第18話 晩夏と予測図1

 徒歩で帰宅する颯に合わせ、凛太郎は自転車を押して帰路を歩いた。

帰り道は他愛もない話をして、もうすぐで颯と別れる交差点に着くという頃だった。反対方向から何やら慌てて走ってくる人がいるなと思っていると、近づくにつれてそれが圭介だと気づく。

「叔父さん、どうしたんですか……?」

 圭介はふたりの前で立ち止まると、肩で息をしながら尋ねる。

「……亜紗、どこにいるか知らない?」

「え? 亜紗なら、先に帰ったはずですけど……」

 颯が答えると、浅い呼吸を整えながら圭介は頷く。

「うん、1回帰ってきたんだ。手紙が入った缶を持って……それで、買い出しに行くって言って出て行ったんだ。僕は、亜紗が気を遣ってひとりで手紙を読めるようにしてくれたんだと思ったんだけど、しばらくしても帰ってこなくて」

「電話は、かけてみましたか?」

 嫌な胸騒ぎを感じながら、凛太郎が聞く。

「それが、スマホを家に置いたまま出て行ったみたいなんだ」

「……どこかに遊びに行ってるだけとか、ありませんか」

 そうであって欲しいと願うように、颯が言う。

「そうかもしれない……きっと、そうだと思う。でも、さっき亜紗に会ったっていう近所の人が声をかけてくれて。それで亜紗、『お父さんとお母さんに会いに行く』って言ってたらしいんだ……」

 心臓が嫌な音を立てた。明日は、亜紗の両親の命日だ。

「明日の両親のお墓があるお寺には行ってみたんだけど、そこにはいなかった。他に思い当たるような場所も僕にはわからなくて……僕の考え過ぎかもしれない。何もないなら、それでいいんだ。でも、時期が時期だから、どうしても心配で……」

「亜紗は叔父さんを悲しませるようなことしませんよ」

 凛太郎は圭介を励ましたいのか、自分に言い聞かせているのかわからなった。無意識に、きゅっと手を握っていた。

 亜紗はどうしていなくなったのか、わからない。けれど、やるべきことは明らかだ。凛太郎は、下を向きかけていた顔を上げる。

「亜紗のこと、俺たち探してきます」

 颯もきっと同じ気持ちだろうと思い、『俺たち』と言う。予想通り、颯もすぐに圭介に言葉をかけた。

「亜紗が帰っくるかもしませんし、叔父さんは家で待っていてください。もし、見つかったらすぐに連絡しますから」

 少し躊躇していた圭介だったが、やがて頷いた。

「……わかった。亜紗のことを頼む」

 深く頭を下げた後で、圭介は顔を上げる。

「もう一度だけ近所を見て回ってから、家に戻ってみるよ」

 圭介はさっきよりはしっかりとした顔つきでそう言って、来た道を引き返して行った。

 ふたりきりに戻ったところで、まずは颯が口を開く。

「亜紗が行きそうな場所、探してみよう。俺たちの学校に戻ってるってことないかな?」

「それも、ありそうだけど……亜紗の言っていたことが気になる」

嫌な方に考えたくはないけれど、無視することもできない。頷きながら、颯も苦い顔をした。

「両親に会いに行くって言ってたんだよな……それなら、両親との思い出の場所にいるのかも」

「うん、そんな気がする」

「亜紗からそういう話、聞いたことあったっけ? 家族でよく行っていた場所とか」

「いや……旅行の話はしていたとことがあったけど、ここから近い場所でもないし……」

 否定しかけて、つい先日、祭りの日に亜紗と交わした会話が頭を過ぎる。

「そういえば、神社が両親にとっての思い出の場所だって言ってた」

「本当か? それなら、あの神社にいるんじゃないか。亜紗の両親も、ここで育ったんだし」

「そうだね。亜紗がよくあの神社にいたのも、それが理由なのかも。でも……」

 引っかかるものがあり、強く頷けない。

 神社の境内で話していた亜紗の横顔を思い出す。

「……でも、あのとき、亜紗は言ってたんだよ。“鳥居”が両親にとっての思い出の場所だって」

「それなら、やっぱり神社じゃん」

「でも、わざわざ“鳥居”って言うかな……神社が思い出の場所って言えばいいのに」

「そんなのただ間違っただけかもしれないし、何か特別な思い出が鳥居にあってそう言っだけかもしれないだろ」

「そうだね……」と、頷きながらも、凛太郎はまだ別の可能性について考えていた。

 煮え切らない態度の凛太郎に、颯が痺れを切らす。

「きっとあそこだよ、凛太郎。だってこの町に神社は、ひとつしかないんだよ?」

 そうなのだと、凛太郎も内心頷きかけた。

 確かに、この町に神社はひとつしかない。それは、凛太郎にもわかっている。けれど、それはあくまで今の話だ。

 亜紗の両親がこの町で暮らしていた頃に、神社がもうひとつあったかもしれない。浮かび上がった可能性に、凛太郎は自分でそれを否定する。仮にそうだとしても、そこが思い出の場所であるなら、“鳥居が”とは言わないだろう。結局は、同じことなのだ。やっぱり、特に深い意味はなく、そう言っただけなのかもしれない。

