第13話 日脚と旗標1
ふたりしかいない部室が、水を打ったように静まり返る。
「……あの用務員……加賀山は、どうやって俺たちがやろうとしていることを知ったんだ?」
颯が首を傾げる。
「会ったのは、A棟の裏の倉庫だよね……」と、凛太郎が呟く。
「そうだ、シャベル……あのとき、放置されてたシャベルを片付けたよな。それを見て、木の下を掘り返そうとしてるって思ったんじゃないか」
「でも、倉庫で会ったときには、もう片付けた後だよね」
「じゃあ、その前のどこかで見てたのかもしれない。シャベルが放置されてたのって、D棟の裏だったよな」
記憶を辿うろうと、ふたりしてテーブルの上に広げた地図を覗きこむ。
「動線を書いてみよう」
凛太郎はペンを取り出し、D棟の校舎の裏から、A棟の裏の倉庫まで線を引く。四角形の隅のひとつを円形に囲んだような形になる。
「D棟か、A棟からなら見えそうだけど……たまたまそこにいて、見かけたってことか?」
「もしかしたら、この近くに触れられたくない桜の木があるのかもしれない。前に話したよね。もし犯人がいて、この学校にいるなら、誰にも探されないようになるべく見張っておこうと思うだろうって」
「それで、警戒してたってことか」
「かもしれない。それにしても、この近くだけでも桜の木がかなりある。どのくらいを範囲に入れるかだけど……」
地図の上には、A棟とD棟の周りに桜の木を示すピンクのシールが点在している。凛太郎は当てはまりそうな場所を赤いペンで丸く囲っていった。
「ざっと、10本くらいってところか」
颯はそれから思い出したように続けた。
「……そういえば、あの怪談も加賀山が流したのかもな。この辺りから、人を遠ざける目的があったのかもしれない。記念館の火事も、そのためだったりして」
「怪談のために、記念館に火を放ったってこと?」
「いや、それはさすがに考え過ぎか。人を遠ざけるためなら、別の怪談でもいいわけだし。でもさ、火事で記念館がなくならなければ、火の玉もできなかったよな。記念館があったら、中庭を通して校舎が見えないし」
「中庭を通して校舎が見えない……記念館があったら……」
凛太郎は同じように口にしながら、何かが掴めそうな気がした。
「ねえ、颯。もし記念館を燃やした理由が、邪魔だったからだとしたら、どうだろう」
「邪魔って何に?」
「見張るために。遺体を埋める場所を犯人が選べたとは限らない。そこに埋めるしかなくて、誰かが近づかないように見張りたい。でも、記念館があることで、その場所が見えなかったとしたら……」
凛太郎はもう一度、地図に目を落とす。
D棟とA棟の間に当たる角から、まっすぐ対角線上に線を引いていく。その線は、今は記念館がない中庭をまっすぐ通り越して、やがてその先にある管理棟にぶつかった。
「管理棟……用務員室がある」
「A棟やD棟から、たまたま見かけたんじゃない。管理棟にある用務員室から、ずっと見張ってたところに、俺たちが現れたんだ。シャベルを持って……」
「それで、倉庫に来てみたら、俺たちが課題のために桜の木の場所を調べてるっていう話を聞いたってことか。それで、桜の木の下を『掘り返すなよ』なんて口走ったんだ」
「もし、そうだとしたら……」
凛太郎は、さっき引いた線を、管理棟の方角とは反対側へとさらに伸ばす。その斜線上には、桜の木を示すひとつのシールがあった。
「俺たちが探していた場所は、ここだ」
凛太郎がそう告げる。ふたりして、しばらく地図の上を眺めていた。そのあとで、颯が顔を上げる。
「どうする?」
「賭けてみる。この場所に」
凛太郎も顔を上げて、颯を見つめた。
「今夜、この桜の木の下を探してみよう」
夜の校舎の窓に灯っていた明かりも、ひとつふたつと消えていく。やがて、学校の中は夜の闇に包まれた。
外のファミレスで時間を潰し、人がいなくなる時間になるのを待ってから、再び戻って来た。どこかで加賀山が見張っているとも限らない。一度、学校を出たのは、加賀山に帰宅したと思わせるためでもあった。
夜の学校には、特別な静けさがある。夜というだけで、こんなにも建物の姿形が変わってしまうことが、凛太郎は不思議だった。特に、こっそり何かをやり遂げようなんて考えているときには、夜の隙間から得体の知れない何かに見張られているような気分になる。
