第10話 夜焚と心象図3

 記念館の建物は、その見た目も内観も洋風らしい装飾で整えられている。

在校生が母校の歴史を学ぶという目的の通り、壁にはその変遷を辿れるように年表などの展示物や、旧職員や生徒から集めた資料などもあった。その中に、颯と圭介が話していた野球部の垂れ幕の写真も飾られている。

「『文慶魂!』かぁ……垂れ幕って、ずっと同じものを使ってるの?」

 垂れ幕に、その年を限定するような「何年度」や「何回生」といった文字は書かれていない。そそこに書かれたスローガンも、布や文字の色合いも、凛太郎がこの学校に通う間にみたものと同じように見えた。

「そりゃそうだよ。文慶魂は、引き継いでいくものだからな」

 颯が胸を張って言う。

 展示物を眺めている間、記念館の事務員がずっと後ろについている。入館したときには、なんでも聞いてくれていいと丁寧に応じてくれた。むしろ、何か聞いて欲しいと言わんばかりの圧を後ろから感じる。記念館を訪ねてくる生徒は、普段なかなかいないのかもしれない。珍しい入館客の相手をしたくて、うずうずしているように見えた。

「そういえば、この記念館の場所って別の建物がありましたよね?」

 凛太郎はせっかくだしと、尋ねてみた。

 話かけられ、女性の事務員は意気揚々と答える。

「ええ。ここは以前、園芸棟実習棟だったの。それで記念館は、この場所に移動するは特別校舎のところにあったのよ。旧記念館ね」

「それって、今は中庭になっている場所ですか」

「ええ、そうよ」

 凛太郎は、20年前の地図を思い起こす。特別校舎の中心にあった四角い建物の跡は、記念館だったということだ。

「特別校舎は、そのまま同じ場所に建て替えられたみたいですけど、どうして記念館だけここに移ったんですか?」

「ああ、それなんだけどね……記念館で火事があったのよ。記念館は半壊して、校舎にも火が移って少し燃えたみたい。それで、本当は記念館も同じ場所に建てられる予定だったんだけど……」

 そこで、事務員は少し声を落とした。

「その前日に、行方不明になった生徒がいたの」

 凛太郎と颯は、ちらっと視線だけ交わす。建て替えがあったのは、ちょうど20年前だ。その生徒というのは、為成裕子のことで間違いないだろう。

「それで、その火事が事件に何か関係があるかもしれないから、しばらくそのままにしておくことになったのよ。警察の調査も入ったみたいだし。それで、先に周りの校舎の工事が済んでしまって。しばらくしてから今のこの場所に立て直すことになったらしいわ。当時は、あの周りに妙な噂も立っていたし」

