美味しいもんに外道もクソもねえ
料理長ベンは語る。
「3年前のあの夏の夜はとても暑かったのを覚えています。お屋敷の屋根や窓枠だけでなく中庭にも電飾が施され、とても豪奢な晩餐会でした」
主催者は、バウムス家当主 ギルム・フォン・バウムス。
バウムス家は代々続く公爵家であり、当主ギルムは、ドルムント王国の全ての貴族の頂点に立つ大四公のひとりとして、富も名誉も地位も文字通り手中に収める、まさに貴族の中の貴族である。
また実力も、若くしてその才覚を国王に認められ、信頼され、頼りにされ、ドルムント王国宰相を任されているほどの人物。
そのバウムス家の嫡子グンター・フォン・バウムス15歳の成人を祝い、披露するための宴である。
催しひとつひとつに失敗は許されない。
宴のメインイベントである料理はその中でも最も参列者の心に響き、宴そのものの評価を大きく左右すると言っても過言ではない。
絶対に高評価を得て、グンター様の披露会を成功させたい。料理長はそう考えていた。
段取りは1年前から始まっている。その早めの段取りが功を奏し、世界中からたくさんの珍しい食材がこれでもかというほどに届く。
料理長はここ数週間寝ずに宴の準備を行う。
責任重大である。しばらく前から胃が痛い。
失敗したらどうしよう。そればかりが頭によぎる。
準備は完璧にこなした。食材も北海の非常に珍しい魚や南国の変わった果実など、味だけでなく話題に事欠かないものを集められたと自負している。
料理の腕は王国随一と誉れ高い。普通に考えれば成功間違いなしなのだが、料理長の唯一の弱点は気が小さいことだった。
「前の晩、夢にうなされて飛び起きたのです。夢では参列者みんなから冷笑され、ギルム様が苦笑いして私を見ていました。
どんな表情をしているのかはみなの顔が暗くなっていてわかりませんでしたがとにかく失敗したのです」
「中央には赤い大きな薔薇が1本置かれていました。
私の周りを参列者がぐるぐると回転しはじめ、みんなが『この料理は最高だ』『この料理は最高だ』と笑うのです。
やがて回転はどんどん速くなり影のようになりました。私はその場で頭を抱えてうずくまりました」
「うむ、続け給え」
「はい。夢から覚めて飛び起きた私は明日の料理の支度を全て私の目で見て回りました。
鮮度が落ちているものがないかなど念入りに調べました。特に問題も見つからず私は安堵しましたが、なぜか冷や汗は止まりませんでした」
「当日は早朝から戦場のような忙しさでした。夕方の晩餐会の時間の、それも料理をお出しするまさにその瞬間に最適な味となるべくタイミングを見計らい下ごしらえから始めます。全ての食材、全ての料理が食されるためのその一瞬に向って流れていきました。まるでオーケストラの奏でる交響曲のようにずれることなく複雑で緻密で優雅な演奏を聴いているようです。
ひとつでもずれたら取り返しのつかない、そんな緊張感の中、厨房の面々は本当によく働いてくれました。
戦っていたのは厨房だけではありません。宴の進行のほんの僅かな機敏も見逃さず、完璧に流れを読み、的確な指示を出す執事、メイド長。
その指示の下、不快な音を一切立てず次々に完成されたばかりの料理をまるでダンスのように優雅に運んでいくメイドたち。私も数々の宴を経験してきましたが、ここまで完璧な宴はなかったかもしれません」
「その宴が最悪のものに変わったと……?」
「宴が終盤に差し掛かり、料理もあと2皿を残すばかりとなりました。
最後のデザートの前に、ちょっとした余興として南国の非常に珍しい果実をご賞味してもらおうと趣向を凝らしていました。
この実は現地では『小さき灼熱竜の実』と呼ばれ、食べると数分の間 口からポポポッと小さな炎が出るというものです」
「それは珍しい果実ですね」
「はい、私の他にはこの仕掛を誰も知らなかったと思います。この実を食べた参列者が今日の宴のことを帰ってからみんなに話題にしてもらえる、そんな締めくくりにしたく密かに準備していたものです。グンター様の成人に華を添えるつもりでした。
案の定、この実を食べた皆様は非常に喜び、口からポポポッと炎を出しながら周りと語らい、みな楽しげに笑っていました。この宴で一番盛り上がった瞬間だったと言っても差し支えないでしょう」
