幸せは、フルーツティーと共に

咲翔

***


「あ、今日か。新作の発売」


 夜のコンビニって魅力的。部活帰り、暗い道路を一人で歩いていた私は、吸い寄せられるように店へ入っていく。


 高校生になって、フルーツティーの美味しさが分かるようになってきたこの頃。新商品が出たという情報を昨日掴んだ私は思ったのだ……これは買うしかない、と。


 蛍光灯の眩しさに目がくらむ。暗いところから一気に煌々と照らされる白い世界に入った私は、思わず目を細めながら歩いた。目指すのは、ペットボトル飲料のコーナー。


「あった……え、最後の一本?」


 棚の真ん中に、お目当てのものを見つけた私は思わず声を上げて驚いた。恐るべし、新作人気。なんとそのフルーツティーは、最後の一本だったのだ。あと少し遅かったら無かったかもしれない。間に合ったという安堵感と共に、私はゆっくりと冷蔵庫のガラス戸を開けた。


 ひんやりとした冷気が、疲れた体を包み込む。その冷たさに癒やされながら、そのペットボトルに手を伸ばした――瞬間。


 ヒョイと後ろから伸びてきた何者かの右手が、フルーツティーをかっ攫っていった。私の身長より遥かに高い位置から伸びる腕の主は――背後に。


 誰だ、私の楽しみを奪ったのは。


 睨むような目つきで振り向いた私の目に映ったのは……眼鏡をかけた背の高い男子高校生。


「おやおや、これは“姫様”」


 そいつはレンズ越しの切れ長の目を私に向け、ニヤリと笑った。


「こんなところでお会いするとは、奇遇ですね」


「お前な……」


 私も負けじと睨み返す。そして忌々しそうな声で、彼の名を呼んだ。


「絶対気づいてたろ、王子黎斗」

「姫様、口が悪うございますよ」

「誰のせいだと思ってんだ」

「私は水の精」

「笑いを取りに行くな」


 ここまでの問答を一息で終えると、私は盛大な溜息をついた。そして目の前の、この苛つく眼鏡男子――王子黎斗を見つめる。


「王子、私のフルーツティーを返せ」

「おっと、これがいつ貴女のモノになったのですか」

「私が買おうとしていたものだ」

「でも先に取ったのはボクですヨ」

「……ぐっ」


 言い返せなくなり、私は精一杯の睨みをきかせて反抗を試みる。しかし何度やっても同じ――王子には勝てない。


「はいはい、ごめんなさいネ。ボクの腕が長かったみたいで。ついでに足も」

「何が言いたい」

「いや、何も……あ」


 王子が間抜けな声を出した。


「なんだ」

「言いたいこと、あったわ。いや、言いたいってより聞きたいこと」

「なんだ、話せ」

「部活で、なんかあった?」

 

 ――は?


「疲れた顔してる。俺みたいに運動部じゃない暇人文化部のキミが、そんなそんな顔するなんて、よほど何かがあったんだろうなって」

「……暇人文化部って酷い言いがかりだな」

「何かあったことについては否定しないんだ」


 王子が、ふっと笑みをこぼした。ポンと私の方に、例の紅茶を投げてくる。


「よかったら、話聞くよ」

「……譲ってくれるのか」

「俺が話を聞く代金みたいな感じ」

「それって聞いてもらう側が払うべきなのでは?」

「いいんだよ。俺がお前の話聞きたいだけだから」


 ――は?


 本日二度目の「は?」を心の中で呟く私だったが、それを実際に声を出す元気はなかった。その間に王子は、適当なカフェラテを引っ掴み、レジへと向かう。


「ほら、早く」


 不本意ながらも長身眼鏡に急かされ、私はフルーツティーを持って会計を済ませる。


「はい、ここでいいよね?」


 店を出て王子が指さしたのは、コンビニのすぐ右にある公園のベンチだった。街灯の明かりの中、浮かび上がる古いそれに、私と王子で座る。


「んで、姫様。何があったん?」

「その呼び方やめろって」

「あは、ごめん」


 王子は悪いと思っていなさそうな声で謝る。彼が私の名――唯川姫芽をイジるのは毎度のことだ。可愛らしい名前とは裏腹に、現実の私はこんなヤツだというのに。


「……なんか、上手くいかない」


 私の口から、言葉が零れ落ちた。 


「なにもかも、うまくいかないんだ」


「うん」


 肯定も否定も質問もしない王子の返事。私はそれを聞いて何故か泣きたくなった。言葉が止まらなくなる。


「演劇部で、今度コンテストがあるんだけど、それに出ることになって」

「うん」

「その脚本を書くことになったの」

「唯川が?」

「そ。それで、そのコンテストのお題が『姫と王子』でさ」

「俺?難しそうだね」

「お前じゃねえ、違うわ」


 私はフルーツティーをタプタプ揺らしながら、呟く。


「書こう……とは思っていても、なかなかアイデアが降ってこなくて」

「お前、物語とか考えた経験あんの?」

「もちろん皆無」

「だから天から降ってくるのを待ってるってわけか」


 王子が苦笑した。暗いから表情はよくわからないけど、肩を揺らしているのだけは分かる。


「でさ、ただ単純に王子様とお姫様の物語じゃ面白くないじゃん?海外の短い童話風になって終わるだけになっちゃう。シンデレラみたいな」

「ま、確かにそうだな」

「しかも今回の大会は、オリジナル脚本で臨まなきゃいけないから……ストーリーの面白さもきっと演技だけじゃなくて見られると思うんだよね」

「そうなのか」


 王子の指先が、カフェラテの白いキャップを掴んだ。それを回すと同時に小さく空気の抜ける音がして、香ばしいコーヒーの匂いが漂う。

 

