バベル
「—— あなた、私の部下にならない?」
*
この商人の名はミヨマイル。
クリムは部下になった彼に親しみを込めて「ミヨマイル君」と呼んだ。
—— ただし、彼はクリムの倍ほどの年齢のおじさんだったが。
*
クリムの施したカードの新たな機能『遠隔振り込み』は、カードとバンクの価値を一新した。
大金であっても少額であっても、どんなに離れている場所とも、お金のやり取りがこのカード1枚あれば可能となる。
もはや商人は仕入れた商品の代金を払うのに、遠くの街に出向き直接やり取りをする必要がなくなった。
高額な商取引ではもう現金のやり取りは行われなくなった。
*
少額の商取引が遠隔で出来るようになったことで、新たな商売が誕生した。
——『通販』である。
商品を個々の家庭に送るという発想自体はあった。
しかしお金を回収するよい手段がなく、今まで日の目をみることがなかった。
それが、このカードの出現で少額でもお金の回収が遠隔で行えるようになったことで、一気に花開いた。
*
ほとんどの王国民がカードを持つようになり、給与制で働く人々にも大きな変化がもたらされた。
勤め先からの給与がカード振り込みで支払われるようになったのだ。
給与を現金で支払うことはとても手間がかかる。
ひとりひとりの給与払いに必要な硬貨枚数の総計を計算し、あらかじめ両替して必要な枚数分崩しておかなければならない。
それぞれの給与を間違えないように袋に仕分ける作業も大変な労力だ。
1枚でも硬貨を入れ間違えたことが判明する度に、全ての袋を開けてチェックし直さなければならない。
給与をもらう方も、嬉しい反面、重いお金を持ち歩いて家まで帰らねばならないため、肉体面でも精神面でも非常に疲れた。
なくしたり、盗まれたりでもしたら次の月の生活資金がなくなることになる。
これが、支払う方にとっては各人のカード向けに設定した金額を遠隔で振り込むだけ、受け取る側にとってはその日になれば自動的にカードの残高が給与分増えているだけに変わった。
このカードに給与を振り込んでもらえれば、カードを近所のカード窓口に持っていくだけで、いつでも使いたい分だけ小出しで現金化できる。
大変便利になった。
*
この変革はさらに大きな変革をもたらした。
王国民全員がカードを持つようになると、わざわざ街での買い物に現金を使うことが手間と感じる人が増えた。
お店でもカード1枚で買い物できるようになればいいのに。
ミヨマイル君が企画したカード読み取り魔道具がこれを現実のものとし、この決済方法は瞬く間に爆発的に広まった。
このカード読み取り魔道具を置いていないお店は、カードで精算したいお客から敬遠されてしまう。
逆に、カード読み取り魔道具を設置したところ、わざわざ財布から硬貨を取り出す手間がなくなったこともあってか、今までよりも気軽にピッと購入してくれるようになった。
馬車の運賃や公共料金の支払いもカード。
もはや街で生活していくのに現金を持っていなくても何一つ不自由がないほどに、カードは広まった。
逆に、現金お断りや現金払いを割高の料金にする店も出始めた。カードがないと途端に何をするにも不便になった。
*
カード発行や、カードへの現金の入出金、振り込み、店頭でのカード読み取り魔道具による精算は基本的に全て無料にしている。
これだけ多くの窓口設置や貯金額の管理、振り込み手間、カード読み取り魔道具の配布など、莫大な運用費がかかっていると思われるが、どうやってまかなっているのだろうか。
実は、全て無料ではなく、大口の事業利用者からは手数料を頂戴している。
貯金額が一定以上ある顧客や商取引振り込み回数・金額が規定を超えている業者などがその利用量に応じた手数料を支払っているのだ。
大口の事業利用者にとっては、カードを利用することで拡がったビジネスの規模を考えれば手数料を支払っても充分ペイできる。
この仕組みで半分くらいの運用費をまかなっている。
そしてもう半分が、『バンク』内にプールされた膨大なお金の運用からの利益だ。
利用者ひとりひとりの預金によって、『バンク』には王国の国庫を遙かに超える金額がプールされていた。
『バンク』の信用不安で貯金が一気に引き落とされればなくなる類いの、自分のものではないお金ではあるが、預かっている間は『バンク』側が自由に再利用できる契約となっている。
これを資金が必要な事業主に貸し出し、利息を取ることで運用資金を増やしているのだ。
他の大手金貸し業者が逆立ちしても用意できないほどの莫大な資産を持っている『バンク』は超大口の資金提供を専門として、そこから莫大な利益を得ていた。
この仕組みで残り半分の運用費をまかなってもあまりあるほどの利益が出ており、結果『バンク』は無償のサービスに思われていながらも巨万の富を稼いでいるのだ。
王国が他国に攻め入られて急遽防衛しなければならなくなった時も、その軍資金を即金で用意したのは『バンク』であった。
—— 今や『バンク』は王国と隣の帝国の総資産以上の『価値』を持っているのであった。
*
