喜んでいないなって思ったんだ。女子で70超えとかあんまり聞かないぞ」

「……なんというか、実感が湧かないかなって思っただけ」

 そう言うと目の前で体育座りをしたが、俺は一瞬の出来事を見逃すことは出来なかった。

「あっ」

 思わず声が出てしまった。

「斎藤どうした?」

「ごめん。何でもない。気にしないでくれ」

 今見えたものは口が裂けても言えない。ハーフパンツを履いていると、たまにこういうことがあるんだよな……。西村や小西の着ているものを何回か見たことがあるから気にすることはないと思うが、なんでだろう……。野口が着ているものを見たときからドキドキしているんだよな。

 野口と二人でシャトルランを見ていたが、いつの間にか西村や小西、黒崎もやってきた。これで、春の体力測定が終わった。来月からは普通の授業だ。


 ※


「半魚人の妖獣が出現。二名死亡、十数名が重軽傷か……」

 木曜日の給食は麺類というのが決まっている。きのこうどんを食べていると、ノートPCを見ながら立花先生がつぶやいた。

「先生、その妖獣って倒したんですか?」

 なんとなく聞くと、立花先生は即答した。

「いや、取り逃がしたみたい。鳳龍師も来ていないみたいだな」

「えっ? 来ていないんですか?」

「来ていないな。記事には警視庁特別攻撃部隊がやってきて、半魚人の妖獣に攻撃したみたいだけど、攻撃を受けた半魚人は川に飛び込んで逃走。行方をくらましたで終わっている」

 なんで、なんで来てないんだよ! はらわたが煮えかえる思いとはまさしくこの事。給食の時間ということもあり、我慢したが、昼休みが始まった途端に爆発してしまった。

「正義の味方か何だか知らないが、そもそも来ないとかありえないだろ!」

「そう言えば、前もなんかあったよね」

 西村がそうつぶやくと、網剪の時だよねって小西が答えた。そう、あの時も、最初は現れず、結構な被害が出た。2回目に出て倒したから拍手喝采だけど、じゃあ、なんで最初出なかった? 高鼻での連続怪死事件もそう。何人も死者が出ていたじゃないか。なんで、初動で動かないんだよ!

「西村はあいつに助けられた恩義があると思うけど、命って平等だろ? 妖獣で亡くなった人はこれで万を超えた。その人たちはどうなんだよ!」

「斎藤くん、私は別にそれで庇っているつもりはないよ。まぁ、今回来なかったのは残念だなと思っているけどね」

 隣の席に座っている野口は口を真一文字にして俺たちの話を聞いている。握りこぶしが出来ているから、たぶん、相当腹に立てているんだろうな。

「野口さんってどう思う? 今回、鳳龍師が来なかったことに関して」

 智樹が話を振ると、野口が一瞬考え込むと答えた。

「……許せないよね。来なかったのは」

「由美子ちゃんもそう思うんだね」

「さっき、立花先生が言っていた記事にあるコメント欄を見たけど、斎藤と同じことを言っている人がいたんだよね。命に区別はつけちゃだめだよ」

 野口がそう言うと、正直俺はほっとした。ネットだから、顔は見えないけど、少なくとも俺と同じ感覚を持つ人は入る。俺の考えが荒唐無稽じゃない。そう思えただけでも、少し落ち着けたが……野口の表情は険しかった。まるで、本心を隠している。そんな気がしてならないんだ。

