第5話 夢をかえせ!
「智樹出かけるぞ!」
そう言われて家族と一緒に出かけた6年前のあの日、県スタで見たあの光景は今でも忘れることは出来ない思い出だ。選手が一生懸命プレーする姿。そして、ゴールが決まった喜び。すべてが色鮮やかだった。
その試合を見た俺は帰り道、両親に対してこんなことを言った。
「俺もサッカー選手になる!」
そして、次の日、俺はサッカーボールを蹴りだした。蹴りだしたのは良いが、リフティングなんか1回もできない。まともにボールを蹴ることもできない。何度やってもダメな毎日を過ごしていた俺を見た父親は、地元のサッカー少年団に入るよう勧めてきた。
最初、俺は嫌だった。サッカー少年団はいろいろなテクニックが出来て当たり前のところだと思っていたからだ。でも、ふたを開けたらそんなことはなかった。
みんな、サッカーが好きな連中だ。覚えるのが遅かった俺に対して、チームメイトはいろいろなアドバイスをしてきた。でも、なかなか上達しなかった。
サッカーが嫌になりそうだったある日、先輩が声をかけてくると、俺がダメなところを一つ一つ教えてきた。その話を聞いた俺は、先輩のアドバイス通りに練習すると、今までできなかったことができるようになった。
ある程度の課題をクリアした俺に待っていたのは、実践、つまり試合だった。
地元で行われていた大会に出場しゴールを決めたときは本当にうれしかった。今まで勝ててなかったチームが勝つようになった。そして、それは黒崎のおかげだ、と言われるようになった。
しかし、そのときからだった。俺にいろいろなアドバイスを教えてくれた先輩が嫌いになったのは。
その先輩は6年生になっており、いつも俺のプレーに対してイチャモンをつけてきた。
「
「もっと、サッカーを知るべきだ」
この先輩は俺に対して嫉妬している。
何時しか少年団の中で一番巧いんじゃないのかって言われるようになった俺に対してムカついているんだ。そう思った俺は、先輩を軽視するようにした。早く卒団してくれ。そんな気持ちばかりが先行していた。
鬱陶しい先輩が中学校に行った後、4年生になった俺はチームの中心になり、上級生、年下、全員が俺のプレーを手本にするようになった。
練習もまじめにやった。誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰った。ななみや小西さん、将大からは真面目さんだの、頑張りすぎだのって言われたけど、俺はそこまで負荷をかけていたつもりはなかった。サッカーが好き。だから、練習した。練習すれば、プロになれる。俺はそう思った。
でも、現実は過酷だった。
小学校6年生の12月、俺は県内にあるサッカーチームのジュニアユースセレクションを受験した。
監督やチームメイトからは絶対に受かる! そんな声援を受けて試験に臨んだが、試験当日、俺は何にもできなかった。
周りは俺よりも上手い奴らばかり。地区の選抜に選ばれたやつもいれば、全国の大会に出場した選手もいる。そこで俺は悟った。チームの中で一番うまいと言われていたけど、そんな連中はこの世の中にはたくさんいる。俺は井の中の蛙だった。
結果、一次選考で落選。
その時、俺は卒業した先輩の顔を思い出した。あの先輩は俺の弱点を見抜いていたんだ。だから、あの時、俺のプレーや練習に対していろいろ言っていたんだ。俺は気が付くことができず、ただ単にいちゃもん、僻みだと思ってしまったわけだ。
凄く情けないし、あの時の俺が許せない。
一次選考で落ちた俺に対して、監督やチームメイトは気にするなとかいい経験をしたじゃないかとか言っていたけど、正直、慰めにもならなかった。サッカーに対してモチベーションを失ったまま、俺は若宮中学校に進学。
ななみや小西さん、将大はさも当たり前のごとくサッカー部に入部するんだろって思っているんだろうな。きっと。
俺はサッカーをやめる。中学からは新しい人生を始める。この話をした時、両親はすごく悲しい表情をしていた。期待に応えられなかった俺に責任がある。ジュニアユースに行けなかった俺は、たぶんプロにはなれない。このまま惰性でサッカーを続けるくらいならば、新しい部活に入って新しいことをやったほうがいい。だから、俺はサッカー部ではなく、俺は陸上部に入部する。
