第12話 夜焚と心象図5

 明るくて広い美術室に移動して、机を挟むようにして腰かける。

「どういうこと?」

そう問いかける苑田の前で、実咲は縮こまっている。

「火の玉の正体は、実咲だったわけ?」

 どうやら苑田と実咲は幼馴染らしい。けれど、ふたりのやり取りを見るからに、最近はあまり話していなかったようだ。

 実咲は唇を噛みしめ、黙ったままでいる。

「それにしても、上手だよなぁ。本当に火の玉みたい。さすが、美術部」

 その傍らで、颯がまじまじと実咲が描いた絵を眺めながら言う。真っ黒な下地に、発光塗料で描かれた火の玉は、間近で見ても迫力がある。凛太郎たちが見たのは、暗闇で光を放つ絵の具で描かれた絵だったようだ。

 暗闇に紛れるため、身体を覆っていた暗幕は、A棟の裏手にある倉庫にあったものだったようだ。用務員の加賀山が言っていたのは、どうやらこのことだったらしい。悪いことをしたと思っているのか、そこまでは教えてくれたものの、肝心のなぜこんなことをしたのかになると、実咲は口を閉ざしてしまう。

「……もしかして、苑田と関係があるの?」

 颯が優しい声で、実咲に尋ねる。

怪談好きの少年と、その幼馴染の女の子。確かに、何かありそうだ。

実咲は瞳をわずかに揺らして、小さく頷いた。

「……だって、豊くん、怪談部を作りたいって言ってたじゃん」

 精一杯の力で声を絞り出すように、実咲が言う。

「怪談部?」と、颯が苑田の方を見る。

「……先輩方の前で、その呼び方をするな」

 怪談部どうこうに答える前に、苑田が気まずそうに言う。気まずいというより、照れているのかもしれない。

 それを見て、面白いものを見つけたといように颯が頬を緩めた。

「別にいいじゃん、豊くん」と、にやにやしながら言う。

「辻浦先輩までやめてください!」

 気持ちを落ち着けるため、そっと息をついてから苑田は続けた。

「怪談部は、もういいんだよ……」

「そのなの、嘘だよ」と、実咲が思わず身を乗り出す。

「だって、中学のときから、高校に入ったら怪談部を一から作るんだって言ってたじゃん。 みんなが興味を持ってくれたら、怪談部だって作れるはずだよ」

「もしかして、それで……」

「……そうだよ。この学校に昔から火の玉が見えるっていう怪談があるって聞いて、またその噂が広まって怪談が盛り上がれば、怪談部を作りやすくなると思ったから」

「……いや、むしろみんな怖がってるよ」

「え、そうなの!? ……そっかぁ、そうなんだ」

 実咲はショックを受けたようで、さらに落ち込む。

「それならそうと言ってくれたら、止めたのに」と、困ったように苑田も頭を掻く。

「……でも豊くん、高校に入ってから、あまり話してくれなくなったから。怪談のイベントあるから一緒に行こうって何回誘っても断るし」

「それは、実咲が絵に専念できるようにと思って……。部活以外にも、隣の市の教室に通ってるんだろ。ってか今日、教室は? サボったの?」

「サボってない。水曜の夜は、休みだから大丈夫」

 どうやら、水曜の夜だけ火の玉があるのはそういう理由があったようだ。

「美大、今から目指すんだろ。邪魔したくなかったんだよ……」

「邪魔って何?」

「だから……応援してるって意味だよ」

「わたしだって豊くんの怪談部、応援したいよ」

「僕の怪談部は、実咲がやろうとしていることとは違うんだよ」

「違くないよ。同じことだよ。好きことをやるために、頑張ってるんでしょ。怪談部を作ろうとしたのだって、好きなことのためだけをやるためじゃないの?」

 苑田はそれには答えず、目を伏せる。

 すると、沈黙を埋めるように颯が切り出した。

「部活、ひとりでも作れるんじゃない?」

「そうなんですか? 部員は最低でも5人必要だって聞いたんですけど」

 実咲は意外そうな顔をする。

「いや、凛太郎も地図部でひとりだけだし」

 言いながら、颯が凛太郎を見る。

 颯から話を引き継いで、凛太郎が続ける。

「そうだけど、地図部は俺が作ったわけじゃないし。昔からあったところに、入っただけだから。一から作るとなると、5人必要になるのかも。でも、今はひとりしか部員がいないのは本当だし、説得することは出来ると思うよ」

「そうなんですね」

 実咲は表情を明るくした。けれど、苑田は静かに首を横に振った。

「いえ、本当にそのことはもういいんです」

「どうして?」

 苑田は、再び口を閉ざした。

 もしかしたら、と凛太郎は思い当たることがあって、苑田の代わりに口を開く。

「……ひとりで作っても、意味がないから?」

 苑田はハッとしたようにわずかに目を見開く。それから、ゆっくりと小さく頷いた。

「怪談を研究するなら、ひとりでできます。でも、僕が部活を作りたかったのは……誰かと怪談の面白さを話したかったからなんです。入学してすぐは、何人か声をかけてみたいんですが、やっぱり興味を持ってもらえなくて。それで、近いことができる落語部に入りました。今は、落語部に入ってよかったと思っています。怪談の話をしてくれる人もいますし、今日先輩たちが来てくれたみたいに、怪談を聞きにきてくれる人もいます。だから、もういいんです」

