06.予期せぬ事態
「おい、本当なんだな?」
生い茂る草木の中、ひとりの男が言った。
「ああ、確かに見た。リオル様と睦月が森の奥へ入っていくのを……」
それに答えたのは、気弱そうなひとりの男。
「あの噂が本当だとしたら、ふたりはきっと……」
どこか怯えたように呟いた男を、別の男が「弱気になるな!」と一喝する。
「リオル様は賢い方だ。睦月はともかく、あの方が間違えることは断じてありえない」
「だ、だが……」
「真実を確かめるんだ。森の奥にある真実を……」
ごくりと、誰かが生唾を飲み込む。まるでこれから起こることを恐怖するように。
「……行くぞ」
先頭に立つ男が言った。それに頷く者らは、ゆっくりとした足取りで、森の奥──そこに存在する、小さな家に向かっていく。その手に、刃物などの武器をたずさえて……。
◇◇◇
「今日はとてもいい天気ですねぇ」
トランプのエースが言う。のんびりと絵本を読みながら家の中で過ごすリレイヌに向けた言葉は、無事届いてくれたようだ。彼女はくるりと振り返り、ニコリと笑う。
「いい天気ではあるが、そうだというのにあの小童共が来ないではないか」
格子柄のチェスボードの上、キングの駒が憤慨したように文句を述べた。その目の前、ナイトの駒が「ころさないで……っ」と叫んでいる。なんだか見ていてすごく哀れだ。
「本日はお嬢様の元へ訪れない気なのでしょうか?」
絵画の女が口ずさみながらそう言った。これに、「そんなことは許されない!」と手品の小道具が異論を発す。
「お嬢様の初めてのご友人がそんなことではダメでは無いですか! ココはワタクシめが物申しに……!」
「やめろ。お前が行くとややこしくなるだろう」
サッと止めた絵画の男が、「それに、そんな時もあるだろうさ」と口にした。彼らは外の人間。この家の中で全てを完結させているリレイヌとは違うのだ。やることもあればやりたいこともあるだろう。
そう告げる男の言葉に頷くリレイヌ。他の家具や小道具たちは「しかし……」、「でも……」と不安げだ。
「このままもしもあの子らが来なかったら、お嬢様はまたひとりぼっちになってしまう……」
「そんなことを想像するからいけんのだ。お嬢様はあの子らを信じている。なれば我々も信じてやるべきではなかろうか」
「そうは言っても……」
コンコンッ、とノック音。
響いたそれに「来たぞっ!」と誰かが言った。次いで、掃除中の黒い物体がちょこんちょこんと積み重なり、そのまま移動。扉を開けようと一番上にいた物体が手を伸ばす。
ギィ……。
重苦しい音を立て、まるでそれを拒否するように扉が開いていく。そうしてその向こう側、見えた者らの姿は、皆の予想しない者の姿だった。
「……ピエッ?」
黒い物体がそんな音を発した直後、それらは音を立てて潰された。スコップの側面で綺麗に押しつぶされたそれに、誰もが言葉をなくして侵入してきた者らを見やる。
「……噂は本当だった」
誰かが言った。
「アイツら、魔女に騙されてたんだ……」
恐れるように言葉が発される。
「見ろこの魔法溢れる家の中を! そこら中に変なものがいやがる……」
「魔女は悪しきモノ……すぐさま捕らえて火あぶりの刑に処さないと……」
「殺せ」
「ころせ」
「コロセ」
土に塗れた靴をそのままに、土足で侵入して来る輩ども。その狂った目に何も言えずに窓際で座り込むリレイヌに、「お逃げください!」とトランプが叫んだ。しかし、震える彼女は動けない。
皆の頭上でチカチカと点滅していたランプが赤く光る。
それらはやがて音をたてて割れ、その音によりハッとしたようだ。リレイヌは狼狽える者らをよそ、窓から外へと飛び出ていく。
「待てッ! 魔女めッ!」
背後で上がる怒声に恐怖しながら駆け抜けた。
草木をかきわけ、紛れるように森の中に入っていく。
「お嬢様! ひとまずシアナ様の所へ! あの方の傍なら、きっと──!」
着いてきていたようだ。肩に乗るトランプのエースが声を発した。それに頷くことなく右往左往と視線を迷わせ走るリレイヌは、やがて何もみにつけていない足をゆっくりと止め、停止する。
「お嬢様! おはやく!」
トランプが言った。
しかし、それよりも先に、小さな少女の視界に写ったのは、沈みゆく夕陽の姿。オレンジ色の優しいそれにキラキラと目を輝かせた彼女は、一歩、前に出て、そして──
「みつけた」
慌てて振り向く前に、肩まである髪が掴まれ、引っ張り上げられた。トランプが叫び、彼女の肩を転がり落ちる。
「前々から臭うと思ってたんだよな……お前、シアナ・セラフィーユの隠し子だろ?」
背後にいる人物を見ようとするも、生憎とそれが許されない。
もがこうとすればもがこうとするほど強く髪を引かれ、力強く地面に叩きつけられた小さな少女の小さな頭。その頭上、彼女を見下ろす男はひそりと小さく息を吐き、こう言った。
「んでもって、ヘリートの娘でもあるだろう?」
青い瞳が見開かれる。
そんな彼女の耳元で囁くように、男はいった。
「アイツ、自慢げに話してたぜ。僕には素晴らしくかわいい娘と素敵な妻がいるんだって。病弱なため家には連れて来れないが、とても幸せな家庭を築いてるって……」
「……」
「……それを俺に言うなんて、馬鹿なヤツだよな、あの野郎も」
手が離され、解放される。それに動いたリレイヌが振り返り、顔を上げようとした直後、首を掴まれそのまま力を込められた。大人の男の力だ。当然、小さな彼女は抗うことも出来ず、目を見開いてハクハクと無意味に口を動かす。
「おい、殺すなよ」
追いついてきたのだろう。クワを持った男が言った。
汚いものを見下すように冷たい目を少女に向ける彼は、恐ろしいと言いたげに口を開く。
「魔女の死体からは毒が出る。だから火で炙るんだ」
「……へいへい」
男の手が離れ、少女は咳き込む。その際、彼女は切り刻まれたトランプを目にしてしまった。そして、理解もした。自分も今からこうなるのだと。
青ざめる少女を、男たちが囲む。そんな彼女らの頭上に広がる空は、いつの間にか曇り、冷たい雨を降らせていた……。
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