「宴は大成功でしたね。そこからなぜ最悪の宴になってしまったのか」
「最後のデザートが配られた時です。楽しい宴の食事を裏で仕切った私に挨拶をとしたいというリクエストもあり、私直々にデザートをお持ちしました。『小さき灼熱竜の実』の熱を冷ますためにアイスクリームをお出ししました。清涼感のあるものをと思い、ミントを混ぜていました」
「普通ですね。それでは無事に宴の食事は終わったと……」
「いえ、そこでふと思い出したのです。この実を手に入れるときに南国人の老婆に言われていた言葉を。『この実はミントとだけは一緒に食べてはならん。灼熱竜の逆鱗に触れて大火事が起こるからの』
私が密かに進めていたため、宴の献立を考えるときも試食したときも、この実の後にミントアイスを出した時の食べ合わせの問題には誰も気付いていませんでした。
顔から大量の汗が流れました。みんながミントアイスを食べるのを止めなければ。しかし、声が出ずに私はそこから一歩も動けませんでした。悪夢が真実になったのです。宴が炎に包まれてしまう。真っ赤な薔薇はその象徴だったと思い起こしました」
「この晩餐会で火事が起きたと聞いた記憶がありませんが……?」
「はい、そこに一人の少女が現れたのです。まだ年端行かぬとしてこの宴への出席を父上に止められていたクリムヒルトお嬢様(8歳)です。
宴の大広間の扉をバーンと開け放ったお嬢様に、まさにアイスを食べようとスプーンを持っている一同がポカンと魅入りました。
入場を演出するドライアイスの霧、後ろからスポットライトを浴び、浮き上がったお嬢様のシルエット。そして華やかな真紅のドレス。
お嬢様は自分が主役だと言わんばかりに派手な登場をして、宴に参加させなかったギルム様に一泡吹かせようとしたかのようでした。私が横目で見たギルム様は頭を抱えていました」
料理長は言葉を続けた。
「お嬢様の後ろから、うやうやしく料理皿の乗ったワゴンを運ぶ料理人の面々が現れました。私が怖いのか
ワゴンから次々に参列者のテーブルに小さな
料理人たちが一斉にクローシュを持ち上げます。
中からはピクピク動くトカゲの尻尾のような物体。怪訝そうな参列者。自慢げなお嬢様。
『これは非常に珍しいサラマンダーの尻尾です!それも捕れたてピッチピチ。世界中探してもこれほど活き活きしたサラマンダーの尻尾が並べられている宴はここだけしょう!』
それはそうでしょうとも。本来食用ではないサラマンダー、しかもそのピチピチの尻尾を出す宴なんて私も聞いたことありません。
参列者はみな一様に困惑の表情を浮かべ、次にどうしたらよいものか思案している様子。左右の同席者をキョロキョロ観察しながら固まっています。
ギルム様が顔を真っ赤にして立ち上がろうとしたその瞬間。手を広げて大広間の中央で悦に入っているお嬢様がよく通る澄んだ声で叫びました。
『さあ、ご賞味あれ! 先程の『小さき灼熱竜の実』とまさにピッタリの食べ合わせ。これを食べて帰らなければ末代までそのもったいなさに後悔し続けることになるでしょう!』
恐る恐る最初のひとりが食べました。口から色とりどりのパチパチした花火が飛びました。
『なんて美味しさだ!』
パチパチさせながら感動のあまり泣いています。
他の参列者も、ひとりまたひとりとサラマンダーの尻尾を食べます。感動の輪がどんどん広がりました。
『今まで数々の宴で美味しいものや珍しいものを食べたが、この組み合わせは本当に素晴らしい。実に素晴らしい体験だ!』立ち上がって演説する恰幅の良い子爵。
うんうんうなずくお嬢様。両手を腰に当てて仁王立ちしています。
お嬢様を叱りつけようとしていたギルム様も、困った様子で眺めていた母上スヴェンヒルデ様も、本日の主役の兄上グンター様も、興味が出てきたようで恐る恐るサラマンダーの尻尾を親指と人差し指に挟んで持ち上げました。活きよくピクピクと暴れる尻尾。
ギルム様が、グンター様が、最後にはスヴェンヒルデ様がえいっと口に尻尾を放り込みました。そしてしばらくして至福の表情を浮かべます。口からはパチパチと花火。
