第6話 意識のきっかけはささいなことから【中学二年・秋】
誰がこんな状況を想像できただろうか。
学年一位にテスト勝負をふっかけて数ヶ月後、一緒に朝ご飯を食べることになるなんて……。
「
「だ、大丈夫です! ご飯余ってたんで!」
しかも、さらっと下の名前呼びしてるし。
そして、妹よ。そいつに出してるご飯、俺のじゃないか?
いつもより量が少ないんだが……。
我が家は両親が共働きで朝早いのでいつも作り置きしてくれている。
つまり、今日の朝ご飯の量はこれで確定と言うわけだ。
「このお豆腐のハンバーグ、すごくおいしい。お義母さまが?」
「ああ、俺の大好物だ」
「ふふっ、そうなんだ。おいしくて、私も好きになりそう。今度、お義母さまに習いに来てもいいか聞いてもらってもいい?」
「来んな来んな」
「ぜひぜひ! ママも喜ぶと思います!」
「ありがとう、楓香さん」
あれ? 俺の声、聞こえてない?
どうやら俺の意思は関係ないらしい。
女子同士で話は盛り上がり、俺は肩身の狭い思いをしながら黙々と食事を進めていく。
しかし、楓香も芹園が美少女だからか、いつもよりもテンションが高い。面食いだからなぁ、楓香。
小学生にしては大人びたところもある我が妹も芹園を前にタジタジか。
「……で、なんで来たわけ? こんな時間に」
「植芝くんが私に会えなくてさみしい思いをしたんじゃないかと思って、顔を見せに来てあげたんだよ。ありがとうは?」
「はいはい、ありがとう」
「むっ……適当な返事。キミはもうちょっと私のありがたみを知るべきだね」
「そうだよ、お兄ちゃん! こんなに可愛い人捕まえておいて、その返事はないよ!」
おかしい。ホームなのに味方がいない。
楓香の反応に満足気な芹園の反応に腹が立つ。
「あ、あの……芹園さん。すごく失礼な質問かもしれないんですけど……」
「ううん、なに?」
「その、お兄ちゃんとはどんな仲なんですか……?」
「う~ん……強いて言うなら……」
チラリと芹園の視線がこちらに向けられる。
そして、いたずらを思いついたかのようにニィっと口を歪めた。
「お兄さんに強く求められる関係……かな?」
「っ!? げほっ! ごほっ!」
「えぇぇっ!?」
すすっていたみそ汁が気管に入ってむせかえる。
な、なんてこと言いやがる、こいつ……!
「ど、どんなことを……!?」
「たくさんの生徒の前で情熱的な言葉をかけられて……」
「お、お兄ちゃん……!?」
「誤解だ、誤解! 俺がテスト勝負を挑んだだけ! こいつ、学年一位!」
「あ、あ~、なるほど……」
「それで納得されるんだ……」
「当たり前だ。ずっとこの生き方してるからな」
「お兄ちゃん、すごい負けず嫌いなので……」
俺をずっと間近で見てきた楓香には、これがいちばん説得力がある。
家では一位を取るたびに自慢してるからな。
最近、やり過ぎたのか昔ほど反応がよくないけど……。
「はい、ごちそうさま! ほら、芹園も食器貸して」
「あら」
空になった皿を奪うように取り、サッと水洗いをして食洗機に突っ込む。
「じゃあ、俺たち行くから! 楓香、戸締まり頼んだぞ!」
これ以上、ここにいても面倒なことになるだけだと思った俺は楓香にそれだけ言い残して芹園の手を引き、家を出る。
車庫から自転車を出すと、ポンポンと後方座席を叩いた。
しかし、芹園は自分の手をぼうっと見つめるだけで、なにもアクションを起こさない。
「なんだ? 乗らないのか?」
「……ううん、乗る! 乗るけど、まさか植芝くんから誘ってくれると思わなくて。置いていかれるかと」
「俺を鬼かなにかと勘違いしてないか、お前。……一緒に登校するためにうちに来たんじゃないのかよ」
「あはは、そうだよね。こんな時間に朝に来る理由なんて、それしかないよね」
やけに芹園の言葉の歯切れが悪い。
「その……変かもしれないんだけど。結構、なにも考えずに来ちゃったから。足が勝手にここに向かっていたというか……」
「……なんだ。さっき、あんなこと言いながら、もしかして俺に会えなくてさみしかったのか?」
モジモジと恥じらった態度でいるので、空気をほぐしてやろうといつもの意趣返しで冗談を投げかける。