そう決めたはずなのに……。両親にそう言った時から、なぜか俺はサッカーボールを蹴るようになっていた。もう、諦めたはずなのに。
なんだよ、この気持ちは。俺はどうすればいいんだ……。
※
「由美子、朝ごはん食べたら洗濯物干してから学校に行ってね」
慌てた様子でお母さんが家を出たため、私には反論の機会すら与えられなかった。早めに朝ごはん食べよう。テレビをつけると民放のニュースが流れてきた。
「石川官房長官は昨日開かれた定例の記者会見において、赤い巫女は現時点の段階では脅威ではないという認識を示しました」
パンを食べながら、ニュースを見ていると鳳龍師が語りかけてきた。
「政府も私が敵じゃないって認めたってところかな」
誰もいないため、心の中で返事しなくても大丈夫だ。
「前は時間かかったの?」
「1か月くらいかかったかな」
「100年前は1か月。今回は2週間弱だから、早くなっているね」
「この間は現場に国家公務員みたいな人もいたよね。あの人たちが総理とかに報告したんじゃない?」
言われてみれば確かにそうだ。この間はスーツを着た人たちが数人いたんだよな。官房長官の記者会見の様子が流れると、次のニュースは外務省が鳳龍師に関する日本政府の立場を発表。その立場を表明したリリースの内容を英語、中国語、フランス語、ドイツ語、アラビア語など各言語に翻訳したって内容だった。
「そういえば、日本ってアメリカと同盟を結んでいるんだよね。鳳龍師の情報もアメリカに流れるのかな?」
「流れていると思ったほうがいいかもしれないね」
「さらっと言っているけど、鳳龍師はそれでいいの?」
「100年前もイギリスやアメリカの政府関係者がうろうろしていたから別に今更ってところはあるよ。私のことは知られてもいい。表に出て活動しているから。問題なのは由美子のことを知られることだから」
「私のこと?」
「由美子……私と一緒になっていることは誰にも話してないでしょ。もし周りに言ったら、由美子の生活に支障が出ると思うんだ」
「それはそうだと思う」
「もし、日本政府が正体を知ったら? もし、海外の政府が正体を知ったら? そうなったら、全力で私の力を奪いに来ると思う。妖獣を倒す力は普通の人にはない力だからね」
ななみや優子たちが、鳳龍師の正体が私だと知ったらどんな反応をするんだろうな。鳳龍師の力を恐れて距離をとられるかもしれない。そうなったら、私はクラスで浮いてしまう。斎藤は鳳龍師に対してどこか冷たいところがある。もし、私だと知ったら毎日、どんなことを言われるか分からない。お父さんとお母さん、兄はどんな反応をするんだろう。私が鳳龍師だって知ったら。
「由美子……」
考え事をしていると、鳳龍師が語りかけてきた。
「今まで、一緒に戦った人はたくさんいる。いろいろな経験をしたけど、あいつは鳳龍師だと目を付けられ追われたことは一度もないし、これからもさせない。絶対へまはしないから」
鳳龍師がそう言うと、私はテレビを消し、食器を流しに置いた。
面倒だけど、さっさと洗濯物を干していかないと。お母さんに頼まれた仕事を素早くこなし、制服に着替えると、私は家を出た。
※
「ふざけるのもいい加減にしろよ!」
階段を上り、自分の教室がある4階に到着した時と同時に斎藤の怒号が廊下まで響いた。何が起きているのかは分からないが、絶対修羅場になっている。この状態は入りにくいよな……。そう思っていると、クラスメイトの
「おっ、吉村じゃないか。グットモーニング」
「吉村と言うのはやめろ」
同じ小学校だったこともあり、こいつはいつもこんな感じで私をいじってくる。そのうちとっちめてやる。
「今の声は将大だよな。えっ? マジで怖えんだけど」
山岡の表情が引きつっていた。
「この状態で教室に入るのは嫌なんだけど」
「ああ、せっかく気合い入れて早く来たって言うのに、なんでこんな場面に遭遇するんだか」
山岡がそう言うと、教室のドアから優子が顔を出した。
「由美っち、山くんおはよう」
挨拶されたら入らないわけにはいかない。いつも通り、あだ名で挨拶してきたけど、なんだか表情が暗い。
「おはよう優子」
しぶしぶ、教室の中に入ると、黒崎の机の前にななみと斎藤がいて、二人とも険しい表情をしている。自分の机にカバンを置くと、山岡はそそくさとどこかへ行ってしまった。
おい! 逃げるな!
