第86話 ミーナの憂鬱

「……はぁ」


 入学式の後、学長室に戻ってきたミーナは椅子に深く座りこんでため息を吐いた。

 今日はこの聖ソフィア学園に新入生を迎えた記念すべき日。そんな日に学園の長であるミーナがため息を吐くなどあってはならないことだ。

 しかし、今日に限ってはそのため息を吐きたくなる理由があった。


「《大災厄スタンピード》……まさか今こんなことが起こるなんて」


 当然 《大災厄スタンピード》の情報はミーナの耳にも入っていた。それもかつてない規模の《大災厄スタンピード》だと。そんな状況で入学式を決行したのは国からの要請があったからだ。

 ミーナとしても中止したくなかったのは本音だ。だがしかし、状況が状況なだけに入学式よりも《大災厄スタンピード》への対応を優先すべきだとミーナは考えていた。だがしかし、この国の王はそれよりもいつも通りであることを望んだ。

 もし国民に《大災厄スタンピード》のことが伝われば混乱は必須。何が起こるかわからない。ゆえに情報を伏せるというその考え自体は理解できなくもない。

 だが問題なのは《大災厄スタンピード》の対応をギルドに任せきっていることだ。軍を派遣することもなく、他国に要請するでもなく。ただ冒険者ギルドだけに対処させようとしている。それがミーナが苛立っている理由だ。


「私とハーマッドが出れたら話は早いのに」


 過去最悪規模の《大災厄スタンピード》とはいえ、ミーナとハーマッドが協力すれば止めることは不可能ではない。もちろん簡単ではないが。だがしかし、国王は二人が王都を離れることを許さなかった。

 その詳しい理由も話さないまま、ミーナとハーマッドには王都の防衛に専念するように通達があったのだ。その命令を無視するわけにもいかない。今のミーナは王国に籍を置く身なのだから。

 とはいえ、いよいよとなればミーナも無視して向かうだろうが。


「はぁだけど私もこの学園を守る必要はあるか。生徒達は何も知らないわけだし。何があっても生徒達だけは守ってみせる」


 問題はそれだけではない。《大災厄スタンピード》の情報が漏れているのだ。人の口に戸は立てられない。まだ噂程度の段階ではあるが、その情報は少しずつ広まりつつある。今はまだ一部だが、生徒達の耳に入るのも時間の問題だろう。


「とりあえずそっちの対応は教員に任せるしかないわね。あとはギルド次第か……どこまでできるのかしら」


 冒険者ギルドを信用していないわけではない。しかし、今王都にいるA級冒険者の中に《大災厄スタンピード》に対抗できる人材がいるかと問われれば答えは否だ。

 

「それになんていうか……どうにも嫌な予感がするのよね」


 その嫌な予感の正体はミーナにもわからない。しかしミーナの経験上、こうした予感は外れたことがなかった。


「……シルフ」

『ドウシタノ?』

「学園内の様子を見てきてくれる? それと寮の方も。気になることがあったら教えて」

『ワカッタ』


 風の精霊であるシルフは情報収集に長けている。シルフに任せれば大抵の情報は手に入れることができるのだ。

 そうしてミーナが指示を出し、シルフが帰ってくるのを待っていると部屋の扉がノックされた。


『ミーナ様、わたしです』

「ルルワス? 入っていいわよ」

「失礼します」


 彼女の名はルルワス。ミーナの秘書をしている人族の女性だった。とはいえ、ミーナの傍にいる精霊が人見知りなので四六時中傍にいるようなことはない。何か用がある時だけミーナの元にやって来るのだ。


「どうしたの?」

「ハーマッド様からのお手紙が来ておりまして」

「ハーマッドから? わかったわ。そこに置いておいて。わざわざありがとう。下がっていいわよ」

「では失礼します」


 そう言ってルルワスは部屋を出て行く。

 このタイミングでの手紙。確実に《大災厄スタンピード》絡みであろうと思いながらミーナは手紙を開く。


「えーなになに。《大災厄スタンピード》の対応には……レイハが行く!? それにS級の彼も!?」


 書かれていた内容は思わず驚いて声が出てしまうようなものだった。まさかあのレイハがハルマの傍を離れて対処に向かうとは思っていなかったのだ。


「まさかレイハが行くなんて。予想外もいいところだけど。でも確かにあの子の実力を考えればそれが一番妥当かもしれないわね。私達意外で任せられるのなんてレイハくらいだもの。それに加えてS級のテスタロッサが向かうっていうなら盤石でしょう」


 ひとまずの懸念材料だった《大災厄スタンピード》への対応は解消された。レイハとテスタロッサに任せれば万に一つの取りこぼしもないだろうと安心できる。


「ま、それも予想外のことが起きなければだけど。それは私が心配しても仕方ないし、あの子を信じて任せるしかないわね」


 そのまま手紙を読み進めていくと、手紙の最後の方にはレイハからメッセージも書かれていた。書いてあることを要約すれば『ハルマのことを頼む』といった内容だった。ご丁寧に何かあったら許さないとまで書いてある。

 しかし、心配するのも無理はないだろう。以前魔王教団に襲われたばかりなのだから。傍を離れることすら苦渋の決断だったはずだ。

 

「言われるまでもないわ。あの子も、他の生徒達も私が絶対に守ってみせる」


 それはミーナにとっての決意だ。ミーナにとって学園の生徒達は自分の命よりも大事な存在なのだから。


『ミーナ、カエッテキタ』


 手紙を読み終えたタイミングでシルフが戻ってくる。


「ちょうど良かったわ。学園内の様子はどうだった?」

『ミンナ、タノシソウ。ウキウキシテタ』

「そう。まぁ入学式だものね」

『ダケド……』

「何かあった?」

『ヨクナイウワサ、ハナシテル。ナンニンカイタ』

「良くない噂って。もしかして《大災厄スタンピード》のこと? まさかもう生徒達の間にまで広まってるの?」

『ウン』

「そんな、いくらなんでも早すぎる。いったい誰が……」


 一度流れ始めた噂を止めることはできない。表だって否定することも。そんなことをすれば余計な勘ぐりを生むだけだ。だがこのままでは噂は一気に広まるだろう。


「とりあえずは噂を発生源を見つけないと。学園の生徒なのか、外部の人か。誰が流布してるかを突き止めないことにはどうしようもない。シルフ、戻ってきたばかりで悪いんだけど探ってきてくれる?」

『マカセテ!』

「お願いね」


 レイハ達に任せれば《大災厄スタンピード》は大丈夫だと信じている。しかしそれでもミーナの胸に巣くう嫌な予感は無くならない。それどころかその予感は先ほどまでよりもずっと強くなっている。もはや何かが起こるのは確信していると言ってもいいほどに。


「この予感が外れたらどれだけいいかしら。ともかくレイハ、《大災厄スタンピード》の方は頼んだわよ。あなたならできるって信じてるから」


 ミーナは天を仰ぎながら、ここにはいないレイハに向かって応援の言葉を送るのだった。

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