七 佐釜 優子
「彼らは自分というものをわきまえているんだ」
彼の言葉に私は驚きのあまり目を見開いた。
「自分はここまで、己はここ止まりって皆思ってるんだ。自分達は主人公じゃない。脇役でもない。モブですらない。物語とはてんで別のところに居て、関係ないところで生きて、関係ないところで死んでゆく。自分達の人生はそんなもんで、自分がいきていくだけで精一杯。そう彼らは思ってるんだ。だからこそ、他人に自分をさらけ出すという経験もない。さらけ出し方が分からない。そんな彼らは日陰者、つまりは日の目を見るような人生を送ってきていないんだ。そんな人生が戦いに身を投じていくものに変わっても、他人のために命を張るような日々に変わっても、自分というものを守るだけで精一杯なんだ」
そこまで言って井砂利くんはすぅっと、息を吸った。
「そんな精一杯な彼らは常に満身創痍だ。肉体だけじゃなく、精神的にも傷を負ってる。そういう時には人間の口は軽くなるもんだけど、彼らは違うんだ。周りに心情を吐露できる人なんて居なかった。ここからは私の解釈にはなるけど、彼らは虚しいんだ」
「虚しい?」
私の言葉に間髪入れず彼は語り出した。
「彼らには理解者が居ない。彼らを理解しようと思った人間は居なかったからだ。自分の事を知っている人も、知ってもらいたい人も………彼らのその虚しさが九死に一生を得るような戦いの中で今まで以上に精神がすり減らされ、身体がぼろぼろになっていく事でその虚しさがピークに達した。こんな風に戦っても、自分はちっぽけで小さく無力で、生きている価値が無いように思えて、誰かにその虚しさを分かち合いたいと思うけれど、それが出来ない。だって理解してくれる人も、理解して欲しい人も居ないのだから。作中でぽろりぽろりと、堰を切ったかの様に話し出すのはそのためだ。理解して欲しい。知って欲しい。そう思う彼らの気持ちが、普段は絶対にしない行動をさせたんじゃないかな」
まるで、自分はその虚しい人の一人であるかの様に彼は語った。
「もちろん、これは私の自己解釈に過ぎないよ。でも、戦いの中で友情が芽生えてとか、仲間意識とか、親近感とかそんな明るいものを持っている人達じゃないんだよ、異背委課疎過の作品の登場人物は。皆、背中に重たく冷たいものを背負ってる。そんな彼らが並大抵の主人公側の人間達のような感情で、自分の秘密を暴露するような事はしない。私は少なくともそう思う」
彼はそう言いきると、私の返答を待った。
明るくない、か。
虚しさゆえの告白、とでも呼べば良いのだろうか。この本の登場人物達は確かに暗い。ネガティブ思考すら超越した薄暗いものの考え方は、共感できないものも多かった。
けれども、登場人物達は、決して哀愁を寄せ付けず、悲愴だけが物語全体を支配する決定的な要素となっていた。
彼ら一人一人が抱える秘密も、その心の奥底に深く根ざしたものであり、それを他人に打ち明ける事は簡単な事では無いだろう。
果たしてそれが、知って欲しい、理解して欲しいという承認欲求の類いから来るものなのだろうか。
「秘密、か……」
私はもし、これを告白するとしてどう言った気持ちで打ち明ける事となるのだろう。
少なくとも、承認欲求ではない。もっと必要に迫られた時にしか、私の秘密は言えない。
他人に言ってどうこうなる類いのものでは無いけれど、秘密があると無いとではかなり印象は変わる。
なぜなら、力が力だからだ。十二分に悪用が出来、他人を操る事だってやりようによっては可能なのだ。
そんなものを持っていると知られるのは嫌だ。
今まで築いてきた学校での立ち位置も、家での振る舞いも、全て、この力があるからこそ出来た事なのだ。
この力あっての人生で、この力あっての日々で、この力あっての平穏なのだ。
それも、この力を持っている事を隠しているからこそ効果を発揮するものだ。
無闇矢鱈に周知して良いものであるとは思えないし、思わない。
「そういう承認欲求で打ち明けたってのは違うんじゃない?」
私はそこまで考えてから言葉を発した。
「承認欲求ってさ、知ってもらう事、理解してもらう事で心の平穏を保つためにやる事でしょ?身も蓋もない話をすればさ。確かに、この話の登場人物達は心に深い闇を抱えてるし、葛藤もしてる。精神的な疲れってのはものすごくあると思うよ。でも、だからって自分の事分かって欲しい!ってだけで自分の根幹とも言えるような秘密を言うかな?」
私はまさしく当事者目線でものを言った。
井砂利くんは私の言葉に少し目線を落として少し険しい表情をすると、こう言った。
