第51話 屋敷を出る前の出来事

 ある程度の荷ほどきを終えたハルマはラゼンと休憩がてらの雑談をしていた。


「へぇ、それじゃハルマは学校に通うのこれが初めてなんだな」

「うん。ずっと子供の頃から勉強は家でしてたよ」

「はー、それかなり珍しいんじゃないか? 俺でも一応地元の学校には通ってたぞ。地元に学校が無いくらいの田舎だったのか? でも日曜学校くらいはあっただろ?」

「学校も日曜学校も両方あったけど、その……実は昔に誘拐されたことがあって」


 それはハルマが幼少の頃の話。まだレイハが来て一年ほどしか経っていなかった頃の話だ。当時コルド周辺を騒がせていた盗賊団にハルマが攫われるという事件が起こったのだ。ちょうどアルバとシアが家を空けているタイミングで、身代金狙いの誘拐だった。

 その事件自体はレイハがあっという間に解決した。しかしそれ以来、レイハはハルマを外に出すことを極力避けるようになったのだ。勉強も何もかも、全てレイハが面倒を見るようになったのだ。

 それから時は経ち、ホリー、ツキヨやミソラ、サラ、カレンがメイドに加わりハルマの教育体制も完全に整えられた。学校に行く必要すら無くなってしまったのだ。

 それが良いか悪いか、それを判断できることではない。レイハはしっかりとハルマの教育をこなし、聖ソフィア学園に入学できるまでに育てたのだから。


「まぁ、でも話を聞く限りお前のメイドさんってかなり過保護な感じなんだな。かなり優しいんじゃないか?」

「うーん。優しいのは間違いないんだけど……」


 ハルマはレイハの優しさを知っている。しかし、その優しさがごく一部にしか向けられていないことも知っている。


「ってか、じゃあ今回はそのメイドさんも一緒に来てるのか?」

「うん。いきなり僕を一人で行かせるのは心配だからって。今は使用人の人達の寮に行ってるよ」

「かーっ、羨ましいねぇ。俺なんかもうさっさと行けって感じで追い出されたってのに。うちのメイドはかなり厳しくてよぉ。俺がガキの頃から面倒見てくれてんのはありがたいんだけど、主人の息子だってことを忘れてんじゃないかってくらいだ。ガキの頃にいたずらとかしたらそりゃもう遠慮なくケツぶっ叩かれたしなぁ」

「それは……すごいね」

「ハルマはそんな経験ないのか?」

「さすがにそういう経験は……」


 レイハに叱られた経験すら数えるほどしかない。ましてや叩かれるなんて経験は一度も無かった。ハルマとの鍛錬の時でさえレイハは怪我をさせないようにと気を遣っていたのだから。


「でも話を聞く限り、他のメイド達とも仲良かったんだろ? それじゃ出て行く時色々と言われたんじゃないか?」

「うーん……確かに色々言われたかも。というかあったね」


 ハルマは屋敷を出て行く前に起きた出来事を思い出していた。






 数日前、屋敷の中庭にてその戦いは行われていた。


「『氷滅刃』!!」

「二ノ型――『偃月』!!」


 レイハとツキヨの技が激しくぶつかり合う。もう何度目になるかわからない打ち合い。

 二人の戦いは一時間を超えようとしていた。

 互いに見据えるのは倒すべき敵だけ、乗り越えるべき障害だけだった。


「はぁはぁ……さすがねツキヨ。この私をここまで手こずらせるなんて」

「っ、ふぅ……それはこっちの台詞だけどね。どうして君の氷は竜の鱗より硬いのかな。私の【月華氷刃】が欠けるんじゃないかって心配になるんだけど」

「ふふ、それは何の冗談かしら。あなたの刀はこの程度で欠けるほど柔じゃないでしょ! 『氷塊』!!」

「っ!」


 ツキヨはハッと空を見上げる。そこには視界を埋め尽くすほどに巨大な氷の塊があった。


「まさか、私が斬った氷を全部あそこに集めて」

「えぇ。ご苦労様ツキヨ。おかげで良い氷の塊になったわ。そしてさようなら」

「八ノ型――」

「遅いっ!」


 氷塊を斬ろうと太刀を上に向けたその一瞬。その一瞬こそがレイハが狙っていた隙だった。

 ツキヨの右脇腹に掌を当てるレイハ。そして次の瞬間、ツキヨの全身を貫く衝撃。意識が飛びかけそうになるならでも太刀を手放さなかったのはツキヨの最後の意地だったのかもしれない。


