第6話 夕立と投影3
穏やかな声に顔を上げれば、白髪に眼鏡の男性が目の前に立っていた。一瞬だけ間を置いて、校長だと気づく。普段、なかなか話すような機会もないから、すぐに気づけなかった。驚き慌てふためくふたりをよそに、校長は手元の地図を見て微笑みを浮かべる。
「ほう、この学校の地図か。手書きのようだが、君が書いたのかな?」
校長は、凛太郎を見ながら尋ねる。
「そうです」と凛太郎が答えると、校長は目尻にしわを寄せた。
「よく書けているね。君は確か、地図部の生徒だね。このピンクのシールは何だい?」
校長に地図部の部員であると認識されていることに驚いたが、質問に答えることを優先した。
「この学校にある桜の木の場所です」
「ほう、どうして桜の木を調べているんだい?」
「それは……」と、本当のことを言いかけてから、凛太郎は思い留まる。桜の木の下を掘り起こそうとしているなんて知ったら、止められるかもしれない。事情を説明すれば理解してもらえるかもしれないが、担任や部活の顧問ならまだしも校長にするような話ではないだろう。そう判断し、凛太郎は適当な説明を考えた。
「倉間先生から夏休み中に課題を提出するように言われていて、桜の木の配置を調べることにしたんです」
課題としてやっていたつもりはないが、倉間に言われたのは本当のことだ。
「なるほど、面白そうだ。いい題材を選んだね」
校長はどうやら納得してくれたようだった。颯も凛太郎の意図を汲んでか、口を挟むようなことはしない。
もしかしたら、課題のことは既に校長にも話を通してあるのだろうか。それか、校長から倉間に、成果を見せろと言ったのか。これは、もしかしたら本格的に課題をやらないといけないのかもしれない。
けれど、冷静に考えてみたらこれはいい機会だ。学校の敷地内にある桜について、校長なら知っているはずだ。
「あの、校長先生はずっと前からこの学校で教師をしていますよね?」
「ああ、人生の半分以上はこの学校にいる」
「昔と今で、学校にある桜の本数って同じですか?」
そう尋ねると、校長は少し不思議そうな顔になる。
「過去と現在の違いがあれば、それをまとめようと思っていて……」
凛太郎は、あくまで課題のためという体裁で慌てて付け加える。
「ずいぶん、本格的にやるんだね」
校長に感心するように言われてしまい、少し罪悪感を覚えた。校長は、何の疑いもせずに、にこにこと笑顔を浮かべながら、手元の地図を覗き込む。
「ほとんどは創立時から変わっていないんだが、一部、新しく植えた場所がある……東側はもう調べ終わったようだね」
それから、校長は地図の上のある一角を指さした。
「グラウンド前の観覧席近くの、ここからここまで。この場所の数本は、わりと最近新しく植えたものだ」
「最近っていうと、どれくらいですか?」
「そうだね、あれは……確か12年前だったか。いや、13年前だったかもしれない。校長室に戻ればわかるかもしれないが、正確なことが必要かね?」
「いえ、だいたいで大丈夫です」
それなら、20年前にこの辺りの桜の下に埋めることはできなかったはずだ。
校長が指し示した桜の場所は7つ。113から7を引いて、106本。ほんの少し選択肢が減っただけではあるが、何もわからないよりマシだ。凛太郎は、胸ポケットに入れておいた赤ペンを取り出して印をつける。
それから、校長は広場を見渡しながら続けた。
「あとは、この広場にあった桜の木は、何本か伐採している。向こうに切り株がいくつかあっただろう?」
言いながら、校長は正門側に近い方を指さす。
思わず、凛太郎は颯と顔を見合わせた。
「全然、気づかなかったな……」という颯の言葉に、凛太郎は頷いた。
「そうかい。5年ほど前に、3本伐採したんだ。本当は伐採ではなくて、移植したかったんだが……ほら、桜を切るのは縁起がよくないという話もあるだろう? ただ、かなり老化が進んでしまっていてね。植え替えても、倒れたりする危険があるからと、結局切ることにしたんだ」
5年前に伐採されたのであれば、その切り株の下に探しているものがある可能性はある。
「その3本って、HPに載っている113本の中に入ってませんよね?」
「そうだね。HPは最新のものだから、入っていないと思うよ」
絞れたと思った選択肢が、また少し戻る。でも、校長から話を聞かなければ、危うく取りこぼすところだった。
