第3話

「どうしましたか、大丈夫ですか!」

 いつのまにか気を失っていたようで、掛けられた声で目を覚ました。学芸員さんさんが異変に気づいて駆けつけてくれた頃には、上人も床の水も綺麗さっぱり消えていて、ただずぶ濡れになった俺たち二人だけが呆然としていた。


「そうでしたか…そんなことが」

 職員用の休憩室で服を着替え体と頭を乾かし暖かいお茶をいただく。人心地ついて顛末を聞いた学芸員さんは、それだけ言うと難しい顔で黙り込んでしまった。

「お二人に見て頂きたいものがあるんです」

 しばしの沈黙の後、口を開いた学芸員さん。教授と俺は顔を見合わせ、教授が頷いた。

「こちらに来てください」

 案内されるままについていくと、建物の裏手にある小さな扉を開けて外に出た。すでに日は落ちており、日中の暑さと眩しさはどこへやら、水面を渡る風が心地よい涼やかさを運んでくれている。

 敷地の東端、ちょうど池を望む位置に小さな塚と石碑があった。

「これは、大改修の際に見つかった骨をお祀りしてあるんです」

「骨…」

「人骨、ですね」

 さっきのことを思い出し、ただ言葉をそのまま繰り返した俺に現実を突きつけるかのように、教授が言葉を足した。

 学芸員さんはこくりと頷き、よく手入れされたそれの前にしゃがんで手を合わせる。

「これだけ古いため池ですからね、伝説や噂は幾つも残っていて、地元では言い伝えられてたんですよ。それが大改修の時に見つかって、事実だと確認されました。ただ…」

「学術的な論文や正式な書類、歴史の記録には残らない。書かれることがない」

「ええ」

 教授の言葉に学芸員さんは頷き、立ち上がって場所を譲った。石碑の前に今度は教授がしゃがむ。

「どこでもそうです。私は日本のあちこちで古い土木遺産、灌漑設備を見てきましたが、やはりそのほとんどにそういった言い伝えは残されていました。でも、正式な記録とされているところは一つもありません。治水や土木工事の発展は、古来からたくさんの人命の犠牲なくしてはありえなかった。たとえ言い伝えだとしても、あると言われる場所には何かしら元になる事実があるものです。それが今回、よくわかりました」

「閉館後の館内で制服姿の女性を見たという報告は、少し前からあったんです」

 教授の言葉を受け、学芸員さんが実は、と言いにくそうに打ち明ける。

「先生の展示が始まった少し後からでしたね、そういえば。警備員が何度か目撃していたらしいんですが、実害がなかったため放っておいたんです。それがよくなかったのかもしれません」

「いいえ」

 教授がきっぱりと否定する。

「彼女は元々、悪意をもっていたわけではないと思います。ただ、生前はできなかったことをここで実現していただけでしょう」

 家はもとより部屋からもほとんど出ない生活。身内以外の誰にも会わず、他の同じ年頃の娘たちがするようなことをしないまま亡くなってしまった娘は、亡くなってからようやく自分の思うまま動けるようになった。受付を真似ていたのも、もしかすると仕事というものに憧れがあったのかもしれない。

「安らかに眠っていたあの子を起こしてしまったのは、私の展示のせいです。そういった曰くのある場所も多いのに、何も考えずに各地の遺構をここ一箇所に集めてしまった。展示物は元の場所に返すので、もう二度とこんなことは起こらないとは思いますが、あの子にも、そして巻き込んでしまった君にも、本当に申し訳ないことをした」

 俺に向かって謝ってから、石碑に向かって頭を下げ、黙祷を捧げる教授。俺は上人にもらった数珠玉を石碑に供え、学芸員さんと一緒に頭を下げた。


 あんなことがあったからまた日を改めては、という学芸員さんの勧めに、絶対今日終わらせますと断言した教授の言葉通り、時間は遅くなったがなんとかかんとか撤収作業を完了させた。

 学芸員さんに見送られ、博物館を後にする。後部座席とトランクは大量のダンボール箱や展示パネルで埋まっているため、行きと違って今度は助手席に座らせてもらっている。

「来年、うちのゼミに入らない?」

「えっ」

 国道に出て走りが安定すると、教授がそんなことを言った。

「今日だけの手伝いのつもりだったけど、君とは不思議な縁ができたように感じるんだ。こんな迷惑をかけてしまった僕が言うのもなんなんだけど…。まあ、君がもしよかったら、だけどね」

「………」

 まさかのお誘いにどう答えたらいいのかと迷い、助手席の窓から外を見た。遠ざかる池は夜空に浮かぶ月を映し、水面がきらきらと光っている。

「次の春の企画展に、また協力を頼まれたよ。今日のことがあったから、次は今までとちょっと違う展示を考えようかと思ってる」

『次の春』という言葉にさっき聞いた言葉を思い出す。

「よかったら、また春にぜひ来てください」

 学芸員さんは俺に向かってそう言うと、エントランスを指した。

「入り口までの石畳の両脇に、たくさんの植え込みがあるでしょう。あれ全部躑躅なんです。満開になると、それはそれは綺麗ですよ」

(つつじ、ってどんな花だったっけ)

 スマホに文字を入力し、画像を検索する。

「あっ」

「どうしたの? もしかして忘れ物? まだ戻れるよ」

「い、いえ、大丈夫です、大丈夫」

 視線は前を向いたまま心配してくれた教授に、俺は慌てて誤魔化した。

 俺の手の中のスマホでは、検索結果がディスプレイを埋め尽くしていた。画面いっぱいに咲き乱れる色とりどりの花は、あの子の着物に描かれていた五弁の花と同じものだった。

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池にいるもの 改訂版 望月遥 @moti-haruka

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