「かはぁっ!?」

「しょ、勝負あり! 勝者はレイハさんです!!」


 立会人をしていたカレンが勝者を宣言する。


「はぁ、やっと勝負がつきましたのね。長い、長過ぎですわ」

「あいつらもう最後の方ガッチガチのガチでやり合ってたんじゃねぇか?」

「レイハちゃんもツキヨちゃんも頑固だもんねぇ。それにツキヨちゃんにとっては良い機会だったんじゃないかな。本気のレイハちゃんと戦いたいってずっと言ってたし。レイハちゃんはレイハちゃんでこの戦いに負けるわけにはいかなかったから本気だったしね」

「ですわね。ツキヨが思ったより食い下がった、という印象ですわ。結果は見ての通りですけど」

「負けは負けってな。まぁとにもかくにもこれで決まりってわけだ」

「坊ちゃまー! 決まったよー!」

「う、うん。僕も見てたんだけど……」


 目の前で繰り広げられていた戦いにハルマは圧倒されていた。自分との次元の違いを感じていたからだ。

 ツキヨの使った技の数々はハルマがアデルと戦った時に使った技とは比較するのもおこがましいほどに差があった。そしてレイハはそんな技を正面から受けて、いなしていた。

 もう途中からハルマには何が起こっているのかわからなかったほどだ。


「ふぅ……さすがツキヨと言っておきましょうか。ですが、これで決まりです。坊ちゃまと一緒に王都に行くのはこの私です」


 入学を目前に控えたハルマ。当然ハルマ一人で行かせるわけにはいかない。なので当然レイハも随行しようとしたのだが、それに待ったをかけたのが他のメイド達だ。

 曰く、以前王都に行った際にハルマを危険に晒したレイハが随行者で良いのかと。そうして始まったのが今回の戦いだった。

 随行を申し出たのはレイハ、ツキヨ、ミソラ、サラの四人。トーナメント形式で戦い、勝者がハルマと共に王都に行くことになったのだ。

 そして今、勝者は決まった。


「文句はありませんね」

「文句しかありませんけど、まぁそういうルールでしたもの。従いますわ」

「ちっ、もうちょっとやれると思ったんだけどな」

「いつつ……まぁ負けちゃったものはしょうがないしね。悔しいけど」

「ホリーは最初からレイハちゃんでいいと思ってたけどね。王都でも坊ちゃまのことよろしくねレイハちゃん」

「わ、わたしからもお願いします! というか、わたしではとてもじゃないですけど坊ちゃまのこと守れそうにないので。今の戦いを見る限り……」

「えぇ、当然よ。王都で何があろうとも、私が必ず坊ちゃまを守ってみせるわ」


 これが、ハルマが王都に行く前に起きた出来事だった。




 あの日の出来事を思い出したハルマは遠い目をしていた。


「……うん、ホントに色々あったよ」

「な、なんか大変だったんだな」

「僕が大変だったわけじゃないけどね」

「なんかそんな話聞いてるとどんな人なのか会ってみたくなったな。でも大丈夫か?」

「何が?」

「いや、あくまで俺も噂で聞いたくらいなんだけどな。使用人の寮はかなり大変らしいんだ。上級生に仕えてるメイドが幅をきかせてるらしくて、新入りはいびられるとかなんとか」

「そうなの!?」

「いや、あくまで噂だけどな。でもお前んとこのメイドさんかなり優秀みたいだし、大丈夫だろ」

「うん……そうだね。レイハさんならきっと大丈夫だよね」






 同じ頃、使用人寮にて。

 レイハは多くのメイド達に囲まれていた。しかし、その雰囲気は決してレイハを歓迎しているようなものでは無かった。


「……もう一度、言ってくれるかしら?」

「えぇ、何度でも言いましょう」


 高圧的な態度でレイハを睨みつけるメイドを前に、レイハは慄くどころか笑みすら浮かべていた。

 

「あなた達の命令は聞きません。私に命令して良いのはこの世界でただ一人、坊ちゃまだけです」

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