「もう一度聞く、本当に陸上部に入るのか?」
「そうだ。サッカーはやめたんだ」
どの部活に入るかでもめているのかな。そんなに怒ることなのか?
「じゃあさ、なんで今まで言わなかったの! なんで、勝手に決めたの!」
ななみも語気を強めている。
「黒くんさ、ななみちゃんと将くんが怒っている理由くらいわかるでしょ? 別に陸上部に入ることを責めていないんだよ。なんで、何にも言わないで決めたのかで怒っているんだよ」
「両親には話したけど」
「そう言うことを言っているんじゃねぇ!」
頭に血がのぼった斎藤が黒崎の胸倉をつかむと、優子が止めに入った。
「由美っち、お願い! 止めて」
何が起きているのかは分からないが、ななみと一緒に斎藤を羽交い絞めにすると、黒崎がうつむいた状態で教室を出た。
「わけわからん。何が起きていたのか話してほしいんだけど。なんで黒崎が陸上部に入ることで一言言ってほしいの?」
疑問に思ったことをぶつけると、ななみが語りだした。
「そうだよね。由美子ちゃんは経緯が分からないよね。智樹ってサッカーバカでさ、いつもサッカーボールを蹴っていたんだよ。私たちと一緒に遊ぶ時もサッカーだったし、サッカーの話題をするときはいつも目を輝かせていたんだ。でも、智樹があるときからサッカーの話題をしなくなった時があるんだ」
「それってつい最近?」
「去年の12月を過ぎた時からなんだ。理由は分かっている。ジュニアユースの試験に落ちたから」
「まじ? 黒崎、ジュニアユース受けたの?」
「野口、ジュニアユースのこと知っているの?」
「クラブによって名称は異なるけど、中学生年代でトップレベルに位置付けられている育成機関でしょ。えっ? 黒崎受けたんだ」
「試合を見ていたスカウトから受験してはどうだって言われたから申し込みしたみたい。チームの中では一番巧かったからね黒崎くんは。ただ、結果はひどいものだったとか」
「周りは地区の選抜に選ばれたのだの全国の大会に出たとか、いろいろとすごい奴がいたみたい。智樹、何にもできなかったって言っていたんだ」
「もしかして、黒崎がサッカーをやめて、陸上をやろうとしているのって、落ちたことが引き金になっているの?」
「俺はそう思っている」
「プロになるためにはジュニアユースに入らないとダメだって言っていたからね。受験を決めてからは今まで以上に練習していたよ。練習していたけど、何かが足りなかったって言っていたかな」
「智樹、昔、ある人に言われたことがあるんだって。プロを目指すならば、上辺の練習だけじゃダメだ。君のプレーは上部のプレーで、魂が入っていないって何度も言われたって。その時は何を言っているのか理解できなかったけど、落ちた後に振り返ると、その人は俺の本質を見抜いていたんだなって」
上辺のプレーってセリフ。聞いたことあるぞ。
「今は落ち着いたけど、6年の3学期なんか、ほぼ毎日、寝坊して遅刻していたからな」
「黒崎のこと、よく見ていたんだね」
「当たり前だろ。幼稚園の時から一緒に遊んでいたからな。一緒に泊まったこともある。いろいろな話をした。だから、今回、言わなかったことが許せないし、そこまで智樹が落ち込んでいたことを知らなかった俺自身が許せないんだ」
斎藤はそう言うと、教室を出て行った。私は自席に座ると、ノートを開き、今までの話を整理した。アカデミーの試験に落ちたことが引き金となり、サッカーに対する興味が薄れてしまった。そして、それが私生活まで響き、遅刻をするようになった。筋は通るけど、どこか引っかかるんだよな。
「由美子ちゃん、どうしたの?」
「黒崎って本当にサッカーが嫌いになったの?」
「本人の口からは聞いていないけど、私はそうは思わない。きっと、まだ迷っているんだと思う」
「迷っている?」
「最近なんだけど、近所の公園でサッカーボールを蹴っている智樹を見かけたんだ。昔みたいに楽しい表情じゃなかったけどね」
