第2話 ひとりぼっちな世界の終わり②【中学二年・春】

 州愛学園に転入してから俺は非常に充実した学生生活を送っていた。


 中高一貫校なため設備や施設がそろっており、毎日放課後ギリギリまで自習室を利用している。


 先生たちも質問に行けば嫌な顔をせずに教えてくれるし、メキメキ実力が上がっているのを感じていた。


 こんなに努力を重ねるのも、この学年でずっと一位に君臨しているらしい芹園星乃に勝つため。


 ――で、そのご本人がなぜか俺の自転車に鎮座していた。


「こんにちは、植芝くん」


 ……どうやら俺の見間違いではないらしい。


 彼女は笑顔を浮かべて、小さく手を振っている。


 俺は先日、彼女に宣戦布告をした。次こそは俺が勝つ、と。


 確かにやりすぎてしまった自覚はあったが、あの時は初の敗北を喫して感情のままに動いてしまったのだ。


 ……やはりこの件くらいしか考えられないよな。


 それくらいしか俺と彼女に接点はない。


 クラスも別だし、共通の友人がいるわけでもない。


「えっと……何か用か、芹園?」


「実は植芝くんが提案してくれた期末考査での勝負についてお話が。少しだけ時間をもらってもいいかな?」


「もちろんだ」


「よかった~。じゃあ、お願いします」


 そう言って、芹園は自分のバッグを自転車かごに入れる。


 ……え? まさかこのまま?


「どうかした、植芝くん? 鳩が豆鉄砲を食ったみたいだよ?」


「えっと……芹園? どこか落ち着いた場所じゃなくていいのか?」


「帰りながらで構わないよ。ちょうど私と植芝くんの帰る方向、一緒みたいだから」


「わかった。……ちなみに、そこから降りるつもりは」


「私、植芝くんの勝負を受けてあげたよね?」


 笑顔なのに有無を言わせぬ圧を感じる。


 芹園は俺が聞いているより案外、自由人かもしれない。


 ポンポンとサドルを叩く彼女を見て、印象を上書きした。


 くっ……ここは仕方ない。脚力のトレーニングだと思おう。


 最近、勉強の方に比重が偏りすぎていたし、ちょうどいい。


「もう時間も遅いし、早く出よっか」


 確かに日ももう沈んでいる。


 ……というか、俺が勉強している間、ずっとここで待っていたのだろうか。


 いくら夏が近づいているとはいえ、この時間はまだ肌寒い。


 これから自転車で風も受けるなら、なおさらに。


 俺は学ランを脱ぐと、芹園に差し出した。


「ほら、これ」


「えっと……?」


「寒いかと思ったんだが……いらないなら別に」


「ううん、ありがたく借りるよ」


 そう言うと、芹園は物珍しそうに学ランを見つめてから袖を通した。


 サイズが少し大きいらしく指先だけがちょこんと姿を覗かせている。


 よし、これなら寒さは防げるだろう。


 俺は彼女が乗った自転車を車庫から出すと、サドルの上にまたがった。


「掴まったか?」


「うん。いつでもいいよ」


「ついでだ。家まで送ってやるからナビゲートは任せたぞ」


「……優しいんだね、植芝くん」


「これくらい普通だろ」


「じゃあ、途中まで一緒だから植芝くんの家へ向かうルートで」


「了解。きつかったら言えよ」


 やりとりもほどほどにペダルをこぎ始める。


 後ろに座っている彼女は想像よりも軽かった。


「それで話って?」


「単刀直入に言うと、今度のテスト勝負……賭けにしてみない?」


「賭け?」


「うん。たとえば負けた方は勝った方の言うことを何でも一つ聞くとかどうかな。こっちの方が緊張感も出て、より実力が反映されると思ったんだけど」


「へぇ……いいな、それ」


 互いに力を出し切るように。言い訳ができない状況を作り上げることで、どちらが上か明確にさせる。


 優等生として通っている彼女からこんな提案をしてくるとは予想外だったが……面白い。


 男として、ライバルを名乗る者として、受けない選択肢はない!


「望むところだ。その話、乗った……!」


「植芝くんならそう言ってくれると信じてたよ。こういうの好きそうだと思ったから」


「負けてから撤回するのはなしだからな。クックック、自分のうかつな発言を後悔させてやる」


「怖いなぁ。もし負けちゃったらどんなこと要求されるんだろ。うーん……恋人になれ、とか?」


「はぁ? そんなことするわけないだろ」


「…………」


 ……え? なんでそこで黙るんだ?


