第15話「新たな仲間」

 目を覚ますと見覚えのある天井だった。


「わふっ!」

「うおわっ!?」


 ぼんやりと施療院のベッドの感触を確かめていると、突然耳元で可愛らしい声がする。驚く俺の頬をペチャペチャと濡れた舌が舐めてくる。顔を横に向ければ、銀の毛並みのふわふわした仔狼がベッドの縁に前脚を掛けてこちらを見ていた。


「おまえ……」


 血の滲んだような赤い前脚。ルビーのような瞳。ずいぶんと綺麗になっているが、ゴミ箱で弱っていた赤月狼の子供に間違いない。どうしてこんなところにいるんだろうか。


「目が覚めたようじゃな。無理しおってからに」

「ファティア」


 狼の後ろから声がして、ファティアが姿を現す。彼女は呆れ顔で腰に手を当て、こちらを見下ろしていた。


「蛙魔族は」

「無事死んだ。武器庫がひとつやられたが、幸い死傷者はなしじゃ」

「そうか。よかった」


 顛末を聞いて安心する。ひとまずこれでケレス砦の脅威は去ったと言うことか。また防壁が崩されて、ブラッドマンティスの群れが迫ってくるような事態にならなかったのは幸運といっていいだろう。


「とはいえ、ライン。お主は全身ボロボロじゃ。前回の『血威解放』から時間も経っておらぬのに無茶をしたのじゃから、当然じゃがな。今後三日は絶対安静じゃからな」

「すまん……」


 少し怒った様子のファティアを見れば、素直に謝るしかない。

 全身が痛みを訴え、手足もほとんど動かせない。『血威解放』の反動が、かなりこたえている。ファティアに言われなくとも、動きたくても動けない。


「それで、こいつは――」

「お前が拾ったんだ。ちゃんと責任は取れよ」


 狼に話題を戻したその時、病室のドアが開いてラウルが入ってくる。後ろにはシエラとエレナも揃っていた。蛙魔族を倒した、実質的な立役者だ。

 ラウルは憮然とした様子で、顎で狼を示す。


「いいのか?」


 驚く俺に、彼女はふんと鼻を鳴らした。


「魔獣には違いないが、ソイツからは人殺しの匂いはしない。大方、群れからはぐれたところであの魔族に攫われたんだろ」


 魔獣に対して厳しい意見を持つラウルから飛び出した言葉は意外なものだった。獣人の嗅覚か、ガルガル流黒帯の直感か、彼女は仔狼の幼さを確信しているようだった。


「とはいえ、魔獣を町に置いとくわけにもいかん。お前が責任を持って、こいつを群れまで返すんだ」

「ラウル……」


 厳しい態度だが、それは彼女の優しさだった。俺が気を失っているうちに殺してしまうこともできたはずだ。衰弱していたし、そもそも蛙魔族よりははるかに弱い存在だ。けれど彼女はそうしなかった。