なるほど。炎は完全に燃え尽きていなかったみたいだね。
「ななみ、その公園どこか教えてくれない?」
「いいけど、由美子ちゃんどうするの?」
「消えかかった炎にガソリンを入れるんだよ」
※
サッカー部には入らない。そう決めた時から、俺は再びサッカーボールを蹴るようになった。雑念が入っているからリフティングはうまく行かない。当たり前だって言うと思うけど、なんだろうなこの気持ち。俺は何がやりたいんだろう。
そう思いながら、昔、父親と一緒にサッカーをしていた公園に行くと、先客と視線が合った。
「えっ? 野口さん?」
上下ともに同じメーカーのジャージを着ていた野口さんが笑みを浮かべると、一緒にサッカーをやろうと話しかけてきた。
何が何だか分からない。野口さんって、サッカーできるのかな?
そう思いながら、パス交換をしたが、ボールの止め方、蹴り方が誰かに似ている。そして、1on1で勝負をすることになった。
正直、女子には勝てると思っていた。でも、野口さんは違った。
剣道をやっているかどうかわからないけど、身体が強かった。嘘だろ。当たり負けしない。なんで? えっ? 野口さんってサッカー経験者?
なかなかボールを奪えないでいると、一瞬のスキを突かれ、そのままボールはゴールの中に吸い込まれた。
「黒崎、私を女子だと思わないで良いよ……。本気で来い」
野口さんはそう言うと、下のジャージを脱ぎ、同じメーカーのトレーニングパンツに着替えると、羽織っていたジャージを脱いだ。
「嘘だろ……」
野口さんはとあるJリーグチームのレプリカを着ていた。えっ? 埼玉のチームじゃない? そのチームを応援しているの?
「えっ? 野口さん……」
「1-0、このままだと負けちゃうよ?」
野口さんが完全に挑発してきたため、思わずこぶしを握り締めた。上等だ! こんなところで負けるわけには行かねぇ! 俺も着ていたウィンドブレーカーを脱いだ。
「黒崎はその選手が好きなんだね。しかも、背番号の数字、ユースから上がってきた時のやつでしょ」
「よくご存じだね。それにしても、野口さんにはびっくりしたよ。若宮でそのチームのユニを着る人なんか見たことないしね。しかも背番号7。有名なGKやDFじゃないんだね」
「私はボランチが好きなんだよ」
野口さんとの1on1はいつの間にかJリーグチーム同士の代理戦争になった。こうなったら意地でも追い付くしかない。そして、逆転する。
「野口さん、少年団にはいなかったよね? どこでその技術を学んだの?」
「兄の練習相手になったらいつの間にかこうなっていたの。人が剣道の練習で疲れているのに、練習に付き合えって横暴な毎日を繰り返していたらいつの間にかリフティングもできるようになったし、ボールの扱い方も出来るようになったってことだよ」
「野口さん、お兄さんいるの?」
「
その名前は一度たりとも忘れたことはない。俺が少年団に入り、ダメだったところを教えてくれた恩人でもあり、俺のプレーにいちゃもんをつけた上級生。それが野口倫弘だ。
「なんだ、サッカーをやめるとか言っていたけど、全然やる気あるじゃない」
「野口さんには恨みはない。でも、野口さんのお兄さんにはいろいろと言いたいことがあるんだよ!」
野口さんからボールを奪い、思い切って蹴ると、無人のゴールネットを揺らした。
「これで1-1だ。おたくの守護神でも今のは止められないな」
「ふっ、うちの守護神だったら軽く弾いていたわ」
お互い両膝をついた状態でやり取りをしていると、ななみと小西さん、将大が公園にやってきた。
「由美っち、すごい!」
「由美子ちゃん、サッカーもできるんだね」
「野口って意外なチームを応援しているんだな」
「そりゃ……誰にも言ってないからね」
そう言うと、野口さんは脱ぎ捨てたジャージを着用した。
「黒崎さ、アカデミーだけがすべてじゃないと思うよ」
「野口さん……」