最近のこれら『バンク』の日常的な運営は、全てミヨマイル君が仕切っていた。
クリムはたまにミヨマイル君邸に現れては、コヒ飲みがてら雑談をする程度。
—— それはミヨマイル君を厚く信頼していることを表していた。
しかし、クリムの洞察力は常人を遙かに駕している。
ちょっとしたミヨマイル君の心配事も、相談する前からあらかじめ全て察知しているくらいだ。
彼女を裏切るなんてことは未来永劫これっぽっちもないが、仮に裏切ろうとしたり、こっそりちょろまかそうとした者がいたとしても、あっという間に看破されるだろう。
そんな恐ろしいことは、クリムを知っているものからしたら考えもしないが。
*
クリムがミヨマイル君に何か指示するのは、世界中の誰もがまだ思いついていないような壮大なアイデアを実現しようとしたときだ。
ミヨマイル君は、クリムが何か指示してくれそうになると、いつもわくわくが止まらなかった。
今やミヨマイル君は、金融の世界で彼を知らぬものがいないほどの大物だ。
彼の指先ひとつで経済が大きく動く、そんな噂が立っているほど。
これは『バンク』の莫大な資金を自由に使えるからというだけではない。
彼の優れた洞察力、先見の明、決断力、実行力、そしていざというときの胆力。
これら全てが相まって、彼を世界の金融を支配するものたらしめているのだ。
そんなミヨマイル君に、想像もしていなかったような奇想天外な無理難題を持ち込めるのは、世界でもクリムただひとりだ。
—— 次はどんな無理難題だろう。
そう考えるだけで、こどものようにわくわくするミヨマイル君であった。
*
2週間ぶりにクリムが尋ねてきた。
珍しく、いつものコヒとバフ付きケーキ以外に、巨大な箱を持ってきていた。
—— これは、何かまたやらかそうとしているな。
ミヨマイル君はそう直感した。
既にわくわくが止まらなかった。
クリムが口を開く前に一応自分でも想像してみる。
最近のクリムは『オアシス』や『コテージ』の増設に大忙しであった。
ダンジョンの中に新たな施設を建てようとしているのだろうか。
それだけであればクリムは自分だけでもどうにか出来るだろう。
もしくは、カードの利用拡大のためのポイント制などのアイデア?
それもクリムにしては考えることが小さい。
—— 果たして今日はどんな無理難題を持ってきたのだろうか。
クリムと、いつものようにコヒとバフ付きケーキの雑談で近況を共有し合う。
そして、ケーキも食べ終わり、いよいよ本題だ。
クリムは部屋の隅に置いた巨大な箱を、それまでケーキを食べていたローテーブルに置いた。
ピザボックスのそれぞれの辺を4倍に拡大したくらい、かなりの大きさだ。
クリムが「じゃーん」と自分で掛け声をかけて箱を開梱する。
中からは、何かの立体地図らしきものが出てきた。
「—— ティンブクトゥの立体地図よ」
クリムはわくわくした声で言った。
ミヨマイル君はまだ理解できていない頭で申し訳なさそうに質問した。
「—— これが今日の主題につながるのですか?」
クリムは突然ソファーの上に仁王立ちとなり、右手を挙げてチカラ強く宣言した。
「わたし、ダンジョン・ティンブクトゥを丸々買おうと思うの!」
そして、リモコン代わりの魔道具ボタンをポチッと押した。
立体地図の、ダンジョン・ティンブクトゥの入口とおぼしき場所を中心に半径数キロの地帯が輝き、白い光が上に垂直に伸びた。
そこににょきにょき下から伸びてくる立方体の柱の数々。
「—— これは高層ビル?」
ミヨマイル君が、思わずつぶやいた。
「ふふふ ——」
クリムは笑ってさらにもう1回ボタンを押した。
ダンジョン・ティンブクトゥの入口からさらに強い光が発せられ、白亜の塔が上ににょきにょき伸びていく。
いつ止まるのか、いつ止まるのかと思ってもなかなか成長が止まない。
やがてローテーブルに置かれた立体地図から、立ち上がっているミヨマイル君の目の高さに届くほどの白亜の塔になった。
「—— 白亜の塔『バベル』よ」
ダンジョン・ティンブクトゥは鬱蒼とした森林の中にひっそりと存在する。
クリムはその地域一体をダンジョンごと購入し、都市に生まれ変わらせようとしているのだ。
—— あまりのスケールの大きさに、久々に手が震えた。
これは、『バンク』の全資金を持っても達成できるかどうかという、チャレンジングすぎる目標設定だ。
通常であれば一個人が所有する企業単体で行えるような事業ではない。
国家プロジェクトとして何十年もかけて取り組むべき課題である。
「—— 3年よ!」
クリムはキラキラした目でミヨマイル君に言った。
「3年で充分達成できるわ!」
—— クリム来訪で、どんなわくわくが待っているのだろうとミヨマイル君が想像したものの遙か上を行く、至高の無理難題であった。
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次話『聖女たちの挽歌』へ続く
あと、残り話数わずかとなりました。
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