 なにもおかしいことは言ってないと思うんだが。


「芹園……?」


「あははっ、何でもないよ。ちょっと試しちゃった。植芝くんが軟派な人なのかどうか」


「心臓に悪いことをするな。そもそも俺と芹園は会って間もないんだぞ? そんな提案するなんて馬鹿げている」


「でも、いるよ? 一目惚れしたって言って、私に告白してきた人」


「あぁ、確かに可愛いもんな、芹園」


 クリッと大きくて綺麗な黒水晶の瞳。艶のあるみずみずしい唇。


 ウルフカットで切りそろえられた栗色の髪。


 鼻筋も通っていて、全てのパーツが美しく配置されている。まるで神が作った人形のよう。


 彼女と真正面から顔合わせをしたのはあの日だけだが、それでも芹園の可愛さは記憶に刻み込まれていた。


 中にはそういう行為に出る奴がいてもおかしくないだろう。


「……ふふっ。今日はこうやってキミを待って正解だったかも」


「すまん。何か言ったか?」


 自転車を漕いでいるときは、ちょっとした風でも吹くと後ろからの声が聞き取りづらい。


「独り言だから気にしなくていいよ」


「そういうのが一番気になるんだが……っと着いたぞ、俺の家」


「へぇ……ここが植芝くんのお家」


 そう言って、芹園は自転車から降りてマジマジと我が家を上から下まで目を動かして見ている。


 どこにでもありふれた二階建ての一軒家。


 彼女にとっては物珍しいのかもしれないな。


 芹園は良いところのお嬢様だってクラスの奴らが言ってたし。


「ほら。もう見るのはいいだろ。芹園の家までここからどう行くんだ?」


「それなら大丈夫。もうすぐそこだから私も歩いて帰るよ」


「いや、こんな時間に一人は危ないだろ。俺と話すために待っていたんだし、ちゃんと家の前まで送る」


「ううん、本当に大丈夫。待つと決めたのは私だし……あっ、もしかして植芝くん……私の家の場所を知りたいのかなぁ?」


「人の善意をそんな風に受け取るな」


 そう言って芹園の肩をペシッと叩いた。


「…………」


 瞬間、叩かれた箇所を穴が空くんじゃないかというくらい見つめる芹園。


 うつむいているせいだろうか。


 その瞳は光彩が消えたみたいで、ひどく黒ずんでいるように錯覚してしまう。


 ……しまった。思わず男子とのノリで気安く触れてしまった。


 間違いなく俺に対して怒っているはず……。


「悪かった、なれなれしく叩いてしまって」


「ううん! 気にしてないから大丈夫!」


「そう言ってもらえると助かる」


 十中八九、気を遣ってくれたのだろうがひとまずは許してもらえたみたいだ。


 ここは余計なことを言わず、芹園に従っておこう。


「……じゃあ、気をつけてな」


「うん、ありがとう。あと、上着も。おかげで温かかったよ」


「それはなにより。貸したかいがあった」


「それじゃあ、植芝くんも心配するみたいだし私も帰るよ」


 学ランを返して、見慣れたセーラー服姿に戻った芹園は帰路につく。――が、一、二歩踏み出したところで、こちらに振り返った。


「ね、植芝くん。――また明日、会おうね」


 微笑んだ芹園は小さく手を振って、我が家からすぐの曲がり角を曲がった。


 なんとも不思議な感覚だった。


 打倒の目標である相手とまさか二人乗りをして、こんな会話まで交わすとは……。


「また明日、か」


 といっても俺と芹園はクラスが違うので移動教室の際にすれ違うしか顔を合わせることはないだろう。


 あとは家が近いと言っていたから、朝の通学時くらいか。


 でも、こっちに引っ越して一ヶ月以上が経つが芹園の姿を見かけたことはないんだよな。


 ……そういえばどうして芹園は帰る方向が一緒だとわかったんだろう。


 さっきの反応を見る限り、俺の家の場所は知らなかったように感じたんだが……。


「……まぁ、いいか」


 別に知られて困るようなものじゃないし。聞かれたら普通に教えていた。


 考えても答えが出ないことに時間を割くのは無駄なこと。


 人間が一日に使える時間は有限。他に割り振った方が有意義だ。


「さぁて、俺が勝った暁にはどんなことをさせてやろうかな」


 自分にひれ伏す芹園の姿を思い浮かべながら、俺は玄関の扉を閉めた。







 ◇植芝くんのセキュリティはガバガバ◇

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