第19話 晩夏と予測図2
再び自転車で走り、凛太郎は市民公園の入り口の前までやって来た。この先は歩いて行こうと決め、脇に自転車を停めて公園の中に入る。
公園に入ってすぐのところに、敷地内に何があるかを示す地図の書かれた看板があった。遊具が集まる場所があり、その隣に原っぱとなっているところがある。そこから、矢印が伸びていて、地図の外側に写真が載っていた。それを見て、凛太郎はもうひとつの可能性が正しかったことを知る。その写真の中の原っぱには、今はない鳥居が立っていた。
神社ではなく、“鳥居だけ”そこにあったとしたら。その可能性を、凛太郎は考えていたのだった。
それなら、神社が思い出の場所という言い回しのならず、“鳥居が”思い出の場所になる。
日本には、鳥居だけが立つ不思議な場所がいくつか存在する。そのほとんどが、空襲で市街地が焼かれる中で、鳥居だけが残った名残りだが、それが頭の片隅にあったおかげで、この町にも神社だけが存在した場所があるのではと思いつくことができた。その鳥居も今はなくなってしまったが、おそらく亜紗の両親にとっては思い出の場所となっていたのだろう。
看板の地図で確かめた場所へ向かってみると、亜紗の姿を見つけた。ベンチに腰掛け、ぼんやりと宙を眺めている。まるで、かつて両親が見ていた光景を見ようとしているようだった。
「……亜紗」
後ろから近づいても気付かないので、凛太郎は静かにその名前を呼んだ。亜紗は小さく肩を跳ねさせてから、驚いたような顔で振り返った。
「凛太郎……どうして、ここにいるの?」
「叔父さんから、亜紗が帰ってこないって聞いて」
「えっ」と、亜紗は目を丸くする。
「スマホも持たないで、ここに来たんだろ。颯も探してるし、叔父さんも心配してる」
「そっか……ごめん。また迷惑かけちゃったね」
迎えに来たのだとわかっていても、亜紗はまだ動けずにいる。
凛太郎は、そっと亜紗の隣に腰を下ろした。すると、亜紗はゆっくりと言葉を口にした。
「……最初はね、ただ、まだ東京に戻りたくないなって思っただけなんだ。東京での暮らしが嫌ってわけじゃないの。圭介さんもよくしてくれてるし、本当の子供のように接してくれてる。友達もいるし、それなりに楽しくやってるよ。でも、この町にいたら、どうしても帰りたくなくなっちゃって。それで、少し散歩してこようと思って、家を出たの。すぐ家に戻れば、大丈夫だろうって。でも、気がついたら、ここまで来てた」
それから、亜紗は不思議そうな顔で凛太郎を見る。
「……でも、わたしここの公園のこと、話したことないよね。凛太郎と一緒に来たこともないし、なんでここだってわかったの?」
「それは……なんとなくだよ」
あれこれ説明したら、長くなりそうだ。そう思って、濁すように答える。
「……本当にどこに行っても、凛太郎には見つかっちゃうんだね」
そう言って、亜紗は眉を下げて微笑む。この表情を今まで、何度も見てきた。
「ごめんね。もう探さなくていいようにするって言ったのに」
探さなくていいようにする。その言葉を、亜紗はどんな気持ちで言っているのだろう。
探さないで欲しいという意味なのか。そう聞きかけたけれど、代わりの言葉にした。
「俺は……別に迷惑だなんて思ったことないよ。亜紗を探すのそんなに大変じゃないし」
「そうだね、凛太郎はいつもすぐに見つけてくれる。でも、わたしは、それじゃ嫌だよ……」
亜紗の切実な声に、思わず唇を噛みしめる。
けれど、その先に続いたのは、自分が思っているような言葉じゃなかった。
「……だって、ちゃんと凛太郎と颯に並びたいから」
「……並びたいって?」
亜紗は緩く微笑むと、静かに話し始める。
「昔から思ってたことなんだけど、そう強く思い直したのは、この町を出るときだったかな……お父さんとお母さんがいなくなって、引っ越しが決まった時、この町に残れないのは、わたしがひとりで歩くことができない子供だからなんだって思った。それまでは、凛太郎と颯が何もしなくても傍にいてくれたけど、これからはそれじゃダメなんだって。どこで暮らすのか、誰と一緒にいるのか、そういうの全部、ひとりで歩ける人間になって初めて自分で選べるから。だから、そうなりたかったのに……いつまでも、誰かに頼ってばかりで変われない。いつになったら、ひとりで歩けるようになるのかな……」
亜紗の声は、かすかに震えていた。
「……亜紗がこの町を離れなくちゃいけなかったのは、俺や颯が子供で、引き止める方法がなかったからだよ。だから、ひとりで歩く必要なんてない」
今だって亜紗をこの町に繋ぎとめておける方法があるわけじゃない。
あの頃は、大人になればそれが自然と見つかると思っていた。でも、あのとき出来なかったことは、今も出来ないままだ。出来ることなんて、あの頃と大して変わってない。
それでも、いつまでもあの夏を引きずっているのは、出来たはずのことをしなかったせいだ。ただ、本心からの言葉を伝えれば、それでよかったのに。亜紗がこの町にいたい理由は、自分や颯と同じだったのだから。
そして、それは今からでも出来るはずだった。
「本当は亜紗にこの町にいて欲しかった。俺も颯も、いつまでも亜紗と3人でいたかったから」
亜紗の瞳が、わずかに揺れた。微笑もうとして、それをやめ唇を噛みしめる。そのまま一筋だけ涙が、頬を伝った。
「……わたしも、この町にいたかった。東京が嫌だったからじゃないし、知らない親戚と暮らすのが恐かったからでもない。本当は、ただ凛太郎と颯と3人でいたかった」
ようやくずっと探していた心に、手が届いたような気がした。
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