「由美っち大丈夫?」

「ちょっとごめんね」

 野口はそう言うと席を立ち、教室を出て行った。

「……由美っち、大丈夫かな」

「由美子ちゃんも結構ショックだったのかな。今回、鳳龍師が来なかったのは」

「かもしれないな」

 本当にそうなんだろうか。なんだろう……。何か、違う気がするんだよな。

 昼休みが終わり、午後の授業が始まった。俺の隣にいるのはいつも通りの野口だ。何か悩んでいるのかな? 一瞬そう思ったが、それは俺の気のせいだったみたい。

 そして、1日が終わった。


 ※


「斎藤って今日も野球部に行く?」

 帰りの会が終わったため、仮入部で野球部に向かおうとしたところ、野口が訊いてきた。

「一応、そのつもりだけど、どうして?」

「斎藤の家ってお寺だよね。これから、行きたいなって思ったわけ」

「……これから? なんか用事でもあるのか?」

「うーん、用事という訳じゃないけど……昨日、自宅訪問をされたから、私もやってみたいなって思ったわけ」

「小西や西村でいいだろ。それだったら」

「まぁ、そう言わず。ねぇ、せっかく同じクラスになったから良いでしょ」

 半ば強引な理屈だ。どうしようかなって思ったが、仮入部期間中だから別にいいかな、一日くらい行かなくても。制服から体育着に着替えるのは面倒だし。

「まぁ、別にいいけど、野口、俺の家分かるのか?」

「分からない。だから、このまま行くよ」

「えっ? 着替えないで来るの?」

 そう聞くと、野口はもちろんと答えた。

「じゃあ、早めに日直の仕事を終わらせるか」

 一緒に教室を出ると、野口はポケットから母親から貰った指輪を右手の人差し指につけていた。昇降口を出ると、バドミントン部に仮入部している西村と出くわした。

「あれ、斎藤くんと由美子ちゃんじゃない。今日は帰るの?」

「ああ、一日くらい野球部に行かなくてもいいだろ。仮入部期間中だし」

「私は剣道部に入ると立花先生に伝えているから行かない」

「なるほどね。じゃあ、また明日」

 西村に挨拶し学校の敷地外に出ると、野口が話しかけてきた。

「斎藤は良いよね。将来が決まっているのは」

「それって、お寺のことを言っているのか? 俺は継ぐつもりはないぞ」

「やりたいことあるの?」

「それを言われると、返答に困るんだよな」

「斎藤も野球でプロになるって言うんだったら話は別だけど、そこまで頑張るつもりはないんでしょ」

「まぁな。俺は智樹みたいにストイックじゃないから」

「ならば継ぐことは悪くはないと思うけど」

「そうはいってもな……」

 そうつぶやくと、野口が話し出した。

「私は将来、どうしようか決めていない。黒崎はプロを目指すと言って頑張っているけど、行けるかどうかは分からない。ななみや優子もそう。将来、どんな仕事をやるのか。どうなるのかは分からない。でも、斎藤だけは違う。将来が決まっているってそれだけでも未来に対して、安心感があるんだよ」

「……安心感か」

 言われてみたら確かにそうだな

 学校から歩くこと15分。自宅に到着したが、野口は寺の看板をじっと見つめている。

「野口どうした?」

「何て読むの?」

 もしかして、寺の名前が読めないのかな?

徨導寺こうどうじだよ。徨という文字には彷徨うという意味が含まれているみたいで、迷える人々を導くという意味を込めて建てられたんだ」

「迷える人々の相談所ってところだね」

「まぁな。いつの時代も人は悩んで生きているってことだよ」

 玄関の扉を開けると、親父が顔を出した。

「お帰り将大。今日は早いな」

「野口がうちに来たいということで、仮入部には行かないで帰ってきたよ」

「初めまして。野口由美子です」

 野口が挨拶をすると、一瞬親父がたじろいだ。どうした?

「これはご丁寧に。徨導寺の住職、そして将大の父親、誉士史よしふみです」

 なんか態度が違うぞ? どういうことだ?

