07.その血肉は甘美なる味を持つ

 



「……これは……一体……」


 何があった。そう言いたげな声をつむぎ出し、リオルは目の前の惨状に押し黙った。


 割れたランプ、倒れた家具、傷つけられた絵画に、破壊された道具たち。

 何かがこの家の中で起きたことを嫌なくらいに教えてくれるそれに、彼はただ、少女の身を案じた。無事であってくれ。そう願う彼の隣、睦月がクンクンと鼻先を揺らし、顔をしかめる。


「……村の連中の匂いがする」


「え……」


「……」


 黙り込んだ睦月に、リオルもそっと口を閉ざし視線を屋内へ。落ちた絵本をじっと見て、それから開け放たれた窓を一瞥し、再び隣の親友に顔を向けた。


「急いで探そう」


 リオルは言う。


「ああ。手遅れになる前にな」


 頷いた睦月は、まるで忌々しいと言うように、グルル、と喉を鳴らしていた。




 ◇◇◇




「……なあ、ほんとにこんなガキが魔女なのか? 魔女ってのはもっとこう、大人な感じじゃないのかよ」


 小さな少女を囲む男たち。怯える彼女に目を向けた気弱そうな男が、さすがに可哀想と思ったのだろう。疑問を含んだ言葉を口にした。それに、別の男が「騙されるな」と眉を寄せる。


「魔女は自由自在に姿を変えられる。子供の姿をとって俺たちを油断させようっていう魂胆なんだ」


「そうは言っても……」


 やはりこのような幼子を痛めつけるのは気が引けるようだ。気弱そうな男は震える腕をさすってから、「や、やっぱ確認した方がいいって」と口にした。


「誰にだよ」


「そ、それは……あ、ほら!シアナ様! シアナ様とかどうだ? あの方なら魔女かどうかの判別着くと思うし……」


「ばっかお前! シアナ様は高貴な方だぞ! 俺ら庶民が会えるはずねえだろ!」


「い、いやでも……あ! ウェロ。ウェロがいるじゃないか! ウェロならセラフィーユ様への謁見も容易いと思う!」


「そ、それはそうだが……」


 そうして振り返る面々の視界の先、男が一人首裏をかく。やや面倒、と言いたげな彼に、「なあ、やってくれるだろウェロ?」と村人は問うた。ウェロと呼ばれた彼は、無言で連中から顔を逸らし、葉巻にマッチで火をつける。


「やめとけやめとけ。アイツはシェレイザ家の中でも変わりモンだ。今日だってなんで着いてきたのかわかんねーし」


「で、でも頼みの綱はアイツだけだ。この子が魔女かどうか調べられるのは、アイツの力添えがあってやっとだと……」


 むむん、と悩む彼らに、リレイヌは怯えた目を向けつつ、そっと両の手を合わせた。カタカタと震える幼い彼女に、そんな彼女を囲む者らはだんだんと静かになっていく。


「……まあ、その……魔女じゃない可能性も確かにあるから……とりあえず一旦村に連れてこうか……」


「そ、そうだな。リオル様に聞けば詳細がわかるかもしれないし……」


「お、お嬢ちゃん、怯えさせてごめんね? でもちょっとだけ、俺たちに付き合ってもらえないかな? 大丈夫。何も無いと分かればちゃんと帰してあげるから……」


 出来るだけ優しく告げる男たちに、リレイヌはそっと顔を上げた。透き通るガラス玉のような青色の瞳が、困り顔の男たちを映し込む。


「……なあ、いっこ思ったんだけどよ」


 声を発した輩が、つい、とリレイヌを指さし、口元を手で覆った。まるでそうあって欲しくないというような彼は、震えながら言葉を紡ぐ。


「この子の目……シアナ様ソックリじゃないか?」


「「「え……」」」


 発される驚きの声。そして、そっと向けられる視線たち。

 リレイヌはキュッと己の手と手を握り合わせた。不安げな彼女に、ゴクリと、誰かが生唾を飲み込む。


「シアナ様の子だとしたら、この子は禁忌の……?」


「そ、そうだとしたらやっぱり殺さないと……禁忌を生かせば、俺らが死ぬ……っ」


「で、でも、それを確かめる方法なんてないだろ? シアナ様に聞いても隠すだろうし……」


 話し合う男たち。その進まない会話に嫌気が差したのだろう。ウェロたる人物が煙を吐き出しながら「なら喰ってみろよ」と、そう言った。男たちが振り返り、リレイヌはサッと青ざめる。


「龍神の血肉は蕩けるように柔らかく、また甘美なる味を持つ。それに加えてそれを喰らった者はもれなく不老不死だ。悪いことはねえと思うが?」


「そ、それは、だが……」


「んだよ。ここまで来て怖気付くのか? 今まで散々魔女がどうたら騒いでたくせに……ひとひとり殺せる勇気もねえなら、端から魔女狩りなんて酔狂なことすんじゃねえよボンクラが」