「プロを目指すんでしょ。道はいくらでもあると思う。普通の中学に行き、そこで頑張って有名な高校に行ってスカウトに目を付けられることもあるし、高校でユースに入ることだってあるかもしれない。ジュニアユースに入ったとしても、上には上がれず、高校で頑張るパターンもある。私が好きな選手はこのパターンだね。ジュニアユース、ユースと順調にいったとしてもトップには上がれず、大学に行くパターンもある。いろいろなケースは想定できる。これが終わりじゃない。夢は終わってないよ」
両親と一緒に見に行った時の試合が甦ってきた。あの時はスタンドで見ていたけど、今度はピッチで見る。無謀かもしれない夢はまだ終わっていないってことか。
「野口さん、ありがとう。陸上部に入るって決めてから、なぜか知らないがサッカーボールを蹴るようになったんだ。踏ん切りがつかなかったんだろうな。きっと。野口さんにズタボロにされたら諦めていたと思うけど、どうやらそうでもなかったみたい。ななみ、小西さん、将大、朝は迷惑をかけてごめん」
「智樹、朝はすまなかった」
「やっぱり、黒くんはサッカーが1番だよ」
「陸上部に入っている智樹とか絶対に似合わないよ」
「まだ時間はあるかな。みんなでサッカーしようか」
野口さんがそう言うと、さんせーという声が響いた。冷静に考えたら、小西さん以外、全員サポなんだよな。これはこれで凄いぞ。
5人でロンドをやったけど、ほぼ経験者と言って良い野口さんが入ったことで今まで4人でやっていたよりもはるかに難しくなった。難しくなったけど、やりがいがある。
サッカーって楽しいな。そして、家に帰った俺は両親に対して自分の想いを伝えた。
「もう一度、サッカーをやる」
そう言うと、今まで悲しい表情をしていた両親の表情が一変した。野口さん、いや、みんなのおかけで消えかかっていた心の炎が燃え出した。
まだ、ホイッスルは鳴り響いていない。絶対にあきらめない。そう思いながら、俺は就寝した。今日は良い夢を見れそうだ。
なんとなくだが、そんな気がした。
※
黒崎はそう思いながら就寝した。でも、現実は過酷だった。
寝静まり返った夜の街に妖獣が出現したのである。等身大くらいの大きさで鼻は像、目はサイ、尻尾は牛、脚はトラ。頭は小さく脚は短い。全身は白黒のまだら模様。その妖獣の名は
その獏が若宮市内の公園に出現し、大きく深呼吸すると、周辺の家から青白い球体の形をした魂が姿を見せた。
そして、掃除機に物が吸い寄せられるかの如く、次々と青白い魂が獏の鼻に吸い込まれていくと、満足したのか獏は黒い靄となって姿を消した。
※
朝の挨拶をしながら教室に入ると、クラスメイトがざわめいていた。昨日は黒崎の件で揉めていたけど、今日は何があったんだ?
「おっ、由美子ちゃんおはよう」
黒崎の席の近くにいたななみが挨拶してきた。
「黒崎のところに人が集まっているけど、今日はどうしたの?」
「それがね……」
論より証拠と言わんばかりに、腕を引っ張られ、黒崎がいるところに向かうと、黒崎が朝の挨拶をしてきた。挨拶をしてきたが、明らかにおかしい。
「えっ? 黒崎、明らかにおかしいよ。どうしたの?」
「おかしくなんかないよ。野口さんの気のせいだって」
表現として正しいかどうかはあれだけど、まるで生気を感じることができない。表情も暗いとかそんなものじゃない。ただそこにいるだけ。ほんと、人形が置かれている。今の黒崎からはそんな感じが漂っていた。
「おい! 智樹、しっかりしろよ」
斎藤がそう叫んだが、黒崎は全く反応しない。僕は大丈夫だよとか、テンプレのセリフしか言わない。昨日の黒崎とは打って変わって別人だ。
「そういえばさ、3組の
山岡がそうつぶやいたため、思わず聞き返した。
「山岡、それってどういうこと?」
「黒崎と同じだよ。何というか、焦点が合わないって言うの? 挨拶は返してくれるけど、何というかテンプレみたいな感じでね。ちょっと、怖かったぜ」
もしかして!
