第5話「鮮血の勇者」
突如荒野に炎があがる。その出所は俺たちが目指していた魔王領第一の町、ケレス砦だ。ものすごい爆発があったのか、瓦礫が高く飛び上がり、黒煙が立ち上がっている。
「何が起きたんだ!?」
「分からないけど、急いで行こう」
ぎょっとするラウルたちに声をかけ、疲れた体に鞭打って走り出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ。今行ったら危険なんじゃないの?」
「だからこそだろ。人手はいるはずだ」
幸い、道は平坦だ。距離は長いが走るだけでいい。
「エレナとシエラは後から来てくれ。俺たちは先にいく」
「ちょ、ちょっと!」
体力のない二人を置いて、町へと急ぐ。
ケレス砦は魔王領開拓の橋頭堡として置かれた歴史もある町だ。砦というだけあって高くて頑丈な防壁が周囲を囲み、荒野の魔獣を退けている。しかし、徐々に鮮明になっていくにつれて、その防壁が大きく抉れているのが見えてきた。
崩れた壁の近くには、大きな黒いカマキリが群がっている。
「ラウル、あれは……」
「ブラッドマンティス! 厄介な奴らだ」
対魔獣格闘術の専門家であるラウルは魔王領に生息する魔獣についても詳しい。彼女は一目見てその巨大カマキリの正体を看破し、苦々しげに口元を歪めた。
「血の匂いに敏感な魔獣だ。荒野を彷徨ってたところでケレス砦の匂いに引き寄せられたんだろう。それで、運悪く火薬庫にでも入ったかな」
「不運すぎるだろ!」
ブラッドマンティスは両腕の大きな鎌を掲げ、町の中へ入ろうとしている。対するのは武装した町の住人たちだ。さすが魔王領第一の町だけあって、臆することなく立ち向かっている。
しかし、カマキリの群れは規模も大きく、防壁をよじ登ろうとしているものもいる。壁の上からは魔術師や弓師たちが攻撃を仕掛けているが、あきらかに人手が足りていない。
「勇者はいないのか?」
「それらしい姿はなさそうだ」
「しかたない。――ファティア、仕事だぞ!」
背中の剣に手を伸ばし、しゃらりと引き抜く。銀に輝く聖剣の力が腕を通して全身へ伝わってきた。
『良いのか? ライン』
「緊急事態だ。一段階やってくれ。――『血威解放』ッ!」
ファティアの柄を強く握りしめる。俺の言葉に応じて、彼女が溜め込んだ血の一部を放出した。それは白銀の刀身を僅かに赤く染める。
同時にそれは、契約を通じて俺の体内にも流れ込む。魔力を帯びた血が、俺の力を爆発的に底上げする。
「先にいく!」
「無理はするなよ!」
ラウルよりも早くケネス砦の城壁へと向かう。その速度は風のようだ。あっという間にラウルを突き放し、みるみるうちに城壁の混戦が見えてきた。
滅魔の聖剣ファティア。それは魔物の血を飲み、己の内に取り込む。並の魔獣程度なら素の聖性だけでも圧倒できるが、彼女の真髄はそこではない。勇者と認めた者と契約を交わし、主とする。主の呼び声によって取り込んだ血を解放し、その力で自身と主の双方を強化するのだ。
白銀の聖剣が、赤く輝く。
「滅魔の剣、一文字ッ!」
今まさに槍を突き出した男へ鎌を振り下ろそうとしたブラッドマンティス。その首を狙って、剣を振るう。距離は離れている。およそ100メートル。十分に間合いだった。
「せいっ!」
横一直線に薙ぎ払った剣の切先から、赤い斬撃――血の飛沫が飛び出す。それは風を裂いて一瞬でカマキリへと到達し、滑らかにその首を刈り落とした。
魔物の血によって剣と使用者の力を増強させる『血威解放』。これの使用により、俺は勇者として魔を滅する力を得る。
「なっ、勇者か!?」
「助けてくれ!」
ブラッドマンティスの首が落とされたことで、ケレス砦の住人たちも俺の存在に気がついた。荒野を爆走する俺を見て、悲痛な叫びを上げる。
また、同時にブラッドマンティスの群れもまた俺たちに気が付いた。何よりも彼らの興味を引いたのは、刀身をほのかに赤く染めるファティアだろう。溜め込んだ血を僅かだが解放した彼女は、全身から濃い血の匂いを発している。
カマキリの嗅覚がそれを捉え、本能が突き動かす。
「シャアアアアアアッ!」
鎌を振り上げ、羽を振るわせ、ブラッドマンティスたちは一斉に俺の方へと走り出した。
『来るぞ、ライン!』
「大丈夫。今ならいけるさ!」
念話で注意を促すファティア。言われずとも、動き出していた。
「せいやっ!」
先陣を切っていた一頭をすれ違いざまに斬る。続いて二頭、返す刀で三頭。瞬く間に切り伏せる。
血が滲み、視界が薄赤く染まっている。俺の体は全身に力がみなぎり、獣人族すら凌駕するほどの身体能力を獲得している。大群で迫るブラッドマンティスも余裕を持って斬り殺す。
