第16話「修行と小さなフライパン」

 荒野の乾燥した硬い地面が盛り上がり、岩が砕ける。地中から勢いよく飛び出してきたのは、櫓のように背の高い巨大なミミズの魔獣だった。ロックワームという名前が示す通りその表皮は岩のように固く、頭部には鋭利な牙がずらりと並んだ丸い口がある。


「シャーーーーッ!」


 ロックワークが体をくねらせ、口から土を溶かす毒液を吐き出す。


「いくぞ、ファティア! 『血威解放』ッ!」

「やっちまえ、ライン!」


 魔物の血の絶大な力を漲らせ、赤く滲む聖剣を振りかざす。ロックワームは目を持たないが、それ以外の鋭敏な感覚で俺を的確に捉え、敵と認識していた。長い体がしなり、鞭のように迫る。

 地面を蹴り、低く身を屈めながら走る。頭上で巨体が風を切り、圧を感じる風切り音が肝を冷やす。だが、活路は見えていた。


「滅魔の剣――。一文字ッ!」


 斬。


 ファティアの切れ味を信じて、堅岩の如き甲殻を刃で叩く。ガキンッと激しい音と共に火花が散る。だが、鋭利な聖剣は甲殻へと食い込み、切り進んだ。


「うぉおおおおおおおっ!」


 力を込める。全身の血管を開き、燃えるような熱い血を巡らせ、筋肉の力を爆発させる。雄叫びをあげ、柄を強く握りしめ、全体重を傾けて。図体だけがでかいただのミミズを、根本から斬る。


「シャアアッ!」

「させないわよ!」


 ロックワームも頭をこちらに向け、毒液を浴びせようと仕掛けてくる。だが、その頭部めがけて立て続けに爆発が連鎖した。後方で杖を構えるエレナの支援だ。爆発は至近距離にも関わらず致命傷にはならないが、妨害するには十分だった。


「『絞罰の光輪』ッ!」


 更にロックワームの長い体に、輝く金の輪が取り付く。それは急速に径を縮め、ロックワームの甲殻を砕いて締め付けていく。女神の奇跡というものは、こと魔獣に対しては一切の情け容赦というものがない。

 だが、それだけに俺たちによっては強い支援だ。全身を千切れんほどに締め付けられたロックワームは、もはや身じろぎすらできない。

 沸騰する血を力に変えて、全身全霊で手元に注ぐ。そして――。


「おらあああああっ!」


 斬った。斬りきった。

 直径で1メートルは優に超える大樹のようなロックワームの胴体を横に斬った。


「ラインッ!」

「ぐわあっ!?」


 襟首を掴まれ、勢いよく後方へと引っ張られる。喉が締められ悲鳴が漏れるなか、俺はもふっと柔らかいものに後頭部を支えられた。だがそれを感じる余裕はなく、俺は目の前で倒れるロックワームの断面から溢れ出す毒血の飛沫に飛び上がった。


「うひぃっ」

「斬ったらすぐ離れろ馬鹿!」


 達成感に酔いしれて、そのまま危うく毒血を頭から浴びそうだった。そんな俺を助けてくれたのはラウルだった。俺は彼女の胸元に後頭部を預け、まだ激しく拍動する心臓を落ち着かせようとした。


「あ、ありがとう。助かった」

「全く……。しかしまあ、ほとんど一人で倒せたじゃないか」


 最後の最後に気が抜けていた。少し落ち込みながら謝ると、ラウルはそう言って優しく頭を撫でてくる。少し恥ずかしいが、これも彼女の優しさだ。


「わふっ!」

「おっと、ルビーもありがとうな」


 たたたたっと元気な足音が近づいてきて、銀の毛並みの仔狼が俺の胸に飛び込んでくる。赤月狼のルビーはまだまだ小さく幼いが、狼の嗅覚で地中に潜るロックワームの位置を教えてくれていた。彼女もまた、今回の戦いの功績者だろう。


