第14話「まだ若い勇者」

 蛙魔族、ファイアトード。他の蛙魔族とは違って湿地や水場ではなく荒野や火山を棲家とする特異な存在だ。全身から粘性の高い脂を分泌し、火属性の魔術を操る。その性質上、自身は炎や爆発、高温といったものに非常に強い耐性を得ている。


「ゲゲゲゲッ。平和ボケしちょるのう。こうもあっさり成功するとは!」


 何より、奴は魔族だ。魔獣とは違い言語を解し使用する。

 全身に火を纏う蛙魔族はゲコゲコと笑い、大きな舌で自分の顔を舐める。人間のように手足を持ち、二足歩行をしているものの、根本的に似て非なる存在だ。


「滅魔の剣、一文字――ッ!」

「ゲーーーーッ!?」


 ケレス砦の住人たちが逃げ惑うなか、炎を突っ切って蛙魔族へと切り掛かる。相手は突然現れた俺に驚きながらも、その巨体からは信じられないほどの機敏さで跳躍し、ファティアの切先を避けた。


「勇者じゃと!? この町に居ないことは確認しちょったはず!」

「ちょっと到着が遅れたんだよ。悪かったな!」


 やはりコイツは事前に下調べをして、勇者が街にいないタイミングを見計らっていた。魔の森から偶然出てきた俺たちだけが、計算違いだったというわけか。

 『血威解放』の力を得て爆発的に飛躍した身体能力で、一気にファイアトードへと近付く。そのままの勢いで、ゴムのように張った腹に剣を突き出す。


「ふんっ、甘いわっ!」

「がっ!?」


 だが、滅魔の聖剣の鋭い切先は呆気なく弾かれる。ボヨンと揺れる腹は柔らかそうに見えて、驚くほど強靭だった。


「勇者とはいえ、見ればまだ駆け出しの若造やないか。こりゃ、手土産が一つ増えたのう!」


 口角を引き上げ凶悪な笑みを浮かべる魔族は、俺のことを看破していた。魔の森を潜り抜けたばかりの俺は、まだまだ実力も経験も足りず、契約も深まっていない。勇者とは名ばかりの、一般人に毛が生えた程度の実力でしかない。

 ファイアトードの両腕に猛火が張り付く。灼熱の拳が、次々と繰り出される。


「くっ、くそっ!」

『掠っただけでも大火傷じゃぞ! 今は回避に専念するのじゃ!』

「分かってるよ!」


 ファティアに言われずとも、その拳の直撃を受ければただでは済まないことは理解している。だが、頭では分かっていても体が付いてこない。炎が頬を掠め、皮膚が焼ける。ファティアの力でなんとか食い下がっているものの、着実に傷を増やしていた。


「ファティア、血威解放を――」

『ダメじゃ! お主はまだ回復しきっとらん。今の状態で使っては、命も危ないぞ!』


 更なる力を求めるも、聖剣はそれを拒否する。


「俺には、まだその実力がないってことか!」

『体ができておらんだけじゃ! お主の潜在的な力は妾も認めておる!』

「今引き出せない力はいらないんだよ!」


 剣を振る。ファティアの力は絶大だ。しかし蛙魔族がそれを上回っている。太い脚が繰り出す脚力は石畳を破壊して跳躍し、砲弾のような速度と蜂のような機敏さを両立している。ファイアトードは俺を翻弄するように飛び回りながら、周囲に炎を振り撒いていた。

 このままでは被害が拡大していく。

 俺は無力だ。


「ラインッ!」

「――凍りつけ。“アイスフィールド”」

「“荒ぶる炎よ、静まりたまえ”」


 ファイアトードが吹き飛んだ。その全身が一瞬で凍結し、直後に鉄拳が腹を突いたのだ。衝撃を吸収できない打撃を受けた魔族は勢いよく近くの建物の壁を破壊した。

 周囲に白い光が降り注ぎ、町を燃やしていた炎が掻き消える。敬虔な祈りによって女神の奇跡が顕現していた。


「ラウル、エレナ、シエラ」


 俺の前に立つのは、拳を構え腰を落とし臨戦態勢を取る格闘家。背後には杖を構え魔導書を開いた魔術師、指を絡ませ祈りを捧げる聖職者。勇者パーティの最大戦力。


「げ、ゲゲゲ……。なんだコイツら」


 瓦礫の奥からファイアトードが現れる。あれほどの衝撃を受けたにも関わらずまだ生きている。しかし、ギョロリと大きな目に困惑を浮かべていた。


「勇者の仲間、その一さ」


 ダンッ


 ラウルは獣人族の脚力を爆発させる。そこにガルガル流の歩法を合わせ、一瞬にして接敵を果たした。意識の僅かな隙間を突かれたファイアトードにとっては、瞬きの前後で彼女が瞬間移動したように見えるだろう。


「ガルガル流格闘術、猛打の脚ッ!」

「げごっ!?」


 しなやかに繰り出された蹴りが、蛙魔族の重たい体を直上へと打ち上げる。反応すらできず直撃を受けたファイアトードが濁った悲鳴を上げる。


「私の方が年上なんだから、ナンバー1は私でしょ!」


 翼を持たない蛙魔族は、空中において致命的な隙を晒す。それを狙って、エレナが魔力を溜めていた。五属性魔術とはまた違う、別の体系による魔術。“貫く”という概念を抽出し、実体化させた、究極の矢を繰り出す。


「げぇえええっ!?」


 ファイアトードが空中で炎を吐き出す。その推進力でなんとか射程外へ逃れようとしていた。

 しかし。


「――『神縛の銀鎖』」


 その体に銀の鎖が絡みつく。女神に叛逆する者を許さない、神聖なる縛めだ。その鎖が帯びた強烈な聖性は、ファイアトードの分厚く強靭な肌も焼く。


「げぎゃああああっ!?」


 喉が裂けるような悲鳴を上げる。それをシエラはぞっとするほど冷たい目で見ていた。


「ラインと一番付き合いが長いのはわたしです。なので、ナンバー1はわたしです」


 銀鎖がキツく締め付ける。


「年功序列よ! ――『穿空矢』」


 キンッ


 澄んだ音。ファイアトードの眉間に小さな黒い点がある。そこから、どろりと赤い血が流れ出す。エレナの魔法の矢が一瞬にして頭を貫いたのだ。

 力を失った魔族が落ちる。ラウルが完全に息の根を止めていることを確認し、ようやく三人が緊張を解いた。


「は、ぁ……」


 それと同時に、俺もへたりこむ。石畳の上に膝を突き、鉛のように重たい体を支えることができず、そのまま倒れ込む。


「ライン、大丈夫か? 怪我などしておらぬだろうな?」

「……大丈夫だよ」


 剣霊となったファティアが俺の顔を覗き込んでくる。


「俺はまだまだ、弱いなぁ」


 結局、魔族を倒したのはあの三人だ。

 俺は勇者としてなにもできなかった。

 三人が駆け寄ってくる足音を聞きながら、己の無力感に唇を噛み締める。それしか俺にはできない。


「わふんっ!」


 その時、どこからか幼い鳴き声が聞こえた。合わせて、石畳を蹴る細かな足音も。

 近づいてきたそれは、温かい吐息と共にぺろぺろと俺の頬を舐めてきた。

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