「っ! 後ろ!」
ザザ、と耳障りな羽音がかすかに聞こえた。人の背丈をはるかに超えた巨体を誇るブラッドマンティスは、その自重によって飛翔能力をほとんど捨てた。しかし、完全に捨て切ったわけではなく、単純な風魔法を併用することでごく僅かな時間だけ飛ぶことができるのだ。
背後から不意打ちの一撃を狙ったのだろう。だが、意味はない。
「滅魔の剣、双爪ッ!」
柄を強く握り、縦に斬り下ろす。間髪入れず、再び斬り上げる。ほぼ同時に放たれた二連撃が、宙を翔ぶブラッドマンティスを細切りにした。
「ぐふっ。キッツ……」
『大丈夫か、ライン!? 少し動きすぎじゃぞ!』
着地した瞬間、膝が折れた。力が抜けたのだ。全身の血が沸騰したように熱く、拍動が加速していた。ファティアが俺を心配してくれる。
「クッソ。まだこれだけしか動けねぇか」
『まだまだ順応できておらんのじゃ。あまり無理をするでない』
俺は、まだ若い勇者だ。ファティアを台座から引き抜き契約を結んでからまだ日が浅い。『血威解放』は瞬間的に莫大な力を与えるが、当然体に強い負荷を強いる。まだまだ体が
「ファティア、何を――」
『お主はもう限界じゃ! 主を殺すわけにはいかん!』
まだ何も言っていないのにファティアが勝手に血威を封印する。刀身が元の白銀に変わり、漲っていた力も潮が引くように消えていく。
しかし、まだブラッドマンティスの群れは消えていない。むしろ、力を失った俺を見て戦意を高めている。その血に濡れた黒い鎌が俺に迫る。
「ガルガル流格闘術、潰しの拳ッ!」
背後から飛び出してきた影が、カマキリの小さな頭を襲う。次の瞬間、熟れた果実が潰れるように、赤黒い血が飛び散った。
「ラウル、助かった!」
「あんまり無理はするなよ。ここからはあたしらに任せな!」
拳と拳を突き合わせ、ラウルが不敵な笑みを浮かべる。再び不快感を露わにしてギィギィと声をあげるカマキリたちにも、彼女は臆することなく自ら飛び込んだ。
「はぁあああっ!」
彼女の拳がカマキリの頭を潰し、蹴りが腕を落とす。ブラッドマンティスも攻め立てるが、ラウルは尻尾を滑らかに振って機敏な動きで僅かな隙からすり抜けていく。トロールと比べれば、よほどやりやすい相手なのだろう。彼女は笑みすら浮かべて、ブラッドマンティスを相手取っている。
「ったく、自信無くすな……」
彼女は勇者ではない。特別な聖具など持っていないにも関わらず、己の肉体だけで魔獣と渡り合っているのだ。対魔獣格闘術の強さをまざまざと見せ付けられる。
「――巡れ、巻き上がれ、旋回し、薙ぎ払え。――『ファイアストーム』ッ!」
次の瞬間、ラウルを取り囲んでいたブラッドマンティスの群れが烈火の嵐に包まれる。激しく燃え上がりうねる炎は黒いカマキリたちを無慈悲に飲みこみ、焼き殺していく。それでいて、中心にいるラウルは毛先すら焦がしていない。
「はぁ、はぁ。やっと追いついた!」
「エレナ、今度の魔術は良かったぞ!」
「余計なお世話よ!」
遅れてやってきたエレナの大魔術だ。それは文字通り、ブラッドマンティスの大群を一網打尽にした。あの一瞬で、俺よりもはるかに多くの敵を滅したのだ。
僅かに残った幸運なブラッドマンティスたちも、新たな戦力の追加に不利を悟ったのか背を向けて逃げ出す。
しかし、それを追うものがいた。
「“悪逆無道の獣を捕らえ、戒めたまえ”――『神縛の銀鎖』」
飛び出した鎖が甲高い音を立て、ブラッドマンティスへと迫る。羽を広げて飛び立とうとするものの体に巻きつき、ギリギリと締め上げる。その力は凄まじく、捕縛というには強すぎる。ブラッドマンティスの体に深く食い込み、それでも止まらず。そして――。
「ひえっ」
ぐじゅり、と潰れる魔獣。その光景に思わず小さな悲鳴を漏らしてしまった。
女神への嘆願ではない、奇跡の行使。強い加護を受けた神の代行者にのみ許された力。神聖魔法が魔獣たちに牙を剥く。
「これで全て片付きましたね。一件落着です」
穏やかな笑みを浮かべて、シエラが満足そうに頷く。
ラウル、エレナ、シエラ。彼女たちの活躍でブラッドマンティスが殲滅された。短い時間の驚異的な展開に、崩れた防壁の内側からおずおずと顔を出してきた住人たちも目を疑っていた。
「……とりあえず、なんとかなって良かったよ」
脅威は去り、緊張が解ける。忘れていた肉体へのダメージが襲いかかり、俺はふっと意識を手放した。
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