第14話 日脚と旗標2

「あっ」と小さい声を出した凛太郎に、颯も異変を察して顔を上げる。

 凛太郎はシャベルを置き、地面に膝をつく。手で穴の掘り進めていくと、暗い土の中にわずかに白い物体が顔を覗かせた。颯も同じように手で土を避けていく。すると、黄色味を帯びた骨のようなものがだんだんと露わになり、それが頭蓋骨だとわかるくらいにまで姿を現した。

 ふたりして言葉を失ったように、しばらく沈黙した。探していたものなのに、いざ実物を目の前にすると、心臓がばくばくと鳴り始め汗が噴き出す。

「……本当にあったよ……」

 信じられないという想いを滲ませながら、颯が呟く。気持ちは同じだったけれど、その声でようやく現実に少し引き戻してもらえた。

「警察に……」と、凛太郎も声を絞り出す。

「俺がするよ」

 そう言って、颯がポケットからスマホを取り出して立ち上がる。けれど、ふとその手を止めて立ち尽くした。

「……なあ、凛太郎」

 呼ばれて顔を上げると、颯は特別校舎の方角の一点を見つめていた。その視線を辿り、颯が見ているのは、その先にある管理棟の建物だと気づく。

「管理棟の明かりが点いてる……」

 颯がそう言ったときには、凛太郎の目も蛍光灯の光をしっかりと捉えていた。さっきまでは点いていなかった2階の明かりだ。そして、用務員室があるのはその2階だ。一瞬にして、喉がひどく乾くのを感じた。

「誰かが、戻って来たんだ……」

 掠れた声で、凛太郎も呟く。

全員帰ったはずの管理棟に、この時間にわざわざ戻って来た者がいる。それが誰かを考える前に、一刻も早くこの場所を離れた方がいいと本能が叫んだ。

 とにかく学校の外へ。そう言おうと、凛太郎が口を開きかけたそのとき。コンクリートの地面の上を何か引きずるような音が聞こえてきた。その合間に、カツン、カツンと、硬いものが当たるような断続的な音がする。額から流れた汗が頬を伝い、顎の下から零れる。暑いはずなのに、寒気が足元から襲ってきた。

「こんなところで、何をしているんだ?」

 嫌な予感は的中した。凛太郎と颯が振り返ると、そこには用務員の加賀山がいた。その手には、倉庫で見かけたバットが握られている。加賀山はわざと音を立てるように、ズルズルとバットを引きずりながら近づいてきた。

「手伝いに来てくれたって感じじゃないですよね?」

 加賀山に向かって、颯が冗談っぽく言う。余裕そうに見えるが、シェベルの柄をきつく握りしめている。

「部室に石を投げ込んだの、あなたですよね?」

 凛太郎も虚勢を張りながら、声をかける。頭の中では、うまく回避する方法を必死で考えた。どうにか時間を稼ぎたい。

 けれど加賀山は、構わずにさらに距離を縮める。

「警察に連絡してあります」

 ハッタリで言っただけだったが、加賀谷はふと足を止めた。わずかに希望がみえる。

「もうすぐ学校に到着する。逃げた方がいいんじゃないっすか?」

 颯も、凛太郎の嘘に乗っかった。このまま引いてくれるなら、それがいい。しかし、加賀山は鼻で笑い、表情のない顔を向けた。見えたはずの光が、消えていく。

「お前たちが警察に連絡をしていないことは、わかっている」

 やけに自信ありげに返され、凛太郎たちの方が怯んでしまう。加賀山の方も、ハッタリで言ってるだけかもしれない。そうやって気持ちを持ち直そうとしても、じりじりと不安が胸に押し寄せた。