「それ以外は、創立当初から変わっていないよ」
「そうですか、ありがとうございます」
お礼を伝えると、校長は顔を綻ばせる。
「いやあ、私も部活動に熱心な生徒に協力できて、嬉しいよ」
その言葉に、罪悪感で胸がちくりと痛む。これが課題でもなんでもないと知られたら、本当に地図部はこの学校からなくなってしまうかもしれない。
「他に何か聞きたいことは、ないかね?」
「いえ、あとは何も……」
そう断りかけて、凛太郎はふと西側の特別校舎のことを思い出す。4棟の校舎に囲まれるかたちで、その中心に何の建物があったのか、校長なら知っているかもしれない。
けれど、そのとき、広場の隅にいた業者らしき男性たちが校長を呼んだ。校長は振り返って「すぐ行きます!」と答えてから、再び凛太郎たちに向き直った。
「すまない。そろそろ戻らなくてはいけないみたいだ。実は、そこの銅像の修繕の相談をしている途中でね」
「修繕って……どこか壊れてるんですか?」
凛太郎は広場の中心にある銅像に目を向けてみる。普段まじまじと銅像を観察することもないが、入学当初からの姿と変わらない気がしたし、修繕が必要なようにも見えなかった。
「ずっと前から欠けている部品があるんだよ。もう3年も放置してあってね。さすがに、そろそろ直さないといけないと思ったんだけど、部品もどこに保管したのか……」
校長は面目なさそうに頭を掻く。
「……じゃあ、私はもう行くね。課題、頑張ってくれ」
そう言い残して、校長は業者たちの元へと駆けていく。
その背中を見送ったところで、凛太郎も颯もようやく肩の力を抜いた。
「びっくりしたぁ……いきなり、校長に話しかけられると思わなかった。凛太郎、いつも校長とあんな感じで話してるの?」
「いや、話してない。俺だって、かなり驚いたよ」
「そうなの? なんか親しげだったから、よく話してるのかと」
「全然。むしろ、ちゃんと話したの今日が初めてだよ」
ただの気まぐれだったのだか。にこにこと微笑みつつ、地図部の存続が必要なのか、値踏みしようとしたのか。本当のところはわからない。
「でも、運がよかった。新しく植えられた木も、切られた木のことも知れたし」
「そうだな。これで、とりあえず、桜の木がどこにどれだけあるか、わかったわけだし」
そう言ってから、颯はさっき正門側を振り返る。
「とりあえず、切り株の位置、見に行くか」
「そうだね」
凛太郎たちは、正門側に引き戻すかたちで歩き始めた。ちょっとした庭のようになっているところへ踏む入ると、一定の距離を開けて切り株が3つある。
今はないが、過去には桜の木があっただろうその場所に、シールを足す。それから並木通りを通って正門前まで戻り、西側の敷地の探索をすることにした。
北上するようにして調べ続け、特別校舎あたりに辿り着く頃には、日が傾き始めていた。
特別校舎の4棟は、中庭を囲むようにして四角形を成している。北の校舎をA棟として、時計回りに東側がB棟、南側がC棟、西側がD棟だ。
凛太郎と颯はD棟の裏を通るようにして、そのさらに北にある野球場の方へと向かっているところだった。
「そういえば、亜紗が一緒に探せなくてごめんだって」
颯がスマホをポケットにしまいながら言う。ときどきスマホをいじっているなと思っていたが、どうやら亜紗とやり取りをしていたらしい。
「明日は一緒に探すって言ってたよ」と颯が続ける。
「いいよ。家の片付けとかあるだろ。そのために帰ってきたんだし」
「そう思うなら、直接言いいなよ。凛太郎のところにも、連絡きてるだろ」
「そういえば、朝からスマホ見てない」
「お前なぁ……。せっかく連絡先交換したんだし、亜紗だって……」
言いながら、颯が何かを見つけたように「あっ」と小さな声を上げた。視線を辿るように凛太郎も視線を移すと、校舎の壁にシャベルが立てかけられてある。
「うわあ、あれ放置したの野球部かも。この前、公園の掃除を手伝ったときに使ったから」
颯はシャベルを手に取ると、運び始める。
「ちょと裏の倉庫に寄ってもいい?」
颯に聞かれ、「もちろん」と凛太郎は返す。こういうところが意外と真面目だと、凛太郎はしみじみ感じる。それから、もし手紙が埋まっている場所がわかって掘り返すときには、このシャベルを借りようとこっそり考えた。