それを見て、まだ覚悟が決められなかった様子の参列者がみな一斉に食べ始めました。会場からパチパチと気持ち良い音がしています。そしてみな至福の表情。
先程の『小さき灼熱竜の実』の時を上回る盛り上がりです。そして、唖然としていた私が止める間もなく、みな最後のアイスクリームに手を伸ばし、味わっていました。
『この最後のアイスクリームのミントの味がまた絶妙に合いますな』
『これほど計算尽くされた料理を食べたのは初めてだ。ひとつひとつの料理が重なり合ってまるでシンフォニーを奏でているようじゃったわい』
『本当に素晴らしい宴でした。この宴に参加できたことは一生の宝になりそうですわ』
一斉に感謝の声が上がりましたが、私は南国の老婆の言っていた『灼熱竜の逆鱗』が今にでも起きるものと身が竦み、それどころではありませんでした。
……
しばらくしても何も起こりません。宴に華を添えた食事も終わり、みな歓談に夢中になっています。宴は成功でした」
「それでは貴方の心配していた問題は結局何も起こらなかったと?」
「はい。お嬢様はみなの歓談の腰を折って『本日の料理長ベンに今一度盛大な拍手を!』と挨拶し、私は参列した皆様方の暖かいスタンディングオベーションを受けながら大広間を後にしました。お嬢様もそこから遠からずの時間で退席したそうです。
宴が終わってからギルム様にもグンター様にも大変なお褒めの言葉を承りました。宴は成功裏に終わり、その後の皆様の評判もよかったとお聞きしています。
グンター様も、この成人披露のことが広まりどこに行ってもあの時の宴のことが話題になるので助かっている、と今でも言ってくれます。本当に有難いことです。身に余る光栄とはまさにこのようなことを言うのでしょう」
「では、なぜ貴方がお嬢様に対して未だに含んでいるものがあると噂になっているのでしょうか? 貴方がお嬢様に恥をかかせられたことを恨んでいると思っているものまでおりますが……」
「それは半分正解で半分誤りです。確かにあの日晩餐会の料理を全て取り仕切っていた料理長の私に何も言わずに、勝手に料理を準備し、勝手にお出ししたことに対しては、料理長としてギルム様を通じてきつく抗議させて頂きました。お嬢様も直接私に謝りに来てくれてすでに一段落しています。今ではそれについては全く含むところはありません。全て終わったことですので」
「それでは貴方は何に対して、未だにお嬢様に複雑な感情を抱いているのでしょうか?それとも特に含むものはない?」
「いえ、それがまだ確かに私の中にくすぶっており、お嬢様にそれ以降ちゃんと向き合うことができていないとは思っています。大人として恥ずかしい限りですが。
あの日、私は『小さき灼熱竜の実』とミントとの食べ合わせについて全く失念していました。あのままでは確実に大惨事になっていたことは間違いないです。
宴の後で私も気になって食べ合わせの実験をしました。口から大きな火炎が吹き出して実験していた離れの小屋に火をつけて全焼させてしまいました。
宴の席で、参列者の口から一斉に火炎があがっていたら、大広間は大火事になりたくさんの方が亡くなっていたはずです。まさに大惨事。
それを未然に防いでくれて、あまつさえ私の失態とせずに更に宴を盛り上げて大成功させてくれたお嬢様には感謝のしようもありません。
お嬢様はギルム様からきつい叱責を受けながら、笑って私に秘密にするように口止めしたのです。『あれは私が楽しむためにやっただけだから』と言って。
確かにお嬢様に口止めされていたからということもありますが、私は恥ずかしかったのです。長年当家に仕えて料理長を拝命しておきながら、肝心なところでミスをしたこと。それを8歳のお嬢様に見事なまでに看破されてしまったこと。
私がささやかな愉悦にこだわって『小さき灼熱竜の実』をみなに隠していたことまで理解した上で、私の顔に泥を塗らないように、お父上からのお叱りを受けると知りながらもお嬢様の独断専行という形で宴に飛び入り参加し大事故を防いだのです。
それをみなに正直に伝えることもできずに3年が経ってしまいました。本当に恥ずかしい限りです。