「感謝しなさいよ。生ゴミまみれだってこの子を洗ったの、ラウルなんだから」

「そうなのか?」

「不衛生な奴を病室に入れられるわけがないだろ! 仕方なくだ!」


 後ろでニヤニヤと笑うエレナの言葉に、ラウルは尻尾をゆさゆさと振って声を荒げる。


「素直じゃないわねぇ。この子のためにご飯まで用意してあげてたのに」

「ら、ラインが寝込んでる間に死なれたら、寝覚めが悪いからだ!」

「……ラウル、ありがとうな」

「――ふんっ」


 腕を組んでそっぽを向く素直じゃない仲間に、ふっと口元が緩んでしまう。そんな俺をみて彼女は眉間に皺を寄せるが。


「とにかく、ラインも目を覚まして良かったです。ちょうどご飯を持ってきたところなんですよ」

「ん゛っ!?」


 嬉しそうに手を叩くシエラで、急に現実に戻される。またあの虚無を食べるのかと身構えると、彼女は様子の違うものを携えていた。小ぶりな水瓶だ。


「なんで水瓶なんだ?」


 ついに虚無が行きすぎたか、と覚悟を決める。しかし、シエラも少し困ったような表情だ。


「その、ラウルが大量に作ったものが、まだ余ってるので」

「ああ……」


 その一言で、俺は別の覚悟を決めることとなった。

 そういえばラウルが狼の飯も作っていたと言っていたような。

 ベッドサイドのテーブルに置かれた皿に、ドロリとした緑色の粘液が流れ出す。水瓶から注がれたのは、ゆるいペースト状の物体だった。


「あの、これは?」


 戦々恐々としながら尋ねると、ラウルは少し嬉しそうに耳を立て尻尾を振りながら語り出す。


「茹でた鶏肉と生卵、薬草とキャベツとニンジンとタマネギをすり潰して混ぜた。パクチーとほうれん草、キノコも入れてるぞ」

「ウーン」


 原材料を聞くだけで、脳内で警鐘が鳴り響く。見れば仔狼もぺしょりと耳を倒して「くぅん」と弱々しく鳴いている。


「ラウル特製完全栄養食だ。とりあえずコイツを食べとけば1日分の栄養が摂れるぞ」

「そっかぁ」


 火力バカのエレナ、虚無のシエラに続き、効率の鬼のラウルである。彼女はあらゆる食材を栄養価として認識し、タンパク質、脂質、糖質のバランスとビタミンだけを効率的に摂取するためのペーストを料理と言い張っている。結果、彼女にパーティの食事を任せると、この摩訶不思議なドリンク?が毎食出てくることになる。


「シエラ、これあとどれくらい余ってるんだ?」

「……わたしとエレナとファティアとその子で頑張って食べたんですが、まだ水瓶三つ分残ってます」

「ひゅっ」


 効率を最重要視するラウルは、一度にバカみたいな量を作る。水瓶三つまで減らしてくれたのは、シエラたちが病み上がりの俺に無理をさせないようにという優しさだろう。


「ラウルも、ラインが倒れたことに責任を感じているみたいでのう。妾らも強くは止められなんだ」


 すまぬ、と手を合わせるファティア。

 ラウルの善意であることは分かっているし、否定したいわけじゃない。ただ、この謎栄養ドリンクがエグいだけだ。


「さあ、どんどん食べろ。体力付けるにも食事からだからな」

「うん……。いただきます」


 ずい、と皿を寄せられて、恐る恐る手に取る。スプーンでドロドロとしたそれを掬い、口に運ぶ。


「んぐっ」

「美味いだろう? ちゃんと味も改良してるんだ」

「ソッスネ……」


 エグみ、苦味、酸味、辛味、甘味。あらゆる味が渾然一体となって、お互いに一切譲らない。互いが互いを打ち倒そうと、口腔内で戦争しているかのようだ。なぜか飲み込んでも胃のあたりで暴れ回っている気がする。

 鶏肉の繊維が喉にからみ、生のニンジンがゴリゴリとした食感を演出する。ていうか、卵とかキノコってそのまま食べて大丈夫なのか? 獣人の内臓頼りってわけじゃないよな?


「そうだ、ライン。食べながらでいいが、ひとつ決めなきゃならん」

「なんだ?」


 ラウルは、ぺちょぺちょと小皿に注がれた濃緑色ペーストに舌先をつけている仔狼を見る。


「名前だよ。いつまでもこいつ呼びじゃああんまりだろ」

「ああ、そうか」


 確かに、これから長い付き合いになりそうだしな。俺はふにゃんと倒れた耳の間を撫でながら、彼女の名前を考える。


「――ルビー」


 その綺麗な瞳が、印象的だ。

 自然と口から溢れでた名前に、彼女がぴんと耳を立てて反応する。


「わふっ!」


 そうして、俺たちのパーティに新たな仲間が加わった。

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