特別校舎A棟の裏手にある倉庫から拝借したシャベルを片手に、凛太郎と颯は1本の桜の木の下にやって来た。A棟とD棟の角のさらに先、地図で見つけたあの場所だ。そこから中庭の方を振り返れば、さらにその先には管理棟の建物が見える。管理棟の電気は消えており、今は真っ暗だ。
「さすがにこの時間になれば、誰もいないね」
誰もいないから安心できるようでもあるし、誰もいないからこそ不安な気もした。腹を決めて来たはずなのに、さっきから胸が妙にざわついていた。
「でも、いつ誰が来るかとも限らないし、さっさと始めよう」
颯は、凛太郎より落ち着ているように見える。静かにそう告げると、シャベルを握り、木下の地面に突き立てた。
凛太郎もそれに続くようにシャベルを手にして、木を挟んで反対側の地面を掘り始める。
1本の桜の木の下に絞ったとはいえ、その周りを掘り起こすとなれば、意外とその範囲は広い。シャベルを地面に差し込んでは、土を掬って、外へ放り出す。だんだんと木の周りの穴は大きくなり、それに比例するように掻きだされた土の山が高くなっていく。
地面は思ったよりも柔らかく、最初こそ順調に進んでいたが、時間が経つにつれてスピードは落ちていった。
20年前に埋めた遺体が本当にこの下に眠っているのならが、白骨化しているだろう。それを考えれば、慎重に掘り進めなければならない。気を遣いながら掘ることで、さらに体力が消耗していく。緊張感も重なって、身体が重く感じられた。
しばらくしたところで、さすがに限界を感じ、腰を伸ばした。
「少しだけ、休もう」
颯も手を止めながら、汗を拭う。
凛太郎は頬を撫でる風を感じながら、頭上の木を見上げた。
「……そういえば、野球部のラッキーボールも見つけないといけないんだった」
ふと、木の上に乗ったまま、助けを待っているだろうボールの存在を思い出す。
「今年の夏は、探しものがいっぱいあって大変だよな」
こんなときでも冗談を言える余裕があるのが、颯の強いところだ。おかげで、少しだけ気持ちが軽くなった。
「本当にね……これが終わったら、ちゃんとボールも探すよ」
すると、颯も空を仰いだ。新鮮な空気を肺にいれるように深く息を吸い、それからゆっくりと吐き出した。
「俺も……これが終わったら、部活に戻るよ。まだ前みたいに投げられるか自信はないけど。ずっと、このままでいられないし。ちゃんと前に進まないと」
「……うん、颯ならきっと大丈夫だよ」
大丈夫だなんて無責任な言葉かもしないけれど、それでも颯はどこか嬉しそうに笑う。頬に流れた汗を肩で拭うと、颯は再び地面を掘りながら話した始めた。
「怪我のこともあるけどさ、逃げたかっただけなんだと思う。スポーツって、試合に出られる人数が決まってるじゃん。出れる人と、出れない人。俺は今、たまたま出られる側にいて、それはすごくありがたいし、嬉しいことなんだけど……たまにひとりで闘ってる気になるんだよね」
颯がこんなふうに自分の想いを吐露するのは初めてのような気がした。
誰かと同じものを楽しめる颯のことが、羨ましいと思うこともあった。けれど、颯は颯で、自分とは違う悩みをずっと抱えてきたのかもしれない。
凛太郎は口を挟まず、ただ静かに耳を傾けた。
「そういうものだって、わかってはいるんだけど……だって、たぶん大人になっても、きっとこんな感じじゃん。味方がいてもいなくても、結局はひとりで頑張るしかないんだろうなって。でも、だからこそ、ちょっとだけ、うんざりしたんだよね。この先もずっと続くのかなって思ったら……初めて、野球をやめたいって思った」
「やめるなよ」
またも無責任な言葉が飛び出す。けれど、それが本心だった。なぜかと聞かれても、うまく説明できないかもしれない。理由なんてよくわからない。
野球を続けるかやめるかなんて、颯の自由だ。野球どころか、スポーツのことをよくわからない自分が口を出すようなことでもない。頭ではそうわかってる。それでも、颯には野球を続けていて欲しかった。
「やめないよ。やめない……」
まるで自分の気持ちを確かめるように、颯は繰り返し呟いた。
「凛太郎は、すごいよな。ちゃんとひとりで立ってる感じがする」
「そんなことないよ」
「そんなことあるって。凛太郎は、昔から自分が好きなこと貫いてるし」
「それは、颯だって同じでしょ。ずっと野球やってるじゃん」
