◇刑務所への手紙



 拝啓 溝口様


 このような形でのお手紙をお許しください。私にこのような手紙を書く資格などないのでしょうが、私にできることといえば、このくらいなのです。ですからどうか、最後まで書かせて頂いた事を、お許しくださればと思います。

 あなたがああなってしまったのは、私には分かります。私は当時から貴方のことをとてもよく見ていましたから。

 あなたの事を初めて見たのは、小学校の頃の事でした。あなたは当時から、こう言っても差し支えなければ(申し訳ありません。他に言葉が出てこないのです)、あなたは浮いた子供でした。

 田舎街においてあなたのような子供は、どうしても都会風であって、浮いて見えるものなのです。実際、あなたに目をつけたガキ大将の、ここで仮名をつけても仕方がないとは思いますが、誰かに見られても面白くありませんので、仮にA君としておきましょう。

 A君達のグループにあなたが目を付けられて、それからあなたに対する陰湿ないじめが横行していたことは、私も、当然先生方も気づいておられた事です。ですが、誰も何もしませんでした。

 一つは私はもう初潮が始まっていたこともあって、あのガキ大将グループは当時の田舎町でも札付きの悪で、もう小学生ながら淫猥

な方面での噂が絶えなかったものですから、万一の事を考えると、とても手を出すなぞと言う事は考えられなかったのです。

 ですから、あなたに対する火の粉が、私や他の子供達に飛び火しないようにと、私は、そう、今もここでこうしているように、自己欺瞞を利用したのです。あなたを救えない事を、初潮のせいにしたのです。本当はただ怖かっただけなのに。

 あなたが現在、母校の練習試合などで審判をされているのは、何かしら理由のあることなのでしょうね。私には深い理由は分かりませんが、今でもあなたが真摯な表情で笛を吹く姿が、私の目に焼きついて離れません。とても格好良く、今でも惚れ慕っている事に気付かされて、我ながら恥ずかしく思われる程です。

 ……あなたが変わってしまわれたのは、きっとあの一件のせいなのでしょう。あなたのご自宅で、火事がありましたね。ご自宅は全焼してしまいましたが、幸いご家族は皆外出中で、無事でした。説明の必要はありませんでしたね。申し訳ございません。

 あの火の事は、間違いなくA君の仕業であったでしょう。当時でも話題になっていましたから。恐らく間違いありません。この事もあなたに説明する必要は無いこととも思いますが。

 もう私達はすでに高校生になっていましたから、火の扱い方なぞも田舎街の若者にはお手の物で、警備の薄い家屋を狙った不審火が相次いでいましたね。今となっては懐かしいで済まされるかもしれませんが、とんでも無いことです。

 あなたがそうなってしまわれたのは、私にとってはとても残念です。あなたがそう変わられてしまう前に、私があなたをお救いできれば良かったのに、と。傲慢な叫びに聞こえるかもしれませんが、私の本心なのです。これは否定ができません。本心とはいつだってこうして私や、他の人間達の心の中を焼き捨てるものなのです。

 私はあなたに伝えたかった。伝えなければならなかった。当時、あなたに、「あなたの事を想っている人が一人でもいる」と、「ここに私がいる」と、そう一言、伝えられていれば、あなたの未来は変わっていたかもしれないのに。

 私の後悔はいつだってこの手紙に書かれている内容の通り、後になってはっきりとどうしようもない姿形と変わり果ててから私や周囲の環境を汚すのです。私の悪癖の一つです。それが私は嫌いです。

 私の事はいいのです。あなたの事が大切なのです。

 あの日、あなたはA君の息子にレッドカードを提示なさいましたね。あれは明らかな反則行為、ではなかったのかもしれません。ですが、厳密にいえば審判への敬意を著しく欠いた行為、という事で退場処分に出来る事柄だったのかもしれません。ですがたかが田舎町の高校の練習試合で、あのような形でレッドカードが出るなどと言うことは、私には分からない事です。その辺りはあなたの方が良くご存知の筈なので、私はこれ以上の駄文は控えさせて頂きたいと思います。

 A君の息子は恐らく、いえ、明らかにあなたの顔面を狙って、ボールを蹴っていました。あなたは間一髪逃れるのが遅くなって、ぶつかった瞬間、遠くの父兄のテントにいるA君が面白そうに笑っているのが見て取れました。私もあのグラウンドにいたのです。日傘を持って立っていました。だからこそ、あの後の事は忘れる事ができないのです。

 あなたは首尾良く赤い紙を提示なさいました。そしてその事に激昂したA君が、あなたに向かって大股で詰め寄って来ました。

 そして、事件が起こったのです。

 あなたが包丁でA君を刺してしまわれたのです。

 あなたは震えるご自分の指を見つめながら、いつの間にそんな刃物をと思われるような小型の細い包丁で、A君の今では更にお酒やら脂やらでぶよぶよに膨らんだお腹を突き刺して、それから丁度時代劇で言う切腹と同じように、縦に大きく撫で斬りましたね。

 血飛沫を上げながら倒れるA君の姿に、私は大きな感動を覚えました。

 あなたがついに復讐をやってのけてしまわれたのだと、気付いたからです。

 ですが、それが法律で禁じられている事は明らかで、この場合の社会的なレッドカードはあなたの方なのです。

 あなたがご家族を業火で亡くされた事も、あなたが結婚や就職に支障が出るほどの大きな火傷の腫れを負った事も、あなたが全く後見人に恵まれなかった事も、全て社会からすればどうでも良い事なのです。

 ですから今とったあなたの包丁で復讐を成すという行為が、どれだけ別側面から見れば正当な行為であったとしても、翌日のテレビや新聞を少しばかり賑わせて、最近ではネット界隈と言ったいい加減な所で何も知らないつまらない虫みたいな人々が好き放題いい加減なレッテルを貼ったり言ったりすることで、日々の鬱憤を少しでも晴らすために使われるだけなのです。

 復讐というものは、立派であればあるほどに、社会的には好餌となるものなのです。

 ですからあなたはどうであっても、どうしてもあの時、包丁でA君の事を刺すべきではなかった。最後まで毅然とした審判であるべきでした。あなたが社会的な一方的な断罪を受け、審判としてレッドカードを見せつけられるのを、私は黙って見過ごしている訳にはいかないのです。

 ですから私は、今度は私の為ではなく、貴方のために、世間と戦わなければなりません。その覚悟は十分にできています。

 今では私も二人の子供に恵まれて、もう二人とも大きくなって、後は成人を待つばかりです。

 これからが大変な時期ですが、あの二人ならば何とかやっていける事でしょう。夫もおりますし。

 私はこれから離婚届を提出して、あなたの為に社会と、世間と、いえ、世界に対して挑戦状を叩きつけます。

 私が守りたい物が、傷付けられようとしている。子供時代の後悔を、今ここで、人生が終わる前に、どうしても果たしておかなければならないのです。

 あなたに対して言える事は、ここでは特にはありません。

 次にお会いできる時は、恐らく留置所の中であるか、裁判所でしょう。

 あなたのご幸運を、お祈りしております。


                          草々

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