08.目を開いたその先で

 



 プカプカと、漂うように浮いていた。

 とてもとても暗いそこには、上も下も、右も左も何も無い。

 ただ広がる闇の中、少女は静かに浮いていた。


『……酷いものだな』


 誰かが言った。次いで、他の誰かが『本当に』と口にする。


『昨今の人間共は汚いことばかりやりやがる。こんなのが蔓延ってたら世界なんて終わっちまうぞ』


『幼子に対してこの仕打ち……有り得ませんわ』


『自分らが神になれるとでも思ってるのかねェ』


 三つの声が忌々しげにそう言えば、一番初めに発された声と同様の声が『まあ、今はこの小さな命を繋ぐこととしよう』と告げた。これに、声たちは賛同する。


『さあ、リレイヌ。命をあげよう。我々の力を、君に授けよう。君は今宵、完全なる龍となるんだ』


 そっと、少女の額に誰かの手が乗せられる。うすらと瞼を押し上げた彼女は、そこで、赤と青の何かをしっかりと目にした。


『強く生きなさい。大丈夫』


 きっと、未来は明るいよ──。




 ◇◇◇




 ふわり。目を開ければ、まず、壊れたランプの残骸が視界に写った。次いで、暗い、見慣れた天井が確認できる。


「……、ここは……」


 告げて、驚いた。今まで出なかった声が出る。思わず喉元を抑えた彼女は、ゆっくりと上体を起こし、そして寝かされた寝台を一瞥。そこから降りると、割れた破片が突き刺さるのも気にせずに、荒れた床を裸足で歩く。


「……母様? 父様?」


 ひとり呼ぶ、両親のこと。


「……むつき? りおる?」


 震えながら呼ぶ、友達のこと。


 閉ざされた戸を前に、そっとその取っ手に手を当てた彼女は、そこでゆっくりと動きを止めた。まるで怯えるように下を向き、瞳を揺らす彼女を知ってか知らずか、開きっぱなしの窓から「「リレイヌッ!!!」」と二つの声が上げられる。


「!」


 驚き振り返った彼女の視界の中、窓枠を乗り越えようと奮闘する少年たちの姿が映りこんだ。彼らは身長的に乗り越えられなかったようで、文句を言いながら姿を消す。それに動くリレイヌの背後、開かれた扉から、今し方のふたりが姿を現した。ここまで走ってきたのか、息を乱して肩で大きく呼吸する彼らに、彼女はただ沈黙する。


「リレイヌ! おまっ、何があった!? 血塗れだぞ!!!」


「怪我は!!?? どこも痛くない!!?? 大丈夫!!?? 医者呼ぶ!!??」


 慌てたように声をかけてくる両者に、彼女は立ちすくんだまま、ポロリと一筋の涙を零した。ふたりはギョッとしたように目を見開く。


「い、痛いのか!!?? やっぱ痛いのか!!??」


「と、とりあえず村の奥に僕の家があるから、そこに!!! 専属の医者がいるから、その人に診てもらって!!!」


 ワタワタとするふたりに、彼女は首を横に振った。ポロポロと涙を流し続けるその姿に、リオルも睦月も眉尻を下げる。


「……何が、あったの?」


 問われた疑問。彼女はグズグズと鼻をすすりながら目元を拭った。


「……おとこのひとたち……きて……いたいことされた……っ」


「! お前、声……なんで……!」


「待って睦月。……うん、リレイヌ。それで?」


 優しく問うリオルに、彼女はポツポツと語っていく。


「な、なにかの、どうぐ、なんかいも、ふりおろされてっ……わ、わたし、きられて、そのまま、たべ、たべられてっ……」


「……うん」


「いたくてないてたら、いつのまにか、めのまえ、くらくなってっ……こえ、きこえて、だいじょうぶだよってっ……そしたらめがさめてっ……い、いえにいてっ……わた、わたしっ、こえ、でるようになっててっ……」


「……うん」


「か、かあさまたちっ、いなくてっ……だれも、いなくてっ……でも、そとにでるの、こわくてっ……!」


「……そっか。うん。わかった。もういいよ、リレイヌ」


 そっと手を伸ばしたリオルが、優しく少女の涙を拭う。そのまま彼女を抱きしめた彼に、睦月が「ど、どういうこと……?」と疑問を発した。そんな彼に、泣きじゃくる彼女を抱きしめたまま、リオルは言う。


「これは憶測だけど、きっと、村のヤツらがリレイヌが禁忌だと気づいたんだ。そして、生きたまま彼女を喰った」


「は? そ、そん……そんなこと、普通人間が……や、やらねえだろ……」


「……古の文献に、こんな事が書いてある。『かつて、神は人々に恩恵を与えた。多大なる祝福を。溢れんばかりの幸福の雨を天よりふらせた。しかし、人々は神を裏切り牙を剥いた。天に橋をかけ、神を引きずり下ろさんと反逆した。神の愛する人を殺めた人々。愛する人を殺され、怒りに飲み込まれた神。神はこの時より、人々を殺めることをこの御心に誓い、姿を消した。愛する人の、亡骸と共に──』、ってね」


「……」


 青ざめた睦月を尻目、リオルはそっと腕の中の少女を撫でた。未だ泣き止まぬ彼女は相当怖い目にあったのだろう。カタカタと小刻みに震えている。


「……僕は神を崇め、護る家の人間だ」


 怒りを押し殺すように告げたリオルに、リレイヌはその腕の中、涙に濡れた顔を上げる。グシグシと鼻をすする彼女に、リオルはそっと微笑んだ。


「リオル、おまえ……」


「……止めないでくれよ、睦月」


 反逆者には、相応の罰を。


「僕はこの子を傷つけた輩を許さない。必ず見つけ出し、裁いてやる」


 その為には、準備が必要だ。


「手を貸してくれるね、親友?」


 笑うリオルに、睦月は沈黙。「当たり前だろ」と、そう告げた。

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