第2話「勇者パーティの女傑たち」

 北方に広がる厳しい大地、魔王領。人間やエルフ、獣人といった種族が住む共和連合領から出発し、まずはじめに出迎えてくれるのは広大な魔樹の森だ。人の方向感覚を失わせ、何度も同じ場所を歩かせる魔の森に、俺たちはかれこれ一週間ほど嵌っていた。

 そろそろ終わりが見えてきてもいい頃合いなのだが、今だに果てしなく禍々しい魔樹の並木が続いている。


「ラウル、本当に道は合ってるのか?」

「先行者の地図もほとんど役に立たないさ。直感を信じて進むしかないね」


 前を歩くのは嗅覚、視覚、聴覚に優れた獣人族のラウル。着古した道着に身を包み、黒帯を締めている。魔の森を抜けるのは彼女の感覚頼りだ。しかし獣人でも惑わずに進むのは至難の業で、ここ数日歩き通しということで疲労も蓄積している。


「もー、疲れたわ。冷たいアイスが食べたい。スペシャルパフェが食べたい」

「今は耐え忍ぶ時ですよ、エレナさん」


 うだうだと文句を言うエルフを、シエラがたしなめる。

 とはいえ俺も背中に背負った直剣形態のファティナがずっしりと重たく感じてきたので、剣霊に変わってもらって自分で歩かせている。腹も減ってきたし、そろそろ休みたいところだ。


「っと、おしゃべりは中断だ」


 その時、前を歩いていたラウルがさっと手をあげた。

 彼女は見通しの悪い森の中でもすぐに魔獣の気配を察知できる。彼女が手を挙げるのは、近くにそういったものがいるという合図だった。


「ファティア」

「うむ」


 剣霊が美しい直剣へと姿を変えて、俺の手に収まる。これが彼女の本来の姿だ。彼女と勇者の契約を結んでいる俺の手に自然と馴染む。

 俺たちは巨木の陰へと身を潜め、様子を窺う。魔獣は魔族ほどの知性を持つわけではないが、それでも共和連合領の野生動物とは比べ物にならないほど強い。試練の地で鍛えられた、強大な存在だ。


「チッ。厄介なのが出てきたぞ」


 ラウルが口元を歪ませる。彼女の肩に手を置き、視線を追いかける。その先に、見上げるほどの巨体があった。岩のようにゴツゴツとした肌に、太い四肢。おおよそ人型だが、頭部にあるのは大きなスイカほどもある眼球と牙の並んだ口。


「魔族じゃないか」


 魔の森を歩いていたのは、魔獣ではなかった。単眼の巨人トロールだった。

 魔獣と魔族の違いは外見的には人型であるか否か。だが、重要なのは能力的なところ。魔族は魔獣よりも遥かに高度な魔法を扱う。トロールの場合は――。


「見つかった! 逃げるぞ!」

「ゴォオオオオオオッ!」


 ラウルの声で素早く身を翻した直後、背中を焦がすような猛火が周囲へと広がった。炎を生み出したのは、トロールの赤い瞳だ。あの濃密な魔力を宿した眼が睨みつけると、周辺一帯が火の海と化す。猛火の魔眼というやつだ。


「駄目です。火の回りが早すぎます!」


 魔の森の巨木は非常に燃えにくいにもかかわらず、あっという間に火が俺たちを取り囲んだ。明らかにトロールの意志が働いている魔炎だ。


「逃げるなんて情けないわね。そんなに火が好きなら、こっちから送ってあげるわよ!」

「エレナ!?」


 メラメラと火が踊るなか、エレナがトロールを睨み上げる。杖を構え、魔導書を開き、厳かに魔法文字の詠唱を始める。


「集まれ、焼き尽くせ、荒れすさぶ猛火の矢。――“ファイアアロー”!」


 エレナが杖を振り回すと、トロールが放った炎が吸い寄せられていく。他者の支配下にある魔力を自分のものへとする。恐ろしく高度な魔術的技能だ。彼女は更に、集めた炎に形と性質を与える。より速く、より鋭く、より強靭に。

 局所的な世界の改変。生み出されるのは、炎の矢。それは風を切り、木々の隙間をたくみにすり抜けて、トロールの赤い瞳へと直撃した。

 だが。


「ガァァ」

「あ、あれ!?」

「馬鹿かエレナ! トロールが火に弱いわけがないだろ!」


 ラウルの言う通りだった。魔炎を操るトロールに魔炎をぶつけたところで、煽りにしかならない。トロールは自分に危害を加えたエレナを睨み、敵意を露わにする。


「じゃ、じゃあ水の矢を……」

「時間は稼いでやる!」


 わたわたと魔導書のページを捲り始めるエレナ。だが走り出したトロールは、彼女が術式を組み上げるまで待ってくれないだろう。焦燥するエルフの前に飛び出したのは、獣人の格闘家だった。


