第4話 苦手意識を無くして

 空が晩飯の準備を終えるとすぐに呼び鈴が鳴ったので、玄関に向かった。

 相変わらずの申し訳なさそうな顔をした葵を家に招けば、おっかなびっくりという風に入ってくる。


「お、お邪魔します……」

「おう」


 未だに罪悪感にさいなまれているのか、それとも男の家に入って緊張しているのか。

 どちらか分からないし、フォローをする必要もないだろう。

 そう判断してくるりと身をひるがえしし、リビングへ葵を案内する。

 何の変哲もないリビングに辿り着くと、彼女が目を丸くした。


「何というか、綺麗にしてるんですね」

「汚部屋を作る趣味は無いんでな」


 部屋の片付けが面倒になる時は確かにある。

 それでも、綺麗にしておかないと落ち着かない。

 昔からの習慣なので自慢する事でもなく、肩を竦めてテーブルに近寄った。

 テーブルの上に準備した物を見た葵が、ぴたりと面白いくらいに動きを止める。


「え、あ、お皿とか……」

「そりゃあ準備するだろ。タッパーに入れたまま二人で食べるのは変な気がするし、飲み物だって必要だからな」

「もしかして、せんぱいの手間を増やしましたか?」

「んー。どうだろうな」


 正直なところ、空の手間だけを考えたらタッパーに白米を詰めて葵の家に行く方が良かった。

 それは分かっていたものの、彼女の剣幕に押されて流されたのは確かなのだ。

 責めるつもりはないと、首を傾げて惚ける。

 しかし葵は空が誤魔化したのをしっかり見抜いたようで、可愛らしい顔立ちが絶望に彩られた。


「あぁぁぁぁ……。結局迷惑掛けてるぅ……」

「はいはい。取り敢えず食べるぞ」


 今にも崩れ落ちそうな葵に小さく苦笑し、着席を促す。

 落ち込んでいても始まらないと思ったのか、沈んだ表情をしながらも座ってくれた。


「皿は用意したし、野菜炒めだけじゃなくて米もタッパーから移していいからな」

「そんな事出来ません! お米はこのまま食べます!」

「……まあ、朝比奈がそれでいいなら」


 全く使っていない予備の茶碗を一応置いていたのだが、どうやら使わないらしい。

 無理に勧めるものではないので流して、自らの白米を準備しつつ葵が色の変わった野菜炒めを皿へと移すのを眺める。

 タッパーから出て来た一つ目の野菜炒めは、一度見た明らかに濃い色をしているものだ。

 そして二つ目はというと、一つ目よりも焦げが酷くなっている。

 あえて感想を口にせず、体の前で掌を合わせた。


「「いただきます」」


 明らかに失敗しているとはいえ、目の前に料理があるのだ。

 空腹はもう限界であり、まずは濃い色をした野菜炒めへと箸を伸ばす。

 そんな空をへにゃりと眉を下げた葵が見つめていた。


「あの、ホントに食べるんですか?」

「は? ここまで来て食べないなんて有り得ないだろ」

「いやまあ、そうですけど。すみません……」

「謝らなくていいって。まあ、美味しいとは言えないだろうから、そこは諦めてくれ」

「分かってます」


 美少女の手料理なのだから、どんな味であっても美味しいと言うべきだと主張する人は居るかもしれない。

 しかし明らかに失敗している以上、下手なお世辞は葵を傷付けるだけだろう。

 一応予防線を張っておくと、覚悟が決まっているような真剣な表情で頷かれた。


「それじゃあ改めていただきますと。……んぐ」


 濃い色の野菜炒めを口に含むと、空の予想通り濃過ぎる味が口の中に広がる。

 ほぼ間違いなく調味料を入れ過ぎたのだろうが、最早妙な辛さまで感じる程だ。

 とはいえ絶対に食べられない訳ではなく、白米で中和しながら咀嚼そしゃくする。


「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。何とか食べられる」

「あの、その……」

