第3話「焦土の魔術師」

 あのエレナが自ら進んで料理を始めている。そんな信じ難い光景を目の当たりにして、俺は動くことができなかった。

 彼女は薪を組んだところに魔術で火をつけ、魔法鞄の中から引っ張り出した大鍋をその上に直接載せる。


「ふんふふーん。私だってね、別に料理できないわけじゃないのよ」


 普段料理を俺に任せているからか、彼女はそんなことを言いながら野菜を取り出す。


「“エアカッター”!」


 ぽん、と投げたそれに向かって魔術を使うと鋭い風が切り刻む。バラバラと鍋に落ちていくそれを見て、エレナは満足げだ。


「おーい、近くにウサギが居たから獲ってきた……ぞ」


 そこへ立派なウサギを持ってラウルがやって来る。彼女は座り込んで休んでいる俺と、焚き火の前で野菜を切っているエレナを見て硬直する。


「な、なんでエレナが料理してるんだ? なんか悪いもんでも食ったのか?」

「失礼ね!? ……さっきは私が魔術を間違えたせいで迷惑かけちゃったし、その埋め合わせよ。これで貸し借りなしだからね」


 どうして突然こんなことを言い出したのかと疑問だったが、ようやく分かった。彼女はさっきのトロール戦で魔術選択を間違えてしまったことに負い目を感じているのだ。その程度で、と思わないこともないが、彼女は誇り高い魔術師だ。失敗をそのままにしておくことは許せないのだろう。


「ほら、ラウル。そのウサギ寄越しなさいよ」

「ええ……。捌くくらいはラインにやってもらった方がいいんじゃないか?」

「私は魔術学院主席なのよ!? それくらい余裕でやってやるわよ!」

「あっ、ちょっ!」


 ウサギを守るように後ずさるラウルにエレナが飛びかかり、獲物を強奪する。


「ふん。これくらい簡単なのよ」


 ブチィ! ダン! ダン! ゴロン。

 随分と荒っぽい音と共に魔術が吹き荒れ、ウサギの残骸ができあがる。せめて皮くらいは剥いで欲しい……。


「よし、今日はウサギのローストよ!」

「ロースト……」


 ローブの袖を捲ってやる気を見せるエレナを、遠巻きに見つめる俺とラウル。シエラはこちらの惨状に気付かないまま、黙々と魔除けの結界を構築している。

 エレナは鍋の上でジュウジュウと焼けていく野菜とウサギを正面に、おもむろに杖を構える。


「ローストなんて焼くだけなんだから、そんなに身構えなくてもいいわよ。寝てたって失敗のしようがないんだから」

「本当かなぁ」

「いいから見てなさい! 私が魔術で鮮やかに仕上げてみせるから!」


 魔導書が開かれ、次々と文字が浮かび上がる。エレナは杖に魔力を巡らせ、真剣な表情で詠唱を紡ぎ始める。


「焼き尽くせ、燃やし切れ、全てを喰らい、糧とせよ。――“クリムゾンファイア”」

「おま――」


 ラウルが止めようと動き出すが、時すでに遅し。俺は咄嗟に腰掛けていた倒木の後ろへと身を隠す。次の瞬間、極太の火柱が鍋を包み込んだ。


「はっはー! どうよこの火力! 一瞬で焼き上がるわよ!」

「馬鹿かお前! 強火すぎるだろ!」


 地獄の業火が鍋と焚き火を蹂躙し、あらゆる全てを焼却した。倒木の陰に隠れていても、熱気がジリジリと肌を焦がすようだ。

 エルフ族がその身に宿す無尽蔵の魔力に物を言わせた超火力。しかも戦闘時のように切迫した状況ではないため、存分に時間をかけて術を組み上げている。その威力はさすが魔術学院主席と言いたくなるほどの、圧倒的なものだ。


「さあ、ご覧あれ! 今日の晩御飯は――」


 火柱が消え、熱気と共に灰燼が舞う。

 意気揚々とを指し示すエレナも、遅れて気が付いた。


「あれ、なんで何もないの?」

「全部炭になってるんだよ馬鹿火力!」


 仕留めたウサギどころか、皮ごと乱切りにされた野菜も、鉄鍋も、薪も、ついでに周囲の土も。全てが圧倒的な超火力によって焼却され、残ったのは黒々とした炭だけだった。まさに消し炭だ。