「ラウル!」


 いかに彼女が大柄とはいえ、2メートルには満たない。対するトロールは3メートルに匹敵する巨体で、横にも大きい。太い魔樹を強引に薙ぎ倒しながら、ワイルドボアさえ尻尾を巻いて逃げ出すほどの勢いでこちらへ迫ってくる。

 だが、彼女は落ち着いて立っていた。腕を前に突き出すようにして構え、トロールを見据える。


「オオオオオオッ!」

「――ガルガル流格闘術、貫きの拳ッ!」


 襲いかかるトロールに、ラウルが鋭く拳を打ち込む。まるで枯れ木を叩いたかのような澄んだ音が響き、直後にトロールの絶叫があがった。


「せやぁああああっ!」


 間髪入れず、ラウルは足を高く蹴り上げ、また蹴り下ろす。獣人族の鍛え上げられた肉体から繰り出される殴打と蹴撃は、それぞれが大砲の砲撃のような威力を誇る。シンプルなフィジカルに巧妙なテクニックを融合させた対魔獣格闘術ガルガル流は、魔族の分厚い鎧のような表皮でさえ貫く。

 だが、相手も屈強で知られる巨人族。いくらラウルが打撃を突き込んでも、決定打には至らない。それどころか、ゆっくりと立ち上がりつつある。


「ファティア、行くぞ!」

『うむっ!』


 剣の姿となったファティアが、念話で応じる。俺は落ち葉を蹴散らし、ラウルを飛び越えてトロールへと飛びかかった。炎への耐性はあるだろう。打撃にも強いだろう。だが――。


「滅魔の剣、一文字」


 魔力を溶かし、肉を断つ。その一撃は、抗うことのできない特攻。

 滅魔の聖剣の真骨頂。勇者の手にあることで、その力が引き出される。

 振り下ろされた刃は一分の狂いもなくトロールの眼を真っ二つにして、勢い衰えず胸を開く。


『ぬはははっ! 魔物の血じゃ! 心地よい!』


 吹き出す血を浴びながら、ファティアは嬉しそうな声を俺に伝えてくる。滅魔の聖剣と言えば格好もいいが、実際のところは魔獣や魔神の血を啜る魔剣の一種だ。ま、おかげでワイルドボアなんかに突き刺しておけば血抜きもしてくれて便利なんだが。


「グ、グオオオ……ッ!」

「まだ生きてやがるのか!」


 体の前面を縦に裂かれたというのに、トロールはまだ動き続ける。再びファティアを構え、斬りかかろうとしたその時、背後から勢いよく飛んできた水の矢が顔の真横を掠め、トロールの胸を貫いた。

 その一撃が止めとなり、巨体がぐらりと揺れる。地響きと共に倒れ、ついに起き上がらない。


「うぉっしゃい! 私が止めを刺したわよ!」

「魔術選択間違えるとか本当に主席なのかよ」

「うるっさいわね!? 勝てたからいいじゃないの」


 鬼の首を取ったように――まあ似たようなもんだが――はしゃぐエレナに俺とラウルは半目を送る。エレナの魔術の腕自体は疑っていないが、それ以外のほとんど全てに欠点があるのが最大の欠点だ。


「皆さん、お怪我はありませんか?」

「シエラ。一応全員無事だよ」


 巨木の陰に身を潜めていたシエラも現れて、俺たちの安否を確認する。誰も負傷していないことを知ると、彼女はほっとして大きな胸を揺らした。


「それじゃあ、後片付けしましょうか。――“女神様、あれを消してくださいませ”」


 シエラがトロールの骸の前に立ち、指を組んで祈りを捧げる。すると聖なる光が差し込んで、トロールをグズグズと溶かして土に還してしまった。これこそがシエラの扱う神聖魔法。より正確にいうならば女神への嘆願である。


「うーん、ほんと、戦闘力だけで言うならピカイチなんだけどな」


 トロールさえ足止めするほどの格闘家に、その分厚い胸板を易々と貫く魔術師、そして完璧に痕跡を残さず片付ける聖職者。正直、俺がいなくてもなんとかなるレベルで三人は強い。


「はぁ、疲れた。それじゃあ今日はこの辺で休憩するか」


 ちょうどトロールを片付けるついでに土地の浄化もされて、しばらくは魔獣も寄りつかない。キャンプするには都合がいい。何よりファティアの力を引き出すと、俺が非常に疲れるのだ。

 ただの魔獣であるワイルドボアを斬り倒すのと、腐っても魔族に類されるトロールを斬るのとでは疲労も桁違いだ。情けないが、もう一歩も歩けそうにない。


「だらしないわねぇ。――それじゃ、今日は私がごはん作ってあげるわよ」

「えっ」


 ぐったりと座り込む俺に向かって、エレナが衝撃的なことを言う。ラウルはテントを建て始めているし、シエラは結界の設営に忙しそうだ。俺が止める暇もなく、エレナは焚き火を起こして鼻歌まじりに準備を始めた。

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