第8話 料理のお味は
「よし、それじゃあ仕上げに入るぞ」
「らじゃです!」
煮込み終えた鍋の前で葵がぐっと拳を握る。
微笑ましい姿に小さく笑みを零し、傍に置いている箱を指差した。
「まずはルゥを溶かす。全部一度に入れる人も居るけど、俺は溶けたか分からないから一個ずつ溶かしてるな」
「ならそのやり方でいきます。それで、箸で掴みながらですか?」
「いや、レードルに乗せて、少しずつ鍋の中身と混ぜながらだな」
「……れーどる、って何ですか?」
こてんと可愛らしく小首を傾げ、澄んだ瞳が空を見つめる。
何となく子供っぽいような気がして調べた別名をつい言ってしまったが、料理初心者の葵には伝わらなかったらしい。
微妙に羞恥が沸き上がるのを自覚しつつも、必死にそれを押し込める。
「お玉だよ。用意してるだろ?」
「ああ! これってかき混ぜる為じゃなかったんですね!」
「いやまあ、かき混ぜる為にも使うけどな」
別名を口にした事を突っ込まれるかと思ったが、葵は特に反応しない。
内心でホッと胸を撫で下ろし、葵へ指示する。
「焦らず少しずつやっていけ。一個溶かしたら鍋の中身をかき混ぜるのを忘れないようにな」
「はーい」
葵は空の指示に従い決して焦れる事なく、けれども手際良くルゥを溶かしていく。
野菜を切ったりしている時もそうだったが、彼女は割と器用なのだろう。
昨日の失敗は本当に空を気遣うが故だったようだ。
(にしても、女子と家で料理を作るとは思わなかったなぁ……)
空がする事は特にないので、葵の作業を見つつ思考を巡らせる。
今まで女子を家に上げた事などなかったし、上げる人も居なかった。
なのに、昨日知り合った――空は覚えていないが再会したと言った方が正しいか――女子とこうして料理している。
普通ならばお互いに戸惑いや緊張といったものがあるはずなのに、彼女にはそんな様子など見られない。
そして空もこの状況に馴染んでおり、むしろ楽しさすら感じている。
(そういう雰囲気を出せる所が人気なんだろうな、多分。知らないけど)
葵は第一印象ですら人気が出そうなのだ。
その上、空のような取っつきにくい人間とさえ円滑なコミュニケーションを取れるのだから、間違いなく高校で有名になるだろう。
あくまで空の予想ではあるがしみじみと思っていると、ルゥを全部溶かしたようで蒼色の瞳が空へと向いた。
「次はどうしましょうか?」
「後は隠し味を入れて完成だな」
「隠し味! いよいよせんぱいの味にするという事ですね!」
「……そんな大層な事はしないけど」
元々、市販のルゥだけでも普通のものが出来るのだ。
勝手にハードルを上げられて苦笑を零してしまう。
「使うのはケチャップ、とんかつソース、ウスターソース、すりおろしたにんにくだな。にんにく以外は全部大匙一杯だ」
「はえー。とんかつソースとか使うんですね」
「他にもめんつゆとか蜂蜜を使うのもあったけど、俺はこれが一番美味しかったんだよ」
隠し味に何を使うかはそれぞれの好みでしかない。
あくまでも空の中での基準だと口にすると、葵が目を輝かせた。
「成程、つまりこれがせんぱいにとっての最適解ですか。ならこれを基準にします」
「いや、基準にするかは自分で食べて判断してくれ」
「必要ないですって。せんぱいが言った事ですから」
「……さいですか」
全幅の信頼を寄せているのが分かる眩しい笑顔は、受け止めるのが大変だ。
溜息をついて肩を竦め、鍋の中に視線を移す。
「後はきちんと混ぜて完成だ。飯も炊けたし、盛り付けるぞ」
「はい!」
大皿を出して白米をよそい、次に鍋の物を入れる。
葵も同じように盛り付けてテーブルに置けば、これぞカレーと言えるものが出来上がった。
「「いただきます」」
二人で手を合わせ、カレーを口に含む。
しっかりと火の通ったじゃがいもに人参と玉葱、そして鶏肉。
それらがカレーの味としっかり合わさっている。
空がいつも作っている手順をそのまま葵に行わせたので、空とほぼ変わらない味になっていた。
「ん、美味い」
「ホントですか!?」
「ここで嘘をつく理由が無いだろ。朝比奈は口に合わなかったか?」
「そんな事ありません! すっごく美味しいです!」
「ならよし。作った本人が満足しないと駄目だからな」
葵は空の口に合うように味付けしたかったようだが、空は違う。
そして空の願いは叶ったようで、葵は輝かんばかりの笑顔を浮かべていた。
どうやら、空と葵の味の好みは似ているらしい。
「私でもこんなに美味しいカレーを作れるんですねぇ……」
「料理は手順通りに作れば大失敗はしない。昨日も言ったが野菜炒めはあれこれ考え過ぎだし、カレーの美味しさに関しては朝比奈が頑張ったからだ」
「そんな事ありません。せんぱいの指示が良かっただけです」
「普通の事しか言ってないっての」
野菜の切り方、煮る時間等、空はあくまでも一般的な事しか指示しなかった。
この程度、調べたらすぐに分かる事だろう。
なのに真っ直ぐに空を見つめる蒼色の瞳が眩しくて、視線をカレーへと向けた。
「ふふ、それでも私はせんぱいに教われて良かったです。ありがとうございました」
「……おう」
全力でぶつかって来るような心からの賞賛は、正面から受け止められない。
頬に熱が上るのを自覚しつつ短く応えると、くすりと小さな笑い声が耳に届いた。
「明後日からもお願いしますね」
「それは変わらないんだな」
「当然です。カレーだけで満足するつもりはありません」
「はいはい。分かったよ」
カレーを作れただけでも十分だと思うのだが、やはり葵は満足しなかった。
諦めにも似た境地で葵の顔を見れば、上機嫌そうに唇をたわませている。
「カレー、美味しいですね」
「……ま。そうだな」
「それで、出来ればおかわりをいただきたいんですが、いいですか?」
先程までのくすぐったい雰囲気が、葵の発言で一気に霧散した。
申し訳なさそうにしつつも発言を取り下げるつもりはないようで、へにゃりと緩んだ微笑を見せている。
気の抜けた姿に、つい空の頬も緩んでしまった。
「意外と良く食べるな」
「そうなんです。駄目ですか?」
「いや、別に。米は多めに炊いたから好きなだけおかわりしてくれ」
「ありがとうございます!」
美味しいカレーに、不思議と一緒に居て緊張しない相手。
一日の最後にこんな楽しい時間も悪くないと思ったのだった。
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