第4話 ひとりぼっちな世界の終わり④【中学二年・夏】
時は移ろいで、放課後。
俺は芹園に言われるがまま、旧校舎へと足を運んでいた。
「おい……本当に大丈夫なのか、ここ。結構、壁とか傷んでるぞ」
「今でも物置として使われてるし、心配ないよ」
実際、芹園は気にした様子もなく、ギシリと軋む廊下を歩いている。
……いくらなんでも一人で引き返すことは出来ないか。
それに今回、ここまで来ている理由はテスト勝負の件だしな。
俺たちは一つ、また一つ階を上がっていき、最上階のいちばん奥の空き教室に入る。
中には傷がついたり、一部が折れ曲がった机などがまばらに置かれていたが、思っていたよりも綺麗だった。
少なくともここに来るまでよりも断然丁寧に管理されている。
「暑いし、窓開けるね」
「風が入ったら埃が舞わないか?」
「毎週私が掃除してるから平気だよ」
そう言って芹園が窓を開けると、気持ちの良い風が吹き込む。
カーテンが閉められていたので幾分はマシだったがそれでも部屋は熱されていたので、多少は過ごしやすくなった。
「よいしょっと。植芝くんも好きな机使っていいよ。あっ、でも、あの列の机はもうボロボロだからやめておいた方がいいかも」
慣れた様子で引っ張ってきた机の上に体育座りする芹園。
この場所を提案してきたときから予想はしていたが、彼女は何度も使用経験があるらしい。
「へぇ~。ここって自由に使っていいんだな」
「……あー、そうだねー」
「おい」
「大丈夫だよ。私も一年間バレなかったし」
「……前から薄々わかってはいたが、芹園って意外と悪い子だよな」
「植芝くんは悪い子は嫌い?」
「――いや、俺は大好きだな」
「……植芝くんならそう言うと思った」
俺も彼女と向かい合うように机を移動させて、その上に座る。
ただ机の上に座る。それだけなのにこんなに気分が高まるのは行儀悪いことをしている背徳感か。
それとも学園のマドンナである芹園といる高揚感か。
「植芝くんは人と人が簡単に仲良くなる方法って何だと思う?」
「……あ~、わかりやすく共通の敵を作るとか?」
「それも一種の方法だと思う。でも、敵意で固まった友情なんて儚いよ。一時的な関係にしかならない」
「その言い草だと芹園の考えでは違うみたいだな」
俺の言葉に彼女はうっすらと微笑みを浮かべた。
「私はね、秘密の共有だと思う。お互いに相手の弱点を握れば裏切らないし、裏切れない」
「…………」
「この教室はね、私の秘密の場所なの。旧校舎にはほとんど人も来ないし、
「……よかったのか、そんなところに俺を連れてきて」
「言ったでしょ? 人と仲良くなる方法」
芹園は立てた小指をこちらに差し出す。
「――今日からここは二人の秘密の場所になったね?」
この返答次第で俺と芹園の関係性は決まる。
だけど、悩む必要が無かった俺は彼女の小指に自分の小指を絡ませた。
彼女に勝つまで挑み続けるつもりでいたから。
「もし先生にバレたときは一緒に怒られてね?」
「……仕方ない。共犯になったからな」
「ふふっ、植芝くんって本当に潔いよね」
「グダグダ言い訳するのはダサいだろ。どうせ一回きりの人生なんだ。格好つけて俺は生きたい」
「いいね。私も植芝くんみたいに自分の気持ちに素直に生きたいな」
「…………」
簡単に彼女は言ったけれど、確かに重みがあって俺はなにも気の利いた言葉を返せなかった。
『やればいいだろ』とは口が裂けても言えない。
芹園ほどの利口なやつがなにも考えていない訳がないと思ったから。
そんなところを垣間見せてくれたのも、ここが彼女にとっての安息地で、気を許せる場所だからだろうか。
「今日みたいな暑い日はこうやって楽にできたら良いのにね」
そのまま彼女は靴を脱ぎ、靴下まで脱ぎ捨て、素足を晒す。
きめ細やかな白い肌に、薄桃色をした爪。
普段、学校で生活をしているだけの関係では絶対に知ることのできない部分。
ただ足を見ているだけなのにいけないことをしているような気がして、つい視線を彼女の顔に向けた。