私は教室を出ると、ほかのクラスの様子を見た。ほかのクラスにも、黒崎みたいに生気を感じることができない生徒がいた。みんな、その生徒の周りを取り囲んで、心配そうな表情をしている。こんなの、絶対に普通じゃない!
そう思っていると、鳳龍師が語りかけてきた。
「由美子、これは妖獣の仕業かもしれない」
妖獣? どういうこと? 私は女子トイレの個室に入ると、鳳龍師に問いかけた。廊下に立ちすくんで何やっているんだって思われたら、後々面倒なことになるしね。
「獏って知っている?」
聞いたことあるな。確か悪夢を食べるんだっけ?
「そう。人の悪夢を食べる。それが獏なんだけど、その獏が人の夢を食べているかもしれない」
夢を食べるってどういうこと?
「正確には人々が思っている将来の夢だね。それを食われたかもしれない」
将来の夢……。それって、生きる上で大切なことじゃないの!
「夢と言っても人ぞれぞれあると思う。プロサッカー選手になりたい。警察官になりたい。職業に関することもあれば、資格を取得したい。我が子の成長。それも言ってしまえば夢になるよね。今回現れた獏は、それらをすべて食べてしまった。そうなると、何を生きがいにしていいのか分からなくなってしまう。生きる屍の完成ってところだね」
生きる屍……。そんなの人間じゃない! 人間には夢があるんだ。絶対に倒さないと。鳳龍師、黒崎の夢って取り戻すことできる?
「獏を倒せば戻せる。ただ、いつ現れるのかは分からないよ」
基本的に寝ている時に現れるんだよね。鳳龍師、現れたら、何らかの方法で知らせてほしいんだけどいい?
「分かった」
※
深夜、寝ていると物音で目が覚めた。頭がぼーっとして正常な判断ができない。そう思っていると、机に置かれている指輪が光ったため机のほうを向いた。
「由美子、出てきたよ」
その言葉を言われたため、ぼーっとしていた意識が切り替わった。
「よし、行こう」
机に置かれていた指輪を右手の人差し指にはめると、握りこぶしを作って指輪を真正面に向けた。ここまではいつもと同じ。でも、今日は狭いところじゃない。深夜の2時。寝静まっているから大丈夫。私は腕をくるっと一回転させ、両腕を十字でクロスさせると指輪を天井に向けて名前を呼んだ。
「鳳龍師!」
※
由美子の母校、若宮西小学校の校庭に現れた獏が朝礼台で人の夢を吸い込んでいると、突然、背後から何者かが飛び膝蹴りを食らわした。
飛び膝蹴りを食らった獏が勢い余って校庭に転がると、さっきまで獏がいた朝礼台に鳳龍師が仁王立ちした。
何が起きたのか一瞬分からなかったが獏だが、振り向き、鳳龍師が自分の食事を邪魔してきたやつだと理解するのには時間がかからなかった。
月明りをバックにしている鳳龍師に向かって獏が突進すると、鳳龍師はその攻撃をかわした。
基本、獏は突進しかしてこない。そう思っていたが、獏の目の色が赤に変わると、鼻から黒い塊みたいなものが飛んできた。
突然の攻撃だったため、鳳龍師は回避することが出来なかった。
黒い塊が直撃すると、鳳龍師が見ている景色は一変した。
いつもと変わらない街並み、でも、行きかう人々の生気は感じられない。明らかに異様な光景だったため、鳳龍師が呼びかけても人々は無視している。
どうなっているんだ。
鳳龍師がそう思った時だった。
突然、肩を叩かれたため、鳳龍師が振り返ると、そこにいたのは由美子だった。でも、その由美子もまた生気を失い、まるで活きる屍とかしていた。
「由美子!」
鳳龍師が肩をゆすったが返事はない。すると、一緒に居た由美子の両親が指をさして叫んできた。
「お前のせいだ」
「娘をかえせ」
その叫び声が引き金になると、それまで無表情だった人々が一斉に振り向くと、鳳龍師に向かって罵詈雑言を浴びせてきた。
