黒執事
セバスチャンの朝は早い。
原初の悪魔である。
古の、王国誕生のとき初代王と契約し王国の行く末を陰ながら庇護するもの。
悪魔の契約は相手の魂を奪うための儀式のようなものだが、王と彼の間は違った。
王との闘いに破れ死を待つだけだった彼に対し王は「我の王国の行く末を未来永劫見守ってくれ。王国の苦難には支え、王国が間違ったときは正してほしい。ともに行こうぞ」と手を差し伸べた。
それからはいつでも一緒に冒険をし、助け合い、支え合った。
初代王が病に伏し、死するときに傍らで最後の言葉を聞いたのも彼である。
「お前から見て、我の王国は正しかったか?」最後にそう言い王は亡くなった。
「ええ、貴方が敷いた道は、山あり谷ありそれは酷いものでしたが、真っすぐでしたよ」
誰も聞くことのない返事を彼はつぶやき、後に英雄王と呼ばれる初代王の質素な部屋から表に出た。
窓の外には真っすぐな道がはるか遠方、視界からかき消えるまでずっと伸びているのが見える。
この道も国と同じく質素なもので、舗装もされておらず凹凸がはげしい。しかし初代王が造った若いこの国の生い立ち同様に真っすぐであった。
それから千年。貧しく小さかった王国は拡がり、都は栄え、都へと至る道は舗装されて見違えるほど立派になった。
それでも、初代王の敷いた最初の道は今でも真っすぐに伸びていた。
◇◆◇◆◇
「さて、仕事に戻りましょうか」
セバスチャンはそうつぶやき、朝日がのぼってくる、王室の窓から見える真っすぐなこの幹道から目をそらした。
彼が悪魔であることは初代王以外は知らない。
代々の王に仕えいつしか執事長となっていた彼は、常に王国の傍らにいながら、常に傍観者であり、常に庇護者であった。
彼がいつの王の代でも王室に仕えていることは誰も疑問に思わない。彼が歳を取らず、それどころか食事も睡眠も取っていないことに気づくものもいない。
彼は孤独であったが、それで十分だった。初代王との約束に報いる、それ以外のことは些事であった。
ときに王国が間違ったこともあった。歪んだ王が家臣を誅殺し国民をなぶり狂王となったことも、己の恐怖心から暴走し四方の国々に理由もなく攻め入って烈国となったことも、鉱山から産出された希少石で莫大な富を得て傲慢な国となったことも。
そのたびに彼は誰にも知られぬように少しずつ国を正し、時間をかけて正しい道に国を戻した。彼のこれらの善行は誰も知らず、誰も褒めることはない。
しかし千年経った今でも、初代王との約束を違えることなく、彼はまた今日も働くのであった。
◇◆◇◆◇
彼が異変に気付いたのはそんな、千年という気の遠くなるような日々の繰り返しの中でも特筆すべきところも全くない、いつもと変わらぬ朝であった。
なにかこの国を大きく変えてしまう、そんな力が生まれる。その気配を感じた。
吉報かも知れぬ。が、凶報かも知れぬ。彼にとっても未経験な心の揺れ。彼は久しぶりに焦った。
1ヶ月経ってもその原因は不明だった。
未だに首の後にささっと逆立つ不快感が残る。この王国の行く末を左右するような異変が起きているに違いない。
しかしいくら調べても、国を中から誅するような逆臣も、王国を貶めようとするような列強が動いている痕跡も見当たらない。
王国はここ三百年、特に危機らしい危機もなく安定していた。
その答えは突然見つかった。
宰相であるギルム・フォン・バウムスの第二子である娘が母親であるスヴァンヒルデ・フォン・バウムスに連れられて、はじめて国王と謁見した。
産まれて一ヶ月、王との謁見を急いだのだが、まだ外出するには少し早く、首も据わっていない。
謁見の間の物々しい雰囲気を感じ、すこしおとなしくなっている様子。
娘はまだ髪も生え揃わぬ
「娘のクリムヒルトです」
スヴァンヒルデは恭しくそう紹介した。
クリムヒルトは国王に指をつままれて嬉しそうに微笑んだ。
謁見から下がるとき、彼はクリムヒルトと何故か目があった気がした。目は開いていないはずだが、全てを見透かされている。そんな悪寒が走る。
ここ千年かいたことのない冷や汗。
彼女はこの王国に千年来、なかったような大きな変革をもたらすに違いない。そう確信した。それがよいものであればいいが、悪いものである場合は国を一瞬で滅ぼしかねない。
悪魔である彼は善や悪の気配に鋭い。どんなに人が悪意を隠して近づいてきても、彼は顔に悪意が描いてでもあるかのように見抜いてしまう。
そんな彼の目をもってしても、その娘が善か悪か計り知れない。
だが、クリムヒルトが常人でないことだけは間違いようがなかった。
◇◆◇◆◇
まずは、彼女がこの国に悪をもたらす存在かを見極めなければならない。