「でも、俺の野球とは違う気がする。ひとりで何かを追い続けるのって、難しいことだと思うよ。ひとりで闘ってる気がするなんて、さっきはカッコつけて言ったけど、結局は誰かに頼ってばかりだし。いつまでもひとりで立てないまま。俺にはできないことを、凛太郎はやってるんだよ」
颯には、そんなふうに見えるのだろうかと、凛太郎は不思議だった。そんな立派な人間じゃないのに、と歯がゆくなる。颯が本当にそう思って言ってくれているのなら、本当の姿が見えていないだけなのかもしれないと思った。
本心を隠して、取り繕おうとしているから。本当は、ひとりで立てるほど強くもないくせに。
「……俺、たぶん颯と亜紗がいなかったら、地図を好きでいるのやめてたと思う」
この機会を逃してしまえば、もう言えなくなってしまうかもしれない。そんな気がして、凛太郎は素直な想いを呟いた。颯や亜紗と出会った夏から、思ってきたことだ。あの夏は、今思えば分岐点だったのだろう。
「え、なんで? っていうか、それはないと思うけど。凛太郎はどこにいたって絶対に地図から離れないよ。気遣って言ってくれてんでしょ?」
「いや、本当だよ。俺も結局は、誰かと楽しみたかったんだよ。野球とかサッカーとかみんなが好きなものに憧れてた。だから、颯と亜紗が地図に興味を持ってくれて、一緒に遊んでくれて……実は結構、嬉しかった」
「そうだったんだ……俺は、凛太郎が付き合ってくれてるんだと思ってた」
「え、むしろ逆だって。颯も亜紗も、なんで俺と遊んでくれるんだろうなってずっと思ってた。最初に話しかけてくれたの、颯だっただろ? ずっとひとりでいるから、孤独なやつだと思って、可哀そうになったのかなって」
「可哀そうなんて、思うわけないじゃん」
そうだ、颯が人に対して『可哀そう』というのは聞いたことがない。颯は同情なんかで、誰かと一緒にいたりしないのだ。
「面白そうなやつって思って話しかけただけ。でも、凛太郎はひとりでいることが好きなのかと思ってた。あの頃は、特にね」
「俺だって、ひとりで大丈夫なわけじゃないよ。まあ、誰でもいいってことでもないけど……」
颯と亜紗だったからこそ、一緒にいることができたのだと思う。
「凛太郎と亜紗と3人でいる時間、俺は好きだったよ。大切にしてたつもりだった……」
「俺もそうだよ」
ずっと3人でいれたらいいのにと、何度も思った。
亜紗がこの町を離れると知ったとき、3人でいれなくなることを一番嫌だと思っていたのは自分かもしれない。
「ねえ、凛太郎。これは、俺の勝手なお願いだけど、凛太郎にはずっとそのままでいて欲しい」
颯は柔らかく笑って、続ける。
「亜紗と3人でいた頃からいろんなものが変わったし、たぶんこれからも変わっていく。そんな中でも、凛太郎が変わらずにいてくれることが、俺にとっては結構ありがたかったりするんだよ」
「……じゃあ、颯もそのままでいてよ」
「それは、どうかなぁ」
颯はとぼけたふうに言う。
「なんでだよ。人には変わるなって言うくせに」
「だって、変わらないでいられる自信がないんだよ。変わりたくなくても、変わっちゃうかもしれないし。でも、なんか凛太郎は変わらないでいてくれる気がするんだ」
「勝手にそう思われても……っていうか、俺変わりたいし。昔から変われなくて、がっかりすることばっかりだし」
「じゃあ、凛太郎も同じじゃん。自分は変わるつもりなのに、俺にだけ変わるなって言うのはずるい」
「それは……」
反論しかけた言葉を、凛太郎は飲み込んだ。
「そうだね。自分は変わりたいって思うくせに、人には変わって欲しくないって思うのなんなんだろう」
その答えを探すように呟いている。
「俺はさ、凛太郎が自分に嘘つかないでいてくれたら、それでいいよ。あと、たまに、俺と出掛けたり遊んでくれたりしたら」
後半は冗談めかして、颯が言う。
「颯こそ、野球もいいけど、たまには地図部に付き合ってよ」
「ああ、たまには地図持ってどこか遊びに行こうよ。昔みたいに」
「今、約束したからね。ちゃんと忘れないでおいてよ」
言いながら、シャベルを地面に差し込んだそのとき。その先端に、わずかに何かが当たった感触が手から伝わってきた。
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