第11話 夜焚と心象図4

 その夜、特別校舎のD棟の廊下から、凛太郎たちは反対側の校舎を窺っていた。

廊下の窓から頭半分だけを出して、火の玉が現れるのをじっと待つ。

「なかなか出てこないなぁ……本当に出るのか?」

 待ちくたびれて、颯が苑田につっかかる。

「僕に聞かないでくださいよ。待っていたら絶対に出るなんて、そんな都合のいい怪奇現象なんてないんですから」

「毎週水曜の夜は、必ずじゃないのかよ」

「それ、ただの真面目なバイトじゃん」

 退屈しのぎに、凛太郎も軽口をたたく。

 その隣で、苑田は腕時計に目を落としている。

「そろそろ出てもおかしくありません。目撃情報は、だいたい夜の8時から10時の間です」

「思ったより、早めの時間帯だよな。その火の玉、まるで見られたがってるみたいじゃん」

 颯が言ったことに、凛太郎も妙に納得する。

 火の玉の正体が人為的なものなら、誰かに目撃してもらうためにやっているはずだ。

「颯の言う通りかも。誰かがこっちの校舎を通るのを待ってるんじゃない?」

「なるほどな。それなら凛太郎、歩いてみろよ」

「え、俺?」

「俺、レフト。苑田、ライト。凛太郎、センター」

 おそらく火の玉が出たときに、校舎の出入り口を指しているのだろう。まるでコーチのように、颯が野球になぞらえて配置を決めた。

 勝手に決められるのは、やや不服だけれど、正面突破の方が距離は近い。足に自信がない凛太郎を気遣っての配置だと思い、受け入れることにした。

 凛太郎は、窓から姿が見えないように屈んだまま廊下の端まで戻ってから立ち上がり、まるで今来たかのように歩き始める。ゆっくりと歩き、廊下の中ほどまできたそのときだった。反対側の校舎であるB棟の廊下に、ぼんやりとした明かりが浮かび上がった。

「出た……」

 中庭を通り越した先、B棟1階の廊下を青い光がゆっくりと進んでいく。

「逃がすか……!」

 その途端、颯が窓から飛び出して、中庭を突っ切っていった。

「足、はやっ……!」

 苑田は一瞬だけ唖然としていてが、すぐに自分の役割を思い出して、颯と反対側のB校舎右手の出入り口へと駆け出した。

 凛太郎は正面の入り口だ。D棟を出て、まっすぐに中庭を走り抜け、B棟へと入る。凛太郎が正面の入り口に着いたときには、他のふたりもすでに左右の入り口から校舎の中へに入っていた。3人は廊下を通してお互いに顔を見合わせる。火の玉も見当たらなければ、3人以外の人影もなかった。

「本当に消えてしまいましたね」

 お互いに歩み寄るようにして中間地点で合流すると、苑田が呟いた。

「時間的に2階に行くのは無理そうだし、1階の教室を探してみるか」

 颯の言葉に、凛太郎と苑田が頷く。

中庭の見える窓を左手に、廊下の右手に並ぶ教室を順番に確認していった。B棟の校舎は、芸術棟とも呼ばれている。家庭科室、被服室と続けて中を見てみるが誰もいない。残るは美術室だけとなった。誰か通る者がいるかもしれないので、苑田には入り口近くで廊下を見張ってもらいつつ、凛太郎と颯が教室内を見て回る。しかし、やはり誰もいない。窓から出たではないかと思ったが、鍵もかかっていた。

「……いない。どうなってるんだよ」

 さすがの颯も気味悪そうにしている。

「ないとは思うけど、2階も行ってみるか?」

 凛太郎も頷きかけるが、ふと部屋を見渡して違和感に気づく。

「……なんかこの教室、思ったより狭いね」

隣にある被服室側の壁をじっと見つめながら、呟いた。

 凛太郎は、その奥の壁へと進んだ。そこには、巨大なキャンパスに描かれた絵が立てかけられている。それに触れようと手を伸ばすと、颯が慌てて止める。

「おい、凛太郎。それ触ったらダメだって」

「え、なんで?」

「その絵、なんかこの美術部出身の有名な人が描いたものなんだって。絶対に触るなって、言われてるの知らないのかよ?」

「知らない。俺、美術は選択していないし」

凛太郎は、美術室にちゃんと入るのは初めてだった。美術と音楽は、選択科目だ。どっちのセンスも持ち合わせていない凛太郎は、悩みに悩んだ末に音楽を選んだ。

「だからって、耳に入ったりするだろ」

「俺は聞いたことないけど……」

 交遊関係の狭さを突きつけられた感じがして、少し胸が痛む。

「でも、それって誰から聞いたの?」

 そう聞くと、颯は眉を寄せた。

「誰って……誰だったかな。それは忘れたけど、いろんなやつが言ってるよ」

 それを聞きながら、似ているなと凛太郎は思う。

「絶対に触ったらダメ、か……なんかそれって、怪談みたいだよね」

 颯が意味を取りかねて、首を傾げる。

「それを流した人、何かを隠そうとしてたりして」

 それから凛太郎は、床にわずかに絵の具がついているのを見つけた。

「絵の具の跡か?」

 しゃがみこんだ凛太郎の隣から、颯も腰をかがめて覗き込む。

「うん、わりと新しそう……苑田くん、1回電気消してみてくれない?」

 教室内と廊下が両方見えるよう、扉の前に立っていた苑田に声をかける。

「わかりました」

 パチンと音がして、美術室が暗闇に包まれる。すると、床がわずかに青い点が浮かび上がった。床についていた絵の具の小さな点が、光を放っている。

「ありがとう」と言うと、苑田が再び明かりを点ける。

「あの、なにか見つかったんですか? 見張り役はつらいです……」

 苑田は、好奇心と役割との間で葛藤しているようだった。自分も探索したいといように、こちらを窺っている。

「この絵、動かすの手伝ってくれる?」

 少し申し訳なく思いつつ、凛太郎が呼びかけると、苑田は待っていたとばかりに駆け付ける。

 大きなキャンパスを動かすと、壁にはその先にもまだ何かあるように扉がついていた。小柄な人なら、キャンパスを大きく動かさなくても、少し傾けその隙間を通り扉に入ることができそうだ。

「扉だ……え、でも隣の被服室って……」

 颯は記憶を辿り、被服室の壁には扉がなかったことを思い出しているのだろう。

「この隣は被服室じゃないよ。部屋の幅が、廊下の長さとどうしても合わないなって思ったんだけど、美術室と被服室の間のもうひとつ部屋があるなら納得できる」

 凛太郎はドアノブを握り、その扉をそっと開けた。

 奥の部屋は、小さな倉庫のような場所だった。中へ入ると、画材やキャンパスに埋もれるようにして、部屋の隅に黒い塊のようなものが見えた。

 凛太郎たちは驚き、一瞬、その場に固まってしまう。

「なんだ……」と、颯が呟く。

その声に反応して、黒い塊が動き、ゆっくりと振り返る。そこで、ようやくその黒い物体が暗幕に身を包んだ、かろうじて女生徒であるとわかった。

 隣の美術室から差し込む光を受けて、見つかってしまったことに怯えているようだった。

「あ、あの……」と、女生徒の頭から暗幕の布が滑り落ちる。

 その顔を見て、苑田が目を見開いた。

「は? 実咲……!?」

 名前を呼ばれた女生徒は、あわあわと顔を蒼くする。

「ご、ごめんなさい……!」

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