第15話 日脚と旗標3
翌朝、少しだけ寝坊をした凛太郎は、いつもよりは遅めの時間に部室にやって来た。
エアコンをつけて鞄を置いたところで、颯からメッセージが届いた。どうやら、今日から野球部の連絡に戻るらしい。善は急げ。颯らしい潔さに、ほっと胸を撫で下ろす。返信の文字を打っていると、立て続けに颯からまたメッセージがきた。『相棒はバトンタッチ』という内容に頭を捻る。そのとき、扉をコンコンとノックする音が聞こえてきた。
「はい」と扉に向かって返事をする。「相棒、到着」そう言って、入ってきたのは亜紗だった。
「今日こそ、一緒に探させてもらうからね」
亜紗は胸を張って告げる。
「颯からもお願いされてるし、凛太郎が断っても無駄だから」
「断ったりしないよ。今日は、誘おうと思ってたし」
そう返しても、亜紗は疑わし気な目を向ける。
亜紗に手伝ってもらわなかったのは、石を投げ込んだ犯人が学校内にいたからだ。加賀山が捕まった今、断る理由なんてない。
けれど、あの場に居合わせた亜紗には、その理由も含め、事件を追っていたことなどすべてがバレてしまった。やはりと言うべきか、亜紗は自分を守るためとはいえ内緒にしていたことを怒ったし、自分を責めていた。手紙探しをお願いして、きっかけを作ってしまったからと。
凛太郎は、颯の言う通りにすべきだったと思った。亜紗に最初からすべてを話せばよかったと。昨夜、亜紗が学校にいたのは、凛太郎と颯を心配してのことだった。ふたりが夜になっても家に帰っていないと知り、学校まで来たのだという。嘘に気づいていたからこそ、学校まで来させてしまったのだろう。運がよかっただけで、亜紗を危険な目に遭わせてしまった。
そうやって結局、また後悔をすることになったのだった。
だから、今日は探すつもりだったと言っても、亜紗に信じてもらえなくても無理はない。
「亜紗も一緒に探して欲しい。俺ひとりだと、見つけられないから」
そう伝えると、亜紗はようやく笑顔を見せてくれた。
凛太郎は、一昨日と同じように地図を片手に学校の中を歩いた。この前と違うのは、隣にいるのが颯ではなく亜紗だということだ。せっかくだからと、いつも自分たちが通っている学校を案内して回る。
「それにしても、まさか倉間先生と亜紗の叔父さんが幼馴染だなんて思わなかったよ」
「わたしも昨日知って、びっくりしたいんだ。倉間先生って、地図部の顧問なんでしょう? 地図好きと野球好きで幼馴染なんて、凛太郎と颯みたいだよね」
昨夜、あの後すぐに倉間が駆けつけ、加賀山は警察に引き渡された。
過去の事件を明らかにしたとはいえ、危ないことに足を突っ込んだ凛太郎と颯を、倉間はこっぴどく説教した。何かあったら大人を頼れと言っておいたのに、そんなに信用できないかと拗ねられもした。
幼馴染である圭介から、久しぶりに連絡が来たのは昨日のことだったそうだ。手紙探しをお願いしたことを電話で聞いているうちに、亜紗が家を飛び出して学校に向かったと圭介が慌て始めた。聞けば、凛太郎と颯がまだ家に帰っていないからだという。部室の窓が割られた一件もあり、学校に来てみれば、ふたりが加賀山に襲われていたということらしかった。
桜の木の下に埋まっていた白骨遺体が誰のものか特定するには、まだ時間がかかる。しかし、警察に同級生がいるという倉間の話によれば、為成裕子のもので間違いないと加賀山が自供しているらしい。事件に至るまでの真相は加賀山にしかわからないが、当時、一方的に好意を寄せていた彼女と口論の末の事故だったと語っているという。
ちなみに、亜紗が持っていたボールには、野球部の先輩のサインが記されていた。凛太郎が大暴投の末に、木の上に乗っけてしまったあのボールだ。野球場の近くを歩いていたところ、風で木から落ちてきたボールをたまたま拾ったという。ラッキーボールは、本当にピンチを救ってくれる幸運の一球だったわけだ。
遺体が埋まっている場所も見つかったし、ラッキーボールは野球部に戻った。
「……でも、手紙の方がまだ見つかってないからなぁ」