「な、なにを!」


 吐き捨てたウェロに憤慨する男。そんな男を止め、リーダー格の輩が一歩前へ。「やめろ」と一言告げると、静かにその目をリレイヌへ向ける。


「……お嬢ちゃん、すまないが手を」


「……、……」


 震えながら、彼女は片手を差し出した。その指先を謝罪とともに僅かに切った男が、滲み出た血を軽く舐めとる。


「……ど、どうだ?」


「血の味か? ちゃんと鉄の味か?」


 ソワソワと忙しなく問う男たちを背後、ガシリとリレイヌの手首を掴んだ男は、そのまま彼女を押し倒し、片手に持っていた鎌を振り上げた。


 ドスンッ


 音をたてて、鎌の切っ先が彼女の肩に叩き込まれる。


「……くくっ、クックックックッ」


 笑う男が、痛みにもがくリレイヌを組み敷いたまま、引きずり抜いた鎌を一瞥。真っ赤な血を滴らせるそれをベロリと舐める。


「うまい……うまい、美味い、ウマイッ!!!!」


 コイツは龍神だ!!!、と叫んだ男に、青ざめた面々。尚も鎌を振り上げる男から、ウェロは静かに顔を逸らす。


「喰え!!! お前らも喰うんだ!!! 有り得ないくらい美味い味だ!!! この世にまたとない味だ!!! 幸いにもこのガキは黒髪、つまり禁忌!!! 喰っても誰も文句は言わないっ!!! 俺らは不老不死になり得るんだ!!!!」


 ズドンッ、と再び落とされた鎌の切っ先に、リレイヌは歯を食いしばる。そのまま声も無く涙を流す彼女に、ソワソワと動いた連中が、各々手を伸ばしていった。傷ついた肌から血を掬いとって舐めた連中が、次々とその目を狂気に変えていく。


「うまい」


「最高だ」


「これで俺らも神々に」


「もっと寄越せ」


「もっと、もっと!」


 ズドン、ズドン、ズドン。


 落とされる鎌が彼女の腹を裂いた時には、既に少女は絶命していた。息もなくただの屍となったその姿を、その場に現れた彼女の母は、目を見開きただ見つめる。


「……やめて……」


 貪られる娘の姿に、シアナは一筋の涙を流す。


「私の子を……私の娘を離してッ!!!!」


 劈くような、悲鳴にも似た声を荒らげ、シアナは叫んだ。瞬間、轟いた雷鳴。強まる雨足に、狂気を宿した男たちは振り返る。


「……ああ、これはこれはシアナ様……」


 ふらりと立ち上がった男が、滴る赤を拭うことなく笑った。その姿に睨みをきかせるシアナを、カラカラと彼らは笑い飛ばす。


「親愛なる創造主よ。我らが愛しき龍神よ。今、我々は永遠を得た。それもこれも貴方様がこのように甘美なるモノを授けてくれたから……ありがとうございます。感謝致します」


「ふざけたことをっ!!!」


「そう怒鳴りますな。そもそも、貴方様が悪いのではありませんか。禁忌を産んだ、貴方様が……」


 言って男たちはまた少女の体を貪り出す。それに青ざめたシアナが駆け寄ろうとすれば、それをウェロが止めに入った。手にしていた作物用の大道具でシアナを攻撃した彼は、捕らえた彼女を静かに見下ろす。


「お願いっ、おねがいっ……!」


 悲痛な声を上げ、捕らえられた女は乞うた。

 それを嘲笑うように、幼き子の体を貪る人間たちは、その甘美なる味に舌鼓を打つ。


「おねがいっ、やめてっ、その子は、その子だけはっ……!」


 もう手遅れだとわかっていながらも、願わずにはいられない。


 シアナは懇願するように子への救いを求めた。既に大半の臓器を失った子の体は、ピクリとも動かない。だが、それでも良かった。体さえ取り返せれば、あとはどうとでもなったのだ。


「なんでもしますっ! だからどうか、その子にはもう手を出さないでっ!! お願いしますっ!! どうか、どうかその子を解放してっ!!!」


 シアナは叫び、人間共はそれをケラリと嘲笑う。


「龍の神が人間如きに懇願するか……堕ちたものだな、シアナ・セラフィーユ」


「っ、……」


「そんなに返して欲しいか? この悪しき龍の亡骸が」


 シアナはヒトの言葉に一度だけ、ゆっくりと頷いた。

 それに、彼らはゲラゲラと笑いをこぼす。


「いいとも、我らが麗しき龍の神、シアナ様。あなた様のその懇願を受け入れ、我々はこの使えぬ遺体を返しましょう。その代わり、アナタ様には明日、我々の手で死んでもらう」


「構いません。どんな罰も受け入れます。その子を返してくれるなら、どんな事をされても構いません」


「はっはっ! いい覚悟だ。では、コレはお返ししようとも」


 ポイッと放られた小さな体。血塗れのそれを手探るように抱きしめ、シアナはポロリと涙をこぼす。


 こんな事になるのなら、ヒトなどと仲良くさせるのではなかった…。


 後悔してももう遅いことを思考し、彼女は立つ。ややふらつきながらもしっかりと地面を踏み、ヒトの目を一身に浴びながら、彼女は移動。誰もおらぬ、戸の開け放たれた家の中へ入ると、そっとベッドに子を寝かせ、その額にキスを落とす。


「大丈夫。大丈夫よ、リレイヌ」


 そっと子の頭を撫で、彼女は微笑む。


「アナタには私も、先代様たちもついてる。だから大丈夫。きっと、辛いのは今だけ。きっと、未来は明るいわ」


 だから、今はおやすみ。


「睦月くんたちと、仲良くね?」


 そっと離れた手が、彼女が、家を出ていく。

 その姿を見ることもできず、子の亡骸は残された。

 暗い家の中で、ただぽつりと……。

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