「……確かに、自分を構成する概念の中でも核となる部分だし、ただ、理解して欲しいという理由だけで話すというのは根拠に乏しいか……」
「私はこの人達なら言えるって安心感だと思うよ」
「安心感?」
聞き返す井砂利くんに私は答えた。
「同じように毎日に鬱憤を募らせ、戦いに巻き込まれ、心身ともに疲れはてた人の事を仲間と言わずして、何て言うの?その仲間に対する安心感。話しても、態度を変えられない。蔑まれない。そう思ったから、皆に話せたんだと思うんだ」
彼はまた考え込んだ。
「安易……されど、核心を突いているか」
ぽつりと彼はそう言った。
「なるほど、確かに、一理ある」
「そうでしょ?まぁ、見解が割れるってのは好きじゃないけど……作者の人もどういう気持ちで書いたとかあとがきに書いてくれれば良いのに」
私がそう不満をこぼすと、井砂利くんは目を見開いた。
「駄目だよ、そんな事しちゃ」
「なんで?」
「物語ってのは人に読まれて初めて完成を見るんだ。作者の用意した完璧なまでの答えも必要な時もある。が、完璧で整った答えより、読者が想像し、考え出した答えもまた素晴らしいものだ」
「そうかな?」
私は十数年来の疑問をぶつけた。
「物語は一つでしょ?事実も、結末も、始まりも、全部一つ。本の中にあるものだけが、書いてある事だけが全てでしょ?なんでこの結末になったかだの、なんでこう思っただの、全部作者が書いておけば良いじゃない!作中に入れたくないなら、あとがきでも、編集後記でも構わない!普通に答えを書けば良いじゃない!なんで、どうとでもとれる作品を作るのよ!創造力を膨らませるとか、読者の数だけ解釈があるとか、そんな事言い出したら、真実なんて、正解なんてどこにも存在しない事になるじゃない!」
私の言葉に彼は静かに言った。
「物語は一つでも、見え方ってもんがある」
「見え方…?」
「そうだ」
彼は言葉を紡いだ。まるで、この世界の作家代表みたいな口ぶりだった。
「とある登場人物を第一の視点とすると、そして、もう一人の登場人物が第二の視点。そして、神の視点でも、これら第一、第二の視点からでも、その物語の行く末を見つめる読者の第三の視点が存在する」
「第三の視点?」
「そうだ。本とは演劇だ。ステージの上で登場人物達が描く物語を観客足る読者が見る。それが、本なんだ。書き手失くして、物語無く、読み手失くして、本は無い。考え付いた物語がどんなにたくさんあっても、それが作者の胸の内から出てこないのなら物語はそこで終わりだ。いや、物語でもないかもしれない。なぜなら、その名の通り、物語とは語り、誰かに伝えるためのものだ。誰かに聞かせて、誰かが感じて、その時に物語は完成する。本も同じだ。書き手が本を書き、それを読み手が読んで、本が完成するんだ」
「でも、それだと…物語は一つにならないじゃない。ずっと、真実は闇の中。誰も正しい事実を知る事は無いのよ?」
私が不満をぶつけると彼はそれで良いんだ。と言わんばかりに言った。
「物語は真実や事実を伝えるものじゃない。物語る話を伝えるんだ。そりゃあ、歴史書みたいに、事実を語る本もあるけど、非現実へと招いてくれるものもある。それらは非現実ではあるけど、登場人物達にとっちゃ唯一の現実だ。その現実で起きた出来事を物語る。それが物語だ。物を語るとは、乱暴に言えば出来事を語る事。その登場人物達の心情やなぜその選択したのか、描かれない場合もある。けれど、それで良いんだ」
「どこが良いのよ?そのせいで読者の間で諍いが起きるのよ」
私は口をとがらせる。
でも、それを見て井砂利くんは微笑んだ。
今まで、見た事が無いほど、清い、神々しさすら感じる微笑みだった。
「読者は勝手だ。一度本を読んだだけで、ああだの、こうだの言う。でも、それが本の面白さだ。読む人の価値観や倫理観で解釈は左右されるだろう。だが、その解釈に良し悪しは無い。なぜなら、物語に真実は存在しないからな」
「存在しない?!」
私は驚いて思わず大きな声を上げた。
「作者だって登場人物達の想いも考えも知らないかも」
井砂利くんは畳み掛けるように言った。
「物語ってのは、所詮人が伝えるものだ。人が人に伝えるのだから齟齬が生まれるし、歪んだ解釈だってまかり通る。それでも、本や物語は存在し、決して廃れる事は無い。なぜか?それが良いからさ」
彼は笑みを浮かべて言った。
「だって、正解がない方が面白いし、登場人物達の考えや想いを考察するのだって、物語の味わいの一つさ。只一、私達の世界に正解があるかい?」
私達の世界に正解があるかい?