倉庫は、A棟の裏手にある。D棟からA棟の裏手へと向かうと、ちょうど建物の間から、中庭が見えた。凛太郎は思わず足を止める。
4棟の校舎に囲まれたその場所は、本校舎前の広場ほどではないが、そこそこ広い。芝生の間を縫うようにして、舗装された細い道が張り巡らされている。道はそれぞれの校舎に伸びており、小さな花壇やベンチはあるものの、他に目立つものはない。
「やっぱり、気になる?」
凛太郎の気持ちを察してか、颯が声をかける。
「まあね……今探しているものと直接関係はないと思うんだけど」
20年前の地図には、この校舎に囲まれるようにして建物があった。その風景はどんなものだったのかと想像してみたくなる。
「地図オタクの血が騒ぐわけだ」
「そんなんじゃないって」
颯の揶揄に軽く返しながら、その場を通り過ぎる。
倉庫には掃除用具を始め、体育祭に使うときの道具など雑多なものがしまわれていた。
「あ、バットがあるじゃん」
颯はスコップを片付けると、奥に立てかけてあったバットを手に取って、バッターボックスに立つように構える。けれす、すぐにバットを下ろした。まるで、怪我のことを思い出したかのような不自然さに凛太郎は気づいたが、見て見ぬ振りをした。
視線を逸らした先で、ふと、棚の上に鈍い色をした輪のようなものに目が止まった。
「これ、なんだろう……?」
凛太郎が手を伸ばしたそのとき、倉庫の扉がガラッと音を立てて開いた。
振り返ると、扉の前に作業着姿の男性が立っている。すぐにはパッと思い出せなかったが、記憶を辿って学校の用務員の人であることを思い出した。首から下がっている名札に、加賀山昭二という名前が書かれている。校長よりは若く見えるが、倉間よりはある程度上の年齢だろうと凛太郎は推測した。
「こんなところで、何をしているんだ?」
加賀山は表情をほとんど変えずに、低い声で言った。
颯がそう答えても、普段、生徒はあまり立ち入らない場所なのか、加賀山は怪訝そうに眉を寄せる。
「何か借りたいものがあるなら、管理棟に連絡するように言ってあるはずだが」
「借りたいものがあるわけじゃありません。外に出しっぱなしになっていたものを戻しに来ただけです」
「そうか。用が済んだのならもう出なさい。生徒たちが自由に立ち入ると面倒だから、本当は鍵をつけたいくらいなんだ」
突き放すような物言いに、凛太郎は怯む。一方の颯はムッとしたようだった。
「学校の備品は、俺たち生徒のためのものじゃないんですか。どんなものがあるのか見ようと、どれだけ倉庫にいようと俺たちの自由です」
追い出す権利はないといように、颯は言う。
「最近、倉庫の備品がなくなることがあるんだ。近頃、妙な噂も出回ってるし……」
「妙な噂?」
思わず凛太郎は、聞き返す。
「怪談のようなものだが、暇な生徒が流したものだろう。君たちじゃないだろうね?」
「違います。そんな暇じゃないですし」と、颯がきっぱりと言い切る。
「夏休みだからって部活動に参加もせず、こんなところでぶらぶらしている暇があるのにか?」
加賀山の声は落ち着いているが、棘があった。
「はい?」
颯がさらに噛みつきそうなので、凛太郎は慌てて間に入る。
「あの、本当に違いますから。それに、ちゃんと部活動してます。地図部の活動中で、彼はそれを手伝ってもらってるんです」
凛太郎は、手に持っていた地図を証拠として掲げる。
「……そうか。勝手にどこか、掘り返したりするなよ」
加賀山はそう告げて、凛太郎がついさっき見つけた鈍色の輪っかを手に取る。
凛太郎は、それが妙に気になって、立ち去ろうとする背中に声をかけた。
「あの、それ何ですか?」
「ん? ああ、校長に取ってくるように頼まれたんだ。広場の銅像の部品だ」
面倒くさそうに言って、加賀山はさっさと広場の方向へと消えて行く。
「なんか嫌な感じ。決めつけるような言い方してさ」
倉庫の扉が閉まると同時に、颯が毒づく。
それでも、気持ちを切り替えるように、颯が身体を伸ばす。
「続きやるか。あとは、野球場の周りだけだし、さっさと終わりにしよう」
「そうだね。もうすぐ日も暮れるし」
倉庫を出ると、西の空が赤く染まり始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます