第2話 夏暁と現在地2

 神社は、この町にはひとつだけしかない。そのおかげで、暗号にどこの神社と書かれていなくても、目的地は自然と決まった。

鳥居をくぐり石段を登りながら、凛太郎は汗を拭う。見上げれば、夏らしい色の空が木々の間から覗いている。学校からの道のりを歩いてきただけで既に汗だくだったが、木陰になっているからか、さっきよりは涼しく感じられた。

「ここに来るの久しぶりだよな」

 部活で身体を動かし慣れているからか、颯は凛太郎よりずっと余裕そうだ。歩くペースも、きっと合わせてくれているのだろう。

「そうだね……」

階段を上がるのに必死で、短い返事で済ませた凛太郎の代わりに颯が続ける。

「昔は、よく来てたよね。亜紗と3人で」

 久しぶりに聞いたその名前に、わずかに心が揺れた。

「よく凛太郎が宝の地図を作って、それを探す遊びしたよね。この神社を出発点にして」

 聞きながら、もしかしたら掲示板の暗号を見たとき、颯も同じように亜紗のことを思い出していたのかもしれないと、凛太郎は考えた。

「ほんと、懐かしいね……」

 凛太郎は、思い出を噛みしめるように呟く。何年も前の夏の匂いが、風に運ばれて戻ってきたような気がした。

「俺はよく野球の練習で遅れて、凛太郎は暑いから外に出るの渋って遅れて」

「いや、俺、時間通りにはちゃんと来てたよ。亜紗がいつも早いだけで」

「そうだっけ? でもいつも、亜紗が一番先に神社に来てたよな。神社に着くと、亜紗が絵馬に書かれた願い事、読んでてさ……」

 話しながら、颯が石段を上り切る。

そして、境内を眺めた颯は、そのまま何かに目を奪われたように立ち尽くした。

「どうした?」

 後ろから声をかけながら、凛太郎もようやく最後の一段を上り、颯の隣に立つ。颯の視線の先を辿るようにして目を向け、息を詰めた。

 そこには、絵馬を眺めている見覚えのある背中があった。

「亜紗……?」

 昔の面影を残したままの背中に、勝手に口が名前を呼んでいた。絵馬を眺めていたその人が声に振り返る。

 返事を聞かなくても、わかった。背格好は変わってしまっていても、6年前に離れ離れになった幼馴染なのだと、記憶がそう訴えていたから。

それは彼女も同じだったようで、一瞬だけ驚いたように目を瞬いたものの、すぐに笑顔を浮かべた。

「凛太郎、颯……ふたりとも、久しぶり」

 いつかの夏と同じように、ヒグラシの鳴く声が境内に響いていた。



 陽が傾き始め、暑さも引き始めている。神社へ来るときは2つだった影が、今はアスファルトの道の上に3つ並んでいた。

 神社を出て、久しぶりに再会した亜紗とあれこれ話しながら、町を歩いた。

亜紗に最後に会ったのは、小学4年の夏だ。6年ぶりに会った亜紗は、背と髪が伸びて、凛太郎が知る同世代の女の子たちより、少しだけ大人っぽく映った。でも、ころころと楽しそうに話すところも、よく笑うところも変わっていない。それが、凛太郎を安心させた。

どうやら掲示板の暗号は、亜紗が残したものだったらしい。

「まさか、本当に会えるとは思ってなかったよ」

 神社に来るまでの経緯を聞いた亜紗は、そう言って笑った。

「俺たちだって、まさか亜紗が待ってるなんて思わなかったよ。なあ、凛太郎?」

「ああ、うん。そうだね」

 急に話を振られ、なんとも微妙な返事をしてしまう。

 凛太郎や颯と同じように、かつては亜紗もこの町で暮らしていた。小学4年の夏、亜紗が叔父と暮らすため、引っ越すことになるまでは。

その間、手紙や電話のやり取りひとつなかった。けれど、颯はまるで数年の空白などなかったかのように、自然と亜紗と会話をしている。凛太郎にはそれが信じられないようなことであり、どこか羨ましくもあった。

「ってことは、亜紗うちの学校に行ってたってことだよね? もしかして、また転校?」

 颯の質問に、亜紗は慌てて首を振る。

「違うよ。夏休みの間、少しだけこっちに戻ってきてるの。学校には、ちょっと用事があって……」

 亜紗はそこで言葉を切って、話題を逸らす。

「掲示板に貼ってあった新聞に颯の名前を見つけて、きっと凛太郎も一緒だろうなって思ったんだ」

 颯の気さくさのおかげか、亜紗も昔の調子をすっかり取り戻しているようだ。凛太郎にとっては、下の名前で呼ばれる響きすら懐かしかった。

「ほら、昔よく地図記号で暗号作ったりして、遊んでたでしょ? 作るのは凛太郎で、わたしは頑張って解く方だったけど。それで、懐かしくなって、頑張って作ってみたんだ」

「凛太郎が3秒で解いてたよ」

「えー、結構、一生懸命考えたんだけどな」

 すると、颯が得意げな顔をして凛太郎を振り返る。

「凛太郎に向けたメッセージっていう俺の読み、当たってたな」

「まあね」と、凛太郎は短い相槌を打った。

 気を遣って、颯が適度に話題を振ってくれているのはわかっているのに、うまく話を広げられない。思えば、昔から3人でいるときは、こんな感じだったようにも思う。

 そして、こうやって3人で並んで歩いていると、昔に戻ったような気分だった。遊び終わったあと、家に帰るまでによく通った道だ。けれど、交差点の角を曲がったとき、ふと亜紗が足を止めた。

「あ、ここの駄菓子屋なくなっちゃったんだね」

 昔、駄菓子屋があったその場所には、今はコインランドリーがある。

「ああ、いつだったかな。亜紗が転校して、わりとすぐだったよな」

 確認するように颯が見るので、凛太郎も頷きながら続ける。

「すぐ近くにコンビニができて、そのあとだったかな」

「昔、よくアイスを食べに来てたのになぁ」

 亜紗が懐かしさと、残念な想いの両方を滲ませながら言う。

 再び歩き出しながら、凛太郎はこの町から駄菓子屋というものがなくなったときのことを思い出した。この時代の日本に残っている駄菓子屋は貴重だと、凛太郎の親を始め、大人たちはみんな口々に言っていた。けれど、そんな人たちもコンビニができれば、便利な方に足を運ぶ。客足はコンビニに流れ、その影響か駄菓子屋は店を畳んだ。そのうちに、駄菓子屋があったことすら口にする人がいなくなった。

亜紗がいなくなってからの数年だけでも、この町はずいぶん変わったものだ。

コンビニができて、駄菓子屋が消え、そのすぐ隣の通りにまた別のチェーンのコンビニが立った。商店街には空き地が増えて、そのまま駐車場になっている場所がいくつもあるし、カラオケ屋はファミレスになった。

昔と同じように3人で歩いていても、もうあの頃と全く同じとはいかないのだ。

「そういえば、こっちにいる間は、おじいちゃん家に泊ってるの?」

 颯に聞かれると、亜紗は少し戸惑うような表情になった。

「実はおじいちゃん。ひと月前に亡くなったんだ。それで、家のものとか、いろいろ片付けるために帰ってきてるの」

 凛太郎も颯も、思わず言葉を失くした。

「そっか、おじいさん亡くなったんだ……」

 凛太郎は、受け止めるために口に出した。亜紗の祖父には、小さい頃、よく話し相手をしてもらったものだ。

「残念だな……」と、颯も呟く。

 すると、亜紗は空気をしんみりとさせたことを申し訳なさそうにしながら、雰囲気を取り戻そうとあえて明るい声で言った。

「よかったら、家に寄ってかない? おじいちゃんも、ふたりに会えたら嬉しいと思うんだ」



 久しぶりに訪ねた亜紗の実家は、記憶の中よりほんの少しだけ小さく感じた。

亜紗は、転校してから一緒に暮らしている叔父とこの家に戻ってきているらしい。急に訪ねたにも関わらず、温かく出迎えてくれた。

線香を上げて祖父に挨拶をしたあと、凛太郎と颯は居間に通された。

「これ、圭介さんが買ってきてくれたやつなんだ」

 居間のテーブルに羊羹が乗ったお皿とお茶を並べながら、亜紗が言う。

どうやら亜紗は、叔父のことを名前で呼んでいるようだ。「お父さん」でもなく「叔父さん」でもない呼び方に、家族として一緒に暮らすまでの積み重ねが見て取れた気がした。

「口に合うといいんだけど。あ、かしこまらず、実家だと思ってくつろいでね」

 圭介は、人のよさそうな笑みを浮かべながら言う。

亜紗の叔父に会うのは、これが初めてだったが、びっくりするくらい柔らかい物腰にこっちが恐縮するくらいだった。

叔父と暮らすことが決まったとき、ほとんど会ったことがない人だと亜紗から聞いていたから、気がかりに思っていた。それだけに、亜紗はどうやらひとりぼっちにはならずに済んだのだろうと、今更ながらほっと胸を撫で下ろす。

「いただきます」と言ってから、出されたお茶で喉を潤す。暑い中歩き回ったあとだから、よく冷えたお茶が身体に染みていく。

「そうだ、圭介さんもふたりが通っている高校の卒業生なんだよ。しかも、颯と同じ野球部」

 亜紗の説明に、颯がグラスから口を離す。

「え、じゃあ、大先輩じゃないですか」

「大先輩ってそんな大したものじゃないけどね。そういえば、あの習慣まだ残ってる? 大会前の垂れ幕」

「はい、毎年やってますよ。『文慶魂!』って、どでかく書かれたやつ」

 凛太郎たちが通う文慶高等学校では、野球部の出場する春と秋の大会の前に、校舎に大きな垂れ幕がかけられる。そこに書かれている文字が、高校の名前を取った『文慶魂!』なのだ。