「演劇の脚本、な。完全に俺の専門外だから手に負いかねるわ」

「まあ、そうね。王子はバレーだもんな、演劇なんてやったことないんだろ」

「いや、やったことはあるぜ? 新歓の時にバレー漫画のパロディみたいやった」


 果たしてそれは劇というのだろうか。私は首を傾げつつ、王子に倣って手に持っていたフルーツティーを開けた。一瞬で、爽やかで涼やかな香りが辺りに立ち込める。そしてそれは王子のカフェラテの匂いと混じり合って、変な匂いを生み出した。


「唯川、それ何が入ってんの?」

「ミントとレモンだって」


 黄色とミントグリーンがあしらわれたパッケージを見ながら私は答える。そして一口。うん、美味しい。スウッと鼻を抜けていく柑橘の味。


 疲れが少しずつ、取れていくようだった。


「それでさ、うちの部は人も少ないからさ」

「うん」

「出演数少なくして、それでいて姫と王子様の要素書かなくちゃいけなくって」

「あれかぁ、家臣とか侍女とか、王様役……とか用意してたらあっという間に人手が足りなくなるってことか」

「そうなんだよ。だから人手のいる王道の宮殿ストーリーは難しいなって思ってて」


 私は眉間にシワを寄せながら、またフルーツティーを一口飲んだ。王子が聞いてくる。


「唯川的には、どんなジャンルにしたいと思ってるわけ?」

「人数と予算から考えて学園モノ」

「あれか、制服で出られるからか。衣装代がかからん」

「そ。でもさぁ、学園モノって日常ってことじゃん、うちらにとって。だから大会のお題に合わせるの難しいかなって……」


 するとずっと考え込んでいた王子が、ボソリと何かを呟いた。


「……にすればいいじゃん」


「ん?なんて言った?」


「俺と唯川の話にすればいいじゃん」

 

「……は?」


 はい、本日三度目の「は?」。……何言ったんだ、こいつ。


「唯川姫芽と、王子黎斗……『姫と王子』これでクリアだろ?」


「もしかして、今の状況を台本にするってこと? フルーツティーが大好きな『姫』が買おうとしたら、後ろから邪悪な『王子』がそれを横取りして……みたいな」


「酷いなぁ、違うよ。脚本作りに悩む演劇部員が、仲の良い同級生のアドバイスを受けながら面白い台本を目指すとか」


「仲の良い同級生って、お前のことかよ」


 私はまた笑った。


「確かにお題はクリアできるけど、インパクトなくない? 私ら……言っちゃうけど、そんなに演技力ないよ。そんな台本づくりに悩んでるなんて細かな設定を上手く表現できる自信がない」


 フルーツティーを飲む。うん、おいしい。癖になる酸味が、これまたよい味を出していた。


「インパクト、か……俺が起こしてあげようか」


 王子がそう言った――かと思うと。


「えっ」


 彼は私の方に手を伸ばして、レモンとミントのフルーツティーを奪っていった。


「ちょ、ちょっと」


 そして王子はそのまま躊躇することなくキャップを開けると、口をつけてそれを一口飲んだ。一気に耳まで熱くなる私。


「ちょっ、王子……。それ、え、口つけた?」


「ごめん、飲んじゃった。あまりにも唯川が美味しそうに飲むから」


 ベンチの側の街灯の光が、王子の眼鏡に反射する。


「どうかな、こんな『インパクト』は」


 彼の青光りする眼差しが私の目を貫く。


「え、いや……あっと、その……」


 突然すぎる故意の『インパクト』により、タジタジになる私。恥ずかしさに耐えられず、目の前の王子から目を離すと――。 


「やべ、かわいい」

「……は?」


 本日四回目。


「いや、普段つっけんどんなやつが、こんな仕草するんだなって思って。ごめん、俺、間接じゃ我慢できない」


「……っ!?」


 気づくと王子黎斗の顔と眼鏡が、目の前にあって。


 そして数秒後には、暗がりでも分かるくらい頬を火照らせた私を、静かに見つめる王子という構図になっていた。


「今のでどうよ、姫様」


 王子が眼鏡の位置直しながら微笑んだ。


「恋愛青春要素たっぷりの、フルーツティーにまつわる姫と王子の話」


「なんっだよっ、それ……」


 私はかろうじて声を出す。


「……こんなタイミング」

「おや、お気に召しませんでしたか、姫様」


 王子が目を細めたのが分かった。


「じゃあ、決めゼリフを一つだけ付けてあげましょうか――王子は姫との恋に落ちるものなんだよ」


「……お前は」 


 私をこんな目にあわせてまで。


「何を言いたいんだよ……っ」 


「そろそろ気づいてよ、ってか、絶対気づいてるでしょ」


 王子の上体が、私の方へ倒れてきた。そして彼は両手を広げて、肩を優しく包み込んで。


「好きだよ、唯川」


 私の顔の直ぐ側に、彼の眼鏡の影が落ちる。くっそ、なんだよこの距離。思いっきり反則だよ。


 だったら私もこう言うしかないじゃないか。


「私も好きだ、王子」


 そっと、幸せの花が咲いた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸せは、フルーツティーと共に 咲翔 @sakigake-m

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説