梨沙りさ、お茶出してくれ」

 リビングにいる母さんにそう呼びかけると、母さんが顔を出してきた。

「将大お帰り……。おや、初めて見る顔だね」

「初めまして。クラスメイトの野口由美子です」

「広いだけが取り柄の家だけど、ゆっくりして行ってね」

 俺は自室に案内しようとしたが、野口が本堂のほうを指さしたため、一緒に本堂に向かった。えっ? いきなり本堂……。何か話でもあるのかな? 本堂の中に入ると、野口は天井を見上げ、すごいと呟いた。

「あのさ……野口」

 天井画を見上げていた野口が俺のほうを見ると、どうしたと言って返事した。

「何か悩みでもあるのか? 今日、一日中、暗い顔していたぞ」

「顔に出ていたのかな。私」

「西村や小西は気にしていなかったけど、顔に出ていたぞ。もしかして、鳳龍師のことで何か考えていたのか?」

「直球だね。斎藤は」

 そう言うと、野口は正座した。

「鳳龍師って大変だなって思っていたんだ」

「どういう意味だ?」

「勝手に正義の味方みたいに押し付けられ、出なかったら出なかったで批判される。この間クラスでアンケとったでしょ? 斎藤はどこに投票したの?」

「ああ、正体は何だってやつね。俺は警察官かな」

「なんにせよ、人だということには変わりはないよね」

「言われてみれば確かにそうだ」

「きっとさ。鳳龍師も悩んでいるんじゃないかなって思う時があるんだ。きっと事情があっていけない時もあるし、行きたくても行けないことだってあると思う」

「行きたくても行けない時か……。野口は、今まで出なかったことをどう思っているの?」

「そうだね……。たまたまじゃない?」

 予想もしない答えが飛んできた。

「えっ? たまたまって」

「だって、今まで人間の手で頑張っていたでしょ」

「なるほど。そう言う考えね」

 そこは意識していなかった。完全に盲点だ。

「警察の力で何とか頑張っていたけど、どうにもならなくなったから現れた。そんなところじゃない?」

「人が頑張っていたか……」

「鳳龍師だって完璧じゃないと思う。だから、SAFがカバーしているんじゃないのかな。何回か一緒に戦っていたみたいだしね」

 二人で話していると、お茶とお菓子を持ってきた親父が本堂に入ってきた。

「会話が外まで聞こえてきたが、そこまで弾むことでもあったかな」

「鳳龍師のことについて話していたんです」

「ほう、赤い巫女か。いやはや、大したものだ。檀家さんと今日も話したけど、自分の身を犠牲にして戦うことは本当にすごいことだよ」

「まぁ、嫌いな人は居てもいいとは思う。でも、何というか。鳳龍師も人なんだってことは理解してほしいなって思っているところかな」

 野口の言うとおりだ。不思議な力を使うから分からないけど、どう見ても人なんだよな鳳龍師は。そりゃ、人ならば疲れるときもあるし、事情で行けない時もあるよな。

「……期待しすぎたのかな俺は」

「うん? どういうこと?」

「鳳龍師が現れたから、きっと妖獣はいなくなる。理不尽に亡くなる人は居なくなる。そう思ったんだけど、なかなか犠牲者は減らない。そう思ったらさ……。鳳龍師って何なんだろうって思っちゃったんだよな。何というか、これって理想が高いのかな」

 自嘲気味に話すと、野口が言い切った。

「理想は持ってもいいんじゃないかな。それが、みんなが望む未来であることは間違いないと思うし、きっと誰もがそうなることを願っている。未来への意志。それさえ忘れなければいいと思う」

 野口がそういうと、親父が話し出した。

「未来への意志……。野口さん良いことを言いますね。私もここ数年、たくさんの人が亡くなるところを見てきた。いくら輪廻転生があるという教えをもらっているとはいえ、あまりにも多すぎる。きっと、長く生きていたかもしれない。そんなことを思う時もあるんですよ。将大が赤い巫女のことをあんまり好きじゃないのは、きっと私の影響なんだろうと思います」

 親父がそう言うと、野口が話し出した。

「実はね。今日、斎藤の家に来たのは、斎藤が悩んでいるのかなって思ったからなんだ」

「えっ? 俺が?」

「そう。斎藤って鳳龍師について結構きつい言い方をするから、周りから浮いているんじゃないかなって。ななみや優子が気にしていたんだ」

 悩んでいるのは野口かと思ったら実は俺だった。あいつらに一杯食わされたな。

「でも、もう大丈夫そうだね」

「まぁな。野口に話したらなんとなくすっきりしたよ。俺は俺のままでいる。変えるつもりはないけど、少なくとも鳳龍師も人なんだよなって思ったところだけは理解するようにするよ」

