愛してた、なんて、嘘。

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第1話

「…別れたい。」

「…え…?」


いつも2人で来ていた海。時間があってもなくても、落ち着きたいと思った時は、人気のないここが私にとっても千暁にとっても心地が良くて。

今日もいつものように夕方に時間が空いたから行こうよって言われて、お揃いで買ってもらったリングをはめて来た。


なのに。

どういうこと?

いきなり過ぎて心の中がぐちゃぐちゃだ。


「…どうして?

私、悪いこと、しちゃった…?」

「っ、全然、そんなこと、ないんだけど……」


こっちが泣きたいのに、なぜか千暁が鼻を啜り上げる。


どうして?

なら何でそんなこと言うの?


声にしたいのに、千暁の顔があまりにも切なくて、喉に言葉が詰まって出てこない。


「…ほんとに、ごめん……」


両手を脱力させて、私の方を見ない。


あぁ。

どうしたら良いかわからない。

だけど、わかってないだけかもしれないけど、

甘いかもしれないけど、

私がまだ千暁を好きだからかもしれないけど。


多分どうしようもない理由があるんだ。

それこそ、この人の夢とか、将来とかに関わるような、そんなことが理由で。


私が好きになったのは、一瞬冷めているように

見えるけど、実は熱くて、何にでも全力な千暁。


それなら、私がするべきことは…。



「うん。」

「…え?」

「わかった。別れよう。」

「っ、華子……」



どう言うのが私たちにとって正解かわからない。だけど、多分彼にとっては、これが良いんだよ。


私が好きな千暁。

それは、何を犠牲にしても、自分の描いた未来を手にするために頑張る千暁だから。


泣かないように、奥歯を噛み締めながら、笑う。一向に目を合わせない千暁の肩を掴んで、顔を上げさせた。


「泣いちゃだめだよ。」


私も我慢してるんだから。


そのいつもは柔らかい弧を描いている瞳は、力が入って酷く歪んでいた。淵には水の玉が膨らんで溢れそうになっている。


両方の手のひらで千暁の頬を挟んだ。呆気にとられた顔をした彼に、喝を入れる。


「そんな顔しないの!」

「華子……俺……」

「大丈夫、わかってるよ。」


そのまま抱きしめる。千暁の背中は、細かく震えていた。泣いてるでしょ、ダメって言ったのに。でも私はそれを指摘できない。


多分、私の背中も震えてて、涙を流してるから。



「…ねぇ、華子っ……」



千暁の腕が肩に回る。隙間が埋まって、間が0cmになった。



「ほんとにっ、ごめ、ごめんっ」

「謝るの……禁止……」

「この指輪もっ……約束、したのに…」

「大丈夫、大丈夫だから…」



身体を起こす。

千暁は私の右手にはまっている指輪に触れた。

彼が前屈みになると、ワイシャツからチェーンに通っている同じデザインの指輪が零れる。


あの日の約束、か。そんな甘ったるいこと、

いつもなら言わないけど、今なら良いかな。



「俺、さ…」

「うん。」

「これから…自分のやりたいことを……やってくる……」

「うん。」

「……だから、もしどこかで、俺を見たら……」

「うんっ…」

「俺のこと…考えて欲しい…あのとき、付き合ってた、馬鹿なあいつだって……」

「うんっ、こんないい女を捨てた最低な男だって、思い出して、考えるよ……」

「あはっ…」


そんなわけないでしょう。

きっと貴方のことは、永遠に…


なんて。



言わないよ。言えないよ。




でも、


「良かった、笑った。」


貴方が笑えたなら。

これから新たな世界に踏み出していく勇気になれたなら。



千暁がこちらと目を合わせる。

焼き付けるように見て、無理矢理かもしれないけど、口角を上げた。


「本当に、ありがとう。

華子といた事、絶対、忘れない。」

「忘れたら、その時は、世界のどこにいても殴りに行くからね。」

「んふ、怖いって。」



静かに顔が近づく。目を閉じると、少しのあとに唇に柔らかい感覚があった。






最後のキスは、貴方にとって

どんな味でしたか。

あの時の私には、複雑すぎる味でしたが、今思えば、あの味は、



暖かくて、悲しい、

一生忘れられないものでした。



抱き締めあったあの時、

見えなかった貴方の表情は、


私に別れを切り出した時の

感情は、


まっすぐこちらを見た時に、

本当に伝えたかったことは、



どんなものだったのですか?



