第3話 夏暁と現在地3

 凛太郎たちの高校には、敷地を取り囲む壁のように桜の木が植えられており、正門前から校舎へと続く桜並木がある。それ以外にも、校舎前の広場や庭を始め、学校のいたるところに桜の木があるのだ。大きな目立つ木が1本だけでというような環境ではない。

そうなれば、もはやヒントとは言えない気がした。

「実は、わたしが今日、学校に行ってたのも、そのためなんだ。でも、思ったより広いし、木もいっぱいあって……」

 亜紗が肩を縮める。

「さすがに、全部の桜の木の下を探すのは無理があるような……」

 颯が言いづらそうにしながらも口にした。圭介も同意するように頷く。

「僕も当時、同じことを彼女に言ったよ。それで、もうひとつヒントをくれたんだ。でも、それもなぞなぞみたいで……」

「それが2つ目のヒントですか?」

 希望は薄そうだと思いつつも、凛太郎は聞いてみる。

「『学校が見える場所』」

 それがヒントだとは思わず、凛太郎も颯も一瞬だけ反応が遅れた。先に口を開いたのは颯だった。

「学校が見える場所って……そもそも学校の敷地内に埋められてるんですよね? それなら、どこからでも学校は見えるんじゃ……逆に学校にいて学校が見えない場所なんてあります? え、哲学的な話かなんか?」

 首を捻る颯の横で、凛太郎も静かに考えてみた。

仮にそれが、校舎が見える場所という意味だとしたら、どうだろう。敷地の中には、見えない場所はあるかもしれない。でも、ヒントは『見える場所』だ。見える場所というのはいくらでもあるだろうし、ひとつの場所を特定するにはあまりに範囲が広過ぎる。

 それに、体育館やプールやグラウンドだって学校の一部だ。学校の敷地にあるものなら、考え方によっては、どんなものでも学校と言えなくもない。

凛太郎も颯も、困ったように唸る。すると、圭介が取り繕うように手を振った。

「あの、そんな真剣に悩まなくて大丈夫だからね! このヒントで見つけるのは無理に近いって、僕もわかってるし……」

そう言うつつも、圭介の顔にはどこか寂しさが滲んでいた。

「まあ、諦めなくてもいいんじゃないですか。なにかの拍子に、いい方法が見つかるかもしれませんし」

 颯が励ますように言う。

「ありがとう。でも、本当に気にしなくていいからね」

それでもまだ考え込んでいる凛太郎の横で、颯がちらっと時計を見た。

「そろそろお暇しようか、凛太郎」

 確かにあまり長居するのはよくない。思考を止めて、凛太郎も顔を上げた。

「そうだね。もうこんな時間だし」

「じゃあ、わたし途中まで送ってくよ」

 亜紗が言いながら、腰を上げる。

「いや、いいよ。もう暗くなってきたし」

 気を利かせて颯が断るが、亜紗は聞く耳を持たない。

「すぐそこのコンビニまでだから。買い物に行くついでだし。ちょっとだけ、待ってて!」

 それ以上、何か言われる前に、亜紗は荷物を取りに2階へと上がっていく。

 亜紗が階段を上る足音を聞きながら、圭介は苦笑をこぼした。

「……なんかごめんね。きっと亜紗も久ぶりにふたりに会えて嬉しいんだと思う。一緒に暮らし始めた頃は、よくふたりの話をしていたよ。こっちにいられる時間も短いけれど、もしよければ少しだけ亜紗と過ごしてあげて欲しい」

 そう言って、圭介はふたりに頭を下げたのだった。



「なんか地図が好きって言うだけで、あんな相談してごめんね」

 家を出て歩き出すなり、亜紗が申し訳なさそうに言った。

「いいよ……叔父さん、ああ言ってたけど、本当は見つけたいんだろうし」

「うん、きっとそうだと思う。最初に聞いたとき、すごく大事そうに話してたから。それで、なんとかしてあげられたらいいなって思ったんだ。ちょっとした恩返しっていうか……ほら圭介さん、独身のままわたしを預かることになったから。当たり前のように一緒にいてくれるけど、大変だったろうなってずっと思ってたんだよね」

 そう話す亜紗の横顔は、大人びて見えた。それから、小さく肩を竦めた。

「けど、やっぱりあの情報だけじゃ難しいよね」

「ほんと、見つけさせる気があるのか疑いたくなるヒントだよな……」

 颯も同意するように、苦笑をこぼす。

「でも……」と、凛太郎が切り出す。

 颯と亜紗が、一斉に視線を注いだ。

「でも、ヒントを出した側からしたら、解いて欲しくて伝えてると思うんだ。だから、あのヒントもまるで意味がわからないように見えても、本当は大事な鍵が隠されているんじゃないかな」