「あれ、始めたの実は僕たちの代なんだ」

「え、そうなんですか! あの世代の先輩たちの話って今でも、伝わってますよ。うわぁ、こんな形でお会いできるなんて思ってませんでした」

 尊敬の眼差しを向ける颯に、圭介は照れながらも満更でもなさそうだ。

ひとしきり野球部の話で盛り上がったところで、亜紗が切り出した。

「ねえ、凛太郎はまだ地図好きなんだよね?」

「まあ、相変わらずだよ。小学生の頃から、大して変わってないっていうか……」

言い淀むように答えながら、どうしようかと困ってしまう。

地図部の話をしても、野球部ほど話も広がらないだろうから、部活のことは言わないでおこうと決めた。

「でも、すごいよ。ふたりとも好きなものをずっと続けているんだね」

 亜紗が嬉しそうにするので、少しだけ救われた気持ちになる。それから、亜紗は何か思いついたように声を上げた。

「そうだ、圭介さん。あのこと、凛太郎に話してみたら? 凛太郎だったら、見つけられるかもしれないよ」

 話しぶりからして、何か探し物だろうか。

「いやぁ、でも、今更だし。話しても困らせるだけじゃないかな」

 圭介は躊躇しているようだ。無理に詮索しない方がいいだろう。口を挟むのはやめておこうと、羊羹に目を落とす。

「でも、凛太郎なら地図の知識もあるし……」と、亜紗が付け足す。

 凛太郎は、伏せかけた目を上げた。

「よかったら、話してくれませんか?」

 気がついたときには、そう口をついて出ていた。自分のどこかに地図と聞くと反応してしまうスイッチがあるのかもしれない。

「地図のことなら、何か力になれることがあるかもしれません」

 すると、圭介はまた少し考えるような間を置いてから、頷いた。

「……じゃあ、話だけ聞いてもらおうかな。地図って言っても、ただ学校の敷地内の話っていうだけなんだけど」

 そして、圭介はこう告げた。

「実は、20年前に校庭に埋められた幼馴染からの手紙を探しているんだ」

「手紙、ですか」

 凛太郎が復唱するように口にする。

「そう。僕には、幼い頃から一緒に育った幼馴染の女の子がいたんだけど、高校2年の時に東京に引っ越すことになったんだ。ちょうど、今の君たちと同じ年だね」

 感慨深そうな顔をしつつも、圭介は続ける。

「それで、引っ越しの前日に言われたんだよ。手紙を入れた空き缶を学校のどこかに埋めたから、探してみてって。普通に渡してくれたらよかったんだけど、謎解きとかそういうのが好きな子だったからね」

「謎解きが好きなんて、凛太郎みたいな人だな」と颯が言う。

「別に俺、謎解きが好きな訳じゃないって」

とっさにそう返してから、話を戻そうと圭介に向き直る。

「それで、今も見つかってないままってことですか? それなら、埋めた本人に場所を教えてもらうのが一番早いんじゃ……」

すると、圭介の表情にわずかに影が落ちた。

「……教えてもらうことはできないんだ。彼女は、東京へ引っ越す直前に行方不明になってしまったから。そして、今も見つかっていない」

 途端に、その場に沈黙が落ちる。凛太郎も颯もどう受けとめていいかわからず、言葉が出てこなかった。

「もうずいぶん前のことだから、ある程度は自分の中で整理はつけたつもりだったんだけどね」

 圭介は雰囲気を取り戻すように、あえて明るく振る舞おうとする。その仕草はどこか、亜紗に似ているところがある気がした。

「久ぶりにこの町に戻ってきたら、いろいろ思い出しちゃったみたいだ。せめて、手紙だけでも見つけられたら、なんて思って……」

 地図と聞いて興味本位で聞いたことが、なんだか申し訳なってきた。けれど、どうにか見つけられないだろうかと思う。

「……埋めた場所、何かヒントとかはないんですか?」

 謎解き好きなら、きっと出しているはずだ。

「あるにはあるんだけど、ヒントになるかは微妙なんだよね」

「どんなものですか?」

「ヒントは2つあってね。まず、手紙は桜の木の下に埋まってるらしい」

「え、桜の木の下って……」

 凛太郎は、思わず絶句しそうになった。

「うちの高校、桜の木って何本あるんだっけ?」

 颯も引きつった顔で、凛太郎をちらっと見る。

「昔と今で全く同じかはわからないけど、100本以上はあるね」

圭介が申し訳なさそうに眉を下げなら、そう答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る