意味が分からない。
「…何を……言ってるの…?」
「例えば、名字には意味があるよね。私は井戸の下に溜まった砂利って意味だけど、佐釜さんは、釜で助ける的な意味だよね。ご飯炊いたりとか」
井砂利くんは突然取り留めもないような事を話し出した。
「でも、そういうものにも色んな解釈が出来る。かまで助けるってはご飯を炊いて貧しい人に振る舞ったのかなぁって思えるけど、反対に釜に頭をぶつけて敵を殺して誰かを助けたって考える事も出来る。まぁ、この考えはひねくれすぎたけどね」
名字の話をしたのは例として出したというわけか。
彼は話を続けた。
「ここは様々な解釈が出来て、どんな思考でも、無理矢理忘れられたり、阻害されたりする神様的なパワーが生じる世界じゃない。どんな事でも考えられるんだ。だから、解釈は一つなら無い。きっと、永遠に議論される題材になるだろうね。作者の考えだって解釈の一つに過ぎない。作者をその物語の神って考える人も居るだろうけど、神も絶対じゃない。私は少なくともそう思うんだ。だから………」
井砂利くんは一呼吸置いて、言葉を紡ぐ。
「正解なんて無い。いくらでも可能性はあって、自由に解釈が出来る。それが物語っていう自由な世界なんだよ」
彼はそう言い終えて笑った。満面の笑みだった。
(あぁ、本当に本が好きなんだな)
彼の心の中で、享楽的な感情と快感からなる正の感情が曇天を消し飛ばす太陽の光のように、さっきまで彼の身体の隅から隅まで満たしていた負の感情を綺麗さっぱり洗い流している。
彼は今、物凄く幸せそうだ。
(こんな風に………いつでも笑っていてくれたらな…)
私は幸せに包まれた井砂利くんを見て心からそう思った。
日が落ちる頃、図書室が閉まって私達は帰る事になった。
私と井砂利くんはその後ずっと本を読んでいたから会話はあれ以降していないけど、彼の本好きが炸裂した一日だった。
(ずっと、ああなら、思念体に乗っ取られる事は無さそうだけど……)
そう思いながらも、それが不可能に近い事を私は知っている。
(無理なのかな)
今までと同じように、彼もまた……
「やあ」
海馬が震えた。
古い古い記憶が今、頭の中のたくさんの引き出しから引っ張り出されてスポットライトを浴びた。
目の前に居るのはあの時の、全身を白い衣装を纏った大きな身長の…………。
言葉が出ない。
嬉しいのか、驚いているのか、自分でも分からない。感情がごちゃごちゃで上手く頭が働いていない。
「久しぶりだね、幼き人」
そんな私に掛けられた言葉は、ふわりと優しくまるでそよ風のように爽やかなものだった。
「いや、もう幼き人ではないね。立派な美しい女性だよ」
口の動き、発せられる声、何もかもが懐かしい。
「……あ……あっ…あの、その、えっと、お、お久しぶりです」
動揺を抑えてどうにか私は声を出した。
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