doubt
on
doubt
天井からぶら下げられた、薄い光を放つ照明が、頼りなくふらりと揺れた。
ぼぉっとそれを眺め続けていると、だんだん光が絵の具を溶かしたときのように滲んでいって、そこでようやく、私は自分が泣いているということに気づいた。
こんなところで、惨めったらしく泣く自分に腹が立ったけど、それを拭う気にもならなかった。
何だかもう、全てに疲れてしまった。
「なぁ…」
君は遠慮がちに私を呼ぶ。
頬に落ちていくものを感じながら、静かに動揺しているらしい君をじっと見つめると、
ゆっくりと手が伸びてきて、躊躇いながらも、雫に指を添わせた。
本当は、この手にとり縋ってしまいたい。
きっと、面倒臭い私でさえも、優しく包んでくれる、って、心のどこかでわかっているから。
「これは違うから。な?」
君は決して、私を責めないように言葉を選んでくれる。
私なんかに、優しくしないで。
宙を仰ぎながら、辛い、と思った。
でも、本当に辛いのは、一体誰なんだろう。
私か、君か、貴方か。
誰でもないかもしれないし、皆そうなのかもしれない。
「大丈夫だから。」
1度だけ、私の頭を撫でて、君の手が離れていく。
その言葉は、私を慰めてくれているようにも、君が自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
女の勘、というものなのか。
例えば、貴方から香る、ちょっと甘い匂い、とか。
綺麗好きな貴方のワイシャツに、大きく寄っているシワ、とか。
こんなに小さくてくだらないこと、なかったようにできたなら、こんなに心は痛まないのに。
匂いなんて通勤電車でいくらでも付くだろうし、シワなんて椅子に2時間でも座っていれば寄ってしまうだろう。だけど。
貴方は私のことをとても大切にしてくれる。
同棲しているというのにデートはよく行くし、甘やかしてくれるし、不満なんて1つもない。
だからこそ、失いたくなくて。
貴方に本当のことを聞いたとして、聞きたくないことを聞いてしまったあとに、私は貴方の手を離すことができるのだろうか。
真っ白になった愛の隣でしゃがみ込むことしかできない気がして。
それなら、曖昧なままが良い。
だから今朝、貴方のスーツのポケットの中に見つけてしまったピンクゴールドのペンダントを、そっと元に戻してしまった私の判断は、間違っていない、はずだ。
そう思ってるんだったら、どうして私は君の前で泣いているんだろう。
ちゃんとわかってる。
君がこんな私の話を聞いてくれるのは、幼なじみを超えてしまった気持ちがあるってこと。
受け止めてくれるって、心のどこかで知っているから、私はきっと、この人の前でいじらしい様子で泣いて、涙を拭ってもらっているんだ。
きっと、私だって貴方としていることは一緒。
君の『これは違う』にかまけているだけで、君の気持ちも貴方の気持ちも両方とも踏みつけにしている。
「ちゃんと食ってる?お前、すごく痩せてるけど。」
せめてこれくらい食え、と先刻メニューを閉じてしまった私の為に、君が頼んだフルーツタルトが押し出される。
キラキラしてとても美味しそうなのに、何故か逆に食欲はなくなってしまって、フォークを手に取ることができない。
多分安くはないであろう、雑誌に載るようなカフェの、半個室の部屋を、君は用意してくれた。
好きになった人が、君だったら良かったのに。
タルトの先を切り分けた君は、カサカサの私の唇にそれを運ぶ。
小さく口を開けると入ってきたそれは、思いのほか美味しかったけれど、その後にもう一度口にすることはなかった。
君の優しさが、私の狡さが、あんまりにも痛かったから。
「今日は、何かした?」
「…仕事が休みだったから、カフェに行ってきたよ。」
「美味しかった?」
「うん。」
風であおられたカーテンの向こうから、細目のような三日月が見えた。
君よりいくらか体の大きい貴方は、女の中でも小さい私のことなんかすっぽり包んでしまう。
ソファーの上で2人。
貴方の足の間に座って、後ろから緩く抱きしめられた腕に触れて、ぽつぽつと今日あったことを話す。
「1人で行ったの?」
「…え?」
「ひとり、で行ったの?」
固くなってしまった背中に気づかれてしまっただろうか。
どうしてこんなに緊張してしまうのだろう。
甘い香りの貴方の服は、平静を装って洗濯できるのに。
「…ううん、友達と、2人で行った。」
「そっか。」
沈黙が降りる。
このまま2人、夜の闇に溶けて永遠に一緒になってしまいたい。
ずっと私に触れられるままになっていた貴方の腕が、そっと動いた。
驚いて貴方を仰ぎ見ると、ポケットから何かを取り出し、私の首に静かにかけた。
ひんやりとした存在感が、私の胸で輝く。
貴方は私の頬に小さくキスをすると、ゆっくり耳元で言った。
「プレゼント。」
それは星のモチーフが下がったペンダントだった。
埋め込まれたダイヤモンドの粒が、本物の光を放つ。
本当に貴方は優しい。
何気ないプレゼント、私の趣味にばっちりあっているもの。
瞼に集まってきた熱を誤魔化した。
だって、私の首にかかったチェーンは、冴え冴えとしたシルバー。
「ありがとう。…とっても、嬉しい。」
声が震えているのがばれないだろうか。
上手く、笑えているだろうか。
後ろを向いて、貴方と目を合わせた。
明るさを絞った照明の中で、貴方は小さく微笑む。
その右手が、ゆっくり私の顎をすくって、持ち上げた。
何回も触れた貴方の薄い唇は、今日も初めての日と同じ温かさを纏っている。
本当はわかっている。
私達の気持ちは、恋じゃなくて愛。
だからこそ、行く先は透けて見えていて、もうじき全てが終わること。
だけど、そうなるまでは、貴方の真っ赤な嘘で私を騙し続けて。貴方の嘘に騙される振りをしている私を愛して。
形が露わになった、しなやかな首筋に染み付いた匂いを上書きしたくて、私はそこにキスをする。
痕をつけようとしたけど、上手く付かない。
貴方は暗がりでちょっと驚いた顔をした後に、優しく笑った。
「可愛い…ねぇ、」
唇から伝わるのは、
たっぷりとした甘味と、
絶対になくならない苦味。
「愛してるよ。」
「私も…愛してる。」
ゆっくりと押し倒される。
天井に映るのは、愛しい貴方。
doubt on @non-my-yell0914
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