第17話「静寂の鉱山」

 魔王領の冬は凍てつく寒さに苛まれ、夏も激しい暴風雨が吹き荒れる。荒野や峻険な山々、また毒沼の湿地帯が広がる過酷な環境で、魔獣や魔族の存在を抜きにしても、人間が暮らすには過酷な土地だ。それでもなお人々が共和連合領から飛び出し、魔王領へと進出するのには相応の理由がある。

 荒野の先に聳えるドグラ鉱山は、共和連合領に豊富な鉱物資源を供給する鉄や金属製品の一大生産地だった。


「はぁ、はぁ……。やっと着いたわね」

「まだ麓だぞ。しっかりしろよエレナ」


 荒野を歩き続けること一週間。俺たちはようやく遠方に霞んでいた巨山の足元までやってくることができた。エレナやシエラはずいぶん疲れているようで、山麓にある町に入った瞬間崩れるようにして座り込んでしまった。

 ベンチに腰を下ろした途端根を張ったように動かなくなった二人を、ラウルが呆れた顔で見ている。


「ラインなんて涼しい顔をしてるんだぞ。もっと体力つけろ」

「勇者を引き合いに出さないでよ。私は聖具と契約してるわけじゃないの」


 滅魔の聖剣ファティアのような聖具と契約を結んだ者、勇者は常人を越える力を手に入れることとなる。それは『血威解放』のような特殊な能力も一例ではあるが、純粋に普段の身体能力や体力が増強されるというものもあった。

 魔の森を抜ける時は俺もエレナたちと同じく息も絶え絶えだったことを思うと、荒野を横切る間にかなり体も鍛えられた。


「わふっ!」

「ルビーもお疲れ。とりあえず宿を取って、消耗品の補充をするか」


 もふもふの白い毛並みを撫でながら、町でするべき事を数え上げていく。

 ルビーも食事が改善されたからかここ数日でずいぶんと毛艶が良くなってきた。それどころか、気がつけば体格もがっしりとしてきている。魔獣の成長というのはかなり早いものなのだろうか。

 彼女の首には革の首輪が巻きつけてある。魔獣を町に連れ込むことで何か言われるかと思ったが、飼い主を示すタグさえ付けておけばいいらしい。何かしら被害が出たら、飼い主が弁償する責任を持つ。


「ルビー、あんまり物を壊したりしないでくれよ」

「わうんっ」


 赤月狼はかなり賢い魔獣なのか、ルビーも俺の言葉を理解しているようだった。手がつけられないほど気性が荒いわけでもないし、そのあたりは心配しなくていいだろう。


「エレナ、シエラ、そろそろ行こう」

「うええええ」

「お姉ちゃんもうちょっと休みたいなぁ」


 ぐずる二人の手を引っ張って椅子から剥がす。麓とはいえ、ドグラ鉱山の足元に広がる町は傾斜のきつい斜面にある。門から続く長く蛇行した通りを歩きながら、俺たちは宿を探すことにした。


「ふうむ。何やら聞いていた話と比べると殺風景なところじゃの」


 剣霊の姿となったファティアが周囲を見渡して首を傾げる。


「確かに人がまばらだな。もっとあちこちに工房がひしめいて、鉄を叩く音でうるさいくらいの町って聞いてたんだが」


 ラウルも様子が気になっていたようで、耳を立てて首を傾げている。

 ドグラ山麓には掘り出された鉄鉱石を精錬し、金属製品に変える工房がいくつも立ち並んでいるという。昼夜を通して黒煙と蒸気がたちのぼり、あちこちから鍛治の音が響く賑やかな町だと。

