第6話「優しい聖職者」

 目を覚ますと、天井の木目が飛び込んできた。久しぶりに人工物を見た気がする。体に痛みはないが、手足が鉛のように重たい。頭を起こそうとしても体が言うことを聞かず、もぞもぞと鈍く揺れることしかできない。


「おおっ、目を覚ましたか!」


 奮闘していると、視界の端からファティアの顔が飛び込んでくる。彼女は俺を見下ろし、ぱっと表情を明るくさせた。かと思うと再び視界から外れ、ぱたぱたとどこかへ駆けて行った。


「おーい、ラインが目を覚ましたぞ!」


 どうやら、人を呼びに行ってくれたらしい。すぐに慌ただしい足音がいくつか聞こえ、扉が蹴破る勢いで開かれた。


「ライン、気が付いたんですね!」

「大丈夫か!」

「良かったぁ。生きてるぅ」


 部屋に飛び込んできたのはシエラ、ラウル、エレナ。彼女たちは心底ほっとした様子で、俺の周囲に集まってくる。シエラが手を握り、ほのかに温かい熱を送ってくる。神聖魔法の癒しの光だ。それだけで、体の重さがずいぶんと和らぐ。


「起き上がれるか?」

「なんとか」


 ラウルの手を借りて、上半身を立てる。ようやく見渡すことができて、自分がどこにいるのかが判明した。

 どうやら、施療院のベッドに寝かされていたらしい。周囲に他の患者がいるわけではなく、豪勢な個室だ。


「無茶しおってからに。お主が気を失って、こやつらも大変だったんじゃぞ」


 腰に手を当てて頬を膨らませるファティアに、素直に謝る。魔の森を歩き通して疲労が蓄積したところに、『血威解放』はやりすぎた。精魂尽き果てて気を失ってしまったのだろう。


「三人にも迷惑をかけた。ごめんな」

「いいんだよ、謝らなくて。無事ならそれでいい」

「そうよそうよ。ラウルなんて『あたしが来るのが遅かったんだー』ってベソかいてたのよ」

「エレナ!」


 ラウルがエレナに牙を剥き、エレナがおどけた様子で距離をとる。そんないつものやり取りを見ながら、シエラが俺が気を失った後の顛末を教えてくれた。


「ケレス砦は、やはりブラッドマンティスの襲撃を受けていました。防壁が壊れた原因は、近くにあった武器庫が爆発したせいみたいです」

「武器庫がねぇ。どうして爆発なんかしたんだ」

「それはまだ分からず、今も調査が進められてます」


 爆発によって防壁が破壊され、それと共に魔除けの陣も崩れてしまった。そうしてできた穴から、ブラッドマンティスの群れが迫ってきたのだ。

 ケレス砦は不運にも勇者も不在で、住民たちだけで防衛していた。とはいえ、いかに魔王領で生き抜く屈強な人々でも、真正面から魔獣の群れに対抗できるほどの力を持つ者は少ない。じりじりと追い詰められていたところ、間一髪で俺たちが間に合ったらしい。


「おかげで被害は軽微とのことで。町長さんがとても感謝してました」

「そりゃあ良かった。お礼に何か貰えるかもな」


 俺も駆け出しとはいえ、一応は勇者を名乗る者だ。魔獣の脅威に晒されていた人々を助けられたなら、これほど嬉しいことはない。それはそれとして、貰えるものがあるなら貰っておくのも礼儀だと思う。


「今は防壁の修繕にかかりきりのようで。ラインもしっかり休んでくださいね」

「分かってるよ。正直、まだ立てる気はしないんだ」


 聖剣ファティアの力は絶大だが、それだけに代償も大きい。シエラの癒しの光のおかげでなんとか会話ができるほどにはなっているが、まだベッドから抜け出せそうにはない。


「魔の森を抜けてきたばっかりだからな。元々あたしらも数日はこの町で休むつもりだった。宿が吹き飛んでなくて良かったよ」


 ラウルがそう言って、俺を安心させるように笑う。爆発は随分と大きく見えたが、防壁近くというのが幸いしたのか、街中の施設はさほど被害を受けていないらしい。俺はしばらくこの病室で過ごすとして、三人は既に宿を取っていると言った。