「落ち込むよりも手を動かせ手を。俺一人じゃ絶対食べきれないから」


 葵が料理の失敗に落ち込んでいるのは分かる。失敗作を空に食べさせるのが申し訳ないのも十分理解した。

 しかし、ずっと落ち込んだままで居ては空気が重くなる。

 勿論反省は大事だし、開き直られると腹が立っただろうが、これ以上引きっても良い事などない。

 気分を変えさせるべきだと食事を促せば、おずおずと葵が野菜炒めを口に運んだ。


「んぐっ。美味しく、ないですね」

「そうだな。明らかに調味料の入れ過ぎだ。それにこっちは味が妙に薄いし焦げてるから、大方味付けに悩んでるうちにこんな状態になったんだろ」

「はい。……こんなつもりじゃなかったんです」


 焦げた料理特有の固い感触を味わいつつ、葵の言葉に耳を傾ける。

 食事の際に話題を提供し続ける性分ではないが、会話を禁止するつもりもない。

 葵の気が紛れるのなら、この状況になるまでの説明を聞くべきだろう。


「本当は、せんぱいが帰ってくる時間帯に合わせようと料理してたんです」

「でも失敗して、濃過ぎる味付けになったと」

「はい。せんぱいは男性ですし、濃い方が良いかなと思って」

「……そうか」


 失敗した理由が、まさか空の好みに合わせようとした結果だとは思わなかった。

 とはいえ、葵には空の好みなど伝えていない。

 分かるはずもない答えを求めた結果、やり過ぎるのは当たり前だ。

 それでも空の事を考えての行動に胸が温かくなり、短い言葉しか返せなかった。


「でも失敗して、急いでスーパーへ買い物に行ったんです」

「だから野菜炒めが増えてるのか」

「ですね。流石に濃くなった味はどうにも出来ないので。……まあ、次はどうなったか、せんぱいの予想通りなんですけども」


 今度は薄めにしようと思ったが、どこまで薄くすればいいか分からない。

 そうして出来たのが、焦げが酷い野菜炒めだった。

 二十一時に空の家に来たのは、これ以上待たせる訳にはいかなかったからだろう。

 スーパーが閉まってしまうので、もう手のほどこしようが無かったのもあるはずだ。

 葵のこれまでの行動が腑に落ち、呆れ気味な微笑を零す。


「何というか、色々考え過ぎだ。朝比奈の感性で作ればいいんだよ」

「でも折角なら美味しい物を食べて欲しくて」

「それで典型的な料理が出来ない人間の思考になってどうする。気持ちは嬉しいけど、慣れるまでは普通に作れって」


 野菜炒めの味からすると、葵は加減が分からなかっただけだ。

 そもそもそういう類の人間を知らないが、彼女は絶対に料理が出来ないタイプの人間ではない。

 変な気を遣うなと肩を竦めれば、露骨な苦笑ではあるがようやく葵が笑った。


「そう、ですね。すみません」

「まあ、これはこれでいい体験になった。ありがとな。それと、すまん」

「お礼を言われる事じゃないと思うんですけど。というか、何で謝ったんですか?」

「何となくだよ。気にしないでくれ」


 葵には第一印象で明るい人だからと、いかにも学校で人気になりそうな人だからと苦手意識を持っていた。

 その意識は一緒に買い物をする事で多少和らいだが、それでも避けるべき相手だと認識していたのだ。

 しかし空の事を考えて料理を作ってくれたし、多少強引に話を進める事はあれど、決して無遠慮に踏み込んで来ない。

 なので考えをきちんと改めるべきだと判断しての謝罪だったのだが、詳細を伝える必要はないだろう。

 話を切って野菜炒めに視線を戻せば、葵が安堵と喜びの混ざったような、気の抜けた笑みを浮かべているのが視界の端に見えた。


「……分かりました」


 自分の家で、女性と二人きりの食事。

 初めての出来事は、意外にも穏やかに進んだのだった。

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