「他に思い当たる場所があるの?」

「いや、なんでもない……あの神社に行ってみよう」

頭の中に浮かんだ可能性を捨てて、凛太郎は言う。けれど、今度は颯が何か考え込むように黙り込んだ。

「……凛太郎、そうだと思う場所があるなら、そっちに行きなよ。俺は、いつもの神社に行ってみるから。この前の祭りのときみたいに、手分けして探せばいい」

 そう言われ、凛太郎はあのとき亜紗が言った別の言葉を思い出してしまう。

「それは、ダメだ……今回は、颯が見つけないとダメな気がする」

「は? なんだよ、それ」

 意味がわからないというように、颯が思いっきり眉を寄せる。

「俺、祭りの日に亜紗に言われたんだ。もう探さなくていいよって……亜紗が探して欲しくないって思うなら、行かない方がいい」

「探して欲しくないって、亜紗が本当にそう言ったの?」

「……俺に探してもらうの最後にするって、そう言ってた」

「それなら、別の探して欲しくないなんて言ってないだろ」

「わからない。でも、俺きっとまた間違えたんだと思う……」

「亜紗がどういうつもりで言ったのか俺もわからないけど、凛太郎だってちゃんとわかってないじゃん。それなのに、決めつけるなよ。俺から見たら、凛太郎も亜紗も似たもの同士だよ。お互いに相手の気持ち考え過ぎて、自分が本当に言いたいことは隠してる。相手の本当の気持ちが知りたいなら、自分の本心伝えるしかないんだよ」

それから、颯は悔しそうな顔をした。

「俺だって……俺だって、後悔してたよ。亜紗がひとりで東京に行く日、親の言うこと聞かないで、野球の試合を放り出してでも、ちゃんと見送りに行けばよかったって。大事なところで、間違えたんじゃないかって。でも、間違えたんなら、またやり直せばいいだろ。なんで、凛太郎はそれが叶わないような顔してるんだよ」

 颯の言葉に、心が揺れる。

 もう間違えたくないと思っていた。

でも、言葉を間違えてもいい。うまく伝わらなくてもいい。出来るはずのことから今逃げて、後悔することだけはしたくなかった。

「そうだね……俺、もうひとつの場所、探してくるよ」

 凛太郎がまっすぐに颯の目を見て言う。

「ああ、行ってこいよ」

 颯は短くそう答えて、見送る。

 凛太郎は自転車に跨ると、ペダルを強く踏み込んだ。



 息を切らしながら自転車をこぐ度に、汗が頬を伝い、周りの景色が流れていく。

凛太郎は再び学校に戻ってきた。駐輪場には寄らず、部室棟の脇に自転車を停め、部室の中へ駆け込む。

 明かりを点け、鞄を放り投げると、棚に並んだ本を指でなぞりながら探した。目当てのものを見つけると、数冊抜き出す。エアコンをつける時間も惜しくて、蒸し暑い部屋の中で、テーブルの上に3冊の本を広げて比べるようにして眺めた。

 開かれたページに描かれているのは、この町の現在と20年前、そして30年前の地図だ。亜紗の両親は同級生同士で、父親が圭介より2つ上の兄だと聞いたことがある。この町に亜紗の両親の思い出の場所があるとしたら、それはきっと20年前と30年前の間にあるはずだ。

 颯が今向かっている神社は、30年前の地図にも現在の地図にも載っている。凛太郎は、30年前にはあったが、今はなくなってしまった神社がないか探し始めた。 

 亜紗の実家や学校があるこの近くを中心に、地図に視線を滑らせる。しかし、見つからない。近い距離に、神社がそういういくつもあることはない。範囲を広げて、さらに探してみる。

「……あった」

 ここから少し遠いが、30年前の地図の上に、今はない神社が2つあるのを見つける。このどちらかが、亜紗が言っていた両親の思い出の場所なのかもしれない。

「今は、何になってるんだ……」

 はやる気持ちを抑えるために、ひとりごとのような言葉にしながら、現在の地図を手元に引き寄せた。かつて神社があった場所を照らし合わせてみる。ひとつは、市民公園になっていて、もうひとつは神社跡になっていた。

 それから、今度は20年前の同じ場所がどうなっているのかを見た。市民公園は、20年前からあるようだ。そこに、神社はなかった。もうひとつの神社は、30年前と同じだ。神社として、まだその場所に存在していたことになる。

「……行くなら、こっちだ」

 凛太郎は、市民公園のある場所に指でそっと触れた。20年前に神社が存在しなかったこと。その事実が、凛太郎が考えたもうひとつの可能性を後押ししてくれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る