三 佐釜 優子
「あれ、井砂利君居ないの?」
教室の後ろから声が聞こえる。
いつも、井砂利くんを囲んでいる陽キャ………いや、不良達の声だ。
「トイレじゃね?」
「最近居なくねぇ?俺たちの事避けてんじゃねぇの?」
避けないわけがないだろう。お前達は自分達がやっている事の意味を理解していない。
彼らが井砂利くんを囲んでいじめをする時、彼の体の中で蠢いていた情念がはっきりと姿を現す。
井砂利くんの影からフードを被ったような角が丸い三角の赤い両眼を備える頭部を皮切りに、手足のない、亡霊のような黒い影が実体を持って躍動する。
情念は井砂利くんの身体から出てくると、不良達の顔を順番に覗き込み、その両眼に焼き付けようとして居るのか、数十秒もの間面と向かって不良達の顔を凝視する。
そこまでされて、なんの反応も見せず、井砂利くんをからかっているという事は、不良達に霊感の類いはこれっぽっちも無いという事だ。
だからこそ、こんな事を平気で出来るのだろう。
井砂利くんをいじめている時の不良達は、快楽に呑まれている。実際、彼らの体に輝くのは強烈な快感だけだ。
相手の気持ちも考える事なんて出来ないから、相手のこちらに対する憎悪がここまで大きく育ち、実体を持ってもなお、認識する事も出来ないのだ。
本当に下らない。
こんな人間が生を受けられるこの世のシステムはおかしいとつくづく思わずにはいられなかった。
私は弁当箱の入っている巾着を提げて教室を後にした。
最近、井砂利くんは昼休みに教室に居ない。
昼休みはお弁当を食べるからその場に拘束される。
拘束される場所が教室であれば、不良達のおもちゃとなってしまうから、拘束される場所を変えたのだ。
それも、誰にも見つからない場所に。
学校の回り階段を四階まで上がると、その先の階段は一列に並べてある机で封鎖されている。
この学校には五階は無い。
つまり、四階の上は屋上という訳。
その階段と屋上に通じるドアの間の小さな踊り場に彼は居た。
「よっ」
私は彼に声をかけつつ、机を乗り越える。
彼は驚いたように目を大きく見開いた。
「私もそこで食べて良い?」
「……人、多くなると見つかるリスクも増えるんだけど」
「こんなとこ誰も見に来ないよ」
「人は視界に映る異物に気付くものだよ」
井砂利くんは吐き捨てるようにそう言った。
昼休みに彼がここに居るのを見つけたのはつい先日の事だ。
不良達の頭ではトイレにでも居るとしか考えられなかったようだが、学校には他にも一人になりたい時に最適な場所なんていくらでもある。
ここはその中でも、誰も思い付かないような場所だ。
屋上は常に閉鎖され、何人足りとも入る事は出来ないから、屋上の事なんて誰も気にも止めない。
ここはその屋上の付属品みたいな場所だから、余計誰にも思い付かない場所だった。
「井砂利くん、今日は唐揚げか」
私は井砂利くんのお弁当箱を覗いた。
教室で前にも覗いた事があるが、その時と同じ、ご飯以外は二品だけ。
おかずは揚げ物か魚、サラダ的ポジションにはひじきかポテトサラダ?と彼が言うじゃがいもときゅうりにマヨネーズをかけた代物。
正直言って彩りはない。それでも、学校生活における唯一の癒しの時間である食事の時間は誰にも邪魔されたくないものだろう。
(私も邪魔してるって?そこ空気読めてないよ!)
「なんでここ来たの?」
生気の伴わないぶっきらぼうな声で、彼は私に疑問をぶつける。
「ん~、ま、ちょっと気になったから」
「気になった?」
訝しげにこちらを見る彼の体の中の赤い両眼が少しだけ、細くなったように感じた。
誤魔化すの得意じゃないんだよなぁ。
「あのね、井砂利くん。先生に言ったら?」
私は単刀直入に言った。
「どっからどう見ても、いじめられてるようにしか見えないよ?君」
赤い両眼が丸くなる。
逆に彼は目を細くして、蔑みの視線を発した。
「だから?」
「…え?」
私は彼の言った事が信じられなかった。
「同情?哀れだから?だからここに来たの?」
彼は畳み掛けた。
「佐釜さんさ、私はんなもん求めてないんだよ。大事になるのは嫌なの。分かるでしょ?」
彼は完全に箸を動かす手を止めて私を見つめた。
「でも……嫌ならちゃんと言わないと…」
「別に、あんなの反応を楽しんでるだけでしょ?興味を無くしたら、すぐどっか行くよ」
「……そう……なら良いけど……」
これ以上食い下がる事は私には出来なかった。
彼は救いも、私のようなお節介焼きもお呼びでは無いのだ。
「後少しで卒業なんだからさ、波風立てたく無いんだよ」
「…でも……辛くなったら……言ってね……?」
それでも、考えられる最悪の結果は避けたい。
そう思って絞り出した言葉に井砂利くんは私は顔をまじまじと見つめてから、何も言わずに弁当箱に視線を落とした。
私は巾着を開けて弁当箱を取り出すと、床にあぐらをかいた彼と向かい合うようにして座った。
井砂利くんはそんな私を一瞥しただけで、咀嚼を止める事はなかった。
そこからは気まずい時間が流れた。
私も井砂利くんも黙々と箸を動かすだけで、お互い口を利こうとはしなかった。
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