第3話 ひとりぼっちな世界の終わり③【中学二年・夏】
やっとこの日がやってきた。
俺の名前が学園中に轟く日。そして、あいつの天下の最後の一日だ。
学ランを着て、きっちり首元のホックまで留める。
普段はこんなにしっかりと着ないが、今日ばかりはきちんとするのが俺の流儀。
なぜなら、一学期の期末考査の結果が返ってくる日だから。
「いってきます!」
意気揚々と家を飛び出す。
すると、ちょうど手に本を持った芹園が通りかかった。
「おはよう、植芝くん」
「おう、芹園。ついに来たな……お前が一位から陥落する日が」
「植芝くんには申し訳ないけど、そんな未来はありませーん。期待すればするほど、あとでしんどいよ?」
「やけに気持ちの入った言葉はやめろ……だが、心配はいらん。俺は一度や二度で折れる男じゃないからな」
「それは頼もしいね~」
ニコニコと笑顔を浮かべる芹園。
「ふっ、いつまでその余裕が保てるかな……?」
「う~ん、卒業までずっと?」
「言ってろ。楽しみだぜ、お前の綺麗な顔が絶望に染まるのが」
「……植芝くんってそういうところあるよね。わざとやってる?」
「は? なんの話だ?」
「ううん、なんでもない。ほら、早く行かないと他の生徒が登校し始めちゃう」
「お前な……まぁ、いい。ちょっと待ってろ。自転車出すから」
「は~い」
芹園と賭けの約束をした日から彼女と朝に遭遇する機会が増えた。
いくらライバルとはいえ顔を合わせれば無視するわけにもいかず、会話を積み重ねた結果、俺の中での彼女の印象は百八十度変わっていた。
芹園について聞いても、誰もが品行方正。みんなに優しく、頭も良くて、運動もでき、最高に可愛い完璧な人といったニュアンスしか返ってこない。
そして、男子連中は最後に『芹園さんを狙うのはなしだからな』と釘を刺してくる。
彼女を神聖視しすぎじゃないか、こいつら……と思うくらいに、特に男子は彼女にお熱だった。
だけど、彼女だって二人乗りくらいするし、意外と好き嫌いが多くて偏食家だったり、よく人をからかったりする。
今だってそうだ。
学園まで俺をタクシー代わりにしようとしている。
「最初に言っておくけど、行きしなに乗せるのは今日だけだからな」
「わかってるよ。張り出された順位を一緒に見るためだもんね」
今日はちょうど全てのクラスにテストの結果が返されて一週間。
掲示板を見に行けば、すでに今回の成績優秀者の一覧が張り出されているだろう。
「今日は早起きしたからちょっと眠いや」
ふわぁと小さな口を手で隠して、あくびをする芹園。
それもいたしかない。
いつもの通学時間よりも一時間はやく家を出ているからな。
もっとも誰にも邪魔されたくないと、この時間を指定したのは彼女自身だが。
彼女が家の前にいたのも、今日は一緒に行くと待ち合わせをしていたからだったりする。
「ほら、さっさと乗れ」
「それじゃあ、お邪魔してと……」
「よし、行くぞ」
――と漕ぎ出す前に、思わず動きを止めてしまう。
なぜなら、背中に彼女のぬくもりを感じたから。
この間、乗せて帰った時とは違い、芹園は服をつまむのではなく俺の腰に腕を回していた。
「……おい、芹園。なにしてる?」
「このまま寝ようと思って。背中で寝てもいい?」
「いいわけあるか。落ちるぞ」
「しっかり掴まってるから大丈夫だよ」
「そんなわけあるか! あ~……じゃあ、しりとりでもするか。頭使えば眠くなくなるだろ」
「しょうがないから付き合ってあげる」
「こっちの台詞だろ、それ」
「れ、『レモン』。あっ、終わりだね」
「お前、実は結構余裕あるだろ」
どうやらからかわれていただけみたいだ。
さっきまで心配していた俺の気持ちを返してほしい。
彼女への文句を消費するように俺はペダルを踏み込む。
「あ~、楽しみだなぁ、植芝くんが負ける姿」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。今回の俺はひと味違うぜ」
「ふーん。どんなところが?」
「今回は以前よりも濃い勉強ができたからな。手応えもバッチリだ。そういうお前はどうなんだよ」
「私? 私はいつも通りかな。普通にやって、普通に受けただけ」
「おいおい、そんなのでいいのか? 負けたら俺の言うことを一つ聞くんだろ?」
「うん、もちろん。でも、それはキミにも同じことが言えるから」
「男に二言はない。どんなことだってしてやるさ」
「全裸で夜の校庭を一周してって言っても?」
「…………」
「あははっ、流石に冗談だよ! 安心して。私にそういう悪趣味はないから」
笑いながら、バシバシと背中を叩く芹園。
今日も今日とて絶好調である。
だが、そうしていられるのも今のうちだ。
楽しみで仕方がないぜ。あと少しでお前のその笑顔も曇るんだからよぉ。
最後に笑い声を響かせるのはこの俺だ――
――十数分後。
「はい、植芝くんの負け」
「のぉぉぉぉぉっ!?」
燦然と輝く一位の文字を指さしながら、芹園は満面の笑みを浮かべている。
廊下にのけぞった俺の叫び声が響き渡った。
◇次話は9/5の夜9時更新◇
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