第16話 日脚と旗標4


 西の空が夕日を受けて赤く染まっている。桜の木を調べ尽くし、凛太郎と亜紗は本校舎の屋上にいた。

「何も掴めずかぁ。もすうぐ日が暮れるし……」

 凛太郎がぼやきながら、屋上の柵から下を覗き込む。亜紗もそれに倣うように隣に立った。

屋上に来たのは、視点を変えて上から学校を見てみたら、何かいい案が浮かぶかもしれないと思ったからだ。夕暮れどきの屋上から見える景色は綺麗だなと思いはするけれど、どれだけじっくり眺めてみても、思いつくものはない。

「そろそろ颯も練習、終わった頃かな」

 遠くの景色見つめながら、亜紗が言う。

「屋上にいることはメールしておいたから、終わり次第こっちに来るはずだよ」

 すぐ下の広場を何気なく見下ろしていると、やがて野球場の方から颯が現れた。

「あ、颯だ」と亜紗も気付いたようで、声を上げる。

その声が聞こえるはずはないが、颯は屋上を見上げ、こちらに気づくとひらひらと手を振る。颯を目で追っていると、広場を抜けて、本校舎の玄関に入っていくのが見えた。

 そうやって、ぼんやりと眺めているうつに、ふと違和感を覚える。いつもと何ら変わりない広場のはずなのに、何かが違う。その正体が何なのかを探していると、広場の中央に立つ銅像に目が止まった。そして、その右手こそが違和感の正体だと気づく。ついこの前、校長が話していた通り、修繕が済んだのだろう。今、銅像の手の中には、鈍色の輪が収まっていた。

少しして屋上の扉が開き、颯が顔を出す。

「颯、お疲れさま」と、亜紗が声をかける。

「ふたりも、お疲れさま」

 颯が答えながら、どこか嬉しそうに笑う。

 3人で集まると、特別な感じがする。颯とふたりでいるときも、亜紗とふたりでいるときも、それぞれに楽しい時間だ。けれど、3人でいることには変えがたい。

 気がつくと、自分の頬も緩んでいることに凛太郎は気づいた。

「どう、見つかりそう?」

 颯が吞気に尋ねる。 

「いや、進捗なし。もう全部の木の下、掘り返そうかなって思ってるくらい」

 凛太郎が切羽詰まった感じで答える。

「それ、俺が前に言って、凛太郎に止められたやつじゃん」

「そうだけどさぁ……」

「それくらい行き詰ってるってことね。少し息抜きしようよ。俺も久しぶりの練習で疲れたし」

 颯は屋上の床に腰を下ろすと、そのままゴロンと仰向けに寝転がる。吹き抜けた風が、颯の髪を揺らす。涼しそうに目を閉じる颯は、なんだかとても気持ちよさそうで、そのまま昼寝でもしてしまいそうだった。

「いいなぁ。わたしも休憩する!」

 亜紗も同じように、颯の傍に寝転がる。仕方なく、凛太郎も仰向けになって空を仰いだ。

ちょうど3人が円になるように、頭を向かい合わせて、寝そべっている。

 しばらく、ただ過ぎていく時間に身を預けた。それから、静かに話し始める亜紗の声が耳に届いた。

「……さっき、颯が練習しているところ見たよ」

「知ってる。俺からも、ふたりの姿が見えてたから」

「颯も凛太郎も大事なところは昔と変わってないけど、前に進んでるんだよね。颯はもっと野球が上手くなって、凛太郎はさらに地図の知識が増えて。きっと、わたしが見てない間に、いろんなことがあったんだろうなって思った。たくさんのことを見逃したんだろうなって、悔しくなっちゃった。わたしも、ふたりと同じ高校に通いたかったなぁ……」