「部室の窓、誰が直してやってたと思ってるんだ」

 答え合わせをするように、加賀山が言う。

 凛太郎と颯は、そこでようやく自分たちの落ち度に気がついた。

「……俺たちの会話、聞いてたのか」

 颯が、舌打ち混じりに言う。

気づくべきだった。割れた窓を直すため、用務員が部室に立ち入ることは決しておかしくないということを。

盗聴器などが部室に付けられていたに違いない。だからこそ、人がいなくなってから桜の木の下を掘り起こそうとしていることを知り、一度管理棟の電気を消し帰った振りまでして、このタイミングで戻ってきたのだろう。

すべて聞かれていたのであれば、嘘やハッタリはもう通用しない。

「……凛太郎、50メートル走、クラスで何番?」

 颯が囁き声で、凛太郎だけに聞こえるように尋ねる。

「3番……下からね」

 颯だけなら、走って逃げることもできるだろう。けれど、そう伝えたところで、颯はひとりで逃げるようなことはしないとわかっていた。ふたりで別々の方向に逃げれば、加賀山は必ず足の遅い凛太郎を追うはずだ。そうなれば、颯は止めようとする。どっちにしろ、颯だけ逃げてもらうことは難しそうだ。

「逃げても無駄だ」

 まるで心を見透かすように、加賀山が告げる。

加賀山の言う通りだと思った。頭の中であれこれ算段を考えてはいても、足が竦んでいることに気づいてしまった。ただでさえ足が遅いのに、今の状況なら、なおさら走って逃げる自信などない。

「穴、たくさん掘ってくれたんだな……」

 そう呟く加賀山の視線は、桜の木の下に空いたいくつもの穴に向いている。怒っているというよりも、どこか嬉しそうな加賀山の表情に、凛太郎も颯も悪寒が走った。

「お前ら埋めるための穴、掘らなくて済むよ。手間、省いてくれてありがとな」

 加賀山が再び距離を詰めながら、バットを振り上げる。

 逃げなければ――。けれど、思考とは裏腹に足が動いてくれない。

 その間にも、加賀山との距離はどんどん縮まる。

 ダメだ――。襲ってくるだろう衝撃に備え、目を瞑ってしまおうとしたそのとき。

「凛太郎……!」

 静かな校内を突き抜けるように、澄み切った声が届く。ハッとして見れば、少し先に亜紗の姿が見えた。

「亜紗……なんで……」

「颯、パス……!」

 亜紗の声が、校舎に反響して響く。亜紗は慣れない動作で振りかぶる。その手から小さな丸い球体が離れ、空中に緩やかな放物線を描く。月の薄い光を浴びて、それが野球のボールだと気づいた。

夜空を滑るように飛んできたボールは、颯のほぼ真上まできた。颯はすばやく落下点に移動すると、ボールを捕まえた。そのまま利き手でボールを握り締め、片足を上げる。

 凛太郎はその流れるような一連の動作を見ていた。まるで、颯の立っている場所がピッチャーマウンドのように錯覚する。

颯は大きく肩を広げ、一度浮かせた足を地面に踏み込む。そして身体を勢いよく前に倒しながら、ボールを投げ放った。

小学4年の夏、ピッチャーマウンドに立っていた颯の姿と重なる。凛太郎が憧れた、あの頃の颯そのままだった。

 颯の手を離れたボールは、まっすぐ加賀山に向かっていく。猛スピードで飛んできたボールに加賀山は反応することもできない。バットを握っていた手に、ボールは食い込むように命中した。バットが加賀山の手から落ち、カランと金属の音が鳴る。

 加賀山は激痛に顔を歪め、その場に膝をついた。すべては一瞬の出来事だった。

「……さすが、高校球児」

 颯の鮮やかな投球に圧倒されながら、凛太郎が呟く。

「……そこは、野球バカって言えよ」

 息を整えながら、颯がツッコむ。お互いに顔を見合わせ、それからふたりして小さく笑ってしまった。

 颯は自分の右手に目を落とし、まじまじと見つめる。今の感覚を刻み込むように、手を何度も開いては閉じた。

きっと、颯はもう大丈夫だろう。吹っ切れた横顔を見て、凛太郎はそう思った。

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