第5話 夕立と投影2


「俺も一緒に探す」

凛太郎も、颯ならきっとそう言うだろうと思っていた。

「それで、何から始める?」

「うーん、とりあえず20年前と今の学校を比較してみたんだけど……」

 答えながら、凛太郎は窓に貼ってある地図に目を戻した。

「もしかして、それうちの学校の地図? 赤い線と黒の線があるけど」

「これ2枚の地図になってるんだ。重ね地図って言うんだけど……時代が異なる同じ場所の地図を重ねて、その違いから歴史を読み解いたりするんだよ」

 言いながら、凛太郎は本棚から本を取り出して、颯に差し出す。重ね地図で京都の歴史を紐解き、解説しているものだ。颯は本を手に取って、試しにパラパラと捲ってみるが、眉間にしわが寄っていく。

「その重ね地図っていうのをやると、どういうことがわかるの?」

「昔は何がなくて、今は何があるのか……反対に、昔は何があって、今何がないのか」

 そう答えると、颯はやや不満そうなに目を細める。それだけなのかと言いたそうな顔だ。

「まあ、そこから読み解く必要はあるんだけど……」

 言いながら、凛太郎はまた本棚から別の一冊を取り出し、あるページを開いてみせる。

「例えば、これ。東京のある住宅街に、周囲の道路と比べると不自然なカーブがあるんだ。現在の地図だけを見れば、それ以外は普通の住宅街だけど、こっちの写真を見て」

 凛太郎は、地図の隣に載っている写真を指差す。

「終戦後の航空写真を見ると、そこには大きな競馬場の跡があるんだ。校庭のグラウンドにあるトラックみたいな横長の楕円形の跡がね」

 凛太郎は、本の上からカーブを指でなぞる。

競馬場の楕円形のカーブは、現在住宅街にある不自然なカーブとぴったりと重なる。

「それって、つまり……その住宅街の不自然なカーブは、競馬場の名残りってこと?」

「そういうこと。現在の地図だけを見たら、不思議だなで終わりだけど、過去と比べて読み解くことでわかることがあるんだ」

「へえ、なるほど……それで、20年前の学校の地図と今の状態を比べてるってわけか」

「うん。まあ、比べたところで、うまいこと何か見つかるわけじゃないんだけど……」

 颯が感心したように言ってくれるのは嬉しいが、期待値を上げてしまった気がして凛太郎は肩を縮めた。

「ダメでもともと。やってみるだけ、やってみる。そういう精神でいこう」

 颯は、まるで負け試合に真っ向から挑む選手のように言う。こういうときに、颯のスポーツマンらしさを感じる。

「そうだね。何かしらヒントにはなるかもしれないし……」

 凛太郎はもう一度、2つの時代を重ねた地図を眺めてみた。

この文慶高校には、方角で言うと真南に正門がある。そこから、まっすぐに北に伸びるように並木道が続き、敷地のほぼ中心に当たる広場に繋がっている。広場を抜ければ、正面には生徒たちの教室が入る本校舎、その裏には部室棟や弓道場がある。正門から見て、右手の広場脇には、体育館と駐車場。さらにその東の奥には、テニスコートや授業で使うグラウンドがある。

反対の西側には、南側に近い場所にプール、そしてそれより北に、本校舎より小さな建物が4棟、四角形に並んでいる。この4棟は音楽室や理科室などが入る特別校舎だ。そしてそのさらに北には、颯たち野球部が練習で使っている野球場がある。他にも細々とした建物や施設がいくつもあるが、主要なところは概ねこんな感じだ。

「こうやって見ると、うちの高校って無駄に広いな」

 颯も一緒になって地図を眺めながら呻る。無駄にとは失礼な言い方だが、今ばかりは颯に同意する。もう少し狭ければ、探し物もいくぶんか楽だったかもしれない。

「変わったところを見ていくと、園芸コース用の畑が駐車場になってる」

 20年前にあった園芸コースのクラスは、今はない。近くに農業高校があるから、そこに吸収された関係だろう。

「ここも変わってるな。今、記念館があるところか?」

 颯が駐車場と体育館の間を指さす。赤と黒の線が重なっているが、少し形が違う。

「そうだね。20年前は、園芸実習棟だったみたい。そこを立て替えて記念館にしたんだと思う」

 これもおそらく畑が駐車場になったのと同じ理由だろう。

「改築工事で変わったところは、思ったよりなかった。旧校舎をそのまま、新しく建て替えたみたいだね」

 言いながら、凛太郎は西にまとまっている特別校舎の辺りをペンで指し示す。

「真ん中の赤い四角は、なんだ?」

 颯が目を凝らしながら、尋ねる。

「うん、俺もそこが気になってたんだ。何か建物があったみたいなんだけど、何かはわからない」

「あそこの中庭やけに広いと思ってたけど、建物があったからなのか。こうやって見ると、いろいろ変わってもんだな」

「まあ、俺たちが今探しているものに関係ないかもしれないけどね。桜の木がどこに植えられてるかまでは、地図には書かれていないからなぁ。桜の木の本数や場所が、20年前と全部同じ場所なのかもわからないし」

