第6話 連絡先

「という訳で、まずは連絡先を交換しましょう!」

「何が『という訳』なんだよ」


 明日、葵に料理を教えるのが決まった後、彼女は眩い笑顔を浮かべて提案してきた。

 唐突に話が変わった事で思わず突っ込みを入れてしまったが、後悔などない。

 葵はというと空の反応を予測していたのか、自信たっぷりの表情で口を開く。


「今日のようにせんぱいの家に行くのが遅くなった場合に、連絡が出来ませんから」

「……それは一理あるけど、どうせ春休みなんだ。多少遅れた程度じゃ気にしないぞ」


 空はバイト以外に時間を拘束される事がなく、基本的に暇だ。

 それに、一時期は騙されたかと不安を抱いていたが、流石にもう葵を警戒してはいない。

 何時間でも待つつもりなのだが、彼女は勢い良く首を振る。


「私が気にするんです。さあさあ、交換しましょう!」

「はぁ……。分かったよ」


 瞳を輝かせてスマホを取り出す葵の姿に溜息をついたものの、反論は諦めた。

 空もスマホを取り出し、アプリを起動して連絡先を交換する。

 あっさりと交換は終わり、空のスマホに『朝比奈葵』という名前が表示された。

 家族ではない女性の連絡先を知れた事に、僅かだが胸が弾む。

 ちらりと葵へ視線を向ければ、彼女の顔がとんでもない事になっていた。


「せんぱいの連絡先。…………ふへっ、ふへへっ」


 笑顔が似合うのは当然として、慌てたり落ち込んだりしても美少女は様になる。

 しかし、だらしなく頬を緩める姿はいかがなものだろうか。

 勿論それで嫌う事はないが、指摘くらいはすべきだろう。


「喜んでくれるのは嬉しいけど、あんまり人前でそんな顔するなよ。引かれるぞ」

「はっ!? す、すみません、忘れてください!」


 葵としても無意識の行動だったらしい。

 白磁の頬を淡い紅色に染めて懇願してきた。

 絶対に忘れられないだろうなと思いつつも、これからの関係にひびを入れたくないので頷く。


「それで今更だが、作るのは晩飯じゃなくて昼飯でも良いぞ?」

「日中は用事が有るみたいですし、ちょっと夜遅いですけど晩ご飯の方が良いかなって思ったんです」

「ああ、そういう事か」


 日中、スーパーから帰ってきて葵と別れた際に「晩飯まで出かける」と言って帰ってくる時間を伝えたが、彼女はそれを気にしているようだ。

 先程家に来るのが多少遅れても良いと空が言ったのもあるかもしれない。

 気を遣わせてしまったと苦笑を零し、肩を竦める。


「用事はバイトだから、昼でも構わないけどな」

「せんぱい、バイトしてるんですね」


 自炊していると告げた時と同じ、尊敬の眼差しを向けられた。

 妙なくすぐったさに僅かだが視線を逸らす。


「ああ。自分で自由に使える金が欲しいんだよ」

「……凄い、です」


 眩しい物を見るような、自分では絶対に追いつけないものを見るような、羨望が込められた蒼色の瞳が空を見つめた。

 先程までとは違う葵の雰囲気に内心で驚きはしたが、彼女も訳ありなので思う所があるのだろう。


「そんな事ない。高校生でバイトしてる人なんていくらでもいるしな」

「でも――」

「それはそれとして、朝比奈は晩飯でいいのか?」

「は、はい。大丈夫です。せんぱいがバイトから帰ってきて疲れてなければ、ですけど」

「全然問題ない。それじゃあ明日の夜だな」


 強引に話題を切り替えて話を纏め、腰を浮かせる。

 明日の詳細まで詰められたのだ。寝るのが早い人ならば就寝している時間なので、流石に葵を家に居させる訳にはいかない。

 彼女も話が一段落したからか、今までとは違ってあっさりと席を立つ。


「はい。改めて、よろしくお願いしますね」

「ああ」


 荷物を纏めた葵の後ろに付いていき、玄関へと辿り着いた。

 家は隣なので、わざわざ玄関の外まで見送る必要はないだろう。

 空と同じ考えのようで、靴へと履き替えた彼女はくるりと振り向いて可愛らしく目を細める。

 


「また明日です。おやすみなさい、せんぱい」

「……おやすみ」


 時間が時間なので、変な挨拶ではない。

 それでも、短い言葉は何故だか空の心を揺さぶった。

 僅かに返事が遅れてしまったものの、それでも空の言葉に葵がはにかむ。

 そのまま彼女は玄関を後にし、パタリと扉が閉まった。


「……本当に、凄い事になったな」


 玄関からリビング、そして風呂場に向かいつつ独り言ちる。

 隣に引っ越してきた人が美少女で、しかも覚えていないとはいえ空と関わった事のある人物。

 そんな人と出会って一日で、次の日に一緒に料理をする約束までしてしまった。

 後悔は欠片もないが、怒涛のように押し寄せる状況にいまいち実感が湧かない。

 妙にふわふわとした気持ちを抱きながら、風呂の用意をする空だった。

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