「消耗品も補充しないといけないし、これから買い物に行くわ。あんた、何か欲しいものあったら言いなさい」


 エレナが珍しくそんなことを言うので、つい唖然としてしまう。そんな俺に彼女は不機嫌そうに眉を顰めた。


「何よ。心配しなくても優しいお姉さんの奢りよ」

「エレナって金持ってたのか……」

「あんまり見くびらないでくれる!? 私だってねぇ――」

「町長から謝礼金を貰った。心配しなくても、あたしが預かってるからな」


 エレナの言葉を遮って、ラウルが事情を説明してくれた。それを聞いて俺もほっとする。


「そうだよな。エレナが金を持ってるわけないよな」

「ば、バカにしてるでしょ!」

「先にツケ払ってもらおうか?」

「……ふんっ、今日はこのくらいにしておいてやるわ」


 この雑魚エルフは……。

 まあ、彼女なりに俺のことを案じてくれているのは伝わっている。何か甘いものを食べたいと伝えると、エレナはすんと頷いた。


「ライン、体の中にも負担はかかっているはずですから、優しいものを食べないといけませんよ」

「うーん。それよりもガッツリ肉とか食べたいんだけどな……」


 シエラはむっとして、俺の希望を却下する。


「味が濃くて脂っぽいものを食べると、体がびっくりしてしまいます。そうだ、今日の食事はわたしが作りましょう」

「えっ」

「施療院のキッチンを借りましょう。任せてください、お姉ちゃんが美味しいご飯を用意しますからね」

「いや、その。俺、肉が――」

「待っていてくださいね! 食材は鞄から勝手に使いますね!」

「ちょっ」


 俺の話はまともに取り合ってもらえず、シエラは病室を飛び出していく。ラウルとエレナが、これまでで一番の憐憫の目をこっちに向けてきていた。


「……二人も一緒に食べるよな?」

「あー、うん」

「ケレス砦って料理も有名なのよね」

「おい、裏切るのか!」


 俺を置いて、二人もそそくさと出ていく。残ったのはベッドサイドに立てかけられた本体から離れられないファティアだけだ。


「ファティアは一緒に食べるよな?」

「あー……。妾、別に食事を必要としているわけではないからのう」

「お前まで!」


 味方などいなかった。


「動けっ! 動けよ! 動けよ、俺の体……っ!」


 せめてベッドから立ち上がることができたなら。シエラも俺の回復を認めてくれるかもしれない。そんな一縷の望みにかけて足を叩くが、このクソバカ雑魚体は微動だにしない。主人に逆らうとはなんて足だ。

 そうこうしているうちに、無慈悲に時間は過ぎていき、ドアが優しくノックされる。


「はい」

「お待たせしました! お姉ちゃん特製優しいお料理ですよ」


 ニコニコと満面の笑みを浮かべて、シエラが入ってくる。

 彼女は盆を抱えていて、そこにはいくつもの皿が並んでいる。それだけを見れば、ずいぶんと豪勢な食事のようだ。


「あの、これは……」


 ベッドサイドのテーブルに置かれた膳を見て、打ちひしがれる。皿に盛られていたのは、色彩を失った料理たち。どういう調理法をしたらこうなるのかさっぱり分からない、薄い灰色の食事だった。


「薬草のお粥、鳥出汁のスープ、ハーブティー、サラダ、茹でたお野菜です」

「全体的に水」


 動物性のものがスープくらいしかない。それもほとんど色のついていない白湯だ。

 シエラは長いこと、粗食を旨とする厳格な修道院で暮らしてきた。そんな彼女の身に染みついた料理は、このあらゆるものが希釈された薄い水なのだ。


「い、いただきます」


 期待のこもった目を向けてこられては、無碍にするわけにもいかない。俺は木匙を手に取り、そっと一口。


「きょむっ」


 味が、しない。

 味蕾が感知できる限界をはるかに下回っている。何をどうしたらこうなるのか。無味無臭、無色透明。存在感と呼べそうなものが、一切ない。まさしく虚無である。


「ラインのことを考えて、丁寧に作ったんですよ。美味しいですか?」

「うん……」


 なぜか水を飲んでいるという気すらしない、不思議な料理だ。最低限の栄養すら摂取できている気がしない。俺は一体何を食べてるんだ?

 全く満腹中枢が刺激されないまま、全て食べ終える。霞でもまだ食べ応えがあるだろ。


「ご、ごちそうさま」

「お粗末さまです」


 にっこり、と嬉しそうに笑うシエラ。

 彼女もまた、エレナとは別のベクトルで料理ができない。彼女はあらゆる料理を虚無へと変換する天才なのだった。

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