第13話「放火魔の正体」

 両膝を揃え、三つ指を突き、背筋は伸ばす。額を石畳に擦り付け、全身全霊で誠意を示す。示しながら、我も通す。

 突然の土下座に、エレナたちも驚いているだろう。だが、俺はその様子を窺うこともせず、ただひたすらに頭を下げ続けた。


「ちょ、ちょっとライン。そんなことしたってねぇ」

「すまんっ! でも、俺にはこいつを見捨てることができないんだ!」


 なおも毅然と振る舞おうとするエレナの声を遮るように。

 胸元、服の内側で狼がもぞもぞと動いている。


「ライン、頭上げな」


 しばらく土下座の姿勢のまま時間が過ぎた。エレナは口を閉ざし、代わりにラウルが冷たい声を発した。おずおずと顔を上げると、彼女の険しい目が俺を見下ろしていた。

 対魔獣格闘術ガルガル流の黒帯保持者であるラウルは、このパーティの中で一番魔獣という存在に対する敵意が強い。彼女の故郷である獣王国は魔王領と国境を長く接している。それだけに魔族や魔獣の侵攻も激しく、共和連合の盾とも言われていた。ガルガル流も、そんな過酷な環境のなかで磨かれてきたものだ。


「あたしらの旅の目的は分かってるかい?」

「……魔王を倒すこと」


 ラウルはいつもの豪放磊落な調子を潜め、冷静ながらも強い感情を滲ませる。彼女の感情を察したのか、胸元に収まる狼も身を固くしていた。

 俺がファティアに選ばれ、ラウルたちを仲間に引き入れて魔王領までやって来たのは、魔王を征伐するためだ。魔王を倒さなければならないのは、度重なる魔獣や魔族の襲撃で共和連合領が多大な被害を受けているから。


「それなら、今自分がやってる事がどういう意味なのかも、分かってるね」

「……」


 魔獣は倒さなければならない。それは勇者に課せられた使命とも言える。それなのに魔獣を庇う俺は、失格の烙印を押されても否定はできない。


「でも、こいつ、腹を空かせてたんだ」


 俺は震えている狼を撫でながら言う。腹は膨れているようだが、毛並みは色褪せており、肉もほとんど付いていない。力も弱く、俺に襲いかかってくる様子もないのだ。


「生ゴミの中に埋もれて、倒れてたんだ。衰弱し切って、ほとんど死にかけなんだよ」


 くぅくぅと弱々しい声が漏れている。その姿に胸が締め付けられるが、ラウルたちの厳しい目は変わらない。


「それがどうしたって話だよ。弱っているならなおさら、今のうちに殺さないと」

「でも……」


 意志の揺るがないラウル。エレナやシエラも彼女と同じ立場だ。

 それでも俺はこの小さな命を失うことに、強い抵抗を覚えていた。


「その狼がブラッドマンティスを呼び込んだんでしょ? 町にも被害が出てるのよ」

「そこだよ。俺は、こいつがそうしたとは思えないんだ」


 聞き分けのない弟を説得するようなエレナの言葉が、逆に一つの考えを誘発した。思わぬ反論に彼女がたじろぐ。


「こいつはほとんど衰弱死しかけなんだ。それなのに武器庫に忍び込んで爆発させて、無傷で逃げられるとは思わないんだよ」


 生ゴミの中で倒れていた仔狼だ。そんな器用で機敏な動きができるようには見えない。


「そもそも、証拠らしい証拠もないだろ。近くに足跡が付いてただけだ」

「たまたま武器庫が爆発した近くにコイツがいたってかい? 随分な偶然じゃないか」

「偶然……。まずコイツはどうやって町の中に侵入したんだ? 赤月狼とはいってもこんな幼体じゃ、結界は越えられないだろ」


 ラウルが眉を顰める。彼女も否定できない。

 魔王領にある町は、防壁と結界が必須だ。魔獣の侵攻を壁で阻み、侵入は結界で検知する。そうしなければ、この危険な土地で人の営みを維持することはできない。特に結界は地中深くから上空までを広くカバーするもので、大抵の魔物の侵入を検知する上に弱い魔獣を拒むこともできる。到底、この狼が入れるほどの隙はなかったはずだ。


「それなら、どうしてコイツはここにいるんだ?」

「……別の魔族が侵入してる可能性がある、ということですか」


 シエラが声を震わせた。結界を誤魔化すことができるほどの魔族となれば、かなり高位のものとなる。それが密かに忍び込み、この狼を囮にして注目を集めさせたとしたら。

 ラウルが目を見開いた。


「まさか!」


 そんなことはありえない、と続くはずだった声。それは突如立ち上がった爆発音によってかき消された。


「っ!」

「あっちよ。町の反対側!」


 エレナはケレス砦の中央を指差す。いや、中央を越えて反対側にある防壁近くだ。黒煙がもうもうと立ち上がり、周囲の町民たちも驚いている。町の真反対からあれほど大きな爆発音が聞こえるとなれば、先の武器庫爆発と同じかそれ以上の被害が出ているはずだった。


「ラウル!」

「話は後だね。とりあえず行くよ!」


 押し問答を続けている場合ではなかった。俺とラウルは一瞬目を合わせ、同時に走り出す。


「ファティア、第一段階だ! ――『血威解放』ッ!」

「うむっ!」


 ファティアが聖剣の姿へと戻り、俺の手に収まる。全身の血管が開き、心臓が拍動を強める。沸騰するような熱を感じ、腹の底から力が湧き上がる。

 強く石畳を蹴り、屋根に飛び上がる。高くなった視点から、町の防壁近くで火が上がっているのが見えた。逃げ惑う人々が悲鳴を上げるなか、炎の中から歪な人型の何かが現れる。

 俺は目に力を注ぎ、視力を強化する。捉えたのは、禍々しい炎を纏った蛙魔族――ファイアトードだ。


『あやつが今回の首謀者であろうな。簡単に火も付けられるし、爆発にも耐えることができるじゃろ』


 ファティアも武器庫爆発の真犯人を確信する。やはり、あの狼はただ巻き込まれただけだ。


「倒すぞ」

『うむ!』


 沸々と感情が湧き上がる。

 俺はファティアの柄を強く握りしめ、勢いよく蛙魔族に向けて飛び出した。

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