パンデモニアム中枢域

 有明は転移門を潜り、仄青い光が満ちる空間に出た。

 そこは「異界ダンジョン」と呼べるかも分からない場所で、シンプルに何もない。壁は無く、天井も無くて、空間がどこまでも広がっている。

 有明は空中に立っていた。不可視の透明ガラスに立っているようなものだ。

 人影は見えない。


「なにここ」


 そう呟いたとき、有明の五十メートル先に汚泥らしきものが出現し、サタケが姿を現した。彼はいつもの緑色コンビニ制服だが、仮面は付けていない。

 有明は大剣「黄昏」を呼び出し、右手で掴んだ。


「警察の姉ちゃんが来るとは思わなかったわ。お前らが無能で助かったぜ、おかげで杉谷を殺せたからな!」


「……あなたの悪運が強かっただけ。ここはどこ」


「新しく作ったマイお城。万魔殿パンデモニアムって名前にしてみた。どう、このネーミングセンス。カッコよすぎてマ〇コ濡れるだろ」


「中二病かな」


 有明は大剣を振りかぶり、ぶん投げる。剣はまっすぐ飛んでサタケの腹を貫いた。背から剣身が飛び出る。普通は致命傷だが、サタケには大したことではない。

 腹を貫かれたサタケは、ただ、嫌らしい笑みを浮かべるだけだった。


「ごめんね、一億回たおす」


 有明は駆け出し、一億分の一十ナノ秒でサタケに肉薄する。

 次の十ナノ秒で剣をひっこ抜いて袈裟懸け、次は燕返しの切り返し、次で首を切断――ほんの一秒で一億回サタケを切った。

 サタケの体は血煙と化し、空に溶けて消える。


「先手必勝だよ」


 負荷の高さを物語るように有明の額にうっすら汗が浮かぶ。酸素を求め、大きく息を吸った。

 後ろでごぼりと音がした。拍手が起きる。

 有明が振り返ると無傷のサタケが笑って立っていた。


「その程度で殺せると思った? 残念!」


「……あなた、深見の動画だとライフゲージが百十万くらいだったよね。一億回ならたおせると思ったんだけど。違うのかな」


「このマ〇コひでえ、挨拶代わりに殺すなよ! どんな教育されたんだ、暗殺者の一家か? けしからん、実にけしからん。僕ちゃんので更生させてやる。キモチいいゾ~? にゃははははは!」