ニヤニヤと人をからかう笑みをしている芹園の顔に。
「あれ? さっきまで食い入るように見てたけど……植芝くんってもしかして足フェチ?」
そう言って芹園はグッと足を伸ばして、こちらに見せつけてくる。
「いいよ、特別に。植芝くんならじっくり見ても。仲良しだもんね」
本当に足が好きな人は彼女がぐにぐにと動かす足指で興奮するんだろうなぁ。
残念ながら俺にそんな性癖はなかったみたいだが。
「やめろ。俺に同級生の足のにおいを嗅ぐ趣味はない」
「え~、ひどいなぁ。確かに蒸れてるかもだけど……それも興奮する要素なんでしょ?」
「俺はそっちの道は開いてないからわからんな」
「……植芝くんって本当に健全な男子中学生?」
「ああ、至って間違いなくな」
「ふぅん。じゃあ、こっちかな? いろんな男子が見てくるんだよね」
今度は両腕でグッと自分の豊かな胸を持ち上げる芹園。
哀れな男子たちよ。おまえらの欲望は全て筒抜けになっているぞ。
というか、男子の視線に気づいているなら、なんでこいつは
……暑さで頭がやられたか?
「なにか飲み物でも買ってくるか? あと、これ使え。冷却スプレー。冷たくて気持ちいいぞ」
「……そこで本気で心配するあたり植芝くんって感じだよねぇ」
「どういう意味だよ。直接肌にかからないように気をつけろよ」
「別に? ありがと。あ~、ひんやりして気持ちいい~」
彼女が制服にスプレーをかけている間に飲み物でも買ってくるか。
中学校なのに自販機があって便利だよな、うちは。
俺はバッグから財布を取り出して空き教室を出る――が、シャツを引っ張られて足を止めた。
「芹園?」
「飲み物ならまだお茶あるから平気だよ。それよりもはやく例の件について話そっか」
「……そういうことなら」
例の件。ここにやってきた本題。
テスト勝負の賭け事の結果だ。
「さ~て、う・え・し・ば・く・ん」
楽しげに声を弾ませながら、こちらを小悪魔めいた笑みで見つめる芹園。
細めた瞳に妖しい光が灯った気がした。
「どんなことしようかな~? どんなことされたい?
「煮るなり焼くなり好きにしろ」
「本当に? なんでもしていいの?」
「構わん。だが、その分俺に負けたときに後悔しないようにな」
「もちろん。そんな未来は来ないと思うけどね」
どうやら芹園は次回以降も賭け事を受けてくれるらしい。
とはいっても、さきほどあんな約束を結ばせた時点でこうなるとわかっていたが。
「じゃあ、植芝くんに聞いてもらいたいお願いを発表しましょう」
そう言って彼女がバッグから取り出したのは一冊のしおり。
今日、二年生全員に配られた秋に行われる修学旅行のパンフレットだった。
「九月の京都への修学旅行。植芝くんは自由行動の時間があるのは見た?」
「詳しくは見てない。なにかあるのか?」
「実はね、この自由時間はクラス関係なく回っていいの。ということはなにが起きると思う?」
「……まさかとは思うが……芹園の取り合い?」
俺の回答に彼女は笑顔をいっそう深くする。
どうやら正解を引き当てたみたいだ。
「でもね、私もせっかくの修学旅行は楽しい思い出にしたい。仲の良い人と回りたいと思ってる」
「じゃあ、素直に断ればいいんじゃないか? きっとみんな受け入れてくれるぞ」
「それだと今度は女子の反感を買っちゃうから。でも、一つだけ解決する方法があること……もう植芝くんなら気づいてるよね?」
……ああ、気づいている。
気づいているからこそ、それは避けたい。
だが、負けた以上、俺にはこの未来を受け入れる選択肢しかなかった。
「私のために、植芝くんの修学旅行の時間を全部ちょうだい。これが私のお願いだよ」
「……せめて楽しい時間にさせてくれよ」
「もちろん! いっぱい思い出を作ろうね!」
今だけはこいつが女神だとか呼ばれているのが非常に納得がいかなかった。
◇正直にデートしたいって言え、芹園◇
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