「来るのが遅い」
「犠牲が出ないと現れないのか」
鳳龍師は反論することが出来ず、迫ってくる人々から離れていると、警察の緊急車両が到着。SAFの隊員が車から降りてくると、銃口を鳳龍師に向けた。
「赤い巫女の出現を確認。これより攻撃を開始する」
鳳龍師は光の壁を使って、攻撃を防ぐが、弾丸の嵐は止む気配がなかった。光の壁を使って攻撃を防いでいると、反射した弾丸が周りの人々に当たりだした。あたり一面、血の海。まさしく地獄絵図だった。その中には、由美子も含まれていた。
「由美子!」
その場に膝をついた鳳龍師はなんでこんなことになっているのか理解できなかった。さっきまで、獏と戦っていたはずなのに。なんで、こうなるのか。そう思った時だった。背後に回り込んだSAFの隊員が麻酔弾を発射。それに気が付いた鳳龍師は後ろを振り返り、回避しようとしたが、足がすくんで動けなかったためそのまま命中。膝をついてしまった。
「赤い巫女、貴様を拘束する」
取り囲まれた鳳龍師は拘束されると、基地に連れて行かれた。そこで待っていたのは、拷問の嵐だった。前、助けたはずの政府の職員もその様子を見守っている。
両手は鎖でつながれ、鳳龍師の顔は痣だらけになっていた。
なんで、私がこんな目に合わなければならない。私は、みんなの幸せを守るために戦っていた! その結果がこれ! ありえない……。絶対にありえない!
今まで我慢していた何かが壊れ、拷問していたSAFの隊員に足蹴りを食らわすと、両手を繋いでいた鎖を引き抜いた。
「攻撃開始」
銃弾の雨を鳳龍師は受けるがそんなことはお構いなし。基地内に置かれていた日本刀を見つけると、反撃開始とばかりに睨みつけた。
「お前ら全員、ここで消えろ!」
中腰になり、攻撃してくるSAFの隊員に向けて、鞘を抜いた時だった。
「やめろぉぉぉぉ!」
誰かが廊下を走ってきた。その声はもしかして! 反応した鳳龍師が後ろを振り向くと、寝間着姿の由美子が走ってきた。
「いい加減、目を覚ませえぇぇぇ!」
そう言いながら、思いっ切り鳳龍師を殴りつけると、稲荷山基地内部から場面が切り替わった。目の前には獏がいて、自分は小学校の校庭に倒れている。
「起きろ! 鳳龍師!」
鳳龍師は今までの出来事は夢だったと理解すると、目の前に迫っていた獏の蹴りを回避した。
「由美子、ありがとう」
「こっちから呼びかけることもできたんだね。ほんと、どうなるかと思ったよ」
「危うく、悪夢を見続けるところだった。感謝する」
青い目だった獏が赤い目に切り替わると、再び黒い塊をぶつけてきた。
「同じ手は食らわない!」
光の壁を展開。黒い塊が弾かれ獏にぶつかると獏は苦しんでいる。
「これでおしまいだ! 獏!」
中腰になった鳳龍師は日本刀の鞘を抜くと、獏に一太刀を浴びせた。抜刀した刀を鞘に納めると、その瞬間、獏は光の粒子となって姿を消した。それと同時に、青白い魂がそれぞれの家のところに戻っていく。流星群みたいに見える幻想的な光景が
「きれいだね、鳳龍師」
「それだけ、人には夢や希望がたくさんあるってことだよ。たとえそれが、些細なことだとしてもね」
※
「おっ、やっと来たな黒崎」
「仮入部、陸部しか行ってないからサッカー辞めるんかと思ったよ」
放課後、黒崎がサッカー部の仮入部に行くと、所属している部員からいろいろな声を掛けられていた。楽しそうな表情をしているな。そう思っていると、ななみと優子が肩を叩いてきた。
「由美子ちゃん、一緒に帰ろう」
三人で正門を出ると、ななみが話しかけてきた。
「来週から本格的に部活開始か。毎日忙しくなるんだろうな。優子ってどこの部活に入るか決めたの?」
「私は吹奏楽部。ななっちはバドミントン部だっけ」