凛太郎は、空に地図を掲げるようにしながら言う。今日も空は夏らしい青さをしていた。
「手紙が見つからなくても、十分だよ。圭介さんも倉間先生も、すごく感謝してた。大事な友人をふたりが見つけてくれたって」
「そうなんだ……でも、できるなら手紙も見つけたいな」
彼女が何か伝えたいことがあって、それを届けられるとしたら手紙なのだ。遺体の場所は見つかって、犯人も捕まったけど、それでは今生きている人に届かない。
「颯もだけど、凛太郎もここまでしてくれて、ありがとう」
「お礼は、見つかってからにしてよ。それにこれは、自分のためでもあるから……」
これは、過去にできなかったことを清算するためのチャンスなのだ。
亜紗は、明日には東京へ戻ってしまう。それまでに、なんとか手紙の在処を見つけたい。
手紙が見つかったらと言って、目に見える何か大きな変化があるわけじゃないかもしれない。それでもいい。ほんの少しだけでも、前に進めるのなら。
「『学校が見える場所』……やっぱりこのヒントを解くのが鍵だと思う」
凛太郎が呟く横で、亜紗もなにやら考え込む。
「じゃあ、桜の木がある度にその下に立って、そこから何が見えるのか確かめてみない?」
もしかしたら、亜紗にしか見えないものがあるかもしれない。
そう思い、颯のときと同じように、部室棟から時計回りに学校を東から西へ渡り、野球場の傍まで来た。グラウンドでは、野球部が練習をしている。その中に颯の姿もあり、右腕の包帯はもう外れていた。
「為成さんが、野球部のマネージャーをしてたことを考えると、この辺りが一番可能性あるような気がするんだよね」
凛太郎はグラウンドから目を離して、桜の木の下にぼんやりと立っている亜紗を振り返る。
「どう? 学校は見えた?」
「学校っていうか、ここからだと校舎もよく見えないね」
亜紗の言う通り、体育倉庫や背の高い他の木々の茂みに遮られて、校舎は見えづらい。
「学校が見えるって、校舎のことかなって思ったんだけど……見えない場所を探しても仕方ないもんね。校舎が見える場所なら、他にいくらでもあるし」
亜紗が眉を下げて、続ける。
「それにあのヒントが解けたら、ここだって言うひとつの場所がわかるんだよね? それなら、本当にそこからだけしか見えないものがあるはずだよ」
「そうだね。その桜の下だけしか、見えないものが……」
言いながら、凛太郎は遺体が埋まっている場所に目星をつけたときのことを思い出す。20年前にあったものが今はないことで見えるものがある。記念館がなくなったことで、見える景色は変わる。それとは反対に、前になかったものが今はあることで、そこから見えるものが変わる場合だってある。
そう考えると、何か見逃しているものがあるような気がしてきた。
「たぶん俺たちが考えるような『学校』じゃないんだ……」
頭の中でそれを探るようにしながら呟く。
別の何かがあるはずだとは、ぼんやりとわかっているのに掴めないでいる。きっとあるはずなんだ、為成裕子にとっての学校が。桜の木の下で、彼女は一体何を見ていたのだろう。
そのとき、同じように考え込んでいた亜紗が口を開く。
「うーん……なんとなくだけど、わたしは、野球場じゃない気がするんだよね。だって……」
亜紗が何かを言いかけたそのとき、カキンと軽快な金属音が響いて、野球場がどっと沸いた。思わず、凛太郎も亜紗もグラウンドを振り返る。見れば、颯がバッターボックスから一塁へ走り込んでいるところだった。ホームベース裏には、颯の活躍を見に来ている女子生徒までいる。
「颯、頑張ってるんだね……」
亜紗がグラウンドをまっすぐに見つめながら呟いた。
その横顔を眺めるうちに、20年前、為成裕子も同じように練習する部員たちを眺めていたのではないだろうかと思った。
もしくは、その中のひとりを――。そう考えると、なぜか胸がひりつくような痛みが走った。
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