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 ベランダにいたのは老人だった。

 ストーカーはもっと若い奴だったから、ひとまずは安心したよ。引っ越し先がバレたわけじゃない。

 たぶんこの近所に住んでる徘徊癖のある人なんだろう。警察にまかせればいいだろうけど、とりあえず声かけてみようか、なんて考えてたらね、老人と目が合った」


 話聞いてる? と隣の男に目で問いかける。

 男はキャラメルとコーヒーのハーモニーを楽しんでいるのか、嬉しそうに目を細めている。……なにそのコーヒーの飲み方。ちょっとおいしそうじゃん。

「目が、ね。こう、なんというか、目が合ってるのに、合ってない、みたいな。私を見ているはずなのに、何を見ているのかよくわからない感じがして、ぞわっと鳥肌が立った。直感的にヤバイって思ったよ、なにがヤバイのかはわからないけど。老人のしおれた肌の中から浮かび上がるように、らんらんと濡れた目が私を捕らえて、見開かれてた。オカアサンって。喉の奥から絞り出すようにして出た声はしゃがれていて、その声でオカアサン、って。私は頭が真っ白になって動けなかった。オカアサン。アケテ。イタイ。コワイ。ドウシテ。ゴメンナサイ。そんな声が際限なく私に向けて発せられる。その間もゴト、リ、ゴト、リとなにかの音がする。私は何が何だかわからなくなってきて、でも蛇に睨まれたように一切の身動きが出来なかった」


 男がフフっと笑う。

 思わず漏れてしまったというような笑い方だ。

「いえ、すみません。小鳥さんの大切にしている子がとても誇らしげにアピールしてくるものですから、つい」

 言って、なぜかキャラメルの箱をこちらに傾けてくる。

 私はありがたく三個ちょうだいして、一つを頬張り、あとの二つはポケットに突っ込んだ。

「……老人はこちらに手を伸ばしてきた。でもぎょっとしたように身を引いて、かばうように両手で頭を抱え込んだ。直後に小鳥の興奮したような鳴き声が聞こえて、私の金縛りが解けた。なにが起こったのかはわからなかったけど、とにかく慌てて窓から離れたよ。玄関付近まで退避してフローリングの床に座り込むと、どっと冷汗が出てきて、体が震え出して止まらなくなって。でも、その日はもう何も起きなかった。翌朝ベランダを確認してみたけど、老人がいた形跡も小鳥がいた痕跡も、なにもない。寝ぼけてリアルな夢でも見たのかと、その時思ったんだけど」


 テーブルの上で、男は人差し指と親指を動かしている。まるでそこにいるなにかを撫でているような、そんな動作だ。私もよく、ああして飼っていた小鳥を撫でていたな、と寂しく思い出す。長年かわいがっていたけれど、小鳥は数年前に亡くなってしまった。私に憑りついているらしい小鳥があの子であればいいな、と心から思う。

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