「そうだけど……顧問の先生がめんどくさそうなんだよね。立花先生が良いよ。由美子、交換して」
「私に言われても困るよ」
「由美っち、今年は剣道部に入る人多いよね。赤い巫女さんの影響かな?」
「そうかもしれないね。顧問が1人、副顧問が2人いるんだけど、3人で裁くのは大変かもしれないなって先輩が言っていたよ」
獏によっておかしくなった生徒たちも元に戻っている。ひとまずは一件落着かな。
「その赤い巫女なんだけど、来月から名前の公募が始まるよね。だから、名前考えてみたんだ」
「なんという名前?」
「ソードマスター・ミコ」
「ださっ。優子、それはないわ」
「ななっち! じゃあ、考えようよ」
「そうね……レッドスター・ムラマサとかはどう? 赤い巫女が持っている日本刀ってムラマサって言うんでしょ?」
「うーん、なんかしっくりこないな」
鳳龍師って名前なんだよって言いたいけど、口が裂けてもこの名前は言えない。
「由美っちはどんな名前、思いついたの?」
うわっ、振られちゃった。どうしようかな……。鳳龍師、なんかいいアイディアないの?
「アイディアはありません。世間の人はどんな名前を付けようか分からないが、私は鳳龍師が気にいっているんだ」
じゃあ、今度警察の人と一緒に戦うことになったら、名前名乗ってくれ。
「聞かれたら答える」
何回か一緒に戦ったけど、巫女さんってしか言われてないしね。
「由美っち、思いついた?」
優子が話しかけてきたため、軽く返事をすると、ぱっと思いついた名前を口走った。
「ヤマトノミコとかどう?」
「おっ、その名前よさそう」
「由美っちセンスある!」
ごめん、鳳龍師。適当な名前を付けて。
「結構いい名前だと思うよ。公募が決まったら官邸の応募フォームに投げつければ」
公募になったら鳳龍師と記載して送り付けるよ。
心の中でそう呟くと、ななみが話しかけてきた。
「ヤマトタケルノミコトみたいでかっこいいよね」
「それなりに票は集まると思うけどね。ただ、投票とかになると、わけわからないところに票が集まっちゃうんだよね。昔のオールスターゲームみたいに」
「掲示板が祭りと評して工作をするんだよね。そうなると、政治家のお偉いさんのさじ加減で決まると思うけど、ろくな名前にならないかもしれない」
適当な名前を付けられたら戦う際のモチベーションに響いてしまう。タワーマンションの近くにある交差点まで来ると、私は右に曲がり、優子とななみは横断歩道を渡った。
「由美子ちゃん、あとで優子と家に行くから」
「由美っち、また後で~」
「来るときは気を付けてね」
優子とななみに挨拶をすると、鳳龍師が脳内で話しかけてきた。
「昨日の獏の事なんだけど」
それがどうかしたの?
「網剪みたいに、魔改造されている気がする」
魔改造? つまり、何者かが獏の特性を変化させたってこと?
「そういうこと。昨日現れた獏は私と同じくらいの大きさだった。同じ夢と言っても、食べたのは悪夢ではなく希望の意味が入っている夢だった」
誰が魔改造したのか、心当たりはあるの? そう聞くと、鳳龍師が口を開いた。
「
どこにでもいそうな名前だけど、そいつが黒幕?
「いろいろな敵と私は戦ってきた。だけど、加藤は今までの敵とは比べ物にならないくらい強かった。そして、狡猾だった」
その敵が甦ってきたから、鳳龍師も目覚めたんだよね。
「人類が束になってかかっても勝てないと思う。それくらい、加藤は強い。あいつを倒すのは私の使命だから」
加藤光彦、どんな人物なんだろう。まだ見ぬ、敵の姿を思い浮かべながら、私は自宅へと帰って行った。
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