 そう話す苑田の顔には迷いはなく、本心から言っているのだろうとわかった。

その想いは、実咲にも届いたようだった。

「そうだったんだ……なんか、ごめんね。怪談部を諦めたくないはずだって、豊くんの気持ち決めつけて、ひとりで勝手に突っ走って。怪談に興味を持ってもらうはずが、怖がらせて遠ざけて逆効果だったみたいだし」

 今になって冷静になってきたのか、実咲はこみ上げてきた照れくささを押し込めようとしている。

 すると、苑田もようやく表情を和らげた。

「いや、怪談なんだから、みんなを怖がらせなくちゃ意味がない。いろいろ言ったけど、怪談の噂が広がったとき、ワクワクした。身近なところで、こんなことが起きるなんてって……」

 それから苑田は、凛太郎と颯に目を向けた。

「実は、火の玉の正体を僕も追いたかったんです。だから、今日こうやって一緒に探してくれ、なんか楽しかったです。付き合っていただいて、ありがとうございました」

 そう言って、苑田は子供のように無邪気な笑顔を見せたのだった。

 特別校舎の前で、一緒に下校するという苑田と実咲と別れ、部室棟へと戻った。ここへ来る前に、地図部の部室に寄ったのだが、割れた窓も直っていた。一応、財布とスマホだけはポケットに入れて、鞄は部室に置いたままだ。

「結局、B棟の火の玉と事件の繋がりはなかったってことか」

 並んで歩きながら颯が残念そうに言う。

「まあ、あのふたりがちゃんと仲直りできたんなら、それでよかったんじゃない。苑田くんも落語部で楽しくやってるってわかったし……」

 そこで、凛太郎は言葉を切った。

 ひとりで部活を作るより、少しでも誰かと一緒に楽しめる落語部にいることを選らんだ、苑田の言葉を思い出す。

 なんだか、羨ましい。そう思ったこととは、口にせず飲み込むことにした。



 部室の腰を落ち着けるのは、昨夜のあの一件以来だった。割れた窓は元通りになったが、部屋の中にはどこか不穏の余韻のようなものが残っていた。粉々になったガラスの破片や赤い文字で書かれた警告を思い出すと、落ち着かない気分になる。

 テーブルの上に地図を広げたものの、思考がまとまらない。それは、颯も同じだったようで、居心地悪そうに椅子に座り直した。

「なあ、凛太郎。石を投げた犯人って、俺たちが何をしようとしてるか知って脅してきたんだよな。それ知ってるのって校長くらいじゃないか? それか、倉間先生。校長から聞いたって言ってたし」

「あと、倉庫で会った用務員の人にも話した」

「ああ、そういえば、そうだったな。名前、知らないけど」

「加賀山さん。名札、見た」

 凛太郎が記憶を辿りながら答える。

「よく覚えてるよなぁ」

「その3人が他の誰かに話してなければ、学校内で他に知ってる人はいない。やっぱり、このうち誰かかな」

「うーん……昨日、俺たち地図を持って1日中、学校内を歩き回ってたわけじゃん。それを見た犯人が気づいて、警告してきたってことはない?」

「でも、地図を見ただけで、わかるかな? 桜の場所を調べてるとは思うかもしれないけど、そこを掘り返そうとしてるなんて……」

 言いながら、ふと違和感に躓く。

昼間、倉間に『どうして、知ってるんですか?』と聞いたときに、何か引っかかっていたことを思い出す。

 どうして、知っていたんだ、あの人は。

 知らなければ、あんなことを言うはずがない。『掘り返したりするなよ』なんて。

「そうだよな。そんなふうに思う人いないよな」と、颯が言う。

「……いないよ。最初からいないんだ。桜の場所を調べると思っていた人はいるけど、その下を探そうとしていることは、誰にも言っていない」

 校長にも、用務員の加賀山にも、課題のために桜の場所を調べているとしか話していない。

校長から、その話を聞いた倉間も同じように課題のためだと思っているはずだ。

「倉庫で会った時に言ってたんだ。勝手にどこか、『掘り返したりするなよ』って」

「……そうだ。あの用務員、確かにそう言ってた……」

 束の間、部室に沈黙が落ちた。それを颯が打ち破る。

「仮に、あの用務員だったとして、それがわかっても何にもならない。20年前の事件に関係している人物かもしれないって言ったところで、誰が信じない」

「そうだね、それだけじゃダメだ。でも、見つければあるはずなんだ」

「見つけるって……証拠を?」

 凛太郎は、静かに頷き返す。

「……そう。俺たちが突き止めなくちゃいけないのは、“誰”がやったかじゃない」

 遺体が埋まっている場所があるならば、証拠はそこにある。

「“どこ”にそれがあるかだ」

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