「うむうむ。『血威解放』にも随分慣れてきたようじゃの」


 剣霊の姿になったファティアも満足そうに頷いている。

 ケレス砦で数日の休息を取り、物資の補充も行なって発ったのが三日ほど前のこと。俺たちは魔王領の広大な荒野を進んでいた。乾燥した大地の広がる過酷な土地は、ただそれだけで厄介だ。その上、厳しい環境に身を置く魔獣はどれも手強い。勇者としてまだまだ力量が追いついていないことを実感した俺は、積極的に戦いの術を学ぼうとしていた。

 『血威解放』は何度も回数をこなして体を慣れさせることが重要だとファティアは説いた。この三日間、ラウルたちには極力手を出さないように頼んで、俺が中心になって戦うようにしていた。その成果も少しずつ見えてきたところだ。


「とはいえ、まだ戦いの終わりはしんどいな」


 ラウルに抱かれたまま、動くことができない。戦っている最中は緊張感もあって動けるようになってきたが、一度戦いが終わると糸が切れたように動きが鈍くなってしまう。


「思わぬ新手が出てくる可能性だってあるんだ。あんまり気を抜くんじゃないぞ」

「分かってるはずなんだけどなぁ」


 ラウルに釘を刺されるまでもなく、まずいことは理解しているつもりだ。しかし、ファティアの力はやはり負荷がかなり大きい。


「とりあえずラウルよ、そろそろ血を吸わせてくれんかの? 妾も腹が減ったのじゃ」


 服の下から覗く白い腹をさすりながらファティアはチラチラとロックワームの骸に目を向ける。俺は軋む体に鞭を入れて立ち上がり、聖剣の姿に変わった彼女を大ミミズに突き刺した。

 あっという間に大魔獣の体が乾涸び、シワシワと小さくなっていく。毒血をものともせずに飲み干したファティアは、再び剣霊の姿に戻ると満足そうに満面の笑みを浮かべるのだった。


「はぁ。私もお腹空いちゃった。ライン、今日のお昼ごはんは?」

「俺も疲れてるんだけどなぁ……」


 呑気に空腹を訴えるエレナに肩を落とすと、彼女は半眼になってこちらを見る。


「それじゃあ私が料理作ってあげようか?」

「自分の実力を盾にするなよ!」


 それが脅しとして通用することに少しは疑問を持ってもらいたい。とはいえ、実際のところ疲れた体で炭は食べたくない。


「ライン、それならお姉ちゃんが――」

「仕方ないな。あたしが特製の――」

「よいしょっと。じゃあ手早く作るかな。俺も腹が減ってるんだ」


 何やらウキウキとやる気を出し始めたシエラたちが余計なことをしないうちに、俺は重い腰を上げる。なぜか二人がむすっとしているが、俺は美味い飯が食べたいのだ。虚無や混沌は料理として大切な何かを欠いている気がする。


「よいしょっと」


 エレナに火をつけてもらいながら、食材を取り出して切っていく。


「ファティア、包丁頼む」

「仕方ないのう」


 やはり聖剣包丁は便利だなぁ。研がなくていいし、よく切れるし。


「さて……」


 魔法鞄から取り出したるは、ケレス砦だ買った鉄の鍋。これひとつでかなり料理の幅も広がるのだから、鍋というものはやはり文明の利器の筆頭と言わざるを得ない。

 とはいえ、少し困ったこともある。ケレス砦で手に入れることができた鍋は少し小さくて、五人と一匹ぶんの料理を作ろうとするとちょっと窮屈なのだ。片手で持てるような深めのフライパンなので朝食に卵を焼くくらいならちょうどいいのだが、主菜となると一度にまとめて作るのが難しい。


「うーん。やっぱり早くドグラ鉱山に行きたいな」


 さっと野菜炒めを作りながら、俺は進行方向の先、荒野の向こうに霞んで見える峻険な山を眺める。ケレス砦を発った俺たちの次なる目的地はドグラ鉱山。様々な鉱物資源が眠る採掘地だ。

 鉄工業が盛んな町もあるようだし、そこに行けば納得のいく鍋も買えるはずだ。


「ほら、できたぞ」


 油を纏って艶を放つ野菜炒めを皿に盛り、腹を空かせた仲間たちに供する。彼女たちが遠慮なく食べ始めるのを見ながら、俺は再度野菜を投げ入れて行った。

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