第9話「新しい朝が来た」

 施療院のベッドは久々の安眠を提供してくれた。疲労もあって泥のように眠った俺は、次の日にはすっかり回復できた。


「お、起きたな寝坊助」

「んん……。そんなに寝てたのか」

「もう太陽はすっかり顔を出しておるぞ」

「十分朝の範疇じゃないか」


 睡眠を必要としないファティアは時間感覚も人間と少しずれている。まあ彼女のおかげで野営中も見張りを置く必要がないので、助かる部分も大きいが。

 欠伸を漏らしながら体の様子を確認してみると、問題なく力も入る。ベッドから出て立ち上がると、多少気怠さはあるものの問題なく動けそうだった。


「やっぱ回復も早くなってるよな」

「妾との契約で基本的な身体能力が底上げされとるからの。回復力も相応に高まっておる」

「便利だなぁ、ファティアとの契約って」


 そういえば肩こりや頭痛、眩暈なんかも消えている。聖剣との契約がこんなところで助かるとは。勇者の契約は聖具の力を使うほどに体に馴染み、より効力も高まっていく。いつかは俺も、一太刀で山を切り裂くような力量を得られるのだろうか。


「そんなことよりもライン、重要なことがあるじゃろ」

「うん? ああ、今日から魔狼探しだったな」


 昨日エレナが持ち込んできた勇者への依頼。ケレス砦の自警団長から直々に頼まれた、街中での魔獣もしくは魔族の捜索。今日から本格的にそれを進める予定になっていた。町の治安を守る自警団にとっては、街中にそんな脅威が潜んでいるかもしれないという状況は認めがたい。いち早く解決して、安心させてあげたい。


「いや、違うじゃろ」

「えっ?」


 気合いを入れる俺に、ファティアは呆れた顔で首を振る。


「朝と言ったら朝ごはんに決まっておろう。妾は昨日の晩ごはんも食べてないのじゃぞ!」

「お前……」


 聖剣のくせに食い意地の張った奴め。そもそも夕食を食べなかったのはファティアが鞘に戻っていたからだ。シエラは彼女のぶんもちゃんと用意していたというのに。


「ほらほら、早く用意するのじゃ。妾は朝からガッツリ系でも問題ないからの」

「わがままな奴だなぁ。うーん、なんかあったかね」


 ベッドサイドには昨日エレナたちが置いていってくれた食糧がある。ケレス砦の住人たちから感謝の印として贈られたものも多く、ありがたく頂くことにする。


「ハムとチーズがあるし、サンドウィッチにでもするか」

「うむうむ。それも美味そうじゃの」


 これならわざわざキッチンを借りずともこの場で済む。魔法鞄の中からパンとナイフを取り出し、ざっくりと切って具材を挟めば、それだけで立派な朝食の出来上がりだ。エレナでも作れるだろう。


「こぼすなよ」

「ふふん。あまり聖剣の剣霊を舐めるでないわ」


 ハムとチーズ、ついでにレタスやトマトも挟んだミックスサンド。ファティアに渡すと、小さな両手で掴んで大きく口を開いて、豪快にかぶりつく。


「うむ、美味い!」

「そりゃ良かった。ほら、口拭くぞ」

「んっ!」


 口の周りを拭ってやり、俺も同じものを食べる。冷凍フルーツを除けば久方ぶりのちゃんとした食事に胃も歓喜しているようだ。


「こういうのでいいんだよなぁ。こういうので」


 新鮮な素材本来の旨みに感動しながらも手早く食べ終える。気軽に食事を摂れるというのもサンドウィッチの利点だろう。


「どれ、もう一つ……」

「ダメだぞ。ファティアのぶんはもう作っただろ」

「ぬえええっ!?」


 追加でいくつか作っていると、脇から手が伸びてくる。それを阻止しつつ、俺は作ったサンドウィッチを鞄に入れる。


「宿の三人のところに行こう。たぶん、朝食も食べてないだろうしな」

「はぁ。あやつらも手が焼けるのう」

「ファティアが言うなよ」


 荷物をまとめて、施療院の院長にお礼を伝える。もう何日か泊まっていっても良いと言ってくれたが、長々と個室を占有するわけにもいかないだろう。ラウルたちが泊まっている宿を聞けば、施療院から程近いところにあるようだった。


「さて、みんな起きてるかねぇ」


 宿の受付で部屋を聞き、ドアの前に立つ。軽く叩くも、返事は返ってこない。


「中には居るようじゃぞ。寝とるんじゃないか?」

「んー。なら入るか」


 受付で鍵は貰っている。三人とも女性とはいえ、それなりに付き合いも長いし、何度も野営してきた仲だ。今更気を使うこともないだろう。


「おはようございまー」


 そう思って、戸を開けたその時。


ビビビビビビッ!