それ以来、なにかと用事を作っては宰相の家に出向いた。
はじめてよちよち歩きするところを観察することができた。
娘は大地を踏みしめ、自慢気に両手を腰に当てて仁王立ちする。
ただならぬ態度に、この娘はやはり善人ではないやもしれぬと彼は気を引き締める。
娘がしゃべるようになった。
「どれどれ、この世に地獄をもたらしてやろう」
そんな第一声だったら、この娘を退治しなければならない。そんなことを考えていたが、杞憂に終わった。
普通に「セバス〜!」と言って首に抱きついてきたときには、「この悪魔め!」と心を奮い立たせたものだが。
娘の好物は苺のムースと判明した。
何かと理由を付けては何十というスイーツを日参し、母であるスヴァンヒルデに「太るから甘いものはたまににして」と嫌味を言われながらも観察日記を付ける日々が実った。
どうやらショートのようなクリーム系ケーキよりもムースが好みらしく、それが苺だったときに最高の微笑みを浮かべた。
『おぬし、私のことをわかっておるな』そんな笑みだった気がする。
クリムヒルトの能力適正を観察するために、事あるごとにおもちゃのプレゼントを利用した。
娘らしいかわいいおもちゃにはそれほど惹かれずに、魔法の杖や剣のおもちゃに興味を示す。稀代の魔女が英雄か。
娘が剣のおもちゃで怪我をしないように彼はおもちゃに庇護魔法をかけた。実際の戦場で高等魔法師が使うような第一級魔法である。どれだけ娘が剣で切りつけてもクッションのように柔らかく跳ね返る。娘の目に刺さっても安心である。
◇◆◇◆◇
クリムヒルトが三歳になった。
ずっと観察してきたが、未だにその本性が善か悪かはわからない。
観察日記もすでに十冊を超えた。好きな食べ物も苺のムースからお子様ランチに替わったようだ。憎きベンめ。
元気すぎて使用人を日々困らせている。基本は悪のようだ。
時折制御しきれずに暴走する魔力が気がかりである。
魔力量だけ見ればこの国、いや大陸随一だろう。それが制御しきれずに暴走した場合、一国を滅ぼすような厄災となるやもしれぬ。
その日が来たらためらわずに娘を誅殺することができるのだろうか……
自問したが答えは出ない。
◇◆◇◆◇
ある日ふとしたことで娘が『身食い』に侵されていることを知った。強い魔力に体が勝てずにいずれ死に至る病。
悪魔である彼にも『身食い』を防ぐことはできなかった。
『身食い』の最後は病に伏して寝込んでおとなしく亡くなるか、まれに魔力の暴走で全魔力を消費して消し飛ぶか、いずれかの運命。
ただし娘の魔力は膨大すぎて暴走した場合は国が滅びるだろう。しかもあと数年以内に。
初代王との約束を果たし続けるためにも娘を暴走させるわけにはいかない。
殺すなら今である。『身食い』を治すことはできないが、悪魔の力を使えば安全に確実に娘を殺すことができる。
「セバス、何を悩んでいるの? 私なら心配しなくて大丈夫よ。私はこの国を守るためならなんだってするわ。セバスが悩む必要はないんだからね」
庭園で走っていた娘は、彼が苦しそうな顔を浮かべているのを心配して駆け寄ってきた。
「竜が来たって、この剣でギチギチにやっつけてやるんだから!」
幼き日に彼が贈った剣を未だに愛用している娘は、空想の竜に向かってエイヤーと剣を振り下ろす。
彼の決意は固まった。
◇◆◇◆◇
「しばしお
国王にセバスは乞う。国王は顔を上にあげ目を閉じる。
「貴様が我が王国を第一に考えて行動してくれていることは常日頃から分かっておる……。その貴様が言うのであれば、それは我が国の未来にとって大変重要なことだろうな」
「ありがとうございます」
「それは理解しておるのじゃが、貴様が王室からいなくなるのはとても寂しいのう。貴様が時を超え代々王家に仕えてくれていることは薄々分かっておる。わしも伊達に国王をやっておらぬのでの。ぼんくらな王ではないつもりじゃ。国の歴史を丹念に紐解けば、歴史に名は刻んでおらぬものの、貴様と思しき賢者の影がこの国を守ってくれていたことは自ずとわかるものじゃ。その貴様が動くということであれば、我が国の一大事。わしが止めるところではなく、むしろ貴様に感謝しかあるまい。しかし寂しいのう」
「申し訳ありません」
「クリムヒルトじゃな」
「はい、彼女はこの世界が誕生してから鑑みても、非常に
「それだけではないだろう?」
「……」
「まあよい。久々に二人だけで一緒に食事せんか? 極上のワインを開けよう」
その晩は朝まで王国について語り合った。「噂ではありますが……」と前置きしながら初代王について話すセバスチャンはどこか嬉しそうであった。
◇◆◇◆◇
翌朝、国王に呼び出された宰相はびっくりした。