 自分で思ったより、弱々しい声だったのか、亜紗は取り繕うように明るい声で続ける。

「ほら、もし同じ高校だったら応援もできたし。圭介さんと話してた垂れ幕も見てみたかったし。『文慶魂!』ってやつ」

 仰向けに寝転んだまま、凛太郎は何かが掴めそうな感覚に宙を見つめる。

「そうだ、垂れ幕……」

「垂れ幕がどうした?」と、颯が聞き返す。

「あの垂れ幕、叔父さんの代から始まったって言ってたよね。だから、野球部にとって、すごく大事なもので……」

「そりゃそうだよ。今でもずっと受け継がれてるくらいなんだし」

「それなら、為成さんにとっても、大事なものだったはずだ……」

 凛太郎は勢いよく起き上ると、床に地図を広げる。

「凛太郎、どうしたの?」

 つられて亜紗と颯も身体を起こし、一緒になって地図を覗き込む。

「何かわかったのか?」

「いや……垂れ幕の話を聞いてたら、何か掴めそうな気がして……でも、何かが足りない……」

 地図を見つめたまま、凛太郎は黙り込む。

 すると、沈黙を破るように颯が口を開く。

「……なあ、亜紗だったら、どこに埋める?」

 いつか凛太郎が颯にした質問を、今度は颯から亜紗に投げかける。

「うーん、そうだなぁ……わたしはこの学校に通ってるわけじゃないけど、たぶん思い出の場所とかにするかな」

考えながら、亜紗は眉を寄せた。

「そういえば、さっき亜紗は野球場の近くじゃない気がするって言ってたよね。あれって、どうして?」

 凛太郎が問いかけると、亜紗も思い出したように答える。

「あ、それなんだけど……話を聞いたときは、圭介さんと為成さんが幼馴染だとばかり思ってたんだけど、そうじゃなかったでしょ」

「倉間先生も、叔父さんと幼馴染だったのだよね?」

「そう。それでよく話を聞いてみたら、3人で幼馴染だったんだって。だから、手紙って、圭介さんと倉間先生、ふたりに宛てたものなんじゃないかな。マネージャーをしていたから、確かに野球場は思い出の場所だろうけど、それだけじゃ足りないと思う。だって、野球場だけだと、倉間先生に関係するものがないもの。わたしだったら……わたしが凛太郎と颯のふたりに書いた手紙を埋めるなら、ふたりに共通する場所にすると思う」

 そう言い切ってから、途端に亜紗は自信をなくしたように肩を縮める。

「そんな場所があるのか、それが何なのかは、わからないけど……」

 静かに聞き切った後で、颯が頷く。

「なるほど。それなら、野球場から目を離した方がいい気がする。倉間先生って言ったら、やっぱり地図に関係するところかな……?」

 そう言いながら、確かめるように凛太郎を見る。

「そうなると思う。倉間先生も高校時代、地図部だったし……」

 凛太郎は地図を見つめたまま、考えた。

『学校が見える場所』、そして野球と地図を繋ぐ場所。それがこの学校にあるとしたら、どこだ。

 そのとき、ここ数日間の出来事が凛太郎の頭に流れ込んできた。

 ――特別校舎の中心にあった記念館がなくなったこと。角度によって見える景色。

――20年前にもあったが、ついこの前までなかった銅像の輪。

――野球と地図を繋ぐもの。為成裕子が、見ていたもの。

――亜紗との再会のきっかけ。組み合わせて、別の形を成すもの。地図記号で作られた暗号だった。

 それらが、すべて凛太郎の中で繋がった。

「……見つけた。『学校が見える場所』」

 地図上のある一点を見つめたまま、凛太郎が告げる。

「本当か?」

「うん、きっとそこにある。でも1本に絞れていない……実際に見てみないと」

 それには、実験が必要だ。

 うまくいくだろうか。頭の中で今見た光景が、正しいのか自信はない。それでも、やってみるしかない。

 凛太郎は地図から顔を上げて、颯に尋ねた。

「ねえ、野球部の垂れ幕ってどこにある?」

「え、垂れ幕……? 野球場の備品室にあるけど」

 唐突な質問に、颯は目を瞬きながら答える。

「それ、ちょっと貸してもらえないかな?」

「まだ先輩たち残ってるだろうし、言っておけば大丈夫だと思うけど……借りてどうするつもり?」

「手紙を埋めたとき、為成さんが見ていたものを再現するんだ」


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