これで芹園が怒って、いつもの調子に戻るだろうと踏んでいたのだが……。
「……えっ!? あ、えっと……その……そうかも」
返ってきた言葉は俺の想定を超えるものだった。
恥ずかしげに上目遣いで、俺の反応を待つ芹園。
疑り深く様子をうかがうが、どうやら本心らしい。
そうか……芹園は俺に会えなくてさみしかったのか……。
……
そう考えると、一気に体が火照りだす。
「と、とにかく早く乗れ! 遅刻する!」
「うん……ごめんね。変なこと言っちゃって」
「……お前が変なのはいつものことだろ」
以前はなんとも思わなかったはずなのに。
しおらしい彼女を見たせいなのか、背中に当たる柔らかな感触が。腰に回された彼女の力加減が、やけに気になって仕方がなかった。
「「…………」」
そちらに意識をさかれて、無言の時間が流れ出す。
いつもは饒舌にしゃべり出すくせに今日はやけに大人しい。
……まさか芹園も意識しているのだろうか。
答えは出ない。聞けばいいだけなのに、口は重くて開いてくれなかった。
カラカラとタイヤがアスファルトを走る音だけが聞こえる。
そんな沈黙が破られたのは、家から数十メートル漕いだあたり。
「ごめん、植芝くん。止まって」
「は? なんで?」
「ぼうっとしてた。この時間だと他の生徒に見られちゃうよ」
彼女の言葉にハッとする。
これまで俺と彼女の関係が外に露呈するのを徹底的に避けてきた。
それは俺ではなく、芹園が望んできたから。
「ごめんね。急に押しかけたのに、こんなこと言って」
……実は前から思ってたことがあるんだよな。
「私はここから歩いて行くから。この時間ならギリギリ間に合うだろうし」
どうして人目を避けるのか。
そして、この間のお願いについて詰めていたとき、なんとなく芹園が考えていることはわかった。この行動は俺のためであることも。
それともう一つ。
「それにあんまり一緒にいたら変な噂が立って、私のイメージも崩れちゃうのも困るしね」
こうやって嘘をつくとき、彼女はいつも似合っていない作った笑みを浮べていることも。
「じゃあ、あとでね、植芝くん。ふふっ、またいつか一緒に校門を潜れたらいいね」
「――その『いつか』は別に今でもいいだろ」
「えっ」
俺は降りようとした芹園の腕を引っ張って、もう一度座り直させる。
そして、再びペダルをこぎ始めた。
「えっ、えっ……植芝くん!? マ、マズいよ!」
「なにがマズいんだ? 別に同じ中学の生徒が一緒に登校しているだけだろ」
はっ。こいつもこんな顔するんだな。
普段やられてばかりだから、少しだけ気がスッとした気分だ。
やいやいと後ろで文句を言っている芹園を無視してこぎ続ければ、校門前に着いた。
その瞬間、登校中の生徒からの視線が俺たちに集まる。
姿を見せる前に腕は離したので、見られていないと思う。
それでもインパクトは大きいに違いない。
修学旅行で一緒に回る二人が、夏休み明け初日にして、一緒に登校してきたんだから。
この後のことはそのときになって考えればいい。
それよりも俺は芹園があの表情をする方が耐えられなかった。
「バレてんだよ。お前が俺を気遣ってることくらい」
あのお願いの時だって、こいつが俺にヘイトが集まらないように注意してくれていたのも気づいていた。
なんだかんだ偉そうな態度を取るくせに、そういうところがあるんだよな、こいつ。
だから、嫌いになれないし、普段の態度も本気で嫌だとも思わない。
だけど、同時にむかついていたのもあるんだ。
同じ中学生。同じ立場のはずなのに、全部自分で引き受けて守ろうとする態度と、それを享受していた自分に。
「俺のことなら気にすんな。お前が嫌だって言っても、お前に勝つまで勝手に絡んでやるから」
俺の背中に顔を当てているから芹園の表情は見えない。
「覚悟しとけよ、芹園」
「……うん。ありがとう、植芝くん」
だけど、いつもの明るい声音が聞こえて、彼女がちゃんと笑っていることはわかった。
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