「執事長セバスチャンを私に預けるですと?」
「いかにも。この執事長がよりにもよって『国王の側付きはもう飽きた。若い娘の方がかわいい』と暴言を吐きよるのでな」
セバスチャンにウィンクする国王。
セバスチャンは顔色一つ変えずに直立不動で待機している。さすがは常に冷静沈着な執事長である。と関心している場合じゃないと、宰相は心を鬼にして国王に訴える。
「このセバスチャンが我が国を様々な危機から密かに庇護していることは私でも知っております。そのセバスチャンが王室を離れるということはどれだけ王国にとってデメリットあるか国王であればわかるでしょうに!」
「しかし、セバスチャンは言い出したら聞かぬのでな。ほれ、セバスチャンのことだ。王国に危機あらばどんなところにいようが駆けつけてくれるに違いない。むしろ宰相のところで裏から暗躍できる方が何かと都合がいいやもしれん。もう決めたことじゃ。反論は許さぬ」
「でも、我が家にセバスチャンが来る理由をみなにどのように説明すればよいのですか!王室から家臣のところに移るなんて聞いたことありませんよ!」
「うむ、それはもっともじゃな。どうしよう、うまい説明あるか? セバスチャン」
「お嬢様にとんでもないものを盗まれたことにしましょう」
セバスチャンは冷静に答えた。
「何をじゃ?」
「私の心です」
「「そんな理由言えるか————————!」」
こうして彼はバウムス家の執事として仕えることになった。
◇◆◇◆◇
「で、なんでここまでぶっちゃけて話してくれたの? 特に原初の悪魔であることとか、初代王を支えて王国に千年仕えている影の庇護者とかめっちゃ機密性高い情報だよね。普通なら最後まで読者引っ張って最後の最後でドンって類のネタだよね」
私はセバスチャンに疑問をぶつける。
「クリムヒルトお嬢様にこの状況を理解してほしいからです」
「そうは言っても、私が聞いていないことまでホイホイ喋っちゃう人柄だったっけ?セバス」
「私こそ、お嬢様の『身食い』がなぜ急に治ったのか知りたいのです!これが心配でこの家に来たようなものなので」
「そこか——。そこだよね。やっぱり……」
「この家にお世話になってからはちゃんと使用人として一線を引かねばならぬと、お嬢様に必要以上に近づくのを我慢していました。それもこれもお嬢様を心配してでございます。そのお嬢様が突然『身食い』も治って魔力もうまく制御できるようになっているご様子。私の立場がございません!」
「ある時気付いたらパーッと視界が開いて治ってたんだよね——」
適当にごまかす私。このセバスチャンに、転生のこととか竜のこととか過去のお嬢様のこととか言ったらどんな強烈な反応するのかまだわからんし、しばらくは内緒にしておこうっと。幼いときから私の観察日記付けていたというのもかなりキモいし、いざという時の手札は隠しておきたいしね。
『我もお前の意見に賛成じゃ。セバスチャンは少しキモい』
『悪いひとではないんだけどね——。きっと千年も国を見てきて、少し飽きてたところにかわいい女の子が出てきてメロメロになっちゃったてやつ〜?』
灼熱竜とオルタクリムが頭の中で会話する。
こいつらも二人になってだんだんうるさくなってきたな——。
ひとりだったら無視してれば済んだんだけど。
事の次第はこうだ。
最後の需要人物セバスチャンを攻略しようとしたが、メイドさんも料理人も他の使用人も彼が非常に真面目な仕事人という面以外誰も知らない、ということで攻略の糸口も見えずに悩んでいた。
サミの「それなら直接当たって砕けてしまえばいいんでないかい?」の
まあ、彼には変な感情は全くなく純粋に『庇護対象者』として私を見てくれるのはわかるんだけど、それでもちょっと引くよね。
私の病気が完全に治ったことを知ったセバスチャンは落ち着きを取り戻した。
「で、私の病気が治ったらセバスは王室に戻ってしまうの?」
ひとりでも仲間を増やしたい私は上目遣いで籠絡を狙う。
「いえ、お嬢様はまだ魔力を引き出せていない様子。制御ができることとうまく使えることはまた別ですから、訓練が必要です。お嬢様が魔力の使い方を身に着けたらとんでもないことになりますよ。私が責任を持って最後までお嬢様を導いて差し上げましょう」
悪巧みをしている悪魔のようにニヤッと笑う。
こうしてクリムヒルトと悪巧みする団(略称:KWS団)の仲間がまたひとり増えたのであった。
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次話『お嬢様、危機一髪』へ続く
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