 そう言うと、野口は立ち上がった。

「じゃあ、帰るよ。また遊びに来てもいいよね」

「ああ、部活が休みの時ならばいつでもいいぜ」

 一緒に本堂を出ると、母さんもやってきた。

「あら、もう帰るの?」

「いきなり押しかけてしまいすいませんでした。斎藤、また明日ね」

「野口、気をつけろよ」

 そして、お邪魔しましたというと、野口は靴を履き替えると玄関から外に出た。


 ※


「おっ、鳳龍師、出てきたみたいだな」

 夕飯を食べながら、夜のニュースを眺めていると、速報が流れ、鳳龍師が半魚人の妖獣を倒したと伝えられた。

「昼間は出ていなかったみたいだけど、夜は出てきたんだね」

「きっと、倒す術を考えていたんじゃないかな」

 昼間来いよとは思う。でも、きっと何らかの都合で来られなかったはず。俺はそう思いながら、眺めていると篤史が話し出した。

「そう言えば、兄貴のクラスメイトが来たんだよな。俺、いなかったら分からないけど、どんな人?」

「どんな人……そういえば、親父、なんで野口に対して丁寧だったんだ? 岡田と初めて会った時なんか、あんなに堅苦しくなかったぞ」

「うーん、なんでだろうな。野口さんを見た瞬間、ちょっと、オーラが違うなって思ったんだよ」

「オーラが違う? どこにでもいる普通の女子中学生だぞ」

「そうだよな」

 親父が首をかしげながらそうつぶやいた。まぁ、気にすることはないだろ。

「そうだ。今日、まさるの家に行ったんだけどな」

「西村の弟ね。いい加減、あの趣味はやめろと言え」

「兄貴が言っても聞かないだろ? 俺にも無理だよ。まさるのお父さんがこの間、そのことで怒ったみたいだけど、まったく聞く耳持たなかったってななみさんが嘆いていたよ」

 親父さんが怒っても聞く耳持たないは重症だな。西村も悩んでいるだろうな。弟のことで。

「それで、まさるくんの家に行ってどうしたんだ?」

 篤史は今日会ったことを話した。なんてことはない。たわいもない話だ。曰く、今週末、家族で名古屋に行くけど行きたくないとか。西村の悪口ばかり聞かされたとか。ある意味、愚痴に等しいレベルの内容だ。

「昔はまさるくん、そんなんじゃなかったんだけどね」

「ななみさんが何かやったんじゃないの?」

「心当たりはないって西村が言っていたぞ。普段通りに接していたって」

「まさるくんの将来が心配だわ」

 将来ね……。俺は、箸をおくと親父に言った。

「親父……。寺のこと、もっと教えてくれないか」

「将大、風邪でも引いたのか?」

「兄貴、熱計ったほうが良いよ」

「うるせ! 俺は正常だ!」

「えっ、将大急にどうしたの? 寺のことが知りたいとか」

「俺の家のこと、もっと知らないとだめだと思ったんだ。俺の知らないこととかきっとたくさんあると思うしね」

 そう言うと、親父は不敵な笑みを浮かべた。

「じゃあ、食事が終わったら俺の部屋に来い。寺の成り立ちすべて話してやる」

「どれくらいかかるんだ? 成り立ちを話し終えるの?」

「分からん」

「分からんって、そんなに話すことあるのかよ」

「鎌倉時代からあるお寺だぞ。エピソードトークを含めて語ることはたくさんあるからな」

 軽々しく聞くんじゃなかった……。半ば後悔したが、仕方がない。食後、俺は親父の部屋に行くと、寺の成り立ちを聞くことにした。3時間ちょっと話を聞いたが、これでもまだ1%にも満たないみたい。中学卒業までで全部聞くことが出来るのかな?俺はそう思いながら、就寝した。

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