 しかし、俺たちを迎えたのは静かでひとけもまばらな町並みだ。鉄を打つ音も聞こえない。


「何かあったんでしょうか」

「とりあえず宿屋に行って、ついでの事情を聞いたらいいんじゃない?」


 エレナの意見が採用され、俺たちは町の一角に見つけた宿屋に入る。ドアを開けてベルを鳴らすと、カウンターで退屈そうにしていた男性が驚いた顔で立ち上がった。


「い、いらっしゃい。珍しいね、旅の人かい?」


 逞しい体つきの人間族の男性は、何やら慌てた様子だ。違和感を覚えた俺たちはそっと顔を見合わせ、単刀直入に尋ねることにした。


「俺たちは勇者として旅してる。もしかして、この町でなにかトラブルでも起こってるのか?」


 鞘におさまったファティアを見せる。彼女も空気を読んで気を利かせたのか、きらりと刀身を光らせて聖具らしさをアピールする。

 勇者であることを明かすと、男性の態度は急変した。驚いた顔でカウンターから飛び出してきたかと思うと、俺の手をがっちりと握って勢いよく上下に振ったのだ。


「おお、勇者が来てくれたのか! それはありがたいよ!」

「お、おお……。やっぱり、何かあったのか」

「そうだね、君たちは何も知らない様子だし、とりあえず説明しようか」


 宿の主人はそう言って、近くのテーブルに俺たちを促す。彼はサービスだと言って、上等なビールまで持ってきてくれた。


「実は、ここ最近急に鉄が取れなくなってね」

「鉄が?」


 宿屋の主人、ビボルは語り始めた。

 鉄工業はドグラ山脈の生業だ。その足元にある採掘が、急に途絶えてしまったのだと彼は言う。


「一月ほど前までは変わらず賑やかな町だったんだ。しかし、突然山の上から鉱石が降りてこなくなった。不審に思った町の自警団や、ちょうど滞在していた勇者たちが様子を見に行ってくれたんだけど、みんな帰ってきていない」


 それは予想していたよりも不穏な気配を帯びていた。

 ドグラの鉄工業は山の中腹以上の地域に居を構えるドワーフ族が支えているらしい。しかし、一月前からドワーフ族との連絡が途切れ、トロッコで運ばれてくるはずの鉱石も途絶えた。様子を見に行った者も戻って来ず、町は恐怖に包まれた。


「魔獣、いや魔族の仕業か?」

「分からない。ただ、この町が襲われたわけではないんだよ」


 上の町が魔族に襲われ壊滅したのならば、下にあるこの町も同様の運命を辿るだろう。しかし、町民が総出で迎撃の構えを取ったが、魔族どころか魔獣の一匹すら現れなかったという。

 ただ、様子を見に行った者だけは帰ってこない。その不穏な現象に、町は落ち込んでいった。


「とにかく、何が起きてるのか分からないんだ。このままだと魔獣に襲われなくても、いずれこの町も終わる」


 鉄が届かなくなった以上、この町も仕事がなくなってしまった。食料が尽きてしまえば、徐々に飢えるほかない。困ったものだ、とビボルは項垂れる。


「せめて魔獣か魔族の仕業なのか、上の町がどうなっているのかさえ分かれば……」


 魔族が悪さをしているのなら、勇者に対して大々的に公示をかけることもできる。勇者パーティにはシエラのように教会から派遣されている神官がおり、教会が情報通達の役割を果たしてくれるのだ。

 しかし、今は何が起こっているのかさえ不明。教会に協力を求めても、調査官すら派遣されないという。


「勇者パーティの武器だってドグラ産のものは多いってのに」


 冷淡な教会の対応にラウルが憮然とする。シエラは困ったように眉を下げていた。


「そうは言っても、何も情報がないんじゃどんな勇者を送り込めばいいのかも分からないじゃないの」


 援護に回ったのはエレナだ。彼女の言葉も一理ある。勇者と一口にまとめても、契約している聖具や本人の資質によって、その力は様々だ。俺はファティアのおかげで戦闘向きの勇者となっているが、そうではない者も多い。


「それじゃあ、俺たちが行くか」


 勇者というのは、こう言う時のための存在だ。

 危険が確実に存在することが分かっていながら、否定する者は誰一人としていなかった。

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