私は、あの時は、余裕なふり、大人なふりをしましたが、



まだ、貴方が………










「………懐かし………」


あれから8年。当時高校2年生だった私は、

なんと24歳になっていた。大学院の卒論も就職も目処がついて、久しぶりにまとまった時間が

取れたので、去年のお正月ぶりに地元に帰ってきたのだった。


何となく足が重くて、あの日以来来ていなかったいつもの海。今は冬だから誰もいないけど、

あの時と変わらず、大学の友達と行った千葉の海より透き通っていて、綺麗だった。


千暁は、私と話した次の日から、学校に来なくなった。先生が言うには、関東の高校に編入したらしい。詳しいことは教えてもらえなかった。正直に言うと、千暁は、あんまり多くの友達がいた方じゃなかったけど、その一人一人と

濃い付き合いをするタイプだったから、何も聞いていなかった彼らは、とても悲しんでいた。


何も言えなかった。

本当は彼らと一緒になって通じなくなった携帯に何度も電話をかけたかった。

だけど、彼がもし何らかの節にそれを見て、決意や思いが揺らいでしまったら、本当にやりたかったことができなくなってしまうかもしれない。


だから、私は全てを忘れたように振舞って、残りの高校生活を楽しく過ごした。


関東の大学に進んでからは、同じものが好きな学生たちと、熱心に文学を学んだ。

遊びもしたし、飲みにも行ったり、合コンにいったり、大学生としてそれなりの遊びは一通りした。

でも、友達は出来たけど、恋人は作らなかった。そういう雰囲気になった人はいたけれど、どうしても恋人は作れなかった。


自分でもわかっていた。

千暁を忘れられない、とか言って、結局は引きずってるだけだっていうこと。

でも、今はそれでもいいかなって思うようになっている。恋人や旦那さんがいなくたって、今の私は十分満たされているし。


第一、千暁を引きずってるのを自分でわかっているのに、他の人と付き合うのって、なんか不誠実な気がして。





でも今日は、そんなことはとりあえず横に置いといて、純粋に楽しんでおこうと思った。

私も就職が決まって、来年からついに社会人になる。

覚悟、とか、そんなものを求めているわけじゃないけど、簡単には来れなくなるだろうしね。


赤いオールスターで砂をかき分けながら歩く。

以前は、ここの近くを通るだけで

悲しい気持ちになっていたけど、今はどちらかというと落ち着いた気分になれる。

ここは大切な思い出が詰まった場所だって、そう思えるから。



ぐるっと1周して、あの日に2人で座った場所に、1人で座ってまっすぐ海を眺める。

そこはあの日のまま、透明に美しいままで、全く変わっていなかった。



そうだよね。私、変わっていない。

この景色を見て感じることも、千暁が好きなことも、何もかも。

でも、そんな自分も受け入れよう。

千暁のことは、もう私の一部になったんだ。









暫く波の満ち干きを眺めていると、ふいに横に誰かの気配を感じた。



一瞬、誰が?と恐慌状態になる。



だけど、よく考えてみると、隣に来る人の予想は、1人しかいなかった。




でも、すぐにはそちらを見なかった。




だって目が合ったら、あの日隠した全てが、こぼれ落ちそうだったから。




しばらくしてから、そっと視線を上げる。




そこには、








「華子、」








「遅れた、ごめんね」








あの日と変わらない声で、

ちょっと伸びた身長の、









千暁がいた。








ちょっと困ったように眉を下げた笑顔。

ふわふわの髪の毛。あの時と雰囲気は変わらずに、でも確かに大人になった千暁が、そこにいた。












「なんっ、で………」



「言ったでしょ、いつか絶対もう1回会おうって」




泣きそうだった。

というか泣いていた。




あの日リングを見て、約束を胸に刻んだのは私だけじゃなかったんだ。

そしてそれをずっと覚えていたのは、私だけじゃなかったんだ。





初めて大好きな人と過ごした誕生日。

右手の薬指にリングを嵌めてくれて、貴方は言った。


「いつか離れても、絶対会いに行くよ。」


照れくさそうに、あとから

「やば、カッコつけすぎた、恥ずかし、」と笑ったのまで、ちゃんと覚えている。







あれから長い時が経った。

大人になったし、

貴方の出で立ちも随分変わって

カッコよくなったし、

かく言う私も化粧なんかするようになって、

だけど。





「遅い。」







いつまでも好きだった。

そして今も、好き。





「ここかなって思ってた。」

「千暁もそう思ったんでしょ。」

「両思いだ。」





少し2人で笑ってから、

そっと貴方の腰に手を回す。

抱きすくめられた。









愛してた、なんて、嘘。

今でも大好きで、これからも

大好きでいて、いいかな。



8年ぶりに重なった唇は、

あの日より暖かくて、

嬉しいのに何故かまた涙がこぼれ落ちた。








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