 新しく植えたり、植え替えが行われたりしていたら、過去の位置を正しく把握することはできないだろう。

 考え込む凛太郎に、颯が提案する。

「とりあえず、桜の木が今どこにあるか、ひとつひとつ確認してみる? 何本あるか知らないけど……」

「113本」と、凛太郎が答える。

「学校のHPを見たら書いてあった。自然豊かな学び舎が売りらしいよ」

「なるほどねぇ……」

 具体的な数字を聞いたからか、颯は遠い目をする。

「それでも、今できることはそれくらいしかない」

 凛太郎が言うと、颯も頷き返す。

「よし、やるか」

 ふたりして腰を上げると、夏の日差しの下へと出ていくことにした。



 凛太郎と颯は、現在の学校の地図を片手に部室棟から時計回りに敷地内を回ることにした。外に出る前に部室棟の1階にある生徒会室に寄り、コピー機を借りて地図を印刷させてもらった。ついでに、その場にいた書記の先輩にお願いをして、備品の小さな丸いシールを調達する。桜の木がある場所に、シールを張っていくことにしたのだ。「桜だから」という颯のひと言で、ピンク色のシールに決まった。

 部室棟がある北側から東のグラウンドをぐるり回って、正門前へと辿り着く頃には昼を過ぎていた。

「これで、半分くらいはいったか?」

 颯がひと息をつきながら、凛太郎の手元の地図を覗きこむ。

「もう少しで半分ってところかな」

 東側に当たる地図の右半分には、ピンクのシールがところどころ張られている。まとまって線のようにシールが張られているのは、グラウンドの脇や敷地の外枠を添うように並んでいる桜の木だ。ほぼ等間隔に並んでいたのを数えるだけだったので、思たったよりは楽な作業だった。それでも、体育館の傍や駐車場など、ポツポツと離れて植えられている木もあり、見落とさないように確認していたら時間はかかる。

 ちょうど正門まで来たので、そのまま外に昼ご飯を食べに出て休憩し、日が一番高くなった頃、正門前から調査を再開した。

「西側も同じように外周に桜の木があるはずだけど、ひとまず正門から広場まで入るか?」

 颯からの提案に、凛太郎が頷く。

「そうだね。広場周りを確認してから、西側を回ろう」

 凛太郎と颯は、正門からまっすぐに伸びている並木通りを歩き出した。春であれば、この通りは桜が出迎えてくれるが、今は青葉が繁っている。

「春だったら、もう少し探しやすかったのにな。桜の木って、花が咲いていないと意外とわかりにくいし」

 颯の言う通り、見覚えのある場所だったら記憶を辿って桜の木とわかるが、なにせ数が多いし点在している。

「見逃してる場所もあるかもね。最後に113になってるか確認しよう」

木陰の下を渡るようにして日差しを避けながら、道の両脇に並ぶ木を丁寧にひとつひとつ数えながら、地図の上にシールを貼っていく。

 やがて並木通りを抜け、広場に出た。四角い広場の中心には円形の花壇があり、その真ん中に銅像が立っている。布を纏った女性が、右手を横に掲げているような格好の像だ。

広場の周りに植えられている桜の木を確認してから、凛太郎と颯は並ぶようにして地図を覗き込んだ。だんだんとシールで埋まり手ごたえのようなものはあるが、実際にはまだ何も掴めていない。特に目立つような場所にある木もなかったし、どれも同じような木に見えた。手紙を埋めた本人には、何か特別な木だったのだろうか。

「ねえ、颯だったらどこに手紙を埋める?」

「俺? 俺だったら、埋めないで渡す」

「……聞いた俺が悪かったよ」

 颯ならきっとそうするはずだ。それどころか手紙すら書かずに言いたいことは直接言うだろう。

 凛太郎が苦笑を零すと、颯が少し拗ねたような顔になる。

「なんの役にも立たなくて悪かったな」

「いや、でも、そういうことなんだと思う」

「そういうことって?」

「埋める場所って、その人がどんな人かによると思うんだ。何かその人なりの理由があって選ぶだろうし、10人いれば10人が違う場所に埋めるかもしれない」

「そうだな。似たような桜の木がこれだけあったら、普通どこに埋めるか迷うよな。何かここだって思うようなところがあったんだろうけど。それならそれで、もっとわかりやすいところに埋めてくれたらよかったのに」

「……やっぱり、もうひとつのヒントから割り出す方がいいのかも」

「『学校が見える場所』ってやつ?」

「うん、桜の木の下っていうヒントは、選択肢が木の数だけある。だけど、『学校が見える場所』は、どこかひとつを特定するヒントだと思うんだ」

「でもさ、正直そのヒントも本当に意味があるのかわからなくね? 凛太郎は、解かせるために出したヒントだって思ってるんだろうけど。解かせるつもりがなかった可能性だってあるだろ」

「そういうこともあるのかな……」

「俺は手紙、埋めるような人間じゃないからよくわかないけど……やっぱり、読んでもらいたいなら、渡せばいいだけじゃんってなっるんだよな」

「もしかしたら、あとで一緒に見つけにくるつもりだったのかも」

「あー、タイムカプセルみたいな感じか」

「うん。でも、それなら颯の言う通り、あのヒントは解けないようなものなのかも。先に見つけられちゃったら、一緒に探しにくることはできないし」

「まあ、どうやったって知らない人間の考えてたことなんて、わかりっこないよな」

 ふたりで地図を眺めながらあれこれ考えていると、ふいに白い紙の上に影が落ちた。夢中になっていたせいで、誰かが傍に来ていたことに気づかなかったのだ。

「何をしているんだい?」


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