「うおわっ!?」


 突如けたたましい音が鳴り響き、一瞬体が硬直する。


「死ねぇ!」

「うわあああっ!?」


 次の瞬間、半開きだったドアが勢いよく弾け、中から獣が飛び出してくる。どん、と鳩尾に強い衝撃。硬い拳を突き込まれたことに遅れて気づく。その時にはすでに俺は廊下に組み伏せられ、背中に跨られていた。


「女性の部屋に押し入ろうだなんてスケベな奴ね! 燃え尽きなさい!」


 更に部屋の奥から物騒な声。


「ま、待て待て待て! 俺だよ、ライン! 敵じゃない!」


 俺は慌てて声をあげ、敵意を剥き出しにした部屋の主たちに正体を伝える。

 すると、少しだけ俺を拘束する力が緩んだ。


「うん? あれ、ラインじゃないか」

「き、気づいてくれて良かったよ……」


 部屋の中から飛び出して、俺を床に転がして上から跨っていた獣、というかラウルがきょとんとする。彼女は下着だけのあられもない姿にも関わらず堂々としていた。


「あれ、ライン? なんでこんなところにいるのよ」


 のそのそと出てきたのは、ローブを羽織ったエレナだ。杖も抱えて臨戦態勢ではあるものの、胸元や白い足が露わになっている。……もしかしてローブの下は裸なのか?


「んふぁ……。騒がしいですねぇ」


 遅れて寝ぼけ眼を擦りながら現れたのは、シルクの寝巻きに身を包んだシエラだ。ナイトキャップを頭に乗せて、金髪もその中に纏めている。


「突然来たのは悪かったよ。しかし、三人ともそんな格好で寝てたのか?」


 ほとんど紐みたいな下着姿のラウルに、裸ローブのエレナ、寝巻き姿のシエラ。普段の野営では三人ともそんな格好ではなかったはずだ。

 ラウルに跨られたまま意外に思っていると、エレナははっとして顔を赤らめる。


「や、野営の時は違うわよ! 久しぶりのベッドだったから……」

「流石に野営じゃこんな格好できないわな。いつ魔獣に襲われるとも分からないし」


 なるほど。俺が見ていたのは彼女たちの野営モードだったというわけか。よくよく考えれば、そりゃあそうだ。森の中で寝るのと安全な町の中で寝るのとでは、気持ちも違ってくるだろう。

 昨夜は三人もゆっくり眠れたと言うことだ。


「ラインもよく眠れましたか? あ、お腹が空いたならお姉ちゃんがご飯を――」

「おかげさまでよく眠れたよ。朝ごはんを作ったから、持ってきたんだ」


 シエラが言い切る前に、急いで鞄の中に収めた弁当箱を取り出してみせる。そこに詰まったサンドウィッチを見て、三人も嬉しそうな声をあげた。特にエレナとラウルが。


「今日から依頼された狼探しだろ。腹ごしらえだ」

「さっすがライン! 美味しそうだわ」

「今日も重湯かと思うと辛かったんだ。助かった」

「むぅ……。まあ、サンドウィッチは野菜も多いですしね」


 弁当箱が三人の手に渡る。その様子をファティアが物欲しそうな目で見ていたが、三人とも彼女がもう食べていることは分かっていた。


「じゃ、とりあえず俺は下にいるから」

「別に部屋で待っててもいいぞ?」


 軽い酒場になっている宿屋の一階に向かおうとすると、ラウルが不思議そうな顔をする。エレナやシエラも別にいいのにと言いたげだ。


「いや、三人ともそんな格好だしな……」


 言葉にするのも気恥ずかしくて頬をかきながら言うと、ニヤニヤとした三つの視線g突き刺さる。


「なんだ、あたしの裸は見れねぇってか?」

「何を一丁前に恥ずかしがってんのよ。まだ20そこそこのくせに」

「昔は一緒に寝てたじゃないですか、うふふ」

「ええい、そういうのがウザいんだ! じゃあ待ってるからな!」


 わらわらと絡みついてくる腕を振り払い、俺は一階へと向かう。こういうところがあるから、彼女たちとも野営でもなんでもしながら旅が続けられるのだ。三人とも俺のことをなんとも思っていないし、俺もそれを理解しているからな。それっぽい反応をしても、喜ばせるだけだ。


「お主らもよく分からんのう」


 宿屋の酒場のテーブルを借りて待ちぼうける俺を見て、ファティアが呆れたような顔で肩をすくめた。

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