第12話「ゴミの中の魔狼」
生ゴミを捨てて広場へ戻ると、すでにほとんどの男性陣は仕事に戻っていた。おばちゃんたちも片付けに入っており、ラウルたちも単純な荷物運びを手伝っていた。
「ライン、遅かったじゃない。どこで油売ってたのよ」
「すまんすまん。ちょっと迷っちゃってな」
俺が戻ってきたことに気が付いたエレナが半目になって唇を尖らせる。あの顔はタダ飯だと思っていたら労働が始まってしまって、納得いかないという表情だ。彼女はエルフで力こそ強くないものの、火を消したり風を起こして広場を片付けたりと便利に使われている。
「あんた、お昼ごはんまだでしょ? さっさと食べなさいよ」
水魔術で大鍋を洗いながら、エレナがテーブルをあごで示す。そこに一人前の食事が用意されていた。俺が昼食を食べそびれていたことにしっかり気付いていたらしい。
「あ、ああ。ありがとう。……そうだ、ちょっと別のところで食べるよ」
「別にここでいいじゃない」
「いやぁ、邪魔になるとダメだろ」
訝るエレナから逃げるように、皿を抱えて広場を出る。俺は周囲の人目を気にしつつ、さっきの生ゴミ集積所へと戻った。
「よし、まだ生きてはいるんだな」
生ゴミを頭から被った狼をそっと持ち上げる。くったりと力のない様子で不安になるが、湿った毛並みがわずかに揺れ動いている。
「なあ、ラインよ。本当にそれは勇者のすることかの?」
「うぐっ」
いつの間にか剣霊の姿となったファティアが背後から問うてくる。その声はいつもと打って変わって、彼女が魔を滅するために鍛えられた聖剣であることを思い出させる冷たく鋭いものだ。
しかし、俺はトマト煮込みの中からベーコンを摘み上げて、仔狼の口元へと近づける。
「……確かに、こいつは魔獣だよ」
力をなくしていた狼が、すん、と鼻を動かす。
ゴミに汚れた灰色の毛並み。だが四肢の先端が赤くなっており、ただの狼ではないことは明白だった。
赤月狼、スカーレットファングと呼ばれる魔獣だ。勇者ならば、今すぐこいつを殺すのが正しい選択だろう。
けれど――。
「でも、腹空かせてるんだ。自分で立てないくらい、弱ってる」
その狼は小さかった。頭と体の比率がほとんど同じ、まだ幼い個体だ。ベーコンを近付けてやるとすんすんと匂いを嗅ぎ、恐る恐る口にする。そして、ぴんと耳を立てると、勢いを上げて食べ始めた。
少し食べると元気も出てきたのか、狼は薄く目を開ける。真紅の瞳が俺を見た。
「わふっ」
狼が嬉しそうに吠えた。人間に対する警戒心や敵対心というものがまだ芽生えていないような、純真な声だった。魔獣にもそんな声を発することができるとは。
「ほら、全部食べていいぞ」
「お主なぁ……」
皿ごと近づけると、狼はガツガツと食べ始める。口の周りを赤く汚して、スカーレットファングの名前の通りだ。
ファティアはこちらを見て、呆れた様子で肩をすくめる。彼女は滅魔の聖剣ではあるが、俺と契約した聖具だ。彼女ひとりでは魔を滅することはできない。
「ごめんな、ファティア」
「ラインが謝ることではない。というか、道具に向かって何を言っとるんじゃ」
「勇者としては間違ってるさ。でも、それ以前に見てられなかったんだ」
激務の王都の食堂で働けたのも、勇者なのに料理番を続けられたのも、自分自身が案外料理が好きで、自分の料理を食べてもらうのが好きだったからだ。腹を空かせてる奴がいるなら、何か差し出したい。他ならぬ俺が、そうしてもらったように。
「優しすぎるのは、勇者としてはどう評価するべきかのう」
「勇者にも色々いるんだろ。たまにはこういう奴がいてもいいはずだ」
魔獣と聞けば問答無用で剣を抜く勇者も多い。というかそれが普通だ。とはいえ、勇者といっても千差万別。俺は俺なりの勇者を体現していくだけだ。
「わふっ!」
足元で小さな声がする。見れば口の周りをぺろりと舐めながら、狼が満足げにこちらを見上げていた。腹もぷっくり膨れて、狼というより子犬のようだ。トマト煮込みの入っていた皿は、綺麗さっぱり空になっている。
「食べ終わったんだな。美味かったか?」
「わふっ」
指先で掻くように耳の間を撫でてやると、狼は無邪気に尻尾を振って喜ぶ。スカーレットファングと言えば、その獰猛さから常に口元を血で赤く染めていると言われる魔獣だが、今のこいつにはそんな気配も風格もまったく感じられない。
「よしよし。んー、どれどれ?」
わしゃわしゃと撫でながら、とりあえず転がして腹を見る。どうやら、メスらしい。人間にされるがままだし、力もないし、本当にこいつが武器庫を爆破したのか、疑わしいくらいだ。
魔獣らしい警戒心がぜんぜんないぞ。
「とりあえず、誰かに見つかる前に隠れる場所を探さないとな」
ケレス砦の住民はもちろん、ラウルやエレナ、シエラたちも狼を探している。もしこいつが見つかってしまえば、十中八九殺されるだろう。生ゴミの集積箱の中など、見つけてくださいと言っているようなものだ。どこか別の安全な場所を探さないと。
「さて、どうしようか……」
このまま抱えていくわけにはいかないし、魔法鞄に生き物を入れたら大変なことになる。しばらく悩んだ末、俺は服の内側に狼を押し込んだ。
「ふぎゅぅ」
「大人しくしてくれよ。見つかったら大変だからな」
もぞもぞと動いていた狼も、やがて安定する位置を見つけたのか大人しくなる。よしよし、これならなんとかバレずに移動させることが――。
「おい、ライン。何やってんだ?」
「お腹に隠した子は何かしら?」
「げっ!?」
狼を抱えながら立ち上がった、その時。背後から声がする。肩を跳ね上げ、恐る恐る振り返ると、そこには剣呑な表情をした三人が立っていた。
「ライン。それは……」
シエラの追及に、俺はどう答えるべきか悩む。だが、それが一番の答えになってしまっていた。三人の接近に気づいていたはずのファティアは何も言わなかった。口をつぐんだまま、静かに俺たちのやりとりを見ている。
「きゅぅ?」
「あ、待て!」
異変を感じたのか、服の下でもぞもぞと狼が動く。俺が止める間もなく、襟元から顔を出した。真紅の瞳が戸惑うように揺れていた。
どう考えても劣勢。覆すことのできない状況。
そんななか、俺が反射的に選んだのは――。
「――すまんっ!」
額を石畳に擦り付けるほど深々とした土下座だった。
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