 自分に置き換えてみても、凛太郎はそんな気がしていた。問題や暗号を作ったら、すぐに解いて欲しくはないと思うのと同じくらい、最後には解いてもらえることを望む。ましてや、読んでもらうために書いた手紙を埋めた場所なら、なおさらだ。ちゃんと答えに辿り着けるようにしているはずだと思った。

ふと、ふたりの期待するような眼差しに気づき、凛太郎は慌てて付け加える。

「あ、そう言って、俺も何もわからないんだけどね……」

「凛太郎でも、わからないかぁ」

 颯が残念そうに声を上げる。

「桜の木の場所だって、20年前と同じかすら、わからないんだよね」

「そういえば、圭介さんの代に、校舎の改築工事とかあったみたい。その工事で建物の下に埋もれたり、逆に掘り起こされて捨てられたりした可能性もあるかもって」

「ますます、希望がなくなってきたな……」

 颯がため息混じりに言う。

反対に、凛太郎はわずかに光が見えた気がした。20年前と現在の学校の地図を比べたら、そこから何かわかるものがあるかもしれないと考えたのだ。

 話しているうちに、最寄りのコンビニについてしまった。

「そうだ、亜紗。連絡先、教えてよ」

 颯が流れるように尋ねる。いくら幼馴染とはいえ、こういうときの颯の社交性には、素直に尊敬する。

颯の提案に乗っかって、凛太郎も連絡先を交換し、何かわかったら連絡し合おうと言って、亜紗とはそこで別れた。

転校してからずっと連絡が取れずにいたのに、今にならすぐにでも連絡がとれる。それが、なんだか不思議な気分だった。

「それで、凛太郎はどう思う?」

 ふたりきりになったところで、颯が尋ねる。

「難しいとは思うよ。でも……見つけたいよね」

 当時の年齢も境遇も似ているからか、なんだか他人事とは思えなかった。行方不明のまま会えなくなった幼馴染の手紙を見つけてあげたい。その気持ちは本心ではあるけれど、凛太郎の中にはもうひとつ別の理由があった。

亜紗の力になってあげたい。6年前できなかったことを、今更だけど取り返したかったのだ。

「俺、桜の木の下、全部掘り返してみよっかな」

 冗談かと思ったが、隣を見れば、颯は真面目な顔をしていた。きっと、颯も同じ気持ちなのだろう。

「何日かかると思ってるんだよ」

 そう返してみるが、颯は何やら考え込むように黙り込む。それから、ゆっくりと口を開いた。

「……俺さ、亜紗が引っ越すとき、見送りに行かなかったじゃん。それ、後悔してるんだ」

「大事な試合があったからでしょ。颯のお母さんも、野球チームのみんなも期待してた。颯は、それに応えただけだよ」

颯は悪くない。そう伝えてみても、本人は納得いってないようだ。

気持ちはわかる。自分の中で消化できない限りは、他人になんて言われても後悔は消えないものだ。

「たぶん、それだけじゃないんだ。あのとき、何もできなかったから……」

「……俺も同じようなものだよ」と、凛太郎は静かに返す。

 今までちゃんと話してこなかったけれど、お互いに同じような後悔を抱えているのだろうと、凛太郎はずっと思っていた。

 その気持ちに蓋をして、見ないようにする時間も増えてきた。今になって、それに向き合うのは、少し勇気がいる。

 凛太郎は生ぬるい空気を肺に入れ、それをそっと吐き出してから話し始めた。

「亜紗が転校してから、何回も考えたんだ。あのとき、俺は子供で何もできなかったけれど、もし大人になってもう一度、亜紗に会うことがあったら、そのときはもっと力になれるはずだって」

 そして今、亜紗はこの町に再び戻ってきた。あの頃できなかった何かを取り返すチャンスなのかもしれない。

「……けど、思ったより、できることってないものだね」

 口から出た言葉は、弱々しかった。

「そうだな……」と、颯も小さく呟く。

 町の景色も変わった。久ぶりに会った亜紗は、大人っぽくなっていた。自分たちが知らない時間の中で、亜紗も変わったのだろう。変わっていくものに囲まれながら、何も変われていない自分がもどかしかった。

 その晩、夏特有の突発的な雨が降り始めた。強く窓を打つ雨の音を聞きながら、凛太郎はいつもより早めにベッドに入る。

 思えば、あの日もこんな感じの雨が降っていた。耳に届く雨音を6年前の夏と重ねながら、凛太郎は目を閉じた。


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