「妙な噂、ですか?」

 昨日、倉庫でも同じような話しを聞いたなと思いながら、凛太郎は聞き返す。

「怪談みたいなものが、生徒の間に広まってたみたいね。そんな話が残ったままの場所だと、生徒も寄りつかないからって、思い切って場所を変えることになったそうよ」

「その怪談ってどんな話ですか?」

「そうね……よくある類の怪談だったと思うわ。校舎の窓に、火の玉を見たとか。でもその辺は、わたしもよく知らないの。力になれなくて、ごめんなさいね」

「いえ、貴重なお話ありがとうございます」

 事務員は仕事ができたことに満足したように微笑んだ。

 記念館を出ると、自然と足は部室棟の方へと向かった。行く先が決まっているわけではないが、なんとなくただ歩きたかった。

「行方不明になった次の日に火事って、なんかありそうだよな。まさか、その火事で……」

「それなら、遺体が記念館で見つかってるはずだよ」

「そうか。じゃあ、何か証拠を隠そうとしたとか?」

「それもあるかもしれないけど……俺、怪談の方が気になってるんだよね」

「え、凛太郎ってそういうの信じるタイプだっけ?」

「信じてるわけじゃないけど、興味はあるよ。怪談って、実際の事件に基づいて作られたものがあるって聞いたことあるし……」

 地図と絡めた話も多いし、ということは言わないでおいた。

「出回っている怪談が、事件に関係あるってことか」

「そう。颯はその怪談のことは、聞いたことあるの?」

「聞いたことがある気がしないでもないけど……忘れた」

 この言い方は、たぶんそもそも興味がなかったから、聞き流したのだろう。

「誰か詳しい人がいるといいんだけど」

「いるじゃん。ちょうどいいのが。『文慶の琵琶法師』」



 琵琶法師こと、苑田豊一は、落語部の部員だ。

部室を訪ねてみると、茂上はひとりで本を読んでいるところだった。

「えっと……茂上……ほういち君?」

 凛太郎が尋ねると、苑田はいきり立った。

「“ほういち”じゃなくて、“とよかず”です!」

 文慶の琵琶法師というあだ名に引っ張られ、名前の読み方を間違えてしまった。その異名はなんとなく聞いたことがあったが、会うのは初めてだ。ここに足を運ぶまでの間に聞いた颯の話によれば、落語部に所属する苑田は、どうやら怪談を愛していやまない人物らしい。落語の寄席では怪談噺しか話さないし、怪談に興味を持つ人がいれば、どこへなりと飛んでいき、話して聞かせるそうだ。さまざまな物語を聞かせてているという共通点と、名前が「ほういち」と読めることから、そのあだ名がついたらしい。

突然やってきた凛太郎たちに、苑田は最初こそ訝しそうな目を向けていたが、怪談について話を聞きたいと伝えると態度が一変した。どうぞどうぞと席を勧め、お茶まで出してくれた。

向い合って座り、自己紹介をしようとしたところで、苑田はまず颯に目を向ける。

「そちらは、野球部の辻浦颯先輩ですね」

「うん。あれ、話したことあったけ?」

「いえ、初めましてです。ですが、先輩はこの学校で有名ですから。自然と耳に入ってきますよ。野球部を牽引するエース。送球マックス142キロ。ピッチング能力もさることながら、攻めについても守りについても動けるオールラウンダーだと聞いています」

「はあ……」と、珍しく颯が気後れしたように相槌を打つ。

「それで、そちらは地図部の深見凛太郎先輩ですね」

 苑田は、今度は凛太郎に目を向ける。

「え、俺のことも知ってるの?」

「はい。先輩は、マイナー部の星ですから」

 そういうことかと、凛太郎は納得する。星と言われても、喜びづらい。落語部も部員の人数は少ないものの、最低限の基準である5人は満たしている。それでも、部活の中では少ない方だし、なかなか日の目を見ない部だ。たったひとりで地図部の看板を背負っている凛太郎が、勇者のように見えるのかもしれない。

「それで、今日はどんな話を聞きにきたんですか? 四谷怪談? 妖怪系と祟り系、どっちがお好みですか?」

 前のめりになる苑田に、颯が申し訳なさそうに切り出す。

「いや、俺たちはうちの学校で広まっている怪談を聞きに来たんだよ」

「ああ、特別校舎B棟の火の玉ですね。昔からある怪談で、一度は聞かれなくなったそうですが、今年に入ってまた現れるようになったんですよ」

「どんな話なの?」と、凛太郎が聞く。

「いたって、シンプルな話ですよ。夜になると、B棟の校舎の1階の廊下を火の玉が通るっていうものです」

「なんかの見間違いじゃない?」

「それがですね、先輩と同じように考えた生徒が、この前その正体を探ろうとしたんですよ。反対側のD棟から見張って、火の玉が現れたらすぐにB棟に入って袋の鼠にしてやろうって」

 すると、苑田はノートを引っ張りだして、そこに特別校舎の配置を表すように、4の四角形を書いた。それからそれぞれの四角に、A、B、C、Dを時計回りに振っていく。

「特別校舎はそれぞれの棟の真ん中に正面玄関がありますけど、その他にも建物の両端に出入口がありますよね。それで、張り込みをしていた生徒たちは、火の玉が廊下に現れた瞬間に、3人がそれぞれの出入り口から一斉に入ったそうです」