 隕石でも落ちてきたのかと疑うほどのクレーターを前にして、エレナは怪訝な顔をする。


「おかしいわね、300倍の火力で焼けば、300倍美味しいローストになるはずだったのに」

「学院で何を学んできたんだよ、お前は」


 せっかく手に入れたウサギが3秒と経たずに炭となったラウルが恨みがましい目を向ける。エレナも少しバツが悪そうにローブのフードを目深に被った。


「し、仕方ないじゃない。料理なんて何十年ぶりかも分かんないし……」

「だからラウルに任せとけって言ったんだよ」


 そう、この天才魔術師エレナは見ての通り料理ができない。魔術に関してはエルフ族の中でも比類なき実力を発揮し、まさに現代の至宝とまで言われるほどの人物なのだが、逆に魔術以外の全てのことを軽視しているのだ。大体のことは魔術で解決できると考えていて、ついでに魔力を注ぎ込めばその分効率的になると思っている。

 つまり彼女は火加減という概念を知らないため、あらゆる食材をことごとく消し炭にするのだ。


「大丈夫よ! ほら、このへんは食べれると思うし!」


 焼け跡を杖の先で探っていたエレナが、炭の欠片を摘み上げる。それもラウルの目の前で儚く砕け散り、風に流されて消えていった。


「そもそもお前、最低でも二十五年は料理してないんだろ」

「そうだよ。毎日三食欠かさずウチで食って、ツケにしてた」


 ラウルの視線に気づいて、俺は懐から分厚い帳簿を取り出してみせる。エレナが喉の奥でうめき声をあげてたじろいだ。

 俺は勇者になる前はしがない王都の食堂のキッチンスタッフだった。その食堂に、彼女はよく通っていたのだ。二十五年巻毎日きっちり朝昼晩と食べて、代金は出世払いと言い張って。食堂の親父は人が良いので、そんな彼女の言葉を間に受けて全部ツケにしていた。


「そ、それもちゃんと払うわよ。魔王を倒したら報奨金が出るわけだし、利子もつけてあげるわよ」

「んなもん当然に決まってるだろ」

「むぅ」


 エレナは確かに王立魔術学院主席で、並外れた魔術の才能を持っている。しかしそのズボラな性格が災いして、ありとあらゆる魔術研究機関を出禁にもなっている。そんなわけで何十年も無職だったのだ。

 魔王を倒せば国から報奨金が出る。俺はパーティメンバーを集めるために、ツケを記録した帳簿を武器にして、食堂で飲んだくれていたエレナを勧誘したわけだ。


「はぁ、ようやく終わりました。そろそろ晩御飯もできましたか?」


 結界を張り終えたシエラが、やり遂げた表情でやって来る。彼女も腹を空かせているだろう。しかし三匹のウサギは仲良く炭となったばかりだ。飯と呼べそうなものはない。


「ライン、妾も腹が減ったぞ!」

「お前はそもそも食べる必要ないだろうが」


 トロールの血の余韻に浸っていたファティアも剣霊となって鞘から抜け出してくる。


「うおっ、なんじゃこの焦土!? なんぞ爆発でもしおったのか?」

「似たようなもんだ。さて、何を作るかなぁ」


 結局、今日の夕飯も俺が作ることになる。食糧はまだ余裕があるとはいえ、鉄鍋が消し飛んだのは問題だ。


「ご、ごめんなさい……。もうちょっと上手くできると思ったのよ」


 重たい体に鞭打って立ち上がると、珍しくしおらしいエレナが謝ってくる。

 まあ、彼女も悪気があってウサギを消したわけではない。そのことはラウルもよく分かっているだろう。


「そんなに気にしなくていいさ。エレナのおかげでトロールも倒せたわけだし」

「そ、そう? まああれは私がいなかったらちょっと危なかったかもね」


 ……慰めた瞬間に調子に乗り始めたな。

 まあ、そんなところも彼女の美点のひとつだ。

 俺はエレナに新しい焚き火を用意してもらいながら、何を作ろうかと献立を練り始めるのだった。

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