 サタケは犬のように腰を振って煽る。

 有明はゆっくりと剣を構えた。所作に動揺なし。殺しきれない可能性や、サタケの暴言は想定済みだったのだろう。


「何回たおせばいいの。教えて」


「教えてやってもいいがお前のマ〇コ使わせr――」


 再びサタケの体が血煙と化す。有明による七千万回切り。彼女は息を切らせ、額の汗をぬぐった。

 十メートルほど向こうに汚泥が現れてサタケとなった。みじん切りは無効だ。


「まぁまぁ焦るなよマ〇コ」


「有明! 有明朝日だよ」


「おいメス犬、股を開け。挿入れてやるわ」


 怒る有明は唇を歪ませ、険しい目つきで剣を振りかぶった。

 その時サタケの姿が消え、キス出来そうなほど間近に現れる。有明の十ナノ秒移動をコピーしたような動きだった。

 サタケの体臭はゴミみたいで、吐息は腐っている。有明は胸のむかつきを覚えた。


「何回、殺せば、いい? 後で教えてやる。それよりも僕ちゃんと一緒に世界の終末動画を見よう」


 サタケはくるりと身を翻して数歩進み、ぱちりと指を弾く。空中にパソコンのウインドウを模した画面が何百枚も現れた。全てに動画プレイヤーが映っている。


「僕ちゃんライブ配信見てたんだよ。世界のいろんな都市で、エライ人もエラくない人も分け隔てなく平等に殺されちゃう動画! 一緒に楽しもう! にゃはははは!」


「……え?」


 有明は一つのウインドウに目を向ける。

 モンスターが雪崩れ込みつつある首相官邸が映っていた。


―――――――――――――――――

 黒い影のようなモンスターらは官邸の庭を突っ切り、レンガ造りの公邸――首相の住居に突っ込む。

 護衛と思わしき銃の発砲音がいくつかあったが、直ぐに止んだ。


 画面が切り替わる。公邸の内部だ。

 モンスターらは大ホールや応接室などの扉を叩き壊し、壁を破って人を探す。

 護衛から清掃スタッフまで一切の区別なく、モンスターは手当たり次第に殺した。


 一階では人狼ヴェアヴォルフの群れが鼻をひくつかせている。匂いを探しあてたか、人狼ヴェアヴォルフは小さな部屋に入り、爪を立ててカーペットを引っかいた。

 カーペットがめくれ、鉄扉が姿を現す。緊急避難路の入口。


 お目当てのものを見つけたかのように、人狼ヴェアヴォルフは吠えた。

 声に導かれるように一体のトロールが現れて、鉄の扉を何発も殴った。殴るたびに扉がひしゃげていく。

 トロールはガタガタになった扉の取っ手を掴み、思い切り引っ張る。蝶番が飛び、扉が外れ、地下通路へのはしごが見えた。

 三匹の人狼ヴェアヴォルフは喜びの声を挙げながら地下通路に飛び込んだ。


 暫くして、隅田首相の首を咥えた人狼ヴェアヴォルフが地下通路から姿を現す。

―――――――――――――――――


「……うそでしょ」


「サタケ・チャンネルはいつもガチンコ! ヤラセなしに決まってんだろ! おもちろおおおおおおい! にゃはははははははは!」


 別のウインドウでは、米国の地下陣地バンカーの内部と思わしき映像が映っていた。

 モンスターの群れがコンクリートの廊下を走り、プレスルームの扉を蹴り破って室内に入る。カメラを前に米国大統領が演説を行っていた。

 モンスターらは演説中の大統領に飛び掛かって殺した。


 他のウインドウにはそれぞれ、中国国家主席、露大統領、EU各国首脳がモンスターに殺される場面が映っていた。

 そのまた別ウインドウでは、ブラジルのサンパウロ市街がモンスターに襲われて壊滅しつつある風景があった。

 その他複数の窓で、インド、アフリカ、オーストラリア……世界主要都市がモンスターに破壊されていく動画が再生された。


 終末の配信ライブ


 過去生で何度となく経験した終末世界を思い出し、有明の顔から血の気が失せる。剣を取り落とした。


 そんな彼女を見て、サタケは腹の底から笑う。最高に良さそうで、笑いすぎて目に涙が浮かぶほどだ。ひとしきり笑ったサタケは目を拭った。


「そうそう、の朝日ちゃん、大切にしてる家族いるよね? お父さんとお姉ちゃん」


「……あなた、なんで知ってるの」


「僕ちゃんは王だから。モンスターと知識を共有しているから。死体の脳みそをチューチューするのが好きなモンスターもいるんだけど、そいつ、記憶をリカバリーするのが得意なんだよね。ここまで言えばお察しできるかにゃ?」


「それって誰の記憶かな」


「護衛のポリ公。お父さんとお姉ちゃんも食べちゃったってさ!」


「ふざけないで! おっけー、れーめ……」


 有明は例の合言葉を呟き、心中で家族の安否を尋ねた。

「黎明」の応答なし。

 指輪が放つ光は今にも失われそうなほどに微かとなっていた。

 

「……え」


「もしかして朝日ちゃん知らないのかにゃ? それって誰かが死ねば死ぬほどパワー無くなるんだわ。生命の象徴だから。朝日ちゃんだけになったら指輪はオモチャで、お前はただのオ〇ホになる。待ち遠しいね!」


 サタケの姿が消えて、有明の眼前に現れた。

 サタケがボディーブローを放つ。腹に貰った有明は腰砕けになって倒れ、えずいて胃液を吐いた。


「嘘だよ、まだ朝日ちゃんの家族は生きている。一人しぶとい護衛がいてよかったね。じゃあ、さっきの質問に答えようか。あと何回僕ちゃんを殺せばいいでしょうか?」

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