 そこで苑田は一度、言葉を切った。まるで続きを促して欲しいというようだった。

「それで、どうなったんだ?」

 颯に聞かれると、満足そうに頷き続ける。

「消えました。火の玉が現れた廊下には、誰もいませんでした。火の玉と一緒に、跡形もなく消えてしまったんですよ」

「……どこかの教室に隠れたとかじゃなくて?」

 凛太郎も真相が気になってきた。

「やっぱり、そう思いますよね。その生徒たちも同じことを考えました。教室やトイレなど、すべての場所を調べたそうです。でも、結局どこにもいなかったんですよ」

 凛太郎も颯もしばらく押し黙る。

「それで、先輩たちは、どうして急に怪談を聞きたいと思ったんですか?」

「それは……過去のことで、調べていることがあるんだ」

 一瞬だけ迷ったものの、凛太郎は素直に打ち明けた。

「ほう、行方不明になった女生徒のことですか」

「あ、知ってるんだ……」

「そりゃ、怪談のもとになった事件ですからね」

 言われてみればそうだ。本当のことを話すか迷ったのは、無駄だったと思い直す。

「それで、話を聞きにきたんだ。怪談って、実際の事件がもとになったものもあるよね?」 

 そう尋ねると、苑田はいっそう目を輝かせる。

「ええ、ありますよ。例えば四谷怪談には、流れ着いた亡骸を鰻かきが発見して大騒ぎになった事件をもとに描かかれた場面が出てきます。東海道四谷怪談には、他にも実在する場所や当時の江戸の町で話題になった場所をもとに創作されていますし……」

「それは、地図と照れし合わせたら、すごく面白そうだね……」

 純粋に興味をそそられ、思わずここに来た理由を忘れそうになる。

「ええ、絶対に面白いですよ」と、苑田の瞳も光った。

「B校舎の怪談と過去の事件って何か繋がりがないか?」

 この2人に任せていたら脱線しそうだと、颯が話を戻す。

「どうですかね。火の玉は、火事からの繋がりで出てきた話だとは思いますが……もしかしたら、話を作った人の意図が隠れているのかもしれませんね」

「話を作った人の意図?」

「ええ。例えば、怪談の中には、人を使づけないようにするためにでっちあげたという説があったりしますよ。江戸時代に抜け荷っていう……密輸みたいなものですね、それを隠そうとしたとか。雪女なんかも、子供の外出を戒めるためだとか言いますよね。怪談の裏には、結構そういう作り手側の勝手な都合があったりするものですよ」

 話を噛み砕くように、凛太郎は頷く。

「……じゃあ、うちの学校の火の玉も、誰かが都合の悪い事実を隠そうとしているのかもしれないよね。それか、特別校舎の周りに近づけないためとか……」

「事件と繋げるとしたら、そういう感じですかね」

 すると、颯がじれったそうに唸る。

「うーん、意図があるとしてさ、要はその火の玉の正体ってものを捕まえて、話を聞けばいいんじゃない?」

 また身も蓋もないことを、と思う凛太郎とは違い、苑田はあっけらかんと返す。

「じゃあ、捕まえてみますか?」

 先に提案したにも関わらず、「え?」と颯は目を瞬く。

「だって、ほら、水曜の夜ですし」

「水曜の夜だから何?」

「火の玉は、水曜の夜に出るんですよ」

「なんだよ、そのバイトのシフトみたいな出方」

 胡散臭いと言わんばかりに、颯が鼻にしわを寄せる。

「いいじゃないですか。僕も気になります、火の玉の正体。ちょうど3人いることですし、今度こそ袋の鼠にしてやりましょう」

 苑田は愉快そうに言ったが、目が笑っていない。これは本気なのだろうと、凛太郎お颯も悟った。

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