お嬢様が宴をぶち壊したと噂になっているようですが、私がかばうこともせずに黙っていたことが悪いのです。今からでも正直にみなに話しお嬢様の誤解を解きます」
「まあ、お嬢様は本当に自分が楽しむためにあんな派手な演出したんだと思いますがね。あの登場シーンは完全にお嬢様の趣味です」
「ちょっと待った——————————!」
私はまたカーテンから飛び出した。びっくりする料理長ベン。知らぬ存ぜぬの顔で紅茶を飲むルーネ。
「お嬢様!どこから聞いていたのですか———!」とベン。
「最初からここに潜んでいたのじゃ——!名探偵クリムヒルトとは私のこと!」
両手を腰に当てて仁王立ちする私。
「どちらかというと私が名探偵役だったんですが……」涼しげに語るルーネ。
「あの日のお嬢様がルンルン、ニヤニヤして夕方になるのを待ち遠しくしていた理由がようやく分かりました。サラマンダーを用意して宴に乱入するタイミングを今か今かと見計らっていたんですね。
お嬢様が急に行方不明になったかと思ったら大広間から歓声が聞こえてきたときは心臓が止まりました。そんなことが起きていたとは今の今まで知りませんでしたが……」
私もそれ知らなかったのよ——、過去の私ってば、すごいことしてくれているのよね——。と、唐突にその時の映像が私の頭に蘇ってきた。
「私も結構悩んだんだ——。ベンが一年も前から一生懸命料理の準備してることも知ってたし、でも『小さき灼熱竜の実』とミントの組み合わせが悪いことも知ってたし」
あれ? なんで昔の私のこと、私が知っているんだ?
「ベンの料理を台無しにしないためにはサラマンダーの尻尾しかないって、結構前からサラマンダーのいる岩場までコソコソ出かけては狩ってきて、離れに1匹1匹かごに分けて、ばれないようにこっそりサラマンダー飼うの大変だんたかんね——」
偉そうに種明かしする私。
「お嬢様がちょくちょく逃げ出していたことは感づいていましたがまさかサラマンダーを狩っていたとは思い当たりませんでした」
ルーネは反省しているようだ。そりゃ、お嬢様がこっそり抜け出している先が、冒険者も恐れるサラマンダーの棲まう岩場だとは気付くまい。いやいや、もっと気配りしろよ過去の私よ。
「お嬢様からの恩を仇で返してしまいました。本来であれば私がみなに真実を伝えてお嬢様の誤解を解くべきでしたのに、黙っていたことでお嬢様の悪評を助長させていました。到底許してもらえるようなことではありません。ギルム様にも真実を伝え、私は料理長を辞めます」
ベンは土下座で私に謝る。
「私、ベンの料理が好きなのよね——」
え⁉と頭を上げるベン。
「まだベンが料理長になる前、私が3歳のときに、ベンがお父様に内緒でお子様ランチを作ってくれたことあったでしょう? お父様の市街視察に付いていった私が、町の食堂で見かけて食べたがって泣いて引き剥がされたってことベンが聞いて、後でこっそりお子様ランチ再現してくれて。あれすごく美味しかったの。また作ってくれない?」
なんで過去の私の記憶が蘇ってくるんだろう……
まあこの際、そんなことよりベンの説得だ。ベンに私の悪評を覆すための
涙ぐむベン。よし琴線に触れたなコレ。
いつの間にかルーネも少し涙ぐんでいるようだ。
「またお子様ランチ作らせてください」
ベンは涙を拭きながら微笑んだ。
「よろしくねベン」
窓からの日差しが逆光になりながら部屋を差す。
私は正座状態になっているベンの手を取り、起き上がらせるのであった。
◇◆◇◆◇
作戦開始3日目。明らかに別荘の雰囲気が変わってきている。 神は私に味方しているに違いない。
地獄の神学校入りを避けようとしている私に神の御加護があるのかはさて置き。
そんなこんな別荘の廊下をウキウキした気分になりながら歩いていると、ボンとなにかにぶつかった。
「女子たるもの、無警戒に歩いて人にぶつかるなんて私の躾がなっていない証拠ね。これからはもっと厳しく教えて差し上げましょう」
げ——っ、マクゴナガル
こうして、難攻不落の要塞